11 ホワイエ侯爵家の肖像
ヴェーヌがガチャリと扉を開けると、そこは埃っぽいものの、以前と同じ形に整えられて遺されたユリウスの部屋だった。
小さかったヴェーヌは、何度もここに足を運んだ。時にはベッドに跳び乗りユリウスを叩き起こした。ユリウスはどんな時も楽しそうに笑っていた。
「おはよう、ヴェーヌ。朝からヴェーヌの顔が見られるなんて、嬉しいよ」
そう言って笑った。
六歳の頃には既にヴェーヌは魔法の才を現していて、魔法を一つ会得する度にユリウスに披露していた。
「えっへん」
偉そうに仁王立ちになり、小さな炎や小さな風を起こして見せた。
「ああ、凄いね!ヴェーヌは天才だ。こんなに凄い魔法が使えるなんて。頑張ったんだね」
ユリウスは、本当に嬉しそうに笑った。
「出来て当たり前」「そんな、小さな魔法で偉そうにするな」魔法使いの家系に生まれ、うんと年上の兄達やその息子達の言葉に傷付いたヴェーヌにとってユリウスは心の支えだった。
小さなヴェーヌの自覚のない初恋。それがユリウスだった。
ヴェーヌは、祖父と言ってもおかしくない高齢の父の口調を真似ていたため、男のような物言いをしたが、ユリウスはヴェーヌが何を言っても嬉しそうにしていた。
そして、別れを告げる時も「寂しい」と言いながら笑顔を崩さなかった。
別れを告げられたのは、ヴェーヌが八歳、ユリウスが十七歳の時だった。ユリウスは少し歳上の身重の女性を連れていた。女性の、今にも産まれそうな大きなお腹にヴェーヌは納得するしかなかった。
「娘が一人立ちするまでは、家族三人でひっそりと暮らすよ。ヴェーヌに会えなくなるのは寂しいけど、元気で。必ずまた会おう」
まだ産まれてもいないお腹の子をユリウスは「娘」と言った。その確信は何だったのだろう。
言いながら、ユリウスはヴェーヌが大嫌いな作り笑いを顔に貼り付けていた。ヴェーヌはそんなユリウスの笑顔をただただ見つめるしかなかった。
ユリウスの横に立った女は、悲しげな顔をしていた。先のことを考えると不安だったのだろうか。
「ヴェーヌ殿」
思い出に心を奪われ、扉を開けたまま先に進まないヴェーヌにジールが呼びかけた。
「ああ、すまない」
懐かしい部屋にヴェーヌは足を踏み入れた。ヴェーヌは、懐かしい記憶に心が持っていかれそうになるのを振り払った。
「直に馬車が来るだろうが、話を合わせるためにもホワイエ家の肖像画を見ておくか?」
「ヴェーヌ殿はこの屋敷に詳しいのだな」
「ああ、わたしはホワイエ侯爵家に一時期預けられたこともあって、家に戻ってからも毎日入り浸っていたからな」
王家の信も厚いホワイエ侯爵家と懇意にしていた家となると、もしや王家とも関わりがあるか。ジールは、ヴェーヌに見覚えがあるように思ったことを思い返したが、パルフェという名に聞き覚えはない。
ヴェーヌはすたすたとユリウスの部屋を出て、屋敷の玄関ホールに向かった。玄関ホールの中央には二階に上がる階段があり、途中の踊り場で左右に分かれている。その踊り場正面の壁には、ホワイエ侯爵家を誇示するように侯爵一家が揃った見事な肖像画が掛けられていた。
侯爵を中心に左手に夫人、夫人の隣に夫人に面差しの似た長女、右手にはユリウスの兄二人とユリウスが描かれている。
描かれたのは、長兄二十五歳、次兄二十歳、姉は十七歳、ユリウスが十六歳の頃だ。両親と長兄はユリウスが駆け落ちした二年後に流行り病で亡くなったが、次兄はユリウスが駆け落ちする半年前に落馬事故で亡くなった。ユリウスの姉はその後、留学に来ていた他国の王子に見初められ海を渡って嫁いでしまった。もう戻ることはないだろう。
