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第16話 品位より食感

「……王妃様。もう、いい加減になさいませ!! ズボンなどという下劣な布を穿き、泥にまみれ、あろうことか『豆のカス』をかじり、平民の女たちと笑い合うなど……。我が誇り高きブルボン家と、ハプスブルク家の品位は、一体どこへ捨ててこられたのですか!!」


 静まり返ったベルサイユ宮殿の長く美しい大回廊に、耳の鼓膜をつんざくような、甲高くヒステリックな怒声が響き渡った。


 声の主は、アデライード王女。夫である国王ルイ16世の叔母にあたり、宮廷の古き良きしきたりを絶対のルールとする「ベルサイユのお局様つぼねさま」の筆頭にして、最も恐れられる存在である。


(……来たわね、アデライード叔母様! 史実では私のことを裏で『あの憎きオーストリア女』と呼んで、宮廷内に陰湿な嫌がらせや派閥の対立を仕掛けてきた、ある意味でギロチンより厄介な最大の強敵……!)


 私は、土仕事から戻ったばかりのサロペット姿のまま、内心で盛大に冷や汗をかきながらも、背筋をピンと伸ばして彼女と対峙たいじした。


 アデライード叔母様は、何十メートルもの最高級シルクを贅沢に使った重厚なドレスに身を包み、首が折れそうなほどの宝石をジャラジャラとぶら下げて、私を忌々《いまいま》しげに見下ろしている。


「叔母様。これは決して『品位』を捨てたわけではございません。無駄を省き、動きやすさと『実利』を取ったのです。見てください、このサロペットの洗練された機能美と、驚くべき収納力を……」


「黙りなさい! あなたがそのように貧乏くさい節約と『お菓子断ち』を始めたせいで、パリの宝石商も、リヨンの絹織物職人も、皆こぞって泣いております! 王侯貴族が贅沢をして金を落とさないのは、経済を停滞させる国家への背信行為ですわ!」


(……うわぁ、出た! 『貴族の贅沢こそが経済を回す』という、当時の特権階級に特有の無茶苦茶な理屈!)


 確かに一理あるかもしれないが、今その贅沢をして国庫を空っぽにすれば、数年後にはパンが買えなくなった民衆に宮殿を襲撃されてしまうのだ。


(でも、ここで彼女を完全に敵に回して論破しようものなら、宮廷内で『王妃は狂った』『王妃はフランスの伝統を破壊する魔女だ』という致命的なネガティブ・キャンペーンを張られてしまう……。なんとかして、彼女の機嫌を取りつつ、黙らせる方法を……!)


 私は、背後に控えさせていたランバル夫人から、そっと一つのバスケットを受け取った。


「叔母様。お怒りはごもっともですわ。……ですが、その政治と経済の難しいお話の前に一つだけ、私の『最新作』を毒見していただけませんか?」


 「ふん! どうせまた、あの泥臭い不気味な芋や、茶色い豆の塊でしょう? この私の高貴な舌が、そのような下等なものを……」


「いいえ。今回は趣向を全く変えましてよ。……名付けて、『黄金のタピオカ・ロイヤル・ミルクティー(ベルサイユ特濃仕立て)』ですわ!」


私がバスケットの中からうやうやしく取り出したのは、美しいバカラ・クリスタルの透明なグラスだった。


「ミルク……てぃー? なんです、それは」

「当時のヨーロッパでは超高級品である、東洋から輸入した最高級の紅茶。そこに、我が王室の牧場で絞りたての濃厚なミルクと、たっぷりの蜂蜜をブレンドした、この上なく贅沢な飲み物です」


 紅茶も、砂糖も、そして新鮮なミルクも、平民には決して口にできない富の象徴だ。これなら「贅沢」を重んじる叔母様の体裁ていさいも完璧に保てる。


「……まあ、香りだけは、悪くありませんわね。でも、そのグラスの底に沈んでいる、黒くて丸い不気味な粒々は一体何なの!? まるで、池で繁殖したカエルの卵のようですわ!!」


 叔母様が、グラスの底を見て「ヒィッ」と顔をしかめた。

 無理もない。その底には、私がジャガイモから抽出した純度100%のデンプンを練り上げ、黒砂糖のシロップで煮込んで丸めた「和製ならぬ、仏製タピオカ(大粒)」が、ゴロゴロと大量に沈んでいたのだから。


