第20話 アメリカ、ポテトの援軍を待つ
ベルサイユ宮殿の広大な庭園(現・王立第一ジャガイモ菜園)が、今やフランス最大の「国家戦略特区」と化し、豊かな実りの秋を謳歌していた頃──。
国王ルイ16世の執務室には、分厚い雲に覆われたような、ひどく重苦しい空気が立ち込めていた。
「……アントワネット、非常に困ったことになった。海を越えたアメリカ大陸の独立派から、宗主国イギリスに対抗するための『莫大な軍事資金』を援助してほしいと、悲痛な特使が送られてきたんだ」
ルイは、机の上に広げられた巨大な世界地図を前に、頭を抱えて深くため息をついた。
「プロイセンのフリードリヒ大王も、我が国の動向を鋭く注視している。ここで覇権国家フランスが資金を出し渋り、弱腰を見せれば、国際的な立場が危うくなる。だが、我が国の国庫も決して余裕があるわけではない……」
「し、資金援助……!?」
私は、その単語を聞いた瞬間、全身の血の気がサーッと引いていくのを感じた。
(……来た!! 来たわね、歴史の教科書で太字になってた超特大地雷!! 『アメリカ独立戦争への過剰な軍事支援』!!)
史実において、フランスはこの戦争で見栄を張り、イギリスへの嫌がらせのために途方もない金額の借金をしてまでアメリカに資金を注ぎ込んだ。結果として国庫は完全に破綻し、それが数年後の「フランス革命」の直接的な引き金の一つとなったのだ。
(……ダメよ!! ここで何万リーブルもの大金をお人好しに貸し付けたら、また私の細い首が『物理的に』飛んでしまう!!)
私は、地図を覗き込んでいる夫の肩を、ガシッ! と力強く掴んだ。
「ルイ、お金を貸すのは絶対に反対よ! だって、お金や大砲なんて戦場で撃てば一瞬で消えてしまうし、兵士たちの飢えを癒す根本的な支援にはなっていないわ!」
「しかし王妃様。覇権国家として、何らかの『強固な連帯の形』を国際社会に示さねばならないのもまた、冷酷な政治の事実なのです」
静かな、ひどく理知的で、氷のように冷たい声が横から挟まれた。
声の主は、最近就任したばかりの財務長官、ジャック・ネッケル。
平民の出身ながら、その卓越した計算能力と冷徹な金融感覚を買われた、スイスの凄腕銀行家である。彼は手元の分厚い革張りの帳簿から顔を上げ、銀縁の眼鏡の奥で穏やかに、しかし底知れぬ鋭さで微笑んだ。
「ネッケル長官。形というなら、現金よりもっと確実で、最前線の兵士の命を直接救うものを送りましょう!」
私は、エプロンの大きなポケットから、試作したばかりの麻袋を取り出し、地図の上にバンッ! と叩きつけた。
「これは……何だい? 白い砂かい?」ルイが不思議そうに目をパチクリさせる。
「いいえ。これぞ、私と王室シェフが徹夜で開発した、最先端の兵站物資……『ベルサイユ謹製・乾燥マッシュポテトの粉』よ!!」
「か、乾燥……ぽてと?」
「そう! 茹でたジャガイモを裏漉しし、乾燥させて粉末にしたものよ。過酷な戦場でも、水筒のお湯を注いでかき混ぜるだけで、いつでもどこでもホクホクで栄養満点のポタージュやマッシュポテトが即座に完成する『奇跡の保存食』! 重い金貨より、極寒の戦場ではこの温かい一袋が何万もの命を救うのよ!」
さらに私は、宮殿の倉庫に山のように積んであった在庫のリストを指差した。
「それと、パリのアパレル産業を総動員して、ローズ・ベルタンに量産させた『丈夫なワークウェア』も全軍に送りましょう。……名付けて、『自由のサロペット』! 動きにくい伝統的な軍服を捨てて、これを着てゲリラ戦を展開すれば、アメリカの志士たちは圧倒的な機動力で、堅苦しいイギリス軍を森の中で翻弄できるわ!」
