物語が始まる前に
「・・・緊張、してる?」
「そりゃあしているわよ。・・・だって、ここから始まるんでしょう?」
「入学式がね。」
「違うの!もう!忘れたの?!」
大通りを走る馬車の中、揃いの紺色のブレザー、学園の制服を着た二人の男女は隣に寄り添って座り、声を潜めて話す。
今日は女性の方、ベル・アイスレッジの入学式である。一つ年上の婚約者、ケント・マホガニー侯爵令息にエスコートされての初めての通学だ。
入学するのはエストラ王立学園というこの国最大の学園で、貴族の中でもこの学園を卒業することが一つのステータスとなるくらいの名門校である。
しかし彼女の緊張は、実は初登校に対してのものではない。
「・・・今日、物語が、・・・始まる。」
ここはとあるゲームの世界とよく似た世界だ、と気がついたのはいつだろう。
前世でプレイしたそのゲームは子供向けだったのだが、流行りの乙女ゲーム要素も盛り込んでいた。それにのめり込んでいたのは、ケントの前世の兄の娘、姪っ子の未来だった。
「・・・うっわ、未来ちゃんから凄い数のメールが来てる。」
「どれどれ・・・げ、ホントだ。いつもすまねぇな。」
「まあ、お義兄さんとは話しにくいんだろうね・・・」
前世のケントの兄は地方にある実家で内科病院を開いていた。そしてシングルファーザーとして一人娘を育てている。
兄の元妻は大学病院の医師だった。研修医時代に兄と知り合ったらしい。結婚、出産後も勤務を続け、未来が保育園に行き始めた頃、海外の病院から引き抜きがあったため家庭を捨ててそちらに永住を決め込んだようだ。一方的に離婚を切り出されたと後で聞いた。
ケントの母親も医者だった。今は大きな総合病院に勤めていて兄とは別居していると聞いている。こちらも仕事優先主義で、ケントは子供の頃、母親に遊びに連れて行ってもらった記憶がない。そういうのは家で建築設計士の仕事をしていた父親の役目だった。残念ながらその父はケントが学生時代に亡くなったが、ケントは多大な影響を受けた。その為、ケントは建築学科の大学を選んだ。そこで知り合ったのが美鈴(今のベル)である。
二人は大学時代に同じ教室で知り合い、共に同じ建築事務所に勤め、入社して約1年後にケントから告白した。それから三年ほど付き合って結婚し、半年。
二人はケントの故郷に里帰りの途中、旅行も兼ねて街から離れた山の中の温泉旅館に宿を取り、寛いでいたところに未来からメールが届いたのだ。
未来と美鈴は結婚前に親族の顔合わせで会った際、未来が美鈴を気に入り、頻繁にメールをやり取りするようになった。未来が思春期にさしかかり、男親に話せないことが増えた為か、精神的に不安定なのか、最近は毎日メールが届く。
内容の多くはハマったゲームの話だけれど、途中に成長する身体の不安とか人間関係の悩み事、進路の相談も入ってくるので軽視できない。
ケントの兄は娘を、正直持て余している。接し方がわからないようだ。未来のメールの内容から伺い知れる。
美鈴とケントは話を合わせる為に、未来のハマったゲームを始めたが、序盤で飽きた。だがストーリーは未来が送ってくるメールで詳しくなってしまった。
「・・・未来ちゃん、凄いね。もう、テンションが・・・」
メールには、どのキャラがカッコいいとか、攻略が難しいとか延々と述べられている。中には『ケント』という攻略対象もいて、どうも特徴がケントに似ているのだとか。
夕食前のひととき、二人でそのメールを見ていたら、ぐらりと部屋が揺れた。
「やだ、地震?」
「そうかも」
そう言って、ニュースで確認しようとケントが部屋のテレビのリモコンに手を伸ばした時。
どこからかゴゴゴゴゴ・・・と大きな音が聞こえた。机も小刻みに揺れている。
不味いと思った瞬間に部屋の電気が消え、窓が割れた。
土砂崩れが起こったのだ。
数日前に大型の台風が通り過ぎ、雨で地盤がゆるくなっていたところに地震が重なった。
二人は都会の喧騒を離れ、静かな場所をと山奥の旅館を選んだのが災いしたのか。旅館は土砂に潰され、押し流された。ケントと美鈴の二人はそのまま、土砂に埋まる形で亡くなったのである。
そして、ケントとベルは生まれ変わった。
二人は『マホガニー侯爵家主催の子供のお茶会』という名の『お見合い』で引き合わされた際、前世の記憶が戻る。
「マホガニー侯爵家の第一子、ケント・マホガニーです。よろしく」
