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第31話 ペンは剣よりも強く、芋はペンよりも強し

「……見てな。今日こそ、あの『ポテト王妃』の化けの皮をひん剥いてやる」


 パリの場末ばすえ、インクと湿ったカビの匂いが充満する薄暗い印刷所──。


 過激な言動と反体制的な記事で知られる若き新聞記者、カミーユは、血走った鋭い目つきで羽ペンをガリガリと走らせていた。


 彼の現在の標的は、最近パリで大流行しているというベルサイユの『王立喫茶カフェ・ド・ポム』への潜入取材である。


「民衆が明日のパンにも困っているというのに、宮殿の敷地内でカフェだと? どうせ貴族どもが平民の真似事をして豆の粉をかじり、質素なふりをしているだけの吐き気がする茶番に違いない! 裏では絶対に、キャビアやフォアグラをむさぼっているはずだ!」


 特権階級への憎悪と、単純な『空腹』からくる慢性的なイライラを原動力に、彼は薄汚れたコートのえりを立て、ベルサイユのカフェへと単身乗り込んだ。


 狙うは「偽装された贅沢」の決定的証拠となるスクープ記事と、王妃の傲慢な失言である。


 だが、一歩店内に足を踏み入れた瞬間、カミーユの鼻腔びくうを「ある暴力的な気配」が襲った。


(……なんだ、この圧倒的な香ばしさは。高級なバターを焼く匂いとも、脂ぎった肉の匂いとも違う。……疲労しきった脳髄が、強制的に休戦を求めてくるような、この温かくて暴力的な香りは!)


「いらっしゃいませ、ムッシュ! お一人様ですか? 日差しの心地よいテラス席と、こちらの『執筆集中・おひとり様カウンター』、どちらがよろしいでしょう?」


 現れたのは、インディゴブルーのサロペットの上に清潔なカフェエプロンを巻き、無駄に爽やかな笑顔を振りまく、筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の元・不真面目貴族の店員だった。


「……あ、いや、適当でいい。……一番『贅沢』なものを出せ。記事のネタ……いや、俺の肥えた舌で吟味ぎんみしてやる」


 カミーユがカウンター席にドカッと座り、ふんぞり返ると、五分も経たないうちに目の前に木製のトレイが運ばれてきた。


 そこに乗っていたのは、ほかほかの湯気を立てる『おから豆腐ハンバーグ・サンド〜特製ジャガイモのポタージュセット〜』だった。


「フン、肉の代わりに豆腐だと? 貧乏人を馬鹿にしやがって……。こんなパサパサの豆のカスで、俺の舌をごまかせると思うなよ」


 カミーユは毒を吐きながら、分厚いサンドイッチを両手で掴み、憎しみと共にガブリと大きな一口を食いちぎった。


 ──……!!


(……なんだ、この圧倒的な『旨味』の奔流ほんりゅうは!)


 カミーユのペンを握る手が、ピタリと止まった。


(豆腐の頼りない柔らかさを、おからがどっしりとした肉肉しい食感で支え、そこにジャガイモとタマネギを極限まで煮詰めた特製濃厚ソースがねっとりと絡みついてくる……。噛むほどに、大豆の自然な甘みと、隠し味の醤油しょうゆの香ばしさが口の中で爆発する!)


 彼は震える手で、次に付け合わせのポタージュスープをスプーンですくい、口に運んだ。


(それに、なんだこのスープは! 濃厚でクリーミーなのに、喉を通った後の後味が驚くほどスッキリしていて、長年の貧乏暮らしで荒れ果てていた胃壁を、聖母のように優しく撫でていく……! ペンで世界を刺し貫こうとしていた俺の焦燥感が、ジャガイモのデンプンに優しく包み込まれて溶けていく……!)


 カミーユは、無意識のうちに悪意に満ちた取材メモを横に退け、スープの器を両手で包み込んで、涙ぐみながら一心不乱に咀嚼そしゃくを続けていた。


「……記者さん。お味はいかが?」


 不意に横から声をかけられ、カミーユはビクッと飛び上がった。


 振り返ると、そこにはお盆を小脇に抱え、サロペット姿で親しげに微笑むマリー・アントワネットが立っていた。


「お、王妃……!? な、なぜアンタが自ら給仕なんか……! フ、フン! こんな美味いもんを食わせて、俺のペンを懐柔しようったって無駄だ! ベルサイユでこんな贅沢なものを食べている裏で、パリの民衆はもっと飢えに苦しんでいるんだぞ!」


 彼は顔を真っ赤にして、必死に革命家としての矜持きょうじを保とうと吠えた。


「そうね。だからこのセット、パリの市場の裏通りでは全く同じものを『1スー(※当時の最低通貨単位)』で毎日炊き出しをしているわ」


「……は?」


「材料は、貴族たちが農業アカデミーで必死に泥まみれになって育てたジャガイモの規格外品と、豆のおからよ。ここでの売り上げは、すべてその炊き出しの運営費に回っているの。……ねえ、記者さん。怒りと憎しみでペンを走らせるのもいいけれど、温かいスープでお腹がいっぱいになると、もう少しだけ『優しい未来』のビジョンが書けると思わない?」


 カミーユは完全に絶句した。

 彼は改めて、ゆっくりとカフェの周りを見渡した。そこには、身分を隠してくつろぐ平民の商人たちと、農作業の休憩にやってきて汗を拭う貴族たちが、同じジャガイモのスープを飲み、同じパンケーキをつついて、隣り合わせで笑い合っている光景があった。


 彼が血眼になって探し求めていた「貴族の腐敗」など、この黄金色のポタージュの前では、最初から存在しなかったのだ。


 翌日の新聞。

 パリの人々は、街角で配られた過激派新聞の一面に躍る、信じられない見出しに驚愕した。


『速報:ベルサイユの芋は、革命の炎より熱く、そして美味い! 我々が真に求めていたのは血なまぐさい破壊ではなく、この「おかわり自由」の圧倒的な幸福と胃袋の平穏であった!』


(……よしっ! メディア対策もこれで完璧ね! どんな辛口の批判記事も、私のプロデュースした『激ウマ健康ランチ』で、絶賛グルメレポートに書き換えさせて差し上げたわ!)


 マリー・アントワネット、18歳。

 ついに「ペンは剣よりも強し」という格言を、「芋と出汁の力はペンよりも強し」という物理的な胃袋の暴力によって、完全無力化してしまったのである。

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