三魔神戦争
1
質の悪い油の焼けた匂い。人の骸が焼けて焦げる匂い。常人なら、その匂いを肺腑に吸い込めば吐き気を催すだろう。
贄を捧ぐため建てられた、荘厳なる大理石の神殿。だが、その壁面には黒き煤がこびりつき元の色を留めない。積み上げられた人間の骸を幾度も幾度も焼いたから。
血で描かれた魔法陣の上に積まれた遺体の山が燃え盛る。騎士たるボルガンは両の手を組みその炎に祈りを捧げていた。
編み込みのある黄金の毛髪、同色の口髭を持つ男。その顔面には戦の厳しさ、恐ろしさが深く刻まれている。
「清浄なる炎の娘レムス、穢れし供物を焼き清めたまえ」
着込んだ金属の鎧が熱を吸収しボルガンを苦しめる。吹き出した汗が額から鼻を伝って顎へと流れ落ちてゆく。
しかし、ボルガンは一心不乱に瞼を閉じ主レムスに祈る。彼女にこの供物を捧げるのだ。そして引き換えに力を受け取る。
必ず、主人は答えてくださる。疑ってはならない。信ずるのだ。
「おお!」
ボルガンは歓喜した。レムスの力が駆け巡ったのだ。
暴れ狂う龍の如く体の中を踊り、そして染み込んで行く。
「レムスよ感謝します! 我が主人よ!」
ボルガンはその迸る力に酔いしれながら両腕を広げた。
2
ガラデイル大陸──この土地では十の魔神が信奉されている。信奉者からの献身を受けて力を授ける人ならざる者。“ヘイルの魔”とも称される彼らは死することがない不滅の存在。異界に住み、人には理解できぬ行動原理にて歴史を紡ぐ。
今、その魔神の内三つ柱が大きな諍いを生み出していた。獣の王バンダー、暗きノラグ、そして炎の娘レムスである。
ボルガンはその内レムスを祀るベルゴレムス聖王国の騎士。レムスのため異教の戦士を狩り、その肉体と魂を捧げる。敗北を許されぬ屈強なる炎の娘レムスの信奉者。
そのボルガンは部下の待つ部屋へと扉を壊す勢いで入った。戦の話をするための部屋で机と、その上には地図がある。
そう戦だ。聖騎士ボルガンは、戦を求めてここに来た。部下にはそれを助ける義務がある。そして義務は果たされねばならない。
「バンダーの信奉者共を屠る! 良きところを即時に見繕え!」
「は! 炎の娘レムスのために!」
部下も当然理解しているので、間をおかずに大声を張り上げる。
彼もまたレムスの戦士でもある。現在もチェインメイルを着ている。もっともボルガンと比較したなら細く乾いた枯れ木にも劣るが。
だがその頭脳は役にたつ。部下は地図の一点を指差した。
そして、ボルガンの行くべき地点の戦況を詳細に報告する。
「現在、我が軍はイバの森にて停滞を余儀なくされております!」
「ふん。まさしく奴らの領域だ。だからこそは赴く価値がある」
「は! ボルガン様、そう考えます!」
部下の意気は高く、荒く見える。しかして臓物には恐怖がある。
もたらされる死を恐れているのだ。人間としては正常ではある。
一方、ボルガンには恐怖はない。歓喜の予感があるだけだ。
「怯えるな。我らは剣である」
ボルガンは低く静かなる声で告げるとその場を後にした。
3
昼だというのに夜かと見まごう魔神バンダーの守護する領域。繁茂する木々が連綿と続く樹林が方向感覚を奪う。
ボルガンと部下はそのイバの森の獣道を連なり歩いていた。ボルガンは右手に身の丈ほどの片刃の剣を携えて進む。左手に持った聖なる松明、その火が彼らを導くと信じ。
先頭を歩くボルガンの後を十名の部下が追いかける。彼らの鎧がぶつかり擦れる金属の音が鳴り続けている。
しかしここで初めて部下の一人、盾を持つ男が声を発した。
「ボルガン様。よろしいでしょうか?」
「話せ」
「は。ありがとうございます」