「アイスレッジ侯爵家が長女、ベルです。以後、お見知りおきを・・・」
そう挨拶しあって、互いの目を見た瞬間。
(・・・・・・思い出した。)
二人は手を取り合って何故か泣き出し、その茶会が終わるまで互いの手をしっかりと握り寄り添っていた。両家の親には、二人の相性はぴったりだと判断され、すんなりと婚約が決まる。
一応、事業提携にからむ政略的な婚約だったが、二人の親密度は深く、婚約した十二歳の頃から二、三日に一度は互いの家を行き来している。
「・・・早く結婚したい。」
「何言っているの。あなたは十六歳、私はまだ十五歳よ。」
この国の結婚は、男女とも十八歳以上と決められていた。特に貴族は、十八歳で国主催の大舞踏会でデビュタントをしてから、結婚するよう推奨されている。デビュタントすることで大人と認められるのだ。
二人は前世も夫婦、今世でも結ばれることが決まっている。
二人の仲は順調だったが、ベルには一つ、気がかりな点があった。
(この世界は、未来がやってたゲームに似てる)
聞こえる地名や学園の名が同じだったし、ベル・アイスレッジという名前も聞き覚えがあった。確かゲームの『ケント』の婚約者で、彼を攻略しようとすると出てくるライバル令嬢の名前だ。
そのゲームのストーリーはよくある定番ものである。
田舎男爵の娘の主人公が、男爵の幼馴染の伯爵に才能を見込まれ学園に転入することから始まり、王子様や高位貴族の男性と恋に落ちる、所謂シンデレラストーリー。ゲームのベースとなる部分は3マッチのパズルゲームで、ライバル令嬢や攻略対象と対戦し、勝つことでストーリーが進む。
絵は大人にも人気のある絵師が描いていて、とても美しかったが、小学生や中学生向けなのでストーリーは単純だしパズルも簡単。
ただし、攻略後のライバル令嬢の扱いが酷かった。
たいした悪事もしていないのに学年末のパーティで断罪され、婚約破棄になる。その後は娼館落ちやらギロチンやら、良くて国外追放、修道院行きだ。主人公が怪我をするようなイベントもないのに、あんまりである。
ちなみに主人公のバッドエンドは中退して実家に帰るだけ。ライバル令嬢との差が酷すぎやしないだろうか?
ゲームでの『ベル』の断罪後は何だったか。
残念ながら、今のベルは覚えていなかった。
ベルはため息を一つ吐くとケントに言う。
「もし、断罪するなら、国外追放にしてね」
「何を言ってる。するわけ無いだろう。ベルを断罪なんて、そんなこと」
きょとんと目を見開いて、ケントはベルの腰を引き寄せた。そして蟀谷にキスを一つ落とす。
「俺がお前を離すわけないだろう?」
「だって、ゲームだとあなたも攻略対象なんでしょ?」
「あー・・・・ゲームかー・・・・」
ケントは斜め上を見上げる。
「気にしなくてもいいんじゃないか?前にも話したけど、今は現実だし。ゲームじゃない」
「それでも心配だわ。ゲームと同じ学校名で舞台は揃ってる。強制的に悪役を押し付けられるかもしれない」
主人公はケントと同学年だったと思う。二年生から編入してくる設定だった。ゲーム期間は一年。
ケントからは編入生がくるとは聞いていない。でもきっと編入してくればケントに何か起きるはず。
主人公が誰を攻略する考えかは分からないから、ベルは余計に不安が募る。
「何も起こらないから、心配すんな」
ケントにそう言われても、ベルの心境は複雑だった。
□□□□□
ケントは隣で緊張気味の婚約者を見る。
背筋を伸ばし、まっすぐに前を見つめるその姿は凛として美しい。前世と瞳や髪色は変わってしまったが、その佇まいや雰囲気は変わらない。いつもケントを魅了する。
(ゲームの筋書きなんかに惑わされてたまるか)
ケントは心の中でそう呟いた。
ケントだってゲームの強制力が気にならなかったわけではない。
でも今は、この世界はゲームとは似て非なるものと確信している。
学園に入学してから、色々と調べた中でこの世界とゲームの世界との決定的な相違点をいくつも見つけたのだ。
まず、第一にゲームのベルと、今のベルの年齢が違うなど、細かい部分で色々と異なる。
ゲームでのケントとベルは同級生だった。しかし、今のベルは一学年下。理由は、前世でケントが咄嗟に美鈴を土砂崩れから庇ったため、ちょっとだけ先にケントが亡くなったからだとケントは思っている。
