第21話 ベルサイユ・ティーパーティー事変
アメリカ独立戦争の最前線で、イギリスの誇る精鋭部隊レッドコートが、謎の「インディゴブルーの二股ズボン」を穿いたゲリラ兵たちに完膚なきまでに翻弄されているという報告は、ドーバー海峡を越えてロンドンの中枢を激しく震撼させていた。
「……なんということだ。フランスめ、莫大な軍資金を援助するどころか、ただの『泥臭い芋の粉』と『農作業着』を送りつけて、我が大英帝国の軍隊を蹂躙しているだと……!?」
霧の都ロンドン、バッキンガム宮殿の奥深く。
怒り狂ったイギリス国王の側近たちは、巨大な円卓を囲んで頭を抱えていた。フランスの国庫を干上がらせて自滅を誘うはずだったアメリカ独立戦争が、まさかの「超・低予算の炭水化物支援」によってフランス側の黒字外交へとすり替わっているのだ。
「あのフランス王妃、マリー・アントワネット……。かつては毎晩ドレスを新調し、宝石を買い漁る『赤字夫人』だったはず。それが今や、自らクワを持って土にまみれ、芋を喰らって健康的な生活を送っているだと? なんという恐るべき変貌だ!」
「このままでは、大英帝国の威信がジャガイモに潰されてしまう! 奴の弱点……かつての『浪費家』としての獰猛な本能を呼び覚まし、再び贅沢の沼へと引きずり落とすのだ!!」
かくして、イギリスはフランス王妃のダイエットと国家財政を同時に崩壊させるべく、恐るべき刺客……もとい、「紅茶の特命大使」をベルサイユへと送り込んできたのである。
* * *
「……王妃様、これは。……スコーン、にございますか?」
ある日の午後。眩い陽光が差し込むベルサイユ宮殿の広間で、侍女のランバル夫人が怪訝そうに覗き込んだ。
私の目の前の巨大なテーブルには、うず高く積まれた木箱と、銀のティースタンドがずらりと並べられている。
そこに鎮座しているのは、たっぷりの上質なバターと精製された砂糖で焼き上げられた、黄金色に輝く大量のイギリス式スコーン。
そして何より恐ろしいのが、その横に山のように盛られた、乳脂肪分のバケモノ……純白の「クロテッドクリーム」と、果肉がゴロゴロと入った真っ赤なストロベリージャムだった。
「お久しぶりにございます、王妃様。我が英国より、真の『ティータイム』の優雅さをお教えに参りました」
うやうやしく一礼をしたのは、鼻持ちならないほど気取った笑みを浮かべるイギリス外交官、ノース卿だ。
彼の背後では、専属の従者が最高級の紅茶をポットから高く注ぎ落とし、ベルガモットの華やかで暴力的なまでの芳香を広間に充満させている。
(……っ!? この香りは……! 濃厚なバターの焼けた匂いと、ミルクのコクが凝縮されたクロテッドクリームの誘惑……!)
私の胃袋が、久々に嗅ぐ「本格的・高脂質&高糖質」の気配に、狂喜のサンバを踊り始めた。
イギリス側の狙いはあまりにも明確、かつ的確だった。私が連日齧っている「おから」や「ジャガイモ」の素朴な味に飽きていると踏み、この究極の甘味と脂肪分で理性を粉砕しにきたのだ。
「さあ、王妃様。この温かいスコーンを真ん中で割り、たっぷりのクロテッドクリームとジャムを乗せて、紅茶と共にお召し上がりください。……労働者のような芋掘りなどおやめになり、かつての華麗なる『スイーツの女王』にお戻りになるのです」
ノース卿の囁きは、まるで蛇のようだった。
このクロテッドクリームを一口でも舐めれば、私の脳内報酬系》は完全にスパークし、「やっぱりバター最高!! おからなんて食えるか!!」と赤字夫人への道を爆走してしまうかもしれない。
(……ダメよ、マリー! これはイギリスが仕掛けた、甘くて重い『カロリー・トラップ』よ! こんなものを毎日食べたら、ドレスのボタンが弾け飛んで、走れなくなって、最終的にギロチンへの特急券を買うことになる!!)
私は、震える手でティーカップを持ち上げた。
アールグレイの香りは素晴らしい。前世の女子大生時代、たまの贅沢でホテルのアフタヌーンティーに通い詰めていた記憶が、鮮明に蘇ってくる。
(……そうよ。現代日本のアフタヌーンティーは、甘いスコーンやケーキだけじゃない。甘いものを食べた後には、必ずアレが必要なのよ……!)