ボルガンが彼に返答したため同時に彼らの行軍が止まる。部下達は疲れを見せていたので、ついでに呼吸を整えたりした。
だがボルガンには汗ひとつもない。故に、ここに止まる理由はない。もしもくだらない要求をしたら、即刻彼を殺していただろう。
だが幸い、処刑は避けられた。
「この森を進んでだいぶ経ちます。抜けても良い頃かと思いますが……」
彼の疑問は真っ当だ。ボルガンにはつまらぬことであるが。
それでも殺害するほどではない。彼はただ無知で惰弱な男だ。
「案ずるな。我らには炎がある」
ボルガンは彼に教えて導く。松明の火を彼に向けながら。彼はその熱でたじろぐが、彼を燃やしたりするつもりはない。
炎はレムスの加護である。敵には死を子には守護を与える。聖なる炎を持つ限り、ボルガンが惑わされることはない。
──と、その時だった。少し離れた木の影から人が、ふらりと現れて姿を見せた。
ベージュ色の服を纏う男性。げっそりと痩せているような男。
ボルガンは彼を見つけた瞬間、右手の剣を天へと掲げる。彼を斬り捨てるそのためだ。何者かを知る必要などない。
「待ってくれ! 私は……!」
男は両掌を見せて上にあげる。
しかし、ボルガンは待つことすらない。突撃して剣を振り下ろした。
彼まではそれなりに距離がある。だが踏み込みには一歩で十分。瞬く間に距離を詰めて、剣を大地に叩きつけて粉砕する。鉄塊の衝突で地は砕かれ、あるいは吹き飛ばされ、抉れている。
人間が耐える一撃ではない。掠めただけでも衝撃は受ける。だが血の一滴すら落ちていない。つまり──男は避けていた。
「ひどいな。話を聞く気すらない」
まるで茶化すように男は言った。
男とボルガンの距離は微塵も、小指の長さすら縮んでいない。男が後退したためだ。瞬時に、常人ではない男が。
彼はバンダーの信奉者。魔神の力を与えられし者。男がそれをすぐに証明する。肉体そのものを膨張させて。
筋肉がはち切れんほどに膨れ、全身から長い体毛が伸び、顔面の骨が狼の如く音を立てて鋭く変形する。
そして彼は人と狼の血をその身に宿す者に変貌した。
「人狼兵か。姑息な獣よ」
ボルガンはそれを知っている。
バンダーの血を分けられし下僕は野生をその身に宿すのだ。ハヤブサやトカゲにそして狼。それらが、人と混ぜられた化け物。
「貴様を我らがバンダーに捧げ、その肉は我が喰らってくれよう」
人狼の口角がニィと上がり、涎が犬歯を垂れ落ちる。獣と人との醜い部分を足し合わせたまさしく醜き者。
この場にその人狼は二人いた。
「間抜け!」
ボルガンの前にいる人狼へと意識が向いていた。その刹那──もう一匹の人狼が跳躍し部下達に襲いかかる。
金属の爪を両腕に着けた二匹目の狡く賢い人狼。彼は瞬きの間に爪を振るい、ボルガンの部下達を惨殺した。
更にだ。今度は最初の一匹、前にいた人狼が襲いかかる。ボルガンへと、どこに隠していたか二本の刀を構え飛びかかる。
「ふん!」
だが、これには対処した。ボルガンは剣を横向きに振り、刀の人狼を弾き飛ばした。重量を感じさせないどころか、羽を操るが如くの斬撃。人狼に直接当たっていれば、上下に切り分けていたはずである。
もっとも人狼は刀で防ぎ、宙返りをして着地した。こうして二人の人狼が、ボルガンを挟みその隙を狙う。
円を描くようにそろりそろりと歩きながら同時に挑発する。
「貴様の配下は弱い上、生でも焼いても不味そうだ」
「弱者に興味はない」
「動じぬか? さすがは薄情なる聖騎士様」
「獣が言うとは、滑稽千万」
全滅し、細切れにされた部下の話題を持ち出し動揺を誘う。
しかしボルガンは動じない。言葉に嘘もない。ただの事実だ。
すると人狼は地を蹴って、木々のその影に身を隠す。二匹ともが。そこから影のように跳躍し、ボルガンのことを惑わしにかかる。
