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第15話 決戦の味

「フン、笑わせるな! 蜂蜜とリンゴだと? そんな子供騙しの貧相な甘さで、我らフランス菓子職人の魂であるこの『砂糖の要塞』に勝てると思っているのか!」


 パリの菓子職人ギルドの長が、唾を飛ばして吠え、黄金色に神々しく輝くクロカンブッシュの巨大な塔をバァン! と誇らしげに指し示した。


 鏡の間の空気は、すでに濃厚なカスタードクリームと、限界まで焦がしたバター、そして極甘のカラメルの暴力的な香りに完全に支配されている。


 出席している保守派の貴族たちは、すでにその甘美な暴力によってトランス状態に陥り、「ああっ、早く……早くその飴を割って、私に一口……」と、よだれを垂らしそうな有様でうわ言を呟いていた。


(……くっ、確かにこの香りは反則級だわ。私の脳内の「前世女子大生」が、『カロリーなんて気にしてる場合じゃない! 全部食べちゃいなよ!』と、メガホンを持って悪魔の囁きをガンガン繰り返している……!)


 私は、ドレスのスカートを両手で強く握りしめ、ガクガクと震えそうになる膝を気力だけで押さえ込んだ。


 だが、私は耐えた。ここで屈すれば、私のこれまでの「ギロチン回避ダイエット」がすべて水の泡になるのだ。


 なぜなら、この歴史的なスイーツ対決の勝敗を下すのは、連日の豪華な晩餐ばんさんで舌が麻痺し、贅沢に慣れきった頭の軽い貴族たちではないからだ。


「……職人さん。この勝負の審判は、今日私がここに特別に招いた、『パリの市場で毎日汗水流して働く女たち』に任せるわ!」


 私が扇子を振り下ろして高らかに宣言すると、鏡の間の重厚な扉がギギィィッ、と重い音を立てて開かれた。


「……王妃様。アタイら、忙しいんだよ。こんな金ピカで目が痛くなるような部屋で、一体何が始まるってんだい?」


 ドカドカと遠慮のない足音を立てて入ってきたのは、かつて宮殿の正門に押し寄せ、私を「赤字夫人」と罵り、巨大な包丁を突きつけてきた、あの屈強な市場の女たちだった。

 

 彼女たちのリーダーであるカトリーヌが、腕組みをして怪訝けげんそうに太い眉をひそめる。彼女たちのたくましい体躯たいくや泥のついた靴と、ベルサイユの豪奢ごうしゃな内装とのギャップがすさまじい。


 職人たちは、野蛮な平民が神聖な広間に入ってきたことに一瞬顔をしかめたが、すぐに自信満々な薄笑いを浮かべた。そして、クロカンブッシュから黄金のキャラメルでコーティングされたシュー生地をもぎ取り、銀の小皿に乗せて彼女たちに突き出した。


「さあ、食え! 薄汚れた労働者どもよ。これぞフランスが世界に誇る、至高の甘みと芸術の結晶だ! お前たちのような貧民が、一生に一度味わえるかどうかの奇跡を噛み締めるがいい!」


 カトリーヌたちは「なんだこりゃ、ピカピカ光ってやがる」と胡散臭うさんくさそうにシュー生地を指でつまみ、無造作にポイッと口に放り込んだ。


 ——パリッ。バリバリッ。

 

 口の中で飴が砕ける軽快な音が響く。


「……おぉっ!?」


 カトリーヌの目が、一瞬だけ驚きに見開かれた。濃厚なカスタードの甘みが脳天を突き抜け、彼女の強面こわもての顔が、一瞬だけよろこびにほころんだ。


「な、なんだこれ……! すっげぇ甘い! バターが舌の上でとろける! アタイ、こんな美味うめぇもん食ったことない……!」


 職人ギルドの長が「ハッハッハ! 当然だ!」と勝ち誇ったように笑い声を上げた。貴族たちも「やはり砂糖こそが正義だ!」と喝采かっさいを上げる。


 しかし。

 その直後、カトリーヌの表情は、スッと暗く、重く沈み込んでいったのだ。


「……おい、お前ら。二個目は食うな」


 彼女は、仲間たちが二個目に手を伸ばすのを手で制し、銀の小皿をドンッ! とテーブルに突き返した。


「……重いね」

 「な、何だと!?」職人長が目玉をひん剥いた。


「一口目は確かに天国みたいに美味うまかったよ。でも、二口目には胃が焼けそうに重苦しくなる。舌の上が砂糖でベタベタして、水がないと飲み込めやしない。……アタイら、この後も市場に戻って、何十キロもある野菜や魚の荷車を引かなきゃならないんだ。こんな油と砂糖の塊を腹に詰め込んだら、体が鉛みたいに重くなって、まともに働けやしないよ!」