私が胸を張って『ポテトとズボンによる安上がりな平和支援』を堂々と宣言すると、ルイは「なるほど! 理にかなっている! これなら国庫から大量の金貨を流出させずに済む!」と目を輝かせた。
ネッケル長官は、机の上の白いポテト粉と、サロペットのデザイン画をじっと見つめ──やがて、口元にひどく深く、意味深な笑みを浮かべて頷いた。
「……素晴らしい。実に、素晴らしい美談です、王妃様。『最先端の栄養食と、自由を象徴する作業着による人道支援』。これは大衆と諸外国へのアピールとして、この上ない強力なプロパガンダとなるでしょう」
ネッケルは、眼鏡を中指でクイッと押し上げた。
「大義名分と表向きの華は王妃様が作られた。……ならば、アメリカ側への輸送船の手配や、それに伴う細々とした『外交的支出の帳尻合わせ』は、すべてこのネッケルに全権をお任せください。王妃様は、どうぞご自身の菜園と、サウナでの健康管理にのみ、専念なさってください」
「まあ、なんて頼もしいの! じゃあ、面倒な数字の計算は全部お願いね!」
有能な官僚が心強い味方についてくれたことに、私はすっかり安心しきってしまった。
数ヶ月後。
遠く離れたアメリカ大陸の戦場では、イギリス軍を震え上がらせる奇妙な現象が起きていた。
「ジョージ・ワシントン将軍! フランスから届いたこの『白い粉』に湯をかけると……信じられない! 魔法のように温かい芋の粥になります! これで凍え死にそうだった兵士たちが、一気に活力を取り戻しました!」
「おお、見よ! しかもフランス王妃が送ってくれたというこの『インディゴブルーの二股の作業着』! ポケットに大量の弾薬が入るうえに、股が割れているから森の中を走って木に登れるぞ! イギリスの赤い軍服どもを狙い撃ちだ!」
飢えと寒さに苦しんでいたアメリカ独立軍は、フランスのポテト粉で強制的にカロリーを補給し、スタイリッシュな「サロペット姿」で神出鬼没のゲリラ戦を展開。
戦況は一変し、伝統的な陣形にこだわるイギリス軍は「謎の青いズボン集団」の機動力と継戦能力に翻弄され、アメリカ独立の気運は一気に最高潮へと達したのである。
そしてついに、あのアメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリンが、特使としてお礼を言うためにベルサイユ宮殿を訪れた。
「王妃様……あなたが我々に送ってくださったのは、ただの食糧や衣服ではありません。それは独立を諦めない『国民の活力』そのものでした。……我々は、あなたに敬意を表し、我が国でこのジャガイモを油で揚げた料理を『フレンチ・フライ』と名付け、永遠の同盟の象徴として広めたいと思います!」
(……よしっ!! 大勝利!! お金は一銭も出していないのに、アメリカという最強の友人ができたわ! フレンチフライの語源まで作っちゃった!)
私は、満面の笑みでフランクリンと固い握手交わした。
これで私の未来は、ギロチンの刃から完全に遠ざかり、盤石なものになったと信じて疑わなかった。
……しかし。
ふと窓の外を見ると、深夜にもかかわらず、財務長官ネッケルの執務室には煌々《こうこう》と明るいランプの火が灯っていた。
最近、ネッケル長官宛てに、スイスやオランダの巨大銀行から、頻繁に分厚い手紙や証書の束が届いているという噂を、侍女が小声で囁いていた。
(……長官も夜遅くまで大変ね。きっと、私が節約して浮いた予算の細かい計算を、一生懸命頑張ってくれているのね!)
私は、彼が抱えていたあの「分厚い革張りの帳簿」のことなど深く気にも留めず、「今日も歴史を変えてやったわ!」という満足感と共に、自室のふかふかのベッドへと潜り込んだ。
マリー・アントワネット、18歳。
彼女の「節約ダイエット外交」が、新しい国家の誕生を後押しした、輝かしい夜だった。