「この森は我々の狩場である。狼の牙を震えながら待て」
いずれは彼らを見失う。その時こそ彼らは襲いかかる。
柔らかな肉に牙を突き立てる。その瞬間を夢に見ているのだ。
その様子を見てボルガンは、大きな声をあげて笑い出す。
「はははははははは!!」
そして笑いながら松明の火を自らの頭へと押し当てた。
髪が、頭が燃え上がる。その火は直ぐに全身へと回る。鎧の中にも、鎧の外にも、そして右手に携えた剣にも。
ボルガンはそこで笑いを止めると、炎を纏った剣を振り回す。炎は剣から次々放たれ木々を焼き、そして飛び回る影を──「ごばあああ!?」捉えた。
鉄の爪を持つ人狼が、炎を浴び地面に墜落する。炎を消そうと転がれど、レムスの炎は燃え盛る。
気管が焼ければ呼吸はできない。皮膚も臓物も機能を失う。つまり死だ。彼らが息絶えれば元の人間の姿へと戻る。
「フロス! この腐れ肉が! 死ねえ!」
結果、冷静さを欠いた残りの人狼がボルガンに襲いかかる。
二刀の刀で素っ首を狙う。これが最大の過ちであった。彼らは狼。狼は群れで獲物を狩る社会性の獣だ。その強みが失われた時点で尻尾を巻いて逃げるべきであった。
ボルガンは剣を天高く掲げ、そのまま敵に向けて跳躍する。そこから刃を振り下ろす。人狼を唐竹に斬り潰す。
人狼は刀をバツの形にクロスさせ防御の姿勢をとった。だがその上から刀ごと、大地に叩きつけて両断した。
哀れ。人狼は潰され、斬られて解剖されたカエル以下の様子。そのまま人へと回帰する。だが、ボルガンはまだ許していない。
ボルガンは彼の元へと歩くと踵で彼の頭を踏みつけた。
「誰が! 腐れ! 肉だ! この! 犬! 野郎! が! 死ね!」
何度も何度も踏みつけた。気が少しだけは晴れるまで。
その無意味な行為をやめた時、同時に彼を焼く炎が消える。ボルガンの体から白く細い煙が立ち上り天へと昇る。
そこでボルガンは長く息を吐き、ようやく呼吸を整えた。辺りにはゴロゴロ転がる死体。放っておけば土に帰るものだ。
だが彼にはやるべきことがある。死体をそのままにはしておけない。
まず部下の死体の元へと向かい、彼らの持つ道具を拝借する。釣り針のような形状を持った金属のフック。そしてワイヤー。これは生贄を運ぶため、用いられる道具の一つである。
ボルガンは二人の元人狼の死体にフックを突き刺した。そしてフックにワイヤーを繋げ、そのワイヤーを死体に巻き付ける。フックが外れぬように。そして、ワイヤーで彼らを引きずれるよう。
彼らは贄として魔神レムスに魂を捧げられねばならない。本来、それを運ぶのは部下だが情けなくも全員死んでいる。
その情けない部下の骸を見て、ボルガンは小さく舌打ちをした。
「このまま野晒しにすればやつらの贄として使われる恐れがある」
役立たずを処理するのはレムスの下僕としての誇りを傷つける。
だが放置すればバンダーの贄に利用され敵を利することになる。
ボルガンは彼らの遺体に対し松明の炎を近づけ、燃やす。
「レムスよ。弱き魂を導き、清め、白き灰に戻したまへ」
その作業を終えるとボルガンは、死体を引きながら歩き始めた。引きずり跡と血の線を残して、今来た道を一人、引き返す。戦利品を魔神レムスに捧げ、自らの忠誠を示すために。
4
まだ熱を持つ、固まったばかりの溶岩が円形になった大地。その周囲はまだ煮えたぎり、溶けた岩が弾けて音を立てる。
そのような場所に一人の女性が静かに目を閉じて佇んでいた。場違いな白いドレスを纏った小麦色の肌の美しい人。黄金の髪が火の子と共に、風に吹かれさらりさらりと揺れる。
彼女は炎の娘と呼ばれる魔神レムス。上級たる存在。そのレムスは閉ざしていた瞼を開いて後二人を出迎える。