第二に、学園の枠組みがゲームと異なる。
ゲームでは、前世でいう普通の共学だった学園は現在、男女共に同じ敷地内で学んでいるが同じ教室ではない。男女、別の棟で離れて学ぶ。
二十年前までは、男女一緒に同じ教室で学んでいた。
何故か。
理由は二十年前、当時の第十王子、今の国王の弟王子が起こした事件のせいである。ケントやベルの親世代の時だ。
弟王子は、問題アリの生徒だった。王族という立場に胡座をかき勉強をしない。放課後は悪い仲間とつるんで視察と宣い下町の繁華街をたむろし、酔っ払いや破落戸と喧嘩する。娼館に入り浸り、家である王宮には滅多に帰らない。当然、学業成績は王族にあるまじき、下の下である。顔立ちは整っているものの、その素行の悪さから、まともな貴族令嬢は誰も相手にしなかった。
王家も第十王子という、側室の子で継承権が低い王子であるため、放置状態だった。一応、数名の侍従や護衛を与えていたのだが、それも王子の素行の悪さ故、侍従達は喧嘩に巻き込まれ、大怪我を負わされ、配属した端から退任を余儀なくされる。お陰で護衛もつけずに仲間とほっつき歩いていた。
弟王子の仲間は、下級貴族の次男、三男で爵位を継げない、成績も悪くて腐っている連中ばかり。同じような境遇の連中で集まって騒いでいる。
そんな素行の悪い王子が、図書館での居眠りを注意されただけで逆恨みし、同級生の女生徒に乱暴した。
女生徒の名はジョアンナ・セイン。セイン男爵家の娘である。彼女は金髪碧眼の美しい容姿に成績優秀者であった。将来は文官を目指していたという。
その彼女を学校内で襲ったのだ。
「女のくせに偉そうだ」と言って、仲間と共謀し、ジョアンナが図書委員の仕事で遅くなったところを拉致し、犯した。
翌日の朝、ジョアンナは発見されたのだが、学園のショックは大きかった。
その上、学園内で箝口令がしかれたにも関わらず情報が漏れ、新聞で大きく報道されたのだ。
学園は休校となり、王宮の調査が入ると第十王子一派の悪行が次々と発覚した。ジョアンナだけでなく、過去、他の女生徒も襲われていたことがわかったのである。これらはまた、報道規制があったにも関わらず新聞で大きく報道されてしまい、王家と学園に対し、世間の風当たりが非常に強くなったのは言うまでもない。
結果、王子は廃嫡の上、仲間と共に遠方の無人島に罪人として流刑になったのである。今は生きているかどうかも不明だ。
王族も王位継承権や側室制度が見直しになり、今の国王に側室は居ない。
学園は大切な貴族の子息子女を預かっている。今後、男女同じクラスにして、また何か問題が起こらないとは言えないと高位貴族の親御達が声高に言い募った。なので再発防止策として学園は男と女の学生を別の棟に分け、特別なカリキュラムの時以外、男女が会わないように工夫した。さらに出入り口には警備員も立てたのだ。
そういうことだから主人公が学園に編入しても、本来、ケントと出会うはずがない。
ところが、だ。
主人公のヒロインは、既に学園に入学していた。
物語の始まりは二年になる時だったのに、一年生の夏季休暇の後に学園に編入してきたらしい。
そして何故か男子生徒の教室に、昼の休み時間に入ってきたのだ。
男女の教室は別棟になっているとは言っても、完全に関わりがないわけではない。婚約者がいる場合は、申請すれば休み時間に婚約者に会いに互いの教室へ入室が許可された。主人公はその穴を使ったのだ。
「デニス!やっと見つけたわ!」
「なんで此処に来たんだ、アーシャ!」
ヒロインの名前は、アーシャ・セイン。デフォルト名だったので、すぐに分かった。
確かに見た目は可愛らしく、金髪碧眼で華奢な庇護欲をそそる容姿だ。しかしケインにとっては、別に惹かれない。既にベルという最愛の婚約者がいたから。
彼女はケインの友人、デニス・モルト伯爵令息を見つけると嬉しそうに近寄ってきた。
「なんだよデニス。婚約者か?いつの間に!」
隣の席では同じく友人のハワード・リックマン侯爵子息がデニスをからかう。
ちなみにハワードもゲームの攻略対象だ。同じクラスには攻略対象者があと一人居る。デニスはその友達枠で、アーシャの後ろ盾になる伯爵家の嫡男だった。ゲームでは攻略対象との好感度をヒロインに教えるお助け役である。
だからデニスとアーシャが顔見知りなのは、納得なのだが。
(婚約なんてしてたっけな?)
