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第6話 ベルサイユの「炊き出し」大作戦

 ついに、歴史の教科書で太字になっていた「その日」がやってきた。


 ドン、ドン、ドン……!!


 ベルサイユ宮殿の強固な鉄柵を、外から激しく叩きつける鈍い音。

 そして、地鳴りのように響いてくる数千人の女たちの怒号。


「『赤字夫人』を出せ!! 我らのパンを返せ!」

「贅沢三昧のオーストリア女の首を寄越せ!!」


(……キタキタキタァ!! これよ、これ! 歴史のテストで絶対に出るやつ! 「ベルサイユ行進」のリアル体験ツアー!!……って、喜んでる場合じゃないわ! 私の首が物理的に大ピンチじゃないの!!)


 宮殿の中は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


「ああっ、神よ……! 暴徒が、暴徒がすぐそこまで!」

「王妃様、お願いでございます! 今すぐ裏口から馬車で逃げましょう!」


 侍女たちは顔を真っ青にしてガタガタと震え合い、ランバル夫人に至ってはショックのあまり白目を剥いて失神寸前だ。


 だが、ここで史実通りにオドオドしたり逃げ隠れしたりすれば、彼女たちのヘイトは最高潮に達し、私の未来はギロチンでチョンパである。今の私は、一味も二味も違うのだ。


「ランバル、目を覚ましなさい! 逃げたら余計に追いかけられるのが人間の心理よ!……準備はいいわね? 例の『重武装ブツ』を、門の前の広場へ展開しなさい!」


「は、はい……!? で、ですが王妃様、本当によろしいのですか!? 一国の王妃たる淑女が、暴徒の前に自ら出向くなど……!」


「淑女のプライドで首が繋がるならいくらでも気取るわ! でも今は命がかかってるのよ! さあ、行くわよ!」


 私は、あえて一番装飾が少なく動きやすく、そして何より質素に見えるモスリンのドレスを選び、両腕の袖をまくり上げた。前世の居酒屋バイトで培った「気合いのタスキ掛け」スタイルに近い。


 そして、安全な2階の正面バルコニーから見下ろす……のではなく、あえて正門の広場へと堂々と降り立った。


 ギイィィィ……ッ!


 重い鉄門が開け放たれた瞬間、殺気立った群衆が土石流のようになだれ込んでくる。


 最前線に陣取っていたのは、パリの市場で魚や肉を捌いている、丸太のように太い腕と巨大な出刃包丁を持った屈強な女たちだ。


「出たわね、贅沢女! お前が着ているそのドレスを一枚売れば、アタイらの子供が何人腹いっぱいパンを食えると思ってんだ!!」


「その細い首、今すぐ切り落としてやる!!」


 振り上げられる凶器。浴びせられる罵声。

(ひぃぃぃっ! 怖い! 前世のクレーム客の百万倍怖い!!)


 内臓が口から出そうになるのを必死に飲み込み、私は腹の底から、凛とした(半ばヤケクソの)声を張り上げた。


「…………お黙りなさい!!!」


 王妃の放った予想外の大音声に、暴徒が一瞬だけ、キョトンと静まり返る。


 その隙を逃さず、私は後ろに控えさせていた近衛兵たちに合図を送った。


 ゴロゴロゴロ……!!


 大人数人がかりで運ばれてきたのは、大砲ではない。


 黒光りする、特大サイズの「大釜」だった。

 私はその前に仁王立ちになり、巨大な木べらを天高く掲げて、あの歴史的暴言を放った。


「パンがないなら……これを食べればいいじゃない!!」


 ババーーーン!!