「叔母様。見た目で判断しては、人生の大きなよろこびを逃しますわよ。……さあ、だまされたと思って、この太いストローで、グラスの底から一気に吸い上げてみてください。間違いなく、新しい世界が開けますから」


 私は、この日のために庭師に特別に削らせた「特製・極太の竹ストロー」をグラスに挿し、叔母様の目の前にグッと押し付けた。


 アデライード叔母様は、不信感丸出しの目で私をにらみつけながらも、渋々といった様子でその竹ストローをふくよかな唇でくわえた。


 ──ズズッ。

 濃厚なロイヤルミルクティーと共に、黒い弾丸がストローを伝って、勢いよく叔母様の口内へと飛び込んだ。


 ──……モチッ。モギュッ。


「っっっ!?」


その瞬間、叔母様の目が、こぼれ落ちそうなくらいに見開かれた。


「な、何よこの……! 歯を力強く押し返してくるような、この不可思議で官能的な弾力は……!!」


「それが、極限まで精製されたデンプンの力……いえ、フランスが誇る新しいエネルギーですわ!」


 私は、勝利を確信して扇子を広げた。

 「叔母様、んで、ひたすらに噛み締めてください。ミルクの濃厚なコクと紅茶の香りが広がる中で、その『モチモチ感』が、脳に直接快楽を届けるのがお分かりでしょう? ……噛めば噛むほど、宮廷の退屈な時間や、政治のイライラが、嘘のように消えていくと思いませんか?」


「……モギュッ、モギュッ、モギュッ……」


 叔母様は、もはや私の言葉など聞いていなかった。

 現代日本でも数多あまたの女子を狂わせ、行列を作らせたタピオカの『圧倒的食感の魔力』は、18世紀の気位の高いフランス貴族の脳髄のうずいにも、完璧に、そして暴力的に突き刺さったのだ。


「…………悪く、ないわ。というか、このモチモチ……なんだか、恐ろしいほどにクセになりますわね」


 ストローをすする音が止まらない。常に不機嫌そうに寄っていた叔母様の眉間みけんのシワが、見る間に溶けて消え去っていく。噛むという行為は、人間のストレスを劇的に軽減させるのだ。


「これ……お菓子と言えるほどドロドロに甘くないけれど、お腹の中にズシリとたまって、不思議なほどの満足感があるわね。なんだか、夜会のフルコース料理なんて、もうどうでもよくなってきそう……」


「そうでしょう!? 叔母様。これからは『過剰な糖分と脂肪』で体を壊す時代ではなく、この『至高の食感』で心と胃袋を満たす時代なのです! だからこそ、これを全土に普及させるために、私はサロペットを着て、自らジャガイモ(デンプンの原料)を植えなければならないのですわ!」


「……モギュッ……ズズズッ。そういう、崇高な理念があるというのなら……仕方がありませんわね。今回だけは、あなたのその奇抜な格好も目をつぶって差し上げますわ」


 タピオカの魔力によって完全に牙を抜かれたお局様つぼねさまは、空になったグラスを名残惜しそうに見つめ、わずかに頬を赤らめた。


「……マリー。その、もう一杯……お代わりを。今度は、もっとその『黒いモチモチ』を限界まで多めに入れて頂戴。……ああ、いけない。これでは晩餐ばんさん会でお肉が入らなくなってしまうわ」


(よっしゃぁぁぁぁっ!! お局様の完全攻略、完了!!)

 私は内心で、歓喜のダンスを踊り狂った。


 宮廷のマナーと伝統を司るトップがタピオカを無我夢中ですすっている以上、もう誰も、私のサロペット姿や農作業を笑うことはできない。


(……ふふふ。それに、この『タピオカ・ダイエット作戦』は完璧よ! 晩餐ばんさん会の前に、あえて貴族たちにこの重たいタピオカミルクティーを振る舞って、胃袋を強制的にパンパンに膨らませておくの。そうすれば、彼らが豪華な料理をドカ食いして国庫を圧迫することもなくなるし、みんな勝手にスリムになっていくわ!)


 マリー・アントワネット、18歳。

 歴史上最も早く「食前タピオカ・ダイエット」の有効性と凶悪性に気づき、血で血を洗うベルサイユの派閥争いを、ただの「モチモチの食感」だけで見事に完全鎮圧してしまったのである。

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