生えてきた植物の作り出す、光のゲートから出たのが一人。液体のような漆黒の影を抜けて現れたのがもう一人。
「来ましたね。バンダー。そしてノラグ」
レムスは彼らをそう呼んだ。
「レムスよ。お前が呼んだのだ」
植物のゲートを抜けてきたのが獣の王と称されるバンダー。事実、その外見は翼を持ち角の生えた大きな獅子である。ただ、顔面だけは人間であり、厳つい男のそれである。
「僕たちの決めた約束ではある。レムスはただ取り仕切っているだけ」
影から出たのは“公正なる者”とも呼ばれる魔神、暗きノラグ。その体はカラクリのようであり、頭まで無機物の仮面である。
ガラデイル大陸で今、現在、争い合う魔神の三つ柱。戦争の根源。しかし、彼らは険悪なる関係とは言えない。
ヘイルの魔と呼ばれる魔神達は干渉し合うことを避けている。それ故、こうして集まるだけでもまだ良好とも思われるだろう。
ただし彼らは戦争をしている。そのことには疑いようがない。
暗きノラグがその三魔神戦争に関わる物を召喚する。
「僕たちの契約に関わること。それを確認しなければならない」
彼が現れた時と同様に地面に暗い影が現れる。そこから机とその上に──置かれた道具が迫り上がってくる。
それは三つの砂時計であった。赤、青、黄色に色をつけられた砂が入れられた砂時計。ただし砂は流れ落ちてはいない。少なくとも目に見える限りでは。
それを眺めてバンダーが唸った。
「まだ半分以上は残っている」
彼は明らかに不機嫌だ。しかし契約は変更できない。バンダーもノラグも、そしてレムスも。遊戯には規則が必要である。
「配下を除いた戦士の魂。それを捧げる度に砂が落ちる。最初に砂を落とし切った者が勝者となる。それが、取り決めです」
レムスはバンダーへと指摘した。
バンダーも理解しているのだから反論せず再び喉を鳴らす。
「私は忙しい。もう少し、早く終わるようにするべきだった」
そしてバンダーは光のゲートに引き返し、この場から立ち去った。
残されたレムスと、暗きノラグは彼に対し呆れる他にはない。
ただ、雑談はまだ少しは続く。
「バンダーは短気だね。遊戯なら、楽しむのが作法だと思うけど」
「ノラグ。貴方は楽しんで?」
「君ほどではないけど、それなりには」
ノラグはそう言うと、机の上の赤い砂時計を指で示した。それは僅かだが他二つよりも多くの砂が下に落ちている。
レムスを表す砂時計。だがレムスが喜ぶことはない。
「勝利に近づけば他の二人に狙われる。それが遊戯の肝です」
「確かに。君はよく理解している。バンダーもそうだと良いのだけれど」
一方、ノラグは表情すら無い。ただ体を不気味に揺らすだけだ。
「勝者には景品もあるのだから、遊戯であれ本気でやらないと」
「敗北した二人は宝物を……勝者に譲り渡す。それが規則」
「僕も君たちに劣らないように、少しは良いところを見せようかな」
言ったノラグの砂時計は青。現状最も負けている。
しかし、彼は知略に富む魔神だ。遊戯はまだ予断を許さない。
もっともレムスは宝物などには全く興味などは持たないが。
「私は宝物などどうでも良い。ただ勝利したいだけ」
「君らしい」
そんな雑談をしていると──急にこの空間が震え出した。
この場所は一時の夢に過ぎない。レムスの作り出した話の場所。
「今日はここまでかな? じゃあレムス」
「ええ。ごきげんよう。暗きノラグ」
二人の魔神が挨拶を交わす。その直後にこの空間は消えた。
彼らにとっての下級の世界で今この時にも争いは続く。規則により勝者が決まるまで、彼らの戦士は戦い続ける。
まだ遊戯をはじめて二十年。戦の序章に他ならなかった。