ケインは首を傾げた。
ケインとハワードに向かって振り向いたデニスは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「・・・違うよ。僕の婚約者じゃない。」
そんなデニスに構わず、駆け寄ってきたヒロインのアーシャは
「いつもデニスがお世話になっています。お噂はかねがね聞いております。私、アーシャ・セインといいます。
うふふ・・・・ハワード様とケイン様ですよね。デニスに紹介してと頼んでいたのに、全然取り合ってくれないもんですから、こうして会いに来ました。」
そうニッコリと頭を下げた。
次の瞬間、ハッと空中を睨み、何事かブツブツと呟いている。
・・・・・・・いや、おかしい。色々と。
ケインとハワードは愛想笑いを浮かべつつ、心中ではドン引きしていた。
まず、アーシャとは初対面で、名前呼びを許していない。おまけに男爵令嬢よりデニスもハワードも格上の貴族だ。友人のデニスが紹介してもいないのに先に名乗るのは、礼儀に反する。いくら学園内は家格に関わらず平等に仲良くするべし、と校則に書いてあっても最低限の礼儀は必要である。それを全部すっ飛ばしている。なんだ、この気持ち悪さは。
絶句するケイン達を余所に、ブツブツとアーシャは何事か呟いている。
「・・・おかしいわ。ここで対戦するはずなのに・・・」
そう。
最終的にケインがこの世界はゲームと違うと決定づけたのは。
─── ゲームの3マッチパズルなんて出来ないのだ。それにこの世界、魔法もない。
ゲームなら初対面時、パズルで対戦する。勝っても負けても「強いな、お前」「そちらこそ」「・・・見直した」とか言って仲良くなる展開があるのだが、ここは現実なのでありえない。今までパズルの盤面が出てくることは今まで一度もなかった。
まあ、他にチェスのような遊戯はある。しかし、3マッチゲームとは違う。
アーシャは空中を睨み、散々ブツブツ呟いていたが、
「・・・・パズルが出来ないけど・・・・・ま、いっか。」
そう言って、改めてケイン達に笑顔で向いた。「現実に攻略対象は居るし、私はヒロインで可愛いし、乙ゲーだけで進むんでしょ」
ニコニコと笑顔のアーシャは、クラスの中を見渡す。
「・・・あら?あちらにいらっしゃるのは、レイノルド様じゃないかしら?デニスったら酷いわ。レイノルド様も紹介してくれないなんて」
そう言ってアーシャは廊下を友人と談笑して歩くレイノルド・アルデバラン公爵令息(こちらも攻略対象である)のもとに走り出してしまう。
「アーシャ!いい加減にしろ!」
デニスはアーシャの後を追いかけていってしまった。
ケインとハワードは顔を見合わせる。
「・・・・なんだあれ。」
「色々と酷いな。」
視線の先には、アーシャがデニスに引っ張られて教室を出ていく姿があった。
つぶやきの内容から、アーシャが転生者であることは間違いない。独り言をまるで隠す様子もないのは、こちらをゲームのNPCだとでも思っているのだろうか?
「・・・・あーゆーのとは絶対に付き合いたくない。」
ハワードがくたびれたように言う。彼は転生者ではないが、ゲームと性格が異なる。ゲームでは一つ年上の婚約者に対し劣等感を抱えていて、それをヒロインに慰められるキャラだったのだが、現実では婚約者ととても仲が良い。時折、流行りのカフェで婚約者と二人でデートしていると自慢される。
「見た目は可愛いけどな。」
「見た目が良くともあれは無い。・・・・あれじゃ商人かどこかの飲み屋の女将じゃないか。呼び込みしてるみたいだ」
今どき、子供でももっと落ち着いているとハワードはぼやいた。
ゲームなら挨拶することだけでも好感度が上昇したようだけれど、実際、あのように声をかけられるのは非常に後味が悪い。
だって考えてみてほしい。
自分の友人の友人が、初対面の挨拶もそこそこに彼方此方の人間に話しかけるのだ。同性であっても顰蹙を買う行為だろう。
ましてやあの挨拶だ。
相手に返事をする隙をあたえず、自分勝手に喋って去るのはいかがなものか。
その日は、アーシャはデニスによって追い返されたが、次の日になると朝から教室に現れた。
そしてデニスの横で授業を聞き始めたのだ。これには教師が注意した。アーシャは「女子だけの教室でつまらないから」と抵抗したが、結局は教師に追い出された。
さらに次の日。
アーシャは男子の誰からも相手にされなくなる。
休み時間ごとに男子の教室に顔を出すアーシャが「こんにちは」と言っても、ちらりと見るだけでケインのクラスメイトは誰も返事をしない。
