06 馬車の中
明くる朝、西の湖の畔の小さな家の前に、村の人々が集まっていた。ルゼの出立を皆が見送りに来たのだ。小さな家の小さな庭に三十人程の人々がわらわらと集まっている。
「あの可愛かったルゼちゃんがなぁ」
「あら、ルゼは今でも可愛いじゃないさ」
「いやいや、今じゃすっかり別嬪さんになったよ」
「可愛いと別嬪とどう違うんだい?」
「別嬪は別嬪さ。きっとお城に上がったら王子様に見初められて未来のお妃様になるに違いないさ」
噂の王子様はルゼを見初めたかどうかはともかく、ルゼの腕に抱かれてきゃっきゃきゃっきゃとご機嫌だった。
「みなさん、おはようございます」
ルディウス王子を抱いたルゼが、玄関を開けて姿を現した。
「おおっ。どうしたんだい、その赤ちゃんは?」
「ルゼちゃんの子かい?」
「まさか、ルゼちゃんのお腹が大きかったことなんかないじゃないか」
皆、口々に好き勝手言うが目の前に赤ちゃんがいるとなると、抱っこしようとしたり、泣いてもいないのにあやそうとしたりで、口を挟み、手が伸び、騒々しい。後ろに控えていた近衛騎士が慌てて前に出ようとしたところを、ユリウスが軽く制し、ルゼはさりげなくついと一歩下がり、村人と王子との距離を取った。
「この赤ちゃんは、訳あって今日、一緒に王都に行くことになったんです。可愛いでしょう」
ルゼが優しい声で嬉しそうに言うと、皆、うんうんとうなづいてそれ以上は王子に手を出す者はいなかった。
「ルゼちゃん、元気でね」
「休みには顔見せに来て」
「いつでも、帰っておいで」
「ルゼちゃ〜ん!好きだ〜!行かないでくれ〜!」
泣く者、笑う者、皆ルゼを案じていた。
ルークが操る馬車が来た。小振りだが屋根付きの馬車だ。ルークがルゼの荷物を玄関奥から運び出し、馬車の座席下に押込む。いよいよ出立だ。
「サッシャさん、先にどうぞ」
ルゼがサッシャを促すがサッシャはその場を動かない。
「ユリウス様」
サッシャはユリウスを振り返る。
ルゼは気を利かせて、王子を抱いたまま先に馬車に乗り込んだ。続いて王の護衛騎士フランツが王子の護衛として乗り込む。ジール王とライアンは先に出発し、途中で馬車と合流する手筈だ。近衛隊長のダンは馬車と並走し安全を守るため、既に馬車の横で馬に跨り待っている。
サッシャはユリウスに言葉を掛けていたが、急に腕を回してユリウスを抱きしめた。
「きゃー!!」
あちこちから叫び声が上がる。
「ちょっと、あんた⁈」
「ユリウスから離れなさいよ!」
「何してんだい」
「ダメよ!ユリウスに抱きついたらダメだってば!」
西の湖の畔の小さな家の庭は騒然となった。
何しろ、ユリウスはこの湖の畔の村で皆が崇拝する存在だ。しかし、村に来た時には妻がいて、妻が亡くなっても娘のルゼが側にいた。村の女性達の誰もが憧れていたが、手を出してはいけないという暗黙の了解があったのだ。
ルゼは騒ぎを聞いて馬車から降りようとした。
「フランツさん、ルディウス様をお願いします」
護衛騎士のフランツは赤ん坊など抱いたことがなく、驚いておたおたするが、ルゼは構わずルディウス王子をフランツの腕にのせた。
「ルゼさん!ちょっと待って下さい!」
ルゼはフランツににこりと微笑んで馬車の扉のステップを降りた。
その途端、弾けるようにルディウス王子は大きな声で泣き始めた。同時にフランツが叫ぶ。
「何者だ!」
ルディウス王子の泣き声とフランツの叫び声を聞き、ユリウスは自分の背中にまわされたサッシャの腕をするりと解き、ルゼと入れ替わりに馬車に乗り込んだ。
狭い馬車の中、フランツは身動き出来ず冷や汗を垂らしていた。腕の中にルディウス王子はいない。
フランツの向かい側、先程までルゼが座っていた席に、黒い髪、黒いローブを纏った小柄な女がルディウス王子を腕に抱いていた。
「ああ、心配しなくて大丈夫だよ。安心してお休み」
女が体を揺らしながら腕に抱いた王子に声を掛けると、王子は泣くのをやめ、ゆっくりとその瞼を閉じた。
ルディウス王子が眠ったのを見届けると、女は視線をユリウスに移した。
「久しぶりだね。ヴェーヌ」
ユリウスが静かに声を発した。
ルディウス王子を腕に抱いた北の魔女ヴェーヌは、ただただ込み上げる懐かしさと愛しさを隠して、頷いた。
「ああ、久しぶりだね。ユリウス」
応えながら、ヴェーヌは腕に抱いたルディウス王子ごと魔法で姿を消そうとした。しかし、ユリウスの腕が伸びる方が早く、ヴェーヌを腕に抱いた王子ごとその両の腕で捕まえた。
「ひゃあ!」
顔を真っ赤にしてヴェーヌが叫んだ。
「行かないでくれ、ヴェーヌ。やっと会えたんだから。十七年ぶりだ。大きくなったね」
「離せ!離せ!はーなーせー!!!」
ヴェーヌは取り乱し、魔法を使うことも出来ず、ただ大声で叫ぶしか出来ない。ユリウスの腕に力がこもる。
一方、馬車の外ではユリウスを追いかけようとしたサッシャを村の女達が取り押さえ、ルゼは馬車の中から聞こえる見知らぬ女の声に反応し、馬車の中を覗き込んだ。
すると、ユリウスが見知らぬ女性を抱きしめている。
ルゼにも妻であった母にも、おはようやおやすみのハグもキスもしなかったユリウスが、見たこともない嬉しそうな表情で女性を抱きしめている。
ルゼは馬車の扉を開いて中に入り、急いで扉を閉めたかと思うと、立ったまま抱きしめられているヴェーヌの後方の椅子の端に腰掛けた。
「ルーク、馬車を出して!お願い!」
そして、馬車の扉の窓から、村の皆に向かって挨拶した。
「みんな、ありがとう。休暇には必ず帰るわ。後で迎えの馬車を寄越すからそれまでサッシャ様をよろしく!」
「サッシャさんのことは任せておきな」
「ルゼちゃん、元気で!」
「無理しないでね。何かあったらお便りちょうだい」
「ルゼちゃ〜〜ん!愛してるよぉぉぉ〜〜」
見送る村人達の声を受けながら、馬車は王城のある王都に向かって進み始めた。村の女達に押さえられたサッシャがすがるような声でユリウスの名を叫んだ。
「ユリウスさまぁぁ〜〜」
「あんた、何言ってんの」
「馴れ馴れしい!」
「ユリウスはね、貴族の奥様が気まぐれに手を出していい相手じゃないんだよ」
馬車は村を離れ、村の女達の声も遠ざかっていった。




