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青春

ユナと別れたあと、俺は家に帰り、ギルドへ向かった。

 昼を過ぎた時間帯だが、訓練場はいつもどおり賑わっている。

 見習いシーカーが走り込み、駆け出しの戦士が木剣を振り、

 新人魔法使いの少年少女が魔力操作の練習をしていた。


 ――そんな活気ある訓練場に足を踏み入れた瞬間。

 胸の奥にざらりとした感情が蘇る。


(……カイト)


 あの、懐かしさと嫌悪が混ざったような顔。

 前の人生では何度も見た顔。

 俺を下働きのように扱い、不要になれば切り捨てた男。


 だけど今のカイトはまだ俺を知らない。

 優しい顔で仲間に誘ってきた。

 それが逆に、心を乱した。


「……はぁ」


 重い息を吐きながら軽くストレッチをする。

 体は動くはずなのに、気持ちが追いついてこない。


 軽く走ってみる。

 砂の音、息遣い、汗のにじみ。

 いつもなら集中できるのに、じわじわと雑音が入ってくる。


(そういえば……カイトのスキルは双剣使いと身体能力強化だったな。

 俺の記憶では当時の頃でも強かったが…今の俺とあいつの強さにどれくらいの開きがあるのか…)


 走りながら、前の人生の記憶を反芻する。

 あの時の悔しさ、惨めさ。

 それが今の訓練に影響して、頭が重く、足も鉛のようだ。


『ソラ』


 小さく呼ぶ声が近くから聞こえた。

 同じ速度で並走していたクロだ。


『お前……今日は全然集中できてないな』


「……してるよ」


『嘘をつくな。

 今の走りは、中身が空だぞ』


「…………」


 痛いところを突かれ、思わず走る速度が緩んだ。

 クロは続ける。


『あの男のことを考えているのだろう』


「……まぁ、な。

 ……どうしても思い出すんだよ。前の人生のことを」


『それは分かる。

 だが――“今のお前”はあの頃とは違う』


 クロの声音が少し低くなった。


『それでも、前の人生の痛みに足を取られるようなら、

 お前は一生、あの頃のままだぞ』


「……っ」


 胸に刺さる。

 鋭く、強く、逃げ場なく。


 クロはさらに言う。


『いいか、ソラ。

 お前が前の人生で味わったのは“無力な自分”だ。

 だが今は“無限の可能性を持つお前”だ。

 無力なままの記憶で無限の可能性を狭めるな』

…………」


『それに――お前はカイトと同じ場所に立つために戻ってきたのではないだろう?』


 その質問は、胸を貫くには十分だった。


(……違う。俺は、もっと……)


 俺はゆっくりと走るのをやめ、強く息を吐き出す。


「クロ……悪い。

 ほんとに、今日は集中できてなかった」


『気づけばいい。

 気づいた時点で、一歩は前に進んでいる』


 言われて、少し肩が軽くなった。


(そうだ。

 カイトなんかに気を取られてる場合じゃない。

 俺の目標は――あのショーイチローを超えて…シーカーで一番強くなることなんだ)


 心の霧が晴れていくのを感じた。


「……よし。

 やるか。ちゃんと、やる」


『うむ。

 やるなら全力でやれ。ただし無茶はするなよ』


 クロの言葉に頷き、俺は再び走り出した。

最初のペースに戻して走り込むと、

 不思議なほど息が整い、身体が動き始めた。


 足が砂を掻く音がリズミカルに響く。

 汗が額から顎へ、顎から地面へ滴る。


(――これだ)


 集中すると、周りの音がすっと遠のいた。


 ランニングのあと、腕立て、腹筋、背筋、スクワット。

 いつもより丁寧に、いつもより深く。

 ひとつひとつの動きが確かに体に刻まれていく。


『うむ……良くなったな。

 さっきまでとはまるで別人だ』


「さっきは……ほんとダメだったな」


『迷いは誰にでもある。

 だがそれを振り払える者…前に進んだ者のみが強くなれるのだ』


 クロの言葉が熱をくれる。

 その熱が、さらに身体を動かす燃料になった。

気づけば陽は沈み始め、

 訓練場の周囲に設置された魔石灯が淡い光を放ち始めていた。


(……ちょっと、やりすぎたか?)


