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月光・・・いつだって私たちはその優しさに気づかない⑤

 チュッパチャップスを口にくわえ、自分の部屋の前に立つとドアポケットに茶色い封書が挟まっているのに気がついた。区役所からのものだった。


 いつもの習慣で部屋に入るなり早速開ける。

 健康保険の納付書の束だった。

 納付書は何枚かに分かれていたが、一回の請求額はなんと4万弱。


 なんでこんなに高いんだ?


 会社員時代は半分を会社が負担してくれていたから、とすぐに合点がいったけど、それにしてもこの金額はあんまりだ。

 私の一か月分の食費じゃないか。


 ヒュルヒュルと気持ちが萎んでいくのを感じた。

 さっきの状態まで気持ちが戻るのに2日は要するだろう。


 落ちた気持ちで敷きっぱなしだった布団にゴロンと横になる。


 長い時間冷やされたタオルケットの感触が気持ちいい。

 しかし、やっぱり冷房切って出たらよかったな、とすぐに後悔する。

 これからはもっと節約しなくちゃな・・・・と思う。


 退職したばかりの頃は、できるだけ貯金を減らしたくなくて、アルバイトをかけもちしようとした。

 夜はネットで仕事ができないかと捜したりもした。

 しかし、どれもうまくいかなかった。


 ずっと眩暈とか吐き気があって体調が悪いし、まるで厄がついたみたいにあちこちで失敗をした。

 学生時代には楽しく感じられた販売やウエイトレスの仕事も面倒に思うだけだった。

 ミスが重なると最初は好意的だったアルバイト先の空気が徐々に変わっていくのを感じた。

「もう限界」と思うまで時間はかからなかった。

 ここ半年、そんな風にして様々なアルバイトを始めてはすぐに辞めた。


 当然お金は稼げない。

 そして貯金が減る一方、という状態は精神的にもきつかった。


 しかし私は考えた。

 私はそれほど体が弱い方ではないから、もうすぐちゃんと働いてお金を稼げるようになるかもしれない。(占いだって信じないタイプのくせに)今は厄がついてダメだけど、時間が経ったらうまくいくようになるはず。


 だから今は食費だけ稼ぐことを考えよう。3日に1回スーパーに行くだけだからそれほどお金はかからないはず。

 そのほかにかかるお金は貯金から出しても良いことにしよう。


 そんなふうにして気持ちのバランスを取った。

 そしてストレスのかからない工場の単純作業やホテルの洗い場などの仕事を単発で捜した。



 常に節約をするのももちろんのことだった。

 美容液とトイレットペーパーの質こそ落とせなかったけど、そのほかはできる限りの節約をした。

 新しい洋服を買うなんてもってのほかだ。

 それでうまくいくはずだった。


 なのにこんな落とし穴があるなんて。


 健康保険の納付書の束がうらめしかった。

 雀の涙しかお金を得ることができなくて、こんなにも節約しているのにこんな大金を払わなくていけないなんて・・・それに体調はときどき悪くなるけど、私はほとんど病院になんか行かないのだ。

 誰かに叫びたい気持ちだった。


 20代のほとんどを仕事に打ち込んだ挙句にフリーター。

 節約に苦心した挙句に1か月の食費よりも高い健康保険の請求。


 努力が無になるときほど、たぶん何もしなかったときの2倍は辛い。


 辛いなー。


 しかし、ほんともう笑うしかない。

 笑ってみたがうまくいかなかった。


 寝ていても気が滅入る一方だったので、起き上がりカーテンを開ける。

 午後の夏の日差しは相変わらず強かったけど、もうそれは夏のピークを過ぎたことを感じさせる。

 窓から差し込む光が長さを伸ばしているのに気がつく。

 一時はぜんぜん部屋に入ってこなかったのに。


 窓のすぐ下は駐車場、そしてむこうはクリーム色の外壁のビルだ。

 蔦が下の草むらから2本だけ壁に伝うように上に伸びている。

 その葉っぱが赤く染まるのももうすぐかもしれない。


 その頃私はどうなっているのだろう、と思ったけどすぐに考えるのを止めた。

 

 台所へ行って冷蔵庫から水を出して飲んだ。

「熱中症予防のために喉が渇いてなくても水を飲んでください」

 テレビのアナウンサーはまだ連日こう訴えている。

 私は素直にそれに従う。


 クラッと立ち眩みがする。

 

 この体調の悪さはきっと精神的な不安かもしれないと思う。


 私は幼いころからなかなか寝付けない子供だった。

 家族の誰もそんな人はおらず、訴えても相手にしてくれなかった。

 そしてなかなか起きない、と怒られるだけ。


 中学生になってから寝れないことは少なくなったけど、よく貧血で倒れるようになった。


 それでも特別体が弱いわけじゃない、と自分では思う。

 現に編集者時代は3日貫徹なんていうのもやったのだから。

 大学生のときも飲んだ翌日にそのままアルバイトしても大丈夫だった。


 でも、私はどこかみんなとは違う。

 と気がついていた。


 それがだんだん症状として現れるようになったのは働き始めてからだった。


 子供の頃は一番好きだった5月。若葉が萌える季節になると決まって調子が悪くなった。

 無気力で集中できなくなり、仕事が手につかなくなった。下痢と吐き気も続く。そして、暑さも和らぐ9月に同じような症状が現れる。


 そのピーク時には会社に行くこともできなくなり、3日ぐらい布団の中で過ごすことになる。

 食料と本を買い込んで巣ごもりに入るのだった。


 それを許してくれた社長と会社のみんなには感謝しかない。

「いいよいいよ、誰にだって弱いとこあるから」

 5月と9月にテンション低すぎの症状が出る人なんて100人に1人もいないだろう。

 なのに、花粉症もっている人多いよね、ぐらいのノリで許してくれた。

 

 編集が10人しかいない小さな会社だったけど、本当にみんないい人ばかりだった。

 「もう死ぬかも」と思うようなきついことが何度もあって、仕事に感謝しつつも、同年代の女性はもっと楽しくやっている気もして、何で私ばかりこんなはめに、なんて思わないこともなかったけど、今思うと幸せだったのかなと思う。


 幸せはいつだってその時にはわからない。


 人間をそんなふうに作った神様はちょっと意地悪かもしれない。




 


 

 



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