強くなるために……
目が覚めた瞬間、胸の奥がざわついた。
夢から覚めたような、でも現実の手触りがやけに鮮明な――そんな不思議な感覚。
天井は見覚えのある薄いクリーム色。
布団は十五歳の頃に使っていた安物だ。
枕元には、丸まった黒猫がゆっくりと尻尾を揺らしている。
(戻ってきて……まだ一日目、か)
胸の奥がじんと熱くなる。
昨日の夜、俺はアイテムボックスのレベルを上げた。
人生で初めて“成長”という感覚を味わった。
その高揚と興奮は、今も心臓の鼓動を少し速くしている。
だが同時に――戸惑いもあった。
(十五歳の身体……前より軽いけど、不安定だな)
(この世界をもう一度やり直すって、本当にできるのか?)
そんな思いが浮かぶたび、喉の奥に小さな緊張が張り付く。
すると、枕元の黒猫が小さく欠伸をしながら顔を上げた。
『……おはよう、ソラ』
「おはよう、クロ」
その声を聞くだけで、不思議と胸のざわつきが静かになる。
クロは前足を揃えて座り直し、じっと俺を見上げた。
『顔色が少し硬いな。戸惑っているか?』
「……まぁな。戻ってきたのは嬉しいけど、なんかまだ現実味がなくて」
『当然だ。三十五歳の精神で十五歳の肉体に戻ったのだ。
一日で馴染めるほうがおかしい』
「だよな」
俺が苦笑すると、クロは尻尾をひらりと揺らした。
『だが、ソラは昨日ちゃんと動いた。
アイテムボックスのレベルを上げた。
その一歩があれば十分だ。戸惑いながらでも前へ進んだのだからな』
「……ありがとな、クロ」
胸の奥が少し軽くなる。
不安が消えるわけじゃないが――
それ以上に、やるべきことがはっきりしてきた。
「クロ。これから、俺はどうしたらいいと思う?」
そう尋ねると、クロは少し顎に前足を当てるような仕草をした。
『まずは、“身体づくり”だ。』
「身体づくり……って、普通の鍛錬のことか?」
『そうだ。
お前のスキルは非戦闘系。
だからこそ、身体そのものを強くしなければならん。
どれだけスキルが成長しても、動けなければ意味がない』
「まぁ……それは前の人生で嫌というほど思い知ったよ」
どれだけ荷物を持てても、
俺はパーティーで“戦えない足手まとい”だった。
アイテムボックスは便利だが、戦闘で使えなければ評価されない。
『そして――学校だな』
「ああ。シーカー学校。入学は一ヶ月後だな」
『その通り。
お前がシーカーとして再出発するための場所だ。
その一ヶ月を、最大限生かすべきだ』
「……クロ」
黒猫の金の瞳がまっすぐに俺を見つめる。
『いいか、ソラ。
私は助言しかできない。
力を貸すことも、魔法を見せることもできない。
だが――お前が望むなら、道を示すことはできる』
その言葉に、ふっと胸が熱くなった。
そうだ。
クロは助言しかできない。
でも、その助言が俺を前へ押し出してくれる。
(……だったら、俺はやるしかない)
「よし。クロ、これから一ヶ月……本気で鍛える」
『うむ。その意気だ。』
「走り込みも、筋トレも、全部やる。
次の人生では絶対にあの頃の俺には戻らない」
『当然だ。
二度目の人生なのだ。
あの地獄のような未来を繰り返す必要はない』
「だよな……!」
自然と拳に力が入った。
俺は深呼吸し、気持ちを整えてから言った。
「クロ。具体的にはどう鍛えていく?」
『まず、今日から“走り込み”。
距離は短くていい。
大切なのは毎日続けることだ』
「分かった。続けるのは得意だ」
『そして自重トレーニング。
腕立て、腹筋、背筋、スクワット――これらを無理なく回せ。
最初は回数より正しいフォームを意識しろ』
「了解。身体ができてないうちは、無理するほうが悪いってやつだな」
『そうだ。
それから――“睡眠”と“食事”も鍛錬の一部だ』
「お、おう……」
『眠りは身体を作る時間。
食事は力を蓄える時間だ。
その二つを疎かにしては、どれだけ鍛えても伸びない』
「……分かった。ちゃんと寝て、ちゃんと食うよ」
俺は改めて拳を握りしめた。
(この一ヶ月で身体を作る。
シーカー学校に入ったとき、笑われるままでは終わらない)
もう同じ後悔をしたくない。
「クロ。今日から本気で行くぞ」
『ああ。行くぞ、ソラ。
お前はまだ“始まり”に立ったばかりだ』