 腕は張り、足は震え、汗でシャツは重くなっている。


『ソラ。そろそろ切り上げろ。

 お前、今日のメニュー三回分はやっているぞ』


「……夢中になってた。

 でも、気持ちはスッキリしたよ」


『よいことだ。

 だがやりすぎて怪我をしては元も子もない』


「分かってるって。帰るよ」


 ギルドを出る頃には、完全に夜だった。

 人通りは少なく、街灯がぽつぽつと道を照らす。


(ああ……今日は疲れたな)


 家につき、玄関を開けると同時に、

 体がずしっと重くなる。


 ベッドに倒れ込む前にクロが言う。


『ソラ、風呂――』


「あとで……」


 言い終わる前に、

 俺の意識は暗闇に落ちていった。


 その日の睡眠は、

 これまでの人生の中で一番深かった。


しん……と静かな部屋の中で、どこか遠くから声がする。


『――ソラ。ソラ、起きろ。おい、ソラ!』


 次の瞬間、耳元で爆音が響いた。


『起きろと言っている!!』


「っ……!?」


 飛び起きた瞬間、視界が揺れ、脳が情報を整理するより先に壁の時計が目に入る。


 ――始業十五分前。


「う、うそだろ……やばっ!!」


 昨日の訓練疲れが完全に祟った。

 身体はダルいし目は霞むが、今はそんなこと言ってられない。


 制服に着替えながら靴下を履き、靴を履きながら鞄を掴む。

 同時進行で家を飛び出した。


『張り切りすぎて寝坊なんて、ソラお前はそんな年齢ではないだろ……』


「言うな……!!」


 坂道を全力で駆け下り、息を切らしながら学校の門へと向かう。

 門の前には既に教師が二名ほど立っており、生徒たちを見守っていた。


(終わった……これはマジで終わった……!!)


 だがギリギリでチャイムが鳴る。


 ――セーフ。


 間一髪のタイミングで門を潜り抜けたソラを、近くの教師が目を丸くして見た。


「お、お前……そんなギリギリで走り込むな! 危ないだろ!」


「す、すみません!!」


 注意はされたが遅刻扱いにはならず、胸を撫で下ろす。


 けれど周囲の生徒たちの視線が痛い。

 “始業チャイムと同時に飛び込んだ男”という悪目立ちを完璧にやらかしたのだった。


『お前、今日一日、絶対に話題にされるぞ』


「頼むから黙っててくれ……」


教室に滑り込むように座っても、まだ心臓のバクバクが止まらない。

 しかも昨日は疲れすぎて夕飯も食べずに寝てしまったので、胃が限界に近い。


(……腹、減った……)


 座学の授業が始まるが、黒板の文字が全く頭に入ってこない。


 身体は鉛のように重い。

 空腹で集中力は限界。

 眠気も襲ってくる。


『ソラ、顔色が悪いぞ』


(うるさい……腹が……腹が……)


 隣の席の生徒がチラチラこちらを見てくるほど、ソラの顔は死んでいた。

 おそらく視線は「昨日のカバンに話しかけていた変な奴」がさらに「チャイムダッシュした珍獣」になったせいだ。


 最悪である。


 午前最後の授業が始まる15分間の休み時間。

 ソラは机に突っ伏しながら限界量の唾を飲み込んでいた。


(……死ぬ……)


『昨晩、訓練しすぎだと言っただろう』


(言ってたけど……聞く余裕がなかったんだよ……)


『また今日も無茶をする気だろう?』


(する……)


『……はぁ』


 クロが鞄の中で呆れたようにため息をつく。

「……あなた、大丈夫ですか?」


 ふわりと優しい声が降りてきて、ソラは顔を上げた。


 昨日助けた銀髪の少女――ユナが立っていた。


 静かな光を宿した蒼銀の瞳。

 涼やかな声。

 同じ制服だがどこか品がある。


「ゆ、ユナ……」


「昨日は……助けていただいて、ありがとうございました」


「あ、い、いえ……偶然で……」


 頭が回らず、ろれつが回らないソラ。

 そんな彼をユナは心配そうに見つめて――


(……やばい、腹が……)