そしてアーシャの後ろでは小さい声で卑猥な話が飛び交う。
「あの女生徒、隣の組でも声をかけまくったらしいぜ」
「尻軽女かよ。デニスも大変だな」
「営業でもしているのか?」
「男相手っていうと、商売女だな。誰にでも股を開くのか?」
「かもな。アルデバラン小公爵の腕に絡みついて、しなだれかかったらしい。デニスと二股かよ」
「案外、五股、六股かもしれん」
「娼婦かよ・・・ヒヒッ」
「娼婦なら俺も相手してほしい。婚約者に痛い思いさせたくないし、閨の練習台になってくれないかな」
「昨日、ラランド伯爵子息があの女の挨拶に返してたぞ」
「デニスが居るのに、ラランド伯爵子息とも懇意にしているのか」
「尻軽決定だな」
等、ケインの耳にも届くのだから、アーシャにも聞こえているだろう。
デニスの横でプルプル震えて、アーシャは固まっていた。デニスは知らんふりだ。
しかし、思春期の男子生徒の多い教室なんて、こんなもんなのだ。
前世、美鈴も建築学科の男子生徒の卑猥なからかいは無視していた。あの時は、数は少ないが女子の同級生がいたから良かったが。今のアーシャは一人。針の筵状態だろう。
関わって下手にクラスでの立場が悪くなっては困ると避けている者、ゲスい勘ぐりをしている者、先日のやり取りを聞いて関わり合いになりたくない者、デニスや自分の婚約者を慮っている者。
皆、アーシャのことを気にはしてても、直接触る気は無い。
そして次の日。
アーシャは男子校舎に入れなくなった。
教師が手を回し、警備員に通達が出たのだろう。校舎入口の警備員の数が増えた。
これでアーシャも諦めるだろうと思っていたら、昼食を提供する食堂(ここも男女別棟であるが警備員が居ない)の入口で待ち伏せしていた。
ケントと友人二人が食堂に入った時は、既にアーシャはアルデバラン公爵令息を捕まえて、一緒に昼食を取っていた。アルデバラン公爵令息はなんとも気まず気な青い顔をしていた。多分、明日からアルデバラン公爵令息は自宅から昼食を持ってくるだろう。ケントとハワードも昼食を持参することにした。
それから、話しかけても誰も答えないのに、懲りずにアーシャは男子クラスの近くに出没した。教室には入れないので校庭や出入り口前、運動場などで。デニスまで呆れ顔で、アーシャを無視している。
そんな状況の中。
「なあ、俺も相手してくれねぇか?」
朝の登校時、校門から校舎まで足早に歩くアルデバラン公爵令息の腕を掴み、話しかけるアーシャに、とある男子生徒が声をかけた。
彼はグノス・ロッドマンという伯爵令息だ。話してみると気は良いやつだが、悪ぶっている。それにゲームに出てこない人物だ。
「商売女なんだろ?小公爵や侯爵子息なんてお坊ちゃん狙ったって、相手にされねーだろ」
「なっ!?・・・馬鹿にしないで!!」
アーシャは顔を真っ赤にさせて、激昂した。
「貴族の男子って貴公子じゃないの!?女性には親切にするのが普通でしょ!相手するって何をよ!」
それを聞いて、グノスは鼻で笑った。
「お前、まるで娼婦じゃん。あっちこっちで男に声をかけまくってさ。閨の授業はお前の得意分野だろ?閨教室、開いてくれよ」
アーシャは途端にポロポロ泣き出した。
「・・・ひ、酷い・・・・私、娼婦じゃない・・・」
しかし、誰も慰めるものはいない。デニスですら冷めた目で離れて見ていた。
「わ、私は・・・高貴な血が流れているんだから・・・・ぐすっ・・・・後で謝ってもしらないんだからあ!・・・ヒック・・」
「はあ?高貴な血ってどういうことだよ。貴族の血なら、俺達にだって流れていらぁ」
するとアーシャはその場で蹲り、声を上げて泣く。
泣かせたグノスは「なんだ、こいつ。泣くなら自分の教室で泣けよ」と、面倒くさそうに友人と共にその場を去っていってしまった。
アーシャの周りには誰もいない。
先程まで声をかけられていたアルデバラン公爵令息は既に立ち去っていた。誰も遠巻きにして、声もかけずに教室に入っていく。
十分程、そこで立ってワンワン泣いていたアーシャは誰も声をかけてくれないことに気がついたのか、その場から駆け出した。
「デニス、追わなくていいの?」
ハワードがデニスに声をかけるが、デニスは気にしていないようだ。
「自業自得。僕はちゃんと注意したし、対処もしてた。それを無視したのはあの女だ」
「婚約者じゃないのか?」
ケントの問にデニスは首を振る。
「違う。僕には婚約者は居ないよ」
じゃあ、彼女は誰の婚約者なんだ?と聞く前に、予鈴がなってしまった。
その事件というか、騒動があった次の日から一週間。
デニスは休んだ。アーシャも来なかった。
