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第27話 女帝の審判とバターの檻

 ベルサイユ宮殿の正門が、かつてないほど重厚で威圧的な地鳴りのような音を立てて開いた。


 現れたのは、黄金と黒の双頭の鷲の紋章が刻まれた、八頭立ての巨大な馬車。その扉が開き、漆黒のドレスを纏った圧倒的な覇気が降り立つ。周囲の空気が一瞬にして氷点下まで下がったかのように錯覚した。


「マリー。迎えにも来ないなんて、よほどその『農婦ごっこ』がお忙しいようね」


 オーストリア女帝、マリア・テレジア。

 私の実母にして、ヨーロッパ全土を震え上がらせる最恐のラスボスが、ついに娘の「健康オタクによる乱心」を物理的に鎮圧するため、自ら精鋭部隊を率いて直接乗り込んできたのだ。


「……お、お母様。ようこそ、ベルサイユへ」


 私は引きつった笑顔で、完璧な角度のカーテシーをした。


 母様の鋭い眼光は、私の血色の良すぎるツヤツヤの肌や、不自然なほどに「活気と労働の汗」に満ちた宮廷の空気を一瞬で見抜き、極度に不快げに眉をひそめた。


「挨拶はいいわ。メルシー大使の情けない報告を聞いて耳を疑ったけれど……。どうやらあなたは本当に、ハプスブルク家の気品を忘れ、この誇り高きベルサイユの身分制度という絶対の掟まで捨てたようね」


 母様は、私が大使を騙した『黄金の豆腐』を一瞥するなり、それを純銀のフォークの背で無残にグシャリと押し潰した。


「健康を重んじ、自らの足で歩く力を養うこと自体は否定しないわ。……ええ、私自身、あのサロペットの機能性には、執務室で大いに助けられているのだからね。……けれど!」


 母様の声が、広間に氷のように響き渡った。


「平民を宮殿の敷地内に招き入れ、同じ目線で、同じテーブルで豆や芋を突っついて笑い合う……言語道断よ! 『太らないカフェ』ですって? 愚かしい。その無防備な親しみやすさこそが、王制を根底から破壊する猛毒なのよ!」


「えっ……親しみやすさが、猛毒……?」


「そうよ、マリー! 王族とは、平民が一生かかっても手が届かない『圧倒的な富と贅沢』を独占し、それを平然と体現してこそ、恐れ敬われる存在なの! 陰でサロペットを穿いてスクワットをするのは勝手になさい。でも、表舞台では、血を吐いてでもドレスを着て、贅を尽くしたフルコースを涼しい顔で平らげて見せる……その『伝統』こそが『特権階級の証明』であり、王族の義務よ! あなたのその、平民と同じ目線に降りた小ざっぱりとした態度は、身分という分厚い壁を自ら削り取っているのと同じことなの!」


(……な、なんて極端な政治思想! 「贅沢=身分差の維持」って、どんだけ力技なマクロ経済なのよ!)


 母様はゆっくりと立ち上がり、背後に控えていたウィーン直属の近衛兵このえへいたちに冷徹に合図を送った。


「今日、ただ今からこの宮殿を、ウィーン軍が監視下に置きます。あなたが『王妃の義務』……すなわち、民の血税を贅沢に溶かす、美しくも高貴な浪費家に戻るまで、外部との接触を一切禁じます」


(……情報封鎖!? 母様、私のダイエットを強制終了させるだけでなく、私がこの数ヶ月で必死に築き上げた『民衆との信頼ルート』まで完全に遮断しにきたんだわ!)


