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月光・・・いつだって私たちはその優しさに気づかない③

 じっとりと体が汗ばむ不快感で目を覚ました。

 遮光のカーテンの隙間から入る光は十分に強さを増している。


 昭和に建てられた木造のアパートは熱気がこもり息苦しいほどだ。


 やばい、睡眠薬でも飲んで寝てたら熱中症で死んでいるところだった。

 よく寝た感はあるけど、よくこんな暑い中寝ていられたもんだ、と我ながら感心し、小さな冷蔵庫から麦茶を出してコップ一杯飲む。

 そしてクーラーをつけ、またタオルケットの中にもぐりこむ。


 時計は見ない。

 どうせ今日は予定がない。

 アルバイトは週3日しか行かないから、何も予定がない日が多い。


 だんだんとはっきりしてくる頭で昨夜のことを思い出してみる。

 

 偶然駅で再会した和彦と居酒屋でビールをしこたま飲んだ。

 なんとか終電に間に合い、二人で歩いていろんなことを話した。と言っても一方的に私が話す愚痴みたいなものだったけど。

 ほとんど遊びもせず、20代の本の編集の仕事に打ち込んだのに会社が倒産して今はフリーター。

「ほんと空っぽなんだよね」

 私の何度も言うこんなセリフを和彦は黙って聞いていてくれた。


「あっ!」

 そこで叫び声をあげた。

  

 何と和彦とline交換さえしなかったことに今気がついた。

 確か留学の予定は5年の予定だったから携帯も解約したかもしれないし、このアパートだって少しでも節約するためにワンルームマンションから引っ越したばかりだった。

 前みたいにハガキを送ってもらっても届かないだろう。

 なんか全部を整理したくて郵便物の転送手続きもしていなかった。


 金曜日の駅の雑踏の中で会えたのは奇跡みたいで、もしかして運命?なんて思わないでもなかったけど、まぁ、しょせん私たちはそれだけの関係だったかもしれない、と思ってみたりもする。


 和彦が言っていたホテルに問い合わせてみる?

 と気がつくが、そうしたところでどうなる?とすぐに思い直した。


 私は29歳のちゃんとした仕事も友人もないフリー ターで、一方和彦は国の費用で留学できるような秀才で将来も約束されている。

 これからの二人の道に交わるところはどこもない。


 確かにゆうべは懐かしくて美味しくビールを飲んで、おかげで久しぶりにいい夢を見て熟睡できたけど、それまでだ。

 殺伐とした半年のフリーター生活に神様が一夜限りのご褒美をくれた、そう思うことにしよう。

 ご褒美をもらえるようないいことは何もしてないんだけどね。


 そう自分に決着をつけたところで時計を見た。

 10時。さすがに起きなければならない。


 そうだ、大通りのカフェに行ってサンドウィッチとアイスコーヒーを頼もう。

豆をなんとかという島から直輸入しているというその店のコーヒーはホットでもアイスでも抜群に美味しい。

 サンドウィッチもパンも具材も新鮮で最高だった。店の雰囲気もシックでいい。

 両方で1000円超えるけど、まあいいか。そのくらいの価値がある店のクオリティだ。

 これも和彦に感謝だ。

 和彦が昨夜の飲み代を全部出してくれなかったらとても行く気にはなれなかったろう。


 私はモソモソと起き上がり、コンタクトではなく眼鏡をかけ、髪を一つに結わえ、Tシャツとジーンズのスカートという休日の格好に、サンダルをひっかけ、携帯と財布だけ持って部屋を出る。