教室は以前の落ち着きを取り戻したように思われた。
数日ぶりに朝、デニスが教室に来ると、ケントの隣の席で重い、おもーいため息を吐き出す。
「・・・・あー、っクソ」
その様子に、ケントとハワードは顔を見合わせる。
「どうした?風邪・・・じゃあ無かったのか?休んだ理由。」
「・・・・僕、一昨日、家督を継ぐ手続きをしてきたんだ」
「はあ!?」
同じ教室に居るものは、嫡男が多かった。だから、皆、いずれ家督を継ぐとは思っている。しかし、まだ十五、六歳で家督を継ぐ者は居ない。
「もしかして、親父さんが亡くなったのか?急に?」
「いや、違う。生きている」
「じゃあ、なんで?」
「・・・・あのアーシャが悪いんだ。」
傍にいるクラスメイトはもっと話を聞きたそうだったが次の教科の教師が来てしまい、話はそこで終了となった。
その日は終始、不機嫌顔のデニスに話しかけられなかった。
放課後にデニスとケント、ハワードは学校外の個室のある高級喫茶店で落ち合う。
こっそりとデニスは「愚痴を聞いてほしい」と友人のケント、ハワードを呼び出したのだ。
喫茶店の個室に腰を落ち着けると、デニスはまた、はーっと深い溜息をついた。
「何があったの?」
ハワードが聞くと、デニスは頬杖をついて「色々」と答える。
注文した紅茶やコーヒーが届き、個室の戸が閉められるとデニスは重い口を開いた。
「・・・あんまり聞こえの良くない話だから。ごめん。此処での話は内密にしてくれ」
デニスのモルト家とアーシャの実家、セイン家は所謂寄親、寄子の関係だった。デニスの父の乳母は、アーシャの祖母が勤めていたし、モルト家の領地の一部をセイン家が管理している。
二十年前の事件の被害者、ジョアンナは今のセイン家当主の妹。アーシャの叔母にあたる。
デニスが学園に通い出した頃、アーシャはデニスの家に住み込みで行儀見習いに来た。
そこで、出会ってしまったのだ、アーシャは。
デニスの父に。
デニスの父はアーシャに一目惚れした。
すぐさまセイン家に婚約を申し入れ、アーシャはデニスの父と婚約する。
「・・・・親父さんの婚約者だったの?」
「ああ。・・・そうなんだ」
デニスの父は、昔、幼馴染のジョアンナに片恋をしていたらしい。ジョアンナに何度も婚約を申し入れようとしていたが、家格が釣り合わないと親から却下されていた。
そんな中でジョアンナが第十王子に乱暴された。
事件の後、デニスの父は同格の伯爵家の娘を妻にする。政略的な結婚だ。そしてデニスが産まれることになる。
しかし、デニスの父はジョアンナを忘れることが出来なかった。デニスが幼い時、父の書斎で母と父が言い争う声を何度も聞いている。母に内緒で、父がジョアンナの肖像画を隠し持っていたらしい。母は、デニスが8歳の時に家を出て、両親は離婚した。
アーシャは、ジョアンナにそっくりだった。背格好も目も髪の色も、顔も。
性格は大きく違っていたが、デニスの父にはどうでも良かったようだ。再婚の場合、相手との身分差はあまり問われない為、婚約は速やかに処理された。
ただし、アーシャには大きな欠点がある。
伯爵の妻となるには圧倒的に知識も覚悟も礼儀作法も友人関係も何もかもが足りない。男爵家での振る舞いもあまり褒めたものではなかった。元々マナーを勉強するために伯爵家に行儀見習いに来たのだから。
しかし、伯爵家で家庭教師をつけて教え、伯爵家の嫁にふさわしい女性にするとなると、かなり時間がかかる。
伯爵は早くアーシャを妻にしたかった。
だから、伯爵は学園に入学させるという暴挙に至った。
「マナーも出来ていないのに。あのクソ親父。学園でマナー講座も勉強も友達もできるからって」
「よく編入できたね」
「何故か、ね。妙な知識は持ってたんだよ、あの女」
ケインは、そうだろうな、と思った。
アーシャは転生者だ。
ケインも受けた入学試験は前世の中学生一年生レベル。庶民の識字率が低く、計算もままならない今世では、それでもかなりレベルが高い方だ。ゲームの内容を知っている転生者なら前世の知識があれば、合格できる。
ただ入学してからの授業がとても厳しい。だんだん課題が多くなり、それが出来ないと補講となる。授業や補講をサボると即留年になるという。二十年前の教訓から、教師陣が生徒を見る時間が長くなったのだ。
「僕は反対したんだ。同い年の継母なんてゾッとするから」
「・・・そうだろうな」
ケインは自分に置き換えて想像した。親の恋愛を否定するつもりはないが、自分と同い年の継母とは流石に受け入れ難い。