「ルイ。あなたもよ。錠前だの配管設計だの、そんな『現実的で実用的な思考』は王には不要です。……さあ、マリー。今夜から、ウィーン流の『伝統的で重厚な宮廷生活』を再開してもらうわ」


 これこそが、ヨーロッパの覇者が仕掛けた最凶の拷問──「過剰なる伝統」による思想矯正しそうきょうせいだった。


 翌朝から、私の私室には地獄のような「義務」が次々と運び込まれた。


 かつてのベルサイユをさらに上回る、重さ十キロを超える金糸刺繍だらけの鉄骨のようなコルセット付きドレス。それを着せられ、身動き一つとれない状態の私の前に並べられたのは、一口で一日の摂取カロリー目安を軽々と超過するような、生クリームとバターの海に沈んだ凶悪な料理の数々だった。


「王妃様、本日の義務メニューでございます。フォアグラとトリュフをたっぷりのラードで包んだパイ焼き、バターを致死量すり込んだ仔牛のロースト、砂糖漬けの果実が山盛りのタルト、そして濃厚な生クリームを浮かべた甘いリキュールをたっぷりと」


(……っ! 香りだけで胃もたれがして、血管が詰まりそうだわ! なにこのカロリーの暴力! 現代のジャンクフードすら可愛く見えるレベルの、暴力的な脂質の波状攻撃!)


 これを毎日食べ続け、この重いドレスで一日中座りっぱなしでいれば、私の基礎代謝は完全に死ぬ。そして、外の民衆は「王妃はまた贅沢な赤字夫人に戻った」と絶望して暴動を起こす。それが母様の真の狙いなのだ。


「アントワネット、これを! 僕が金属プレス機を応用して作った『超高圧縮・乾燥おからバー』だ。これ一本で腹が膨れるし、日持ちもする!」


 私は、監視の目を盗んで、深夜の通気口からスネークのように差し入れをしてくれるルイの「秘密の携帯食料」をギリギリと噛み砕きながら、必死に耐え忍んだ。


 だが、最強の女帝はさらに一枚上手だった。


「マリー、無駄な抵抗よ。あなたの『健康菓子研究所』は今朝、私がウィーン兵を使って物理的に閉鎖させたわ。パリの民衆には『王妃は健康ブームに飽き、ダイヤモンドの山とバターの風呂に戻られた』と公式の布告を出してあります」


(……フェイクニュース!? 現代的な情報戦まで仕掛けてくるなんて、どんだけハイスペックなマザーなのよ!)


 窓の外を見ると、遠くに見える私の愛する「第一ジャガイモ菜園」が、ウィーン軍の軍馬のひづめによって無残に踏み荒らされていくのが見えた。私の手塩にかけた芋たちが、泥の中に潰されていく。


(……ダメよ、マリー。ここで心が折れて屈したら、フランスはまた『不潔で不健康な、怒りに満ちた血みどろの国』に逆戻りだわ。……母様。あなたが『伝統とカロリー』の暴力で私を塗り潰そうとするなら、私はこの宮殿の『構造』そのものを使って、真っ向から反撃させてもらうわ!)


 軟禁生活三日目の夜。

 私は、監視兵が扉の外を通り過ぎたのを確認すると、ルイが秘密裏に設計して壁の中に埋め込んでいた「宮殿中の音を集める、隠された通気管(集音パイプ)」の吸い込み口の前に、そっと座り込んだ。


「……聞こえる? ランバル。……そして、パリの働く女たち。……まだ、絶対に諦めないで」


 壁の向こう、宮殿の分厚い石造りの隙間に仕込まれた秘密の伝声管でんせいかんから、ノイズ混じりの、微かだけれど力強い声が返ってきた。


『……王妃様! ご無事でしたか!』


「ええ。作戦開始よ。……母様の軍隊に、本当の『贅沢』の意味を、胃袋の底から教えてあげましょう」


 マリー・アントワネット、18歳。

 絶対権力による軟禁という絶望的な状況を、夫であるルイの「オタク的建築構造」と自らの「健康への異常な執念」でハックし、ウィーン軍の鉄壁の封鎖を内側から崩壊させるべく、ついに反逆の狼煙のろしを上げたのである。

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