 私が景気よく大釜の木の蓋を開け放った瞬間。

 モワァァァァッ……!! と、凄まじい量の白い湯気が広場を覆い尽くした。


「な、なんだ!? 毒ガスか!?」

 女たちが包丁を構えて後ずさる。


 だが、次の瞬間、彼女たちの鼻腔を強烈に殴りつけたのは——暴力を煮詰めたような「焦がしバターと塩の香り」、そして「玉ねぎの甘み」と「ホクホクとした大地の香り」だった。


 そう、昨夜ルイと一緒に徹夜で試作を重ねた、大鍋いっぱいの『ジャガイモと玉ねぎの具だくさんポタージュ』である!


「こ、これは……?」

「なんだこの、胃袋を直接鷲掴みにされるような匂いは……っ!?」


 暴徒たちの喉が、一斉に「ゴクリ」と鳴った。


「これはね、私が自分のお菓子代とドレス代を削りに削って用意した、フランスを救う次世代の主食よ! 豚の餌だと思って敬遠しているなら、まず私が食べてみせるわ!」


 私は木のお玉で熱々のスープをたっぷりすくい、自分の木皿にドバッと盛ると、衆人環視の中で豪快に口へ運んだ。


(あっつ!! めちゃくちゃ熱い!! 猫舌殺し!! ……でも、塩気が空っぽの五臓六腑に染み渡るぅぅ……! ジャガイモがトロトロで最高……!!)


 私は「はふっ、はふはふっ、んん〜っ!」と、一国の王妃らしからぬ完璧な食レポ顔を披露した。


「……ほら、毒なんて入っていないわ。さあ、あなたたちも包丁を置いて、お椀を持ちなさい! お代わりはいくらでもあるわよ! ほらそこ、順番に並んで!」


「……本当に、あの赤字夫人が?」

「毎晩ケーキのお風呂に入ってるって噂の王妃が、こんな泥臭い芋のスープを……?」


 戸惑いながらも、三日三晩空腹で歩き続けてきた彼女たちの胃袋は、もう限界だった。

 一人の屈強な女が、恐る恐る差し出されたスープを一口啜すする。


 その瞬間、彼女の険しい顔が、パアァァァッと赤ん坊のように綻んだ。


「……っ!? うっ、うめええぇぇ!! なんだこれ! パンより腹にドシッとたまるし、バターの油分で力がブワッと湧いてくるぞ!!」


「本当だ! 芋って、豚の餌って、こんなに美味かったのか!? 王妃様、アタイにもくれ!!」


「アタイも! アタイも大盛りで頼む!!」


 たった三分。

 あれほど充満していた殺気は一瞬で消え去り、ベルサイユ宮殿の正門前は、巨大な「炊き出し会場フェス」へと変貌を遂げたのだった。


 民衆にスープを配りながら、私は心の中で特大のガッツポーズを決める。


(見たか、ギロチン! 見たか、フランス革命! これが現代日本の『炊き出しとおもてなし』の圧倒的パワーよ!!)


 ふと横を見ると、いつの間にかエプロンを着けた国王ルイ16世が、ものすごいスピードで大量のジャガイモの皮を剥いていた。


「見てごらんアントワネット! ナイフの角度を32度に保ち、手首のスナップを利かせると、皮だけを均一に0.5ミリの薄さで剥けることを発見したよ! これは錠前のシリンダーを削るより奥が深いぞ!」


「上達早っ!? さすが理系オタク……いえ、陛下! その調子で第二陣の芋を鍋にブチ込んでください!」


「任せておけ! 僕の計算では、あと2000人分は30分でいける!」


 ノリノリでジャガイモの皮を剥きまくる国王と、袖をまくって大鍋をかき混ぜる王妃。


 その光景を見た暴徒の女たちは、「……なんか、思ってた王室と違う」と毒気を完全に抜かれ、フーフーと芋スープを啜りながら笑顔で談笑し始めていた。


 マリー・アントワネット、18歳。

 今日、私は怒れる暴徒を「塩分と炭水化物」で強制鎮圧し、「赤字夫人」から「ベルサイユ・ポタージュの聖母(兼・炊き出し女将)」へと、劇的な進化を遂げたのだった。

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