私はカチャリとティーカップをソーサーに置き、不敵な笑みを浮かべて扇子を広げた。
「……ノース卿。この紅茶は確かに素晴らしいわ。でも、あなたの用意したティータイムは、決定的に『未完成』ね」
「……未完成、ですと?」
イギリス外交官の眉間に、ピクリと皺が寄る。
「ええ。甘いクリームとジャムばかりでは、舌がすぐに疲れ果ててしまうわ。イギリスの伝統も立派だけれど、これからは『英仏融合』の時代よ。……ランバル! 例の『アレ』を持ってきてちょうだい!」
私の合図で、厨房で待機していたシェフたちが、焼きたての湯気を立てる別のバスケットを恭しく運び込んできた。
「……なんだ、その泥臭い色の石ころは? まさか、またあの卑しい芋の粉で作った安物ですか?」
「フフッ、よくお分かりで。でもただの芋じゃないわ。蒸したジャガイモを生地に練り込み、カリカリのベーコンビッツと、風味豊かなグリュイエールチーズをたっぷりと混ぜ込んで焼き上げた……『ポテト・セイボリー(塩味)・スコーン』よ!」
広間に、チーズの焦げた香ばしさと、ベーコンの燻製香が弾けた。
さらに私は、クロテッドクリームの代わりとなる特製の小鉢をドン! とテーブルに置いた。
「そしてこれは、生乳の水分を極限まで抜いた『水切りヨーグルト』に、ニンニクのすりおろしと刻んだ香草を和えた特製サワークリーム・ソースよ! カロリーはクロテッドクリームの半分以下、なのに高タンパクで乳酸菌もたっぷり!」
「馬鹿な……! 神聖なるティータイムに、ニンニクと芋だと!? そんな野蛮なものが、我が国の高貴な紅茶に合うはずが……!」
「さあ、騙されたと思って、この紅茶と一緒に食べてみて。……甘みと塩気の『永久機関』が、あなたの理性を破壊するわよ」
ノース卿は、鼻で笑いながら、しぶしぶポテト・スコーンにサワークリームを塗り、上品に一口齧った。
──サクッ。……モギュッ。
……次の瞬間。
彼の優雅な外交官の仮面が、音を立てて崩れ落ちた。
「な……っ!? こ、これは……!?」
ノース卿の瞳孔が限界まで見開かれる。
「アールグレイの渋みと甘い香りが口の中に残っているところに、このポテトの素朴な甘み……! そして何より、チーズとベーコンのガツンとくる『塩気と旨味』が、甘さで麻痺しかけていた舌の細胞を強烈に叩き起こしてくる……!」
「そう。そして塩気を感じた後は、無性に『甘い紅茶』が飲みたくなるでしょう?」
「ああっ……! 止まらない! 甘い紅茶、しょっぱい芋スコーン、甘い、しょっぱい……! なんだこの恐ろしい無限ループは! 手が、私の右手が、自らの意思を無視してスコーンとティーカップを往復し続けている……!!」
ノース卿は、もはや外交官の矜持など完全に忘れ去り、両手でポテトスコーンを掴んでむさぼり食い、ヨーグルトソースを舐め回し、ズズズッ! と紅茶を流し込むという、野獣のような食事風景を展開し始めた。
「そうよ。これこそが、私が提唱する罪悪感ゼロの昼下がり……『ベルサイユ・ギルトフリー・アフタヌーン・ポテト』よ!」
結果、イギリス大使は「本国の甘いだけのスコーンより、はるかに合理的で美味い……!」と感動のあまり号泣。
彼はフランスの国庫を破綻させるという本来のスパイ任務を完全に忘れ、私が書いた「ジャガイモ・スコーンのレシピ」を胸に抱きしめ、熱い涙を流しながらイギリスへと帰っていった。
数週間後、ロンドンのカフェでは、甘い菓子に飽きた貴族たちの間で「フランス王妃流・ポテトティータイム」が空前の大流行を果たしたという。
(……ふふふ。これでイギリスの中枢も、私の芋の魅力に完全に取り込まれたわ! 炭水化物の力は、大砲よりも強いのよ!)
マリー・アントワネット、18歳。
もはや国際的な外交危機すらも、己の食い意地を昇華させた「お菓子の置き換えダイエット」によって、鮮やかに解決してしまうのであった。