それにしても美しい家族だ。皆、整った顔立ちをしている。こうして並ぶと二人の兄が若干平凡に感じられるのは、隣りにユリウスがいるせいだろう。兄だけで見れば十分整った顔立ちである。
ジールはホワイエ侯爵家の肖像画を正面から眺めた。
「凄いな」
国の統治者には統率する力や武力が必要だが、人を惹きつけるカリスマ性は最も重要だ。美しさもやはり人を惹きつける武器だ。ホワイエ侯爵家の娘がジール王と年頃が近ければ必ず婚約者候補として名が挙がったことだろう。
ジールはヴェーヌの少し右手後側に立ち肖像画を眺めた。ヴェーヌは無言で肖像画を見ている。
家族六人が並ぶ肖像画の中でも、父は威厳があり、母は美しくたおやかだが、ユリウスは一際美しく描かれている。そして、その美しさは十八年経った現在のユリウスより物足りないのだ。今のユリウスが更に美しくなったのか、それとも肖像画家の画力の限界なのか、それは過去のユリウスを知らないジールには分からない。
ヴェーヌはどうだろうか。十八年前の記憶の中のユリウスと肖像画のユリウスと、現在のユリウスを比べてどう感じているのだろうか。
「ああ、癪に障るな」
いらいらしたヴェーヌの様子にジールがたじろぐ。
「ユリウスの、この取り繕った作り笑い。こんなものを描き残して何になるんだ」
丁度、ヴェーヌが肖像画の文句を口にしたとき、小さな駒鳥が三羽、ヴェーヌの前に羽ばたいてきた。
「ヴェーヌさまぁ!」
「ちゃんとユリウス様に言伝したよ」
「これでお勤め終わりだよね」
ヴェーヌの使い魔、ウーヌスとドゥオ、トリアだ。
三羽の使い魔はヴェーヌに甘えるように、ヴェーヌの周りをチチチとさえずりながら飛び回る。
苦々しいヴェーヌの気持ちが一瞬で萎んだ
「ああ、ああ、ご苦労さん。休んでいいよ」
ヴェーヌがケープの前を少し開くと、三羽は次々にケープの中に消えて行った。
三羽が来たということは、ユリウスとルゼ、王子を乗せた馬車がホワイエ侯爵邸に着いたということだ。
「ああ、ヴェーヌはわたしのリラックスした表情が好きなのかな。嬉しいよ」
気付かぬうちに邸内に入ってきていたユリウスが、玄関ホールに立ち、先程、ヴェーヌの言った文句に応えた。
ヴェーヌはユリウスの方に一瞬目をやったが、すぐに顔を背けて俯いた。その顔はみるみる真っ赤になった。ヴェーヌは、苦し紛れにジールに早口で話し掛ける。
「陛下、迎えが来た。馬車に乗り、王城に向かってくれ。王城に着いたらユリウスの侯爵家後継の承認を早急に行い、ルゼは侯爵家令嬢として王子の乳母に任命してくれ。部屋や給金は相応の物を用意しろ。もともと用意している下女の待遇では駄目だ。頼んだぞ」
ヴェーヌは、一気に用件を述べて、そのままジールの背を押して馬車に向かわせようとした。
「ヴェーヌ殿は王城に行かないのか?」
ジールはこのままヴェーヌと別れることに躊躇いを感じた。
「わたしはここまでだ。北の屋敷に帰る」
「ヴェーヌもおいで」
ユリウスがヴェーヌの腕を掴んだ。
「侯爵家の後継としての承認には、ヴェーヌの証言が要るよ」
ヴェーヌはむっとした表情でユリウスを睨みつけたが、ユリウスに腕を掴まれたために羞恥で顔が染まり、腕をふりほどいた。
その時、開け放たれた玄関から女性の嬉しそうな朗らかな声が邸内に響いた。