 ぐぅぅぅぅぅぅぅ。


 教室中に響く腹の鳴る音。


 ソラは顔が真っ赤になる。


「…………」


 ユナは数秒、黙った。


 そして――


 くすっ、と小さく笑った。


「……お昼前ですから。お腹が空く時間ですね」


「う、うう……」


 羞恥で死にそうになるソラに、ユナは自分の鞄から何かを取り出した。


 細長い銀紙に包まれた――チョコレート。


「昨日のお礼……と言っては小さすぎるかもしれませんが……

 よかったら、これ。糖分補給になりますよ」


「え……いいのか?」


「はい。助けてもらったお礼ですから」


 そしてユナはほんの少しだけ、柔らかい微笑を浮かべた。


「……あまり無理をし過ぎないでくださいね、ソラさん」


「……っ!」


 胸の奥が熱くなる。


『よかったな、ソラ』


(うるさい……今だけは黙っててくれ……!)


 そう心の中で叫びながら、ソラは震える手でチョコを受け取った。


 甘い香りが、空腹の極限にある体に染み込んでいく。


 ――この日、ソラにとって初めて“学校生活も悪くない”と思える瞬間だった。


ユナから受け取ったチョコレートは、一口サイズの小さなものだった。だが空腹のソラにとっては、まるで天から降ってきた救いのように甘く、そして力の出る味だった。

 そのおかげで午前最後の授業は、ぎりぎり意識を保ちながらもなんとか乗り切れた。


 午前の授業がすべて終わり、昼休みを知らせる鐘が鳴った瞬間、ソラの身体は自然に立ち上がっていた。


「……食堂、行こ」


『やっとか。まったく、限界まで我慢する癖、どうにかした方がいいぞ』


 カバンの中から聞こえるクロの声は、軽い呆れが混じっていた。


 ソラは人の流れに混じって食堂へ向かう。シーカー学校の食堂は、広大なホールに数百のテーブルが並び、すでに大勢の生徒で賑わっていた。


 ここは学費に含まれているため、食堂の食事はすべて無料。

 量も多く、バランスもよく、一年生のカロリーを大幅に上回るメニューが常に用意されている。


 ソラは食堂のカウンターへ進み、迷うことなくトレイに料理を乗せる。


「今日は……この肉とスープとパンと……あと、デザートのプリンも……!」


『張り切っているじゃないか。普段からそれぐらい食え』


「いや……普段はお金が勿体ないっていうか……その……前の人生の癖が抜けなくてさ」


 席に着きながらソラは苦笑する。


 前の人生。

 シーカーとして一応の地位を得る前、彼は長年、極貧生活を送っていた。


 食べないことに慣れてしまっていた。

 食べなくても動く方法を、自然と身につけてしまっていた。


 それは習慣として今の身体にも残っている。


 ソラがスープを口に運ぶと、クロが小さく息をつく。


『……ソラ。食事はただ腹を満たすだけじゃない。体を作るための材料だぞ』


「材料……?」


『ああ。強くなるというのは、魔法や技だけの話じゃない。身体が弱れば、どれだけ優れた技を持っていても発揮できない。

 お前は“頂”を目指すんだろう? だったらなおさら食事を疎かにするな』


 ソラはその言葉にゆっくりスプーンを止めた。


 クロは続ける。


『それに、前の人生の習慣を引きずるな。今のお前は、前よりずっと環境がいい。無料で食えるんだ、遠慮なんて無用だ。

 ……自分を、もっと大事にしろ』


 その言い方はいつもの皮肉っぽさとは少し違い、どこか優しかった。


 ソラは一拍置いて、スープを口に運ぶ。


 温かい。


 じんわりと胃に落ちて、そこから力が湧いてくるようだった。


「……わかった。努力してみるよ」


『今の“努力してみる”じゃなくて、毎日食べるんだぞ?』


「わかってるって」


 ソラは苦笑しながらも、今度は大きな肉を頬張る。


 無料で、こんなにうまいものが食べられる。

 それだけで幸せだ。


 そして、食べることを大事にするのも“強くなる道”の一つ。


 クロの言葉を胸に、ソラは黙々と量のある食事を平らげていった。

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