クロは俺の足元に歩み寄り、軽く尻尾を俺の足に巻きつけた。
『十五歳でやり直せたのだ。
これ以上の幸運はない。
掴め、ソラ。
今度は自分の手で未来を変えろ』
「……ああ。絶対に変える」
朝の日差しが、部屋の中を明るく照らしていた。
昨日までの戸惑いは、まだ少し残っている。
だけど、それ以上に胸の奥に“やる気”が満ちていた。
ギルドの裏手に回ると、大きな屋外の訓練場が広がっていた。
朝日が差し込み、砂の地面が黄金色に輝いている。
走り込みコース、木製の人形、負荷の少ない筋力器具、
そしてシーカー同士が軽い訓練を行っているエリアがいくつもあった。
(久しぶりだ……この雰囲気)
胸が熱くなる。
昔はここへ来ても上手く動けなくて笑われた。
その悔しさが蘇り、同時に背筋が伸びた。
『ソラ。まずは“走り”からだ』
「分かった」
俺は軽くストレッチをした。
足を伸ばすたび、十五歳の肉体が「まだ伸びるぞ」と言っている気がする。
『最初は全力で走るなよ。
ゆっくり、自分の呼吸に合わせろ』
「了解」
俺はランニングコースに足を踏み出し、
ゆっくりと一歩目を踏み出した。
砂の感触が足裏から伝わる。
呼吸はまだ軽い。
でも三十五歳の精神を持っているからこそ、ペース配分は以前より冷静にできる。
(焦らず……呼吸は一定……)
周りでは熟練のシーカーがスピードを上げて走り込んでいる。
俺と比べれば雲泥の差だ。
だが今回は比較する必要はない。
『いいぞ。フォームも悪くない』
「ほんとか?」
『お前は前の人生の経験がある。
“やってはいけない走り方”は知っているはずだ』
「まぁ……転んだり、膝を壊したりしたからな」
『だから、今は無理をしなければ十分だ』
クロの声が心の支えになる。
そのまま三周――距離にして約1.5キロほど走り終えた頃には、息が荒く、足が少し震えていた。
「……は、はぁ……っ」
『止まらずに歩け。呼吸を整えながらだ』
言われた通りに歩きながら呼吸を整えると、
胸の奥に小さな達成感が灯った。
(走れる……ちゃんと、走れるんだ)
休憩を挟んだあと、クロが言った。
『次は自重トレーニングだ。
まずは腕立て伏せ。無理をしない範囲で正しい姿勢でな』
「分かった」
俺は砂地に手をつき、ゆっくりと身体を下ろす。
――が。
「……ふ、ぅっ?」
一回目から胸が震えた。
(十五歳って、こうだっけ!?)
三十五歳の時と比べれば軽い。
でも筋肉の量は圧倒的に足りない。
十回やって膝をついた。
『いい。最初の十回で十分だ』
「いや……全然できなかっただろ」
『最初の基準が低いほど成長しやすい。
“できないことが分かった”のは前に進んだ証拠だ』
クロの言葉に救われる。
次に腹筋、背筋、スクワットをそれぞれ軽くこなす。
だが体力はみるみる削られ、額に汗が噴き出す。
(こんなにキツかったか……?)
『ソラ。思い出せ。
身体を作るというのは、こういう積み重ねだ』
「……ああ」
自分の弱さを知るのは悔しい。
でも、それ以上に――強くなれる期待が膨らんでいた。
ひと通りのメニューをやり終えた頃には、
全身が重く、腕は震え、足は鉛のようだった。
それでも――胸の中は温かかった。
(やれる。絶対にやれる)
力を出し切った実感がある。
弱いままで終わる人生じゃない。
二度目の人生は、ここから強くなるための時間だ。
『よくやった、ソラ』
クロが肩に飛び乗り、優しく額を頭でこつんと押した。
『お前は今日、“初日”を乗り越えた。
これを積み重ねれば、一ヶ月後――必ず変わっている』
「そうだな……よし、帰るか。飯食って、風呂入って……明日もやる」
『その意気だ』
訓練場からの帰り道、
筋肉痛がじわじわと襲ってきた。
だけど、その痛みは“希望の痛み”だった。
過去に負けないための、
未来を切り開くための、
小さな一歩目の痛み。
(必ず強くなる。もう二度と――あんな未来は繰り返さない)
十五歳の身体で、俺は静かに拳を握った。
カクヨムの方で連載しております。
気になる方はそちらの方も読んでください!!
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