09 ホワイエ侯爵家
「あ…、すまない。うっかりしてたよ」
ヴェーヌは悪びれず王の護衛騎士フランツに謝り、金縛りを解いてやった。フランツは、身体を動かせない状態が余程こたえたのか、その顔は蒼ざめていた。
「フランツ、陛下の乗ってきた馬に乗ってくれ」
近衛団長のダンに指示され、フランツはジール王が乗ってきた馬に跨る。
結局、馬車には、ユリウスの向かいにヴェーヌ、ヴェーヌの隣にルゼ、ルゼの向かいにジール、ジールの隣にユリウスが座り、一行は王城に向かうことになった。サッシャは、護衛騎士ライアンから借りた馬に跨っている。
「ユリウス殿、ホワイエ侯爵家を継がないか」
成程、ジールはユリウスと交渉する為に馬車に乗ったらしい。
王が護衛を側に置かずに単身馬車に乗ったのは、車中で最も脅威なのは北の魔女ヴェーヌで、だが、同時にヴェーヌが側にいれば他の脅威はないに等しいからだ。また、ヴェーヌに害されるのであれば誰が護っても無駄だからだった。
「侯爵家はルゼに継がせるよ。もちろん、ルゼがいいと言えばだけれどね」
「そうか、ではルゼ嬢、侯爵家を継いで貰えないだろうか」
ジールの問いにルゼが答えるより早くヴェーヌが口を開いた。
「では、ルディウス王子の世話は誰がする」
「それは、サッシャが…」
「いいや。ジール王、貴殿は分かっているはずだ。サッシャでは王子をあやすことは出来ない。今、ルディウス王子が泣かずに抱かれているのはルゼだからだ」
「あら、ヴェーヌ様でも泣きませんよ」
ルゼがヴェーヌの言葉を明るく打ち消した。
「わたしは子守はしない。それは、今日から城に住まうお前の仕事だよ、ルゼ」
ルゼは「そうなのですか?」と問うようにジール王を伺い見た。
たくさんの言葉を交わし、日々顔を合わせて、やがて恋に落ちてくれたら願ったり叶ったり。ヴェーヌは、ジールとルゼをくっつけたかった。ルゼに会うまでは、自分がルディウス王子を育て、この国の王に仕立てる心づもりだったのだが、ジール王とルゼが恋に落ち、ルゼが王妃になれば、ルゼがルディウス王子を上手く導いてくれるはずだ。
「昨日、ルディウス王子を攫おうとしたのはわたしだ」
「ああ、昨夜、大ガラスはあなたの使い魔だと伺った。北の魔女ヴェーヌ、あなたはなぜ王子を攫ったのだ」
ユリウスのポケットからふいに三羽の駒鳥が飛び出した。
チチッ チチチッ
飛び出した駒鳥は、ジールに何か伝えたいように、ジールの前で囀った。
「おい、お前達…」
ヴェーヌは三羽の駒鳥を諌めようとしたが、ユリウスとルゼには三羽の駒鳥の言葉が通じたようだった。
「この三羽の駒鳥が言うには、陛下はルディウス王子に無関心でしたし、乳母があやしても王子が泣き止まないのは分かっていたので、保護して育てるつもりだったそうです」
ユリウスが駒鳥の言葉を代弁した。ルゼもユリウスの言葉を聞きながらうなずく。
「わたしが?ルディウスに無関心?」
「ルディウス王子を抱いたことはあるか?」
ヴェーヌが問うとジールは押し黙った。兄王の妃がルディウス王子を出産した半年前は、兄の子とはいえ次代の王を抱くなど考えたことがなかったし、兄王と妃が急逝してこの一カ月、日々の政務に追われてルディウス王子を見舞ったことはただの一度もなかった。
「もし、目の前の赤子が取り替えられていても気付かないのではないか?」
隣にダンが居れば「無礼な!」と憤るところだが、ジールはヴェーヌの言葉を否定することも出来なかった。
「陛下、恐れながら申し上げます」
ルゼがジールを真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「ルディウス殿下を、どうかお抱きになってくださいませ」
ルゼは、自分の両の腕に抱かれたルディウス王子をジールの前に差し出した。
ジールは躊躇いながらルディウス王子を受け取った。ルディウス王子は誰が抱いても泣く赤子だと城中の者が口を揃えて言っていたのに、ジールが抱くとじっとジールの顔を眺め、それからにこにこと笑った。
「あら、ご機嫌ですわ。嬉しいですね」
ルゼに言われて、ジールは少し気恥ずかしい気持ちがしたが、満更でもなかった。
「今まで、放っておいてすまなかった。時々はこうして抱くとしよう」
抱いたものの、その先どうしていいか分からないジールは、ルディウス王子をそっとルゼの腕に戻した。
「とりわけ、何もしなくてよろしいのです。赤子はただ、肌が触れていれば安心するのものなのですよ」
「ああ」
ルゼの言葉に、ジールは噛み締めるように頷いた。
「それで、ジール王はどうする?ルディウス王子の新しい乳母にルゼを採用するか?でなければ、わたしが攫っていくよ」
ヴェーヌがにやりと笑った。
「ルゼ嬢、君さえよければ、王城の女中ではなくルディウス王子の乳母として迎え入れたい。どうだろうか」
「謹んで拝命致します」
ルゼのにこやかな返答にジールはほっとした様子だ。
「そうするとやはり、ホワイエ領の問題が残るな」
ジールの呟きをヴェーヌが拾う。
「そこは、ユリウスに押しつければいいさ。ルゼも侯爵令嬢の方が王城勤めに有利だろう」
ユリウスがヴェーヌを見つめる。
「なっ…何だ?」
ヴェーヌは、狼狽える自分を取り繕うのに必死だ。
「ホワイエ領を継ぐと、北に住むヴェーヌとは会えなくなるじゃないか」
「そ、そ、そんなことは知らん!わたしは、ルディウス王子の子守さえ決まればいいんだ」
ユリウスの甘い言葉に耐えかね、馬車の中で急に立ち上がったヴェーヌは姿を眩まそうと魔法を発動した。
「ヴェーヌ!」
ヴェーヌの名を叫んだのはユリウスだったが、彼女の腕をとっさに掴んだのはジールだった。
ジール王はヴェーヌと共に馬車から消え失せ、車中にはルディウス王子を抱いたルゼとユリウスが残された。
「父さん、どうしますか?」
あまり驚いた様子もないルゼが、ヴェーヌに逃げられたショックを隠せない父ユリウスに尋ねた。
「暫くすればヴェーヌがジール王を送り届けてくれるだろう。ダンへの言い訳が必要だな」
ユリウスは、長い前髪をかき上げながら、彼には似合わない大きなため息を一つついて、馬車を並走するダンに、窓から合図を送った。