 玄関の鏡でさっと顔を見る。

 目頭の辺りを確認して、また鏡を見る。

 顔を洗わなくてもバレないか。

 どうせ私を気にしている人なんて誰もいないのだ。


 と、思い直して日焼け止めクリームだけつけに部屋の奥に戻る。

 冷房はつけたままにしておいた。


 3畳と6畳にキッチン、それにトイレとシャワーがついただけの古いアパート。

 カーテンが引いたままの薄暗い部屋、引きっぱなしの布団。

 そんな部屋を振り返る。


 贅沢とはいえない、というか質素過ぎる部屋だけど、ここは私を決して傷つけることのない空間だ。  できたらこの中で繭の中の蚕のようにずっと暮らしたい。


 でもそれはかなわない夢だ。

 誰も生活費をくれるわけではないからいずれちゃんと自分で稼がなくてはならない。


 だから体を怠けさせ過ぎてはいけないし、体調ももっと整えなくてはいけない。

 だから私は1日1回は外に出てできるだけ歩き、スーパーでピーマンやホウレンソウを買ってくるの  だ。でもそういうこともすべて無駄と思えることがある。

 

 先週も、雨の日の電車の車内で気分が悪くなり途中下車した。

 体調に気を使っているのに何故私はダメなんだ?

 私の何倍も不摂生をしている人たちが毎日元気に生活しているような気がする。


 世の中は本当に不公平だ。

 でも私は食事に気をつけ、少しの運動を続けるkとを止めるわけにはいかない・・・・


 外に出ると夏の勢いを思い切り残した光が当たり一面照りつけていた。

 日傘を忘れたことに気がつくが、取りに帰るのも面倒だ。


 手すりにさわらないように、さび付いた鉄の階段を降り切ったところで下の階に住む小雪ちゃんと会った。

 21歳で小柄な小雪ちゃんはキャバ嬢だ。

 化粧を落としてもしているかのように見える顔は、幼さを残しつつどこか色っぽい。

 胸だってうらやましいほど大きい。


 目がくりっとしてあいさつもきちんとするいい子だなと思っていたけど、名前ぐらいしか知らなくて、すれ違うと会釈するぐらいの関係だ。


 そんな小雪ちゃんが今日は珍しく話しかけてきた。

「エマさん、今日は仕事ですか?」

「ううん、ちょっと”星の木”までコーヒーでも飲みに行こうかと思って」

「なんなら私の部屋にどうですか?」

 ろくに話したこともない小雪ちゃんに部屋に誘われたことで少し面食う。

 正直冷房のよく聞いた”星の木”に未練があった。


「実は私、警察の帰りなんですよ」

 さらりと小雪ちゃんは言った口調は、今コンビニに行ってきたんですよ、みたいな軽いノリだった。


 けいさつ?


 私はこれまでの生活には無縁で、願わくばこれからもかかわりたくないその言葉を頭の中で繰り返した。

 もちろん小雪ちゃんとも結び付かない。


「げ、なんで?喧嘩に巻き込まれたとかそういうの?」

「いやいや単に空巣に入られただけですよ」


 だけって、それはりっぱに?犯罪に巻き込まれたってことになる。


「今どきの空巣ってすごいですよね、ちゃんと玄関のカギ閉めてたのに開けちゃうんだから」

 今どきの空巣かどうかはしらないけど、鍵穴に針金みたいなのを差し込んで開けてしまうことって本当にあるんだな、と私は妙なところで関心した。


「今日も暑くなりそうですよね。立ち話しもなんだし、まあどーぞどーぞ」

 そういうことなら、と小雪ちゃんの誘いに応じることにした。

 ”星の木”のコーヒーよりも、断然空巣の話への興味が勝る。


 小雪ちゃんの部屋はもちろん初めて入る。

 同じ間取りだが全然様子が違った。


 おそらく私の部屋よりは物が100倍は多くあると思われた。

 アニメの主人公のイラストのついたクッションや等身大に近い人形やそのほか様々なグッズがピンクを基調とした部屋に所狭しと並べられている。

天井にはミラーボールまであった。


「彼氏、どうしても泊まってくれないんですよね」

 小雪ちゃんは台所でジューズをコップに注ぎながらそう言った。

 そりゃそうだろう。


 小雪ちゃんの彼は一度見かけたことがあった。

 イケメンと言えなくもない顔で、雰囲気はホストかyoutuberといった30歳前後の男性だった。

 ジャラジャラしたアクセサリーと派手な上着は中国や韓国の芸能人を思わせた。


「そうそう、空巣ったらエマさんの部屋にも入ったんですって」

「え?」

 ぎょっとする。が、ぜんぜん気がつかなかった。


「でも何も取るものがなくてそのまま出てきたらしいですよ」


 小雪ちゃんは警察からの情報を無邪気にそのまま伝えただけだろう。

 しかし、私としては空巣に何も取る気にさせない部屋なんて・・・だいぶ恥ずかしい。

 でも納得ざるを得ない。


 高価なアクセサリーなんか全然ないし、本や古びた安い洋服やバックを持って行っても何の価値もないだろう。

 恥ずかしさを隠すように、私も小雪ちゃんのようにジュースを一気飲みする。

 

