第14話 砂糖の包囲網と豆腐の錬金術
「王妃様! 一大事でございます! パリの菓子職人ギルドの代表たちが、宮殿の門前に押しかけて猛抗議をしております!!」
ランバル夫人が、いつものように顔面を蒼白にして私室に駆け込んできた。
私が深夜のテンションで生み出した「おからスコーン」が大流行してから数週間。ベルサイユ宮殿内だけでなく、パリの貴族たちの間でも私の提唱した「罪悪感なしおやつ」ブームは完全に定着していた。
みんな、私が実証した「食べても太らない、むしろドレスのサイズが落ちて引き締まる」という奇跡のプロポーションに夢中になり、こぞって大豆カスとジャガイモばかりを求め始めたのだ。
その結果、何が起きたか。
「……もしかして、伝統的なお菓子が売れなくなった、とか?」
「その通りでございます! 貴族たちが『砂糖とバターは悪魔の誘惑だ』と言い出し、高級パティスリーの売り上げが激減! 職人たちは『王妃の狂った豆食いのせいで、フランスの偉大な製菓文化が破壊される!』と激怒しております!」
(……うわぁ、やってしまった! 既得権益層からの猛反発!)
私は頭を抱えた。フランスといえば世界最高峰のスイーツ大国だ。その技術と伝統を担う職人たちを完全に敵に回すのは、国の産業と文化を根本から破壊することになりかねない。
何より、「王妃はフランスの伝統を破壊する魔女だ」「我々の生活を奪った」なんて悪評が街に広まれば、せっかく炊き出しで下げていた民衆のヘイトが再燃し、私の細い首筋にあの冷たいギロチンの刃が再びチラつき始めてしまう!
「……お通ししなさい、ランバル。逃げてはダメよ。彼らの言い分を直接聞くわ」
数分後、私の前に通されたのは、顔を真っ赤にして怒り狂う菓子職人ギルドの長だった。純白のコックコートに身を包んだ彼からは、甘いバニラの香りと、それ以上に濃厚な「怒り」のオーラが漂っている。
「王妃様! 大豆のカスだの、地中の芋だの……あのような泥臭い家畜の餌を『お菓子』と呼んで持て囃すなど、我らフランス菓子職人への重大な冒涜です!」
ギルド長は、磨き上げられた大理石の床をドン! と強く踏み鳴らした。
「砂糖の極限の甘さ! バターの芳醇な香り! そして何層にも織り込まれたサクサクの小麦粉の生地! これら三位一体の芸術こそが至高! 我々は、王妃様のその貧乏くさい味覚に、真っ向から勝負を申し込みます!」
「……勝負、ですって?」
「ええ! 三日後、このベルサイユの『鏡の間』で、我々の誇る最高傑作と、王妃様のその『泥の菓子』、どちらが真に人々を幸せにするか、白黒つけようではありませんか!」
ここで断れば「王妃が逃げた」と吹聴されるのは目に見えている。私は自らの首を守るため、そして職人たちの不満をガス抜きするためにも、受けて立つしかなかった。
「……いいわ。受けて立つわ。でも、もし私が勝ったら、あなたたちのその素晴らしい技術を、少しだけ私のために貸してちょうだいね」
「フン、負けるはずがありません! 極上の砂糖の魔法で、王妃様を完全にひれ伏させてご覧に入れましょう!」
ギルド長が鼻息荒く立ち去った後、私は重いため息をついた。
(……言ってはみたものの、どうしよう。相手はプロ中のプロ。カロリーの暴力《バターと砂糖》を無制限に使ってくる相手に、素人の私が勝てるわけがない……!)