 職人たちの顔から、一気に血の気が引いて真っ青になった。

 「な、何を馬鹿な!! これは最高の贅沢だぞ! 労働の疲れなど、この圧倒的な糖分で吹き飛ぶはずだ!」


「贅沢かもしれないけどさ、アタイらが本当に欲しいのは、一瞬の夢みたいな味じゃない。明日も泥水すすってでも元気に働ける『力』なんだよ」

 カトリーヌの現実的でシビアな言葉が、砂糖の要塞の足元を無情にも崩していく。


 そこで、私は満を持して、静かに自分の木箱から『焼き豆腐ドーナツ』を取り出し、素朴な木の皿に乗せて彼女の前に差し出した。


「カトリーヌ、次はこれを食べてみて。飲み物は、自家製ハーブと生姜をたっぷり入れた、熱々の温かいお茶よ。……冷えた胃腸を中から温め、消化を優しく助けてくれるわ」


 カトリーヌは半信半疑で、黒くて地味で、お世辞にも華やかとは言えないそのドーナツを手に取った。


「……なんだいこれ。ちっとも光ってないし、重たいね」

 彼女は、ドーナツを口に運び、ゆっくりと咀嚼そしゃくを始めた。


 ……沈黙。

 パリの市場の女たちが、一斉に動きを止める。鏡の間に、ドーナツを噛む、モギュッ、モギュッという静かな音だけが響いた。


「……あ、甘い……。でも、さっきの飴みたいに喉がひりひりと焼けない。なんだろう、これ……」


 カトリーヌが、信じられないものを見るように、食べかけのドーナツを見つめた。


「パサパサしてない。しっとりしてて、豆腐と全粒粉がモチモチと歯を押し返してくる。噛めば噛むほど、カカオの苦味の奥から、果物リンゴの優しい甘さがじんわりと広がってくる……。それに、この生姜のお茶を飲むと、さっきもたれたお腹の底から、ポカポカと力が湧いてくるみたいだ……」


 彼女の目から、不意に一筋の涙がこぼれ落ちた。

 「……お天道様てんとうさまの下で、泥にまみれて働き通した後に食う温かい飯のような……ものすごく、安心する味がする」


 カトリーヌは、大きな手で乱暴に涙を拭い、私を見た。

 「王妃様……あんた、知ってたんだね。アタイらが毎日、どれだけ必死に働いて、どれだけお腹を空かせて、それでも家族のために踏ん張っているか。……このお菓子には、王妃様からのアタイらへの『お疲れ様』が、いっぱいに詰まってる味がするよ」


「……カトリーヌ……」

 私は胸が熱くなり、思わず彼女の無骨な両手を両手でぎゅっと握りしめた。

 「労働者の胃袋に、貴族の過剰な贅沢は毒だ。……アタイらは、この黒い輪っか(ドーナツ)を支持するよ! これなら、明日も力強く生きていける!!」


 仲間たちの女も一斉に「おう!」「こっちの方が断然腹持ちが良くて美味うめぇ!」と力強く拳を突き上げた。


 勝負は、完全に決まった。

 「…………負けた。……私の、完敗だ」


 職人ギルドの長が、膝から崩れ落ち、冷たい大理石の床に両手をついた。

 「我らは、王侯貴族の舌を喜ばせるための『見た目』と『一瞬の快楽』だけを追求し、食べる者の『その後』の生活や体を、完全に忘れていた……。王妃よ、あなたは菓子職人以上に、食の真理と人間への深い愛を理解している。我々が間違っていた……」


「いいえ、職人さん。私も、甘くて美味しいものは大好きでたまらないのよ。……ただ、『ほどほど』に、健康を害さない範囲で、みんなで笑って食べたいだけなの」


 私は、打ちひしがれた職人の肩に優しく手を置き、ニッコリと微笑みかけた。


「ねえ、あなたたちの持つその世界一の技術と情熱を、私に貸してくれないかしら? おからや大豆、それに新鮮な果物を使って、もっともっと美味しくて、食べても太らない『最強の健康食』を、一緒に開発しましょうよ!」


「お、王妃様……! なんという慈悲深さ……! この命に代えましても、あなたの望む究極の菓子を作り上げてご覧に入れます!!」

 職人たちが涙を流してひれ伏し、鏡の間は感動の拍手に包まれた。


 こうして、ベルサイユ宮殿の一角に、最新鋭の設備を備えた「王立・健康菓子研究所」が大々的に設立されることになったのである。


(……よしっ!! 大・勝・利!! これで堂々と、超一流の職人が徹底的にカロリー計算してくれた『激ウマ・ギルトフリー・スイーツ』を、合法的に毎日食べ放題できるわ!! 完璧すぎる職権乱用ね!!)

 

 マリー・アントワネット、18歳。

 ダイエットへの異常な執念からフランス菓子界の重鎮じゅうちんすらも陥落させ、もはや彼女を処刑しようなどと考える暴徒は、このフランスのどこを探しても一人も存在しなくなっていた。

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