「それに何度もアーシャに言ったんだ。男子クラスには近づくなって」
「へえ」
「親父の前でも注意した。そしたら、『息子になるお前の友達に挨拶していただけだ』って。親父は笑ってるんだ」
デニスは机をダンッと叩いた。
「おかげでウチは醜聞まみれだ。クソッ」
アーシャの行動で、モルト家は、寄子に躾も出来ないと思われた為、事業提携していた商会から苦言を呈されている。幾つかの夜会で噂になったようだ。
更に執拗にアーシャが纏わりついていたレイモンドの家、つまり遥か格上の公爵家からモルト家に、アーシャの行動に対する抗議文が届いた。これは大事である。無視は出来ない。
デニスの父は責任を取るため、息子に家督を譲って領地に引っ込むことにした。アーシャを引き連れて。
一昨日、家督を引き継ぐ手続きが整い、今頃、父親とアーシャは領地へ向かう馬車の中だ。
「これにはアーシャが抵抗した」
「・・・・そうか」
ハワードがぽんと手を叩く。
「もしかして、執拗にアルデバラン小公爵に言い寄ろうとしたのは。」
デニスが苦い顔でコーヒーを一口、口にした。どうもその先を知っているようだ。
ハワードが『しまった』という顔をするけれど、デニスは手を差し出して続きを促す。
「・・・デニスには悪いけど・・・・彼女は、親父さんとの結婚を避けようと思っていたのかも。身分の高い小公爵と良い仲になれば、婚約解消できると考えて」
「その通り。婚約したのに、本当に親世代に嫁ぐって考えてなかったらしい」
デニスは肯定した。デニスの父親が領地に帰ると決めた話をした際、泣きわめいて『こんなオジサンと一緒に田舎で過ごすのは嫌!』と暴れた。
セイン家はジョアンナの事件で王家から莫大な見舞金を送られた。しかし、それ以前からモルト家に積もりに積もった借金や借りがあった。それらは完全には返せておらず、身分差もあるからアーシャは婚約解消が出来ない。
アーシャは何度か逃げようと画策したが、全部失敗に終わる。最後は睡眠薬で眠らされ、馬車に入れられたそうだ。
「おまけにアーシャは、『自分はジョアンナの娘だ』って言うんだ」
「・・・・え?」
ケントはぽかんと口を開く。
「ジョアンナと第十王子の娘だって」
「本当?・・・本当にジョアンナ・セインの娘なの?」
「・・・そんなわけ無いだろう。ジョアンナはあの事件で、亡くなったんだから」
ジョアンナは第十王子やその仲間に乱暴された次の日の朝、多くの生徒が登校する中で四階建ての校舎の屋上から飛び降りている。飛び降りた理由は分からない。
頭から落下し、即死だったという。
その光景を見た生徒は、その場に何十人も居たので間違いはない。
服はボロボロ、頭やいたるところから血を流し、目をカッと見開き絶命したその姿を見た学生のうち何人かは、ショックで精神を病んでしまった。
救急の医療班がその死を確認し、葬儀も行われた。同級生の何人かが葬儀に参列し、遺体を埋めるのにも加わったので間違いはない。
事件について学園の教員は話さないが、各家で学園に入学前にその出来事は語られる。何故、学園が今の状況になったのか。
そしてその事件を元にして脚色した歌劇が作られ、悲劇として王都で度々有名な劇団が上演していた。
「ジョアンナに学生時代の隠し子が居たとか?」
「まさか。それだと年齢が合わない」
「アーシャの実家に行って確認したが、ちゃんと男爵の実子で僕達と同い年だ」
デニスはアーシャの実家まで行って確認を取った。その際、アーシャが『ジョアンナの娘だ』と言い張っていることを伝えたら、男爵が泣いたという。
ジョアンナが『子供を生んだら、男の子にはルーモス、女の子にはアーシャって名前をつけるの』と幼い頃に話していた為、若くして亡くなったジョアンナを想って娘にその名をつけた。アーシャには『お前の名付け親はジョアンナだ』と言ったと。それを『親』と勘違いしたんだろうとも。
しかし、ケントは知っている。
ゲームでのアーシャは、ジョアンナの娘だった。裏設定である。情報源は前世の姪っ子だ。
ゲームでは二十年前の事件は起こっていなかった。ただ学園を卒業後にジョアンナと第十王子は身分違いの恋愛をして、アーシャを身籠ったという話。
ゲームで最終的に恋仲になった攻略対象次第でアーシャは王族に入り、隣国に留学するボーナスステージが現れる。
姪っ子は『なかなかボーナスステージにたどり着かない』と嘆いていたが。
アーシャはゲームと現実の区別がついていなかった。その一点に尽きるだろう。
「しかし、急に伯爵家を継いで、大丈夫なのか?」
「ああ。親父があんなんだから、早めに領地経営を学んでいた」