「小雪ちゃんは何か取られた?」

 礼儀上私はそう聞いてみた。

「彼氏がちょっとはアクセ、くれてたから、指輪とかブレスレットとかそういうもんですかね。でもそう高いもんじゃないし、ぜんぜん惜しくないんですよ」

「でも彼氏からのプレゼントでしょ」

「私の彼ってクズなんですよね」

 意外な言葉に私は何と言っていいかわからない。

「マサヒロって、一応私の彼なんですけ、私の他に女がいっぱいいて、法律ギリギリのことやっているみたいでお金はいっぱいあって、女にプレゼントするのが好きみたい。私にくれたものなんて覚えちゃいないですよ。頭と顔はそれなりなんですけどね。」


 言葉を失う。

 そして疲れそうな男だ、私なら絶対無理と思った。

 そんなタイプの男、むこうも相手にしなだろうけど。


「小雪ちゃん若くて可愛いんだから、もっとこう普通な男っていうか」

「ダメなんですよね。私の前でも他の女のとこ行くとか言って喧嘩になるけど、めちゃ優しいときもあって離れられないんですよ。最後は私のとこかも、なんて思うし」


 性格も良さそうなのにもったいない、という気もしたが私が言ってもどうなるもんでもない気がした。

 恋愛なんて頭と心がバラバラなものなのだろう。


 と上から目線で思っていたら、私も人のことを言えないと気づいた。


 私もどちらかというと品行方正で真面目な男性に魅力を感じるタイプではなかった。


 一瞬和彦の顔を思い出したがすぐに消えた。


 自分が成り上がると思った瞬間に目の奥でキラリと光るものがある男、まわりを蹴落としても這い上がっていくような男、学生時代、そんな男が好物だわーと友人に宣言したことがある。


 変わってるねー


 そんな友人たちの言葉を勲章のように捉えていたってけ。

 いずれにしても時間の余裕のあった学生時代の話だ。


「ところで小雪ちゃん実家は?」

「一応東京出身てことになるけど実家なんて特にないかな。よく預けられていたし」

 何でもないことのように小雪ちゃんは言う。


「お父さんて人が生まれたときからいなくて、お母さんもあちこち飲み屋で働いていたんだけど、私が預けられたのは仕事のためじゃなくて、男ができたとき。しばらくすると男との関係がダメになるから私を引き取るんだけど、また預けられる。その繰り返しだったなー」


 言葉を失うことの2回目だった。

 何か言ってあげたい気もしたけどやっぱり言葉が見つからない。


 本当は、そういう女の人っているよ。男の人がいないとダメな人って。でもお母さんはそうしないと生きてこられなかったんだと思うし、小雪ちゃんて可愛い名前つけるくらいだからお母さんは小雪ちゃんのこと好きだったんだと思う。


 本当はそんな風にいってあげたかった。

 でも、小雪ちゃんのお母さんのことを悪く言うような気がして口に出すことはできなかった。

 そっか、苦労したんだね、なんて上ありきたりの言葉も言いたくなかった。


 かわりに

「私は埼玉でさ、エマって名前、おじいちゃんがつけたんだ。本当は縁起がいいから絵馬って漢字使いたかったらしいけど、おばあちゃんが女の子ってすぐわかるようにってエマにしたらしい。おかしいよね」

 と関係のないことを言った。


「おかしー、それ」

 と小雪ちゃんも笑ってくれた。


 預けられたことについては深く聞いてはいけないような気がした。

 でもその先々で決していい思いはしなかったろう。