05 北の魔女、憤る!
西の湖の畔では、ユリウスが大ガラスに拐かされた乳母サッシャと赤子のルディウス王子を助けた。近所に住むルークが大漁の魚を釣り上げて、それをユリウスの娘のルゼが美味しく調理した。乳母と王子を探していたジール王が近衛騎士団長ダンと護衛のライアンとフランツを連れて突然西の湖の畔の家に来訪した。
そうして揃った皆は、明日は王城へ出仕するルゼを祝いその夜は賑やかな晩餐となった。
そんなユリウス達の楽しそうな晩餐の様子を魔法の鏡を覗きこみ見ているのは、小さなアウフ王国の北の端っこの寂しい屋敷に使い魔達と共に住んでいる魔女ヴェーヌだ。
「全く、何でユリウスに邪魔されなきゃなんないんだ!」
大ガラスの帰りが遅いのを訝ったヴェーヌが、魔法の鏡でルディウス王子の居場所を映し出すと、そこはユリウスの住む小さな家だった。手に入れたいと欲した赤子はユリウスの家のゆりかごですやすやと眠っている。ヴェーヌは、歯をギリギリと鳴らし悔しがった。
「大体、あいつらどこ行った?」
ヴェーヌの言う「あいつら」とは、自分の使い魔である大ガラス達のことである。
「しくじったって、とにかく戻ってこいよ!」
大ガラス達に聞こえるわけもなく、ヴェーヌは、自分の屋敷で駄々っ子のように腕を振り上げ一人怒鳴る。ふと魔法の鏡の中に映し出された駒鳥が三羽、ユリウスの周りをパタパタと飛び回る姿を見つけた。ユリウスの肩に止まったり、楽し気にさえずったりしている。
「ウーヌス!ドゥオ!トリア!」
ヴェーヌは、自分に忠誠を誓っているはずの三羽の使い魔の名を叫んだ。今、魔法の鏡に映っている小さな三羽の駒鳥は、ヴェーヌの使い魔の三羽の大ガラスの落ちぶれた姿に間違いない。鏡越しだというのに、主人に名を叫ばれた力無い三羽の使い魔は、ユリウスの頭上を不安げにパタパタと飛び回った。
ヴェーヌが怒りに震えて魔法の鏡を覗き込んでいると、鏡越しだというのにユリウスの視線がヴェーヌを捉えた。ユリウスは暫く、遠くにある者の姿を確認するようにじっと視線を動かさずにいたが、ふっと力を抜き鏡越しのヴェーヌに向かって優しい笑顔をつくった。
ユリウスとヴェーヌの視線が、鏡越しだというのにしっかりと重なる。
ヴェーヌの頬はみるみる紅潮した。
ユリウスに最後に会ったのは、いつだったろうか。あれは、緑豊かなホワイエ領で、ユリウスは愛する女を連れていた。女は身籠っていて、ユリウスはお腹の子どもが一人立ちするまで身を隠すと言った。女は、ユリウスの妻として傍らに立ち、ユリウスに頼り切っているというのに、少し悲しそうな表情をしていた。
もっと幸せそうにしてくれたら、ヴェーヌも祝福の言葉を掛けたろうに。自分がもっと大人だったなら、あんな女にユリウスを渡さなかったのに…あれから十七年が過ぎた。ユリウスの子どもは、一人立ちしたのだろうか。ヴェーヌは過去を振り払うよう頭を振ってユリウスを睨みつけた。
「ユーリーウース!お前は!……」
ヴェーヌはユリウスに悪態をつきたかったが、その美しい笑顔を向けられ、顔は真っ赤になり、悔しいのか、恥ずかしいのか、はたまたユリウスと久しぶりに視線を交わしたことが嬉しいのか、いや、嬉しいなんてあるわけがない!と認めたくない自分の気持ちとグチャグチャに混乱し、魔法の鏡を力一杯叩き壊してしまった。
「あら、ヴェーヌ様、魔法の鏡を壊してしまわれたのですか?あら、あら、あら」
ヴェーヌの下に残った唯一の使い魔マルスが、夕食を盆に載せてヴェーヌの部屋に入って来た。ヴェーヌは何をするにも私室にこもってするので、食事も自然、マルスが私室に運ぶようになった。
マルスは、夕食を載せた盆をかろうじて隙間のあるサイドテーブルにそのままぐいと差し込むように置いた。夕食はパンとスープだけの質素なものだ。
フライにムニエル、カルパッチョ、アクアパッツアと様々な魚料理が並んでいた先程のユリウス家の食卓をヴェーヌは思い返して無性に腹が立ってきた。悔しさが溢れるようにヴェーヌの目から涙が溢れて陶器のように滑らかな肌を伝う。
「わたしは一人だっていうのに、ユリウスはいつもいつも人に囲まれて……」
小さく呟く主人の声を聞き漏らさずに、マルスは魔法の鏡の欠片を拾いながら執りなす。
「わたくしの可愛いご主人様は、四匹の使い魔を従えて、この北の森では動物たちの人気者ではないですか。もしもご主人様がそれでも足りぬと申しますならば、ここから一番近い北の街へ出てみれば、たちまち街に住む人々の人気者になること請け合いますわ」
「そうじゃない!わたしは……!」
マルスの言葉にヴェーヌが左右に首を振って否定すると、美しい黒い髪が一緒にばさばさと左右に揺れ乱れた。
「お前の戯言など聞きたくない!」
ヴェーヌは、小さな子供のように思わず出た涙とマルスの主人を讃える言葉への羞恥の念に耐えかねて、サイドテーブルに置かれたパンとスープにおもむろに食らいついた。
マルスの作る料理は質素だが美味い。ふわふわで微かな甘みのあるパンと、具は玉ねぎとじゃがいもと人参だけだが、一体何で味付けているのか深みのある味わいのスープを全て平らげ、気を取り直したヴェーヌは口の中が空になると同時に叫んだ。
「決めた!わたし自らが王子を奪いに行くぞ!」
ヴェーヌの言葉に、マルスの手にあった鏡の破片が床に落ちる。
「お嬢様!ヴェーヌお嬢様!?」
「お嬢様はやめろといつも言ってるだろう!」
慌てるマルスをよそに、ヴェーヌはぶつぶつと呟きながら計画を立てはじめた。
「ヴェーヌ様、あのウーヌスとドゥオとトリアが遣いに出されて戻って来れなかったのですよ。きっと、西の湖の辺りには守護の魔法か魔力を害する何かがあります。ヴェーヌ様の身に何かあれば……」
「あそこにいるのは、ずっと行方知れずだったユリウスだ。丁度いい。王子を奪うついでにユリウスに挨拶するさ」
すっかり気を持ち直したヴェーヌは、心配するマルスをよそに、西の湖行きに心が浮き立っていた。ただユリウスに会いたいだけの本心に、本人は気付いていないのだが、もしもマルスがそれを指摘すれば、ただそれを否定するだけでは済まないだろう。面倒な主人の恋心に、マルスはそっとため息をついた。