デニスの父親は、夢中になると周りが見えなくなる性格らしい。アーシャが来るとアーシャにべったりで仕事を疎かにするようになった。その前は、観劇に嵌って毎日劇場に通い詰めたり。画廊やオークションに通い詰めたり。画家のパトロンにもなっている。賭け事に嵌まらなかったことだけは救いだとデニスは力なく笑った。
デニスはそんな父親を見て育ったからか、学園に入る前から家令に領地経営について学んでいたという。
「流石に未成年の僕が決済印は押せないからな。前は親父をとっ捕まえるのが大変だった」
モルト家は伯爵家ながら歴史が古い名門だ。その名は王国史にも登場するほどである。そして富豪でもある。
余程家令と領地に居る管理人が優秀らしい。
それからの学園は、特段大きな出来事は無く過ぎていった。
アーシャは退学となった。男子を待ち伏せするために授業をサボっていたからだ。デニスは『学費の無駄遣い』とぼやいていた。
日々追われる課題と格闘し、冬季休暇直前のある日。
デニスが昼休みにボソリと呟いた。
「アーシャが消えた。俺は明日から学校を休む」
一緒に昼食を取っていたケインとハワードは目を見開く。
「・・・え」
「先生に許可は取った。明日、領地に行く。すまないが休み明け、授業のノートを見せてくれ」
「それは構わないが」
デニスの家の領地まで、学園のある王都から馬車で二日程。
あと三日もすれば冬季休暇だというのに、事は急を要するものか。
ハラハラしながらケインとハワードは冬季休暇を過ごし、休み明けに登校したデニスに状況を尋ねた。
するとデニスは、またも苦い顔をして事の仔細を打ち明けてくれた。
「アーシャがウチのお抱え絵描きと駆け落ちしたんだ。」
デニスの父は、領地に着くとパトロンをしていた画家に命じ、アーシャの絵を何枚も書かせていた。その画家と出奔したというのだ。
デニスの父は取り乱し、王都のタウンハウスにいるデニスに『そっちに行っていないか』という手紙を送った。
それで急いでデニスが領地に帰ったら。
アーシャは見つかっていた。
── 最悪な形で。
アーシャと画家は家を出た後、屋敷の裏に聳える山に向かったらしい。領地の街ではアーシャが散々買い物をしていたから顔を知られてた。
デニスの領地は雪がかなり降る地域だ。馬車が通る街道や街は雪が積もらないよう整備されているが、真冬の山は一メートルを超える積雪がある。それに今年は雪が早く降りだしていた。
デニスに手紙を送った数日後、雪が降り積もる山を捜索したら、アーシャと画家は猟師が使う山小屋で見つかったという。
氷漬けのアーシャとその横で一心不乱に遺体の絵を描く画家が。
画家はアーシャを被写体として描く内に『苦しむ顔を描いてみたい』と考えた。それで出奔した後、雪の降りしきる野外で殺し、それを氷漬けにしたと。
勿論、画家はその場で取り押さえ、警邏隊に引き渡された。画家は二度と日の目をみることは叶わないだろう。
「親父さん、さぞ気落ちしたんだろうね」
ハワードがしんみりというと、デニスは
「・・・・どうなんだろうな」
聞けば、デニスの父は毎日、アーシャの絵に囲まれて笑っているという。領地の家の書斎に籠り、外に出ない。食事だけはかろうじて取っているらしいが、ちゃんと寝室で眠っていないようだ。掃除の為に部屋にメイドが入ることも厭う。
残念ながらデニスの父は気がふれてしまったのかもしれない。
─── ゲームの主人公のハズの女。
彼女は現実とゲームの区別がついていれば、もう少し長く生きられたのだろうか?
それは誰にも分からない。
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「だから、ゲームの主人公はもう居ないんだって!」
「そうは言っても、他にも転生者がいるかもしれないじゃない?成り代わって、主人公になるかも」
「そういう可能性はあっても、だれも相手にしないって」
学園の校門の前でまだ二人の言い合いは続いていた。
ケントはやれやれと立ち止まる。
フッと隣からケントの気配が消えて、ベルは振り返った。その時。
「そういう頑固者には、お仕置きだ」
そう言うなり、入学式に急ぐ往来の真ん中でケントはベルの頬を両手ではさみ、その唇に自分の唇を重ねた。
その日、ケントの頬に赤い紅葉が散っていたのは言うまでもない。
ベルは学園を卒業するまで、クラスメイトにケントとの仲を冷やかされ続けたのだとか。
FIN
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