いくら「おからスコーン」が腹持ちが良くてヘルシーだとはいえ、「純粋な味覚の快楽」という点において、プロが全力で作るフランス菓子に勝てるはずがないのだ。
だが、ここで高カロリーな甘さに屈して「やっぱりお菓子は砂糖とバターたっぷりにかぎるわね!」などと言ってしまえば、私の必死のダイエット生活は終わりを告げ、元の赤字ブタ王妃に逆戻りだ。
私はすぐさま王室シェフを厨房に呼び出し、緊急のレシピ開発会議を開いた。
「いいこと? 小麦粉は半分以下に減らしなさい。そして、先日取り寄せた大豆を水で煮出して絞り、その液体……『豆乳』に『にがり(塩化マグネシウム)』を打って固めるのよ!」
「マ、マグネシウム!? 王妃様、ついに錬金術にまで手をお出しに!?」
「ただの化学反応よ! そうして出来上がった白い塊……『豆腐』を、しっかりと水切りして生地に練り込むの! 豆腐の水分と良質な植物性タンパク質が、生地を信じられないほどモチモチにしてくれるわ!」
シェフたちが半狂乱になりながらも、私の指示通りに未知の食材「豆腐」を生成していく。
「問題は甘みよ。砂糖を大量に使えばカロリーオーバーで私の負け。だから、砂糖の代わりにたっぷりの『蜂蜜』と、細かく刻んで煮詰めた『リンゴ』を使うの!」
リンゴの持つ自然な酸味と優しい甘み。そして加熱することで生まれるペクチンのとろみが、パサつきがちな生地に極上のしっとり感を与えてくれるはずだ。
「油で揚げるのはカロリーの暴力だから絶対に却下! オーブンでじっくりと焼き上げる『焼き豆腐ドーナツ(リンゴ&蜂蜜風味)』を勝負のカードにするわ!」
試作を重ね、徹夜で完成したそれは、見た目こそ地味な茶色い輪っかだった。だが、一口齧ると、豆腐と全粒粉のモチモチとした食感が歯を押し返し、噛み締めるほどに果実の優しい甘さとシナモンの香りが口いっぱいに広がる。
前世のダイエッターとしての記憶が「これぞ神バランス!」とスタンディングオベーションを送る仕上がりになった。
……しかし、大きな懸念が一つある。
(この勝負、普通の貴族たちに審査させたら、私は絶対に負けるわ)
そう、ベルサイユの貴族たちは、舌が完全に「過剰な贅沢」に麻痺している。連日のフルコースで胃袋を甘やかしている彼らは、地味なドーナツより、金箔を貼った砂糖の塊を「美味しい」と選ぶに決まっているのだ。
(……公平で、本当に『食のありがたみ』を知っていて、カロリーや健康を必要としている審査員……。見た目の華やかさではなく、食べた後の『自分の体と生活』に向き合える人たち……)
その時、私の脳裏にピカッと閃くものがあった。
かつて、ベルサイユの門前で暴動を起こしかけた時、私が振る舞ったジャガイモのポタージュを共に啜り、私を「国母」と呼んでくれた、あの逞しい女たちの姿だ。
「ランバル! 今すぐ、パリの市場へ使いを出しなさい! あのカトリーヌたちを、明日の対決の『特別審査員』としてベルサイユに極秘で招待するのよ!」
「ええっ!? 屈強な市場の平民の女たちを、この神聖な宮殿にでございますか!?」
「そうよ! お菓子は貴族だけの特権じゃない。労働者の明日への活力にならなきゃ意味がないの。彼女たちの胃袋と正直な舌こそが、これからのフランスの未来を決めるのよ!」
そして、運命の三日後。
豪華絢爛なベルサイユの「鏡の間」。
天井から吊るされた巨大なクリスタルのシャンデリアが眩い光を放つ中、貴族たちが固唾を呑んで見守っている。
場違いなほど逞しい市場の女たち……カトリーヌ一行が、腕組みをしてズラリと並ぶその目の前で。
「さあ、見よ! これぞフランス菓子の真髄! 砂糖とバターが織りなす究極の芸術品だ!」
ギルド長が自信満々にアンベールしたのは、黄金のキャラメルでコーティングされたシュークリームを天高く積み上げた、巨大な飴の塔『クロカンブッシュ』だった。
圧倒的な甘い香りが広間を支配し、貴族たちが恍惚としたため息を漏らす。
それに対し、私の用意した『焼き豆腐ドーナツ』は、木箱の中でひっそりと出番を待っている。
「王妃様。あのような地味で貧相な材料で、本当に我々のこの至高の芸術に勝てると思っているのですか?」
ギルド長が、私の用意したドーナツの材料リストを見て、勝ち誇ったような冷笑を浮かべて私を見下ろした。
私は、サロペット姿で堂々と胸を張り、彼を真っ向から見据え返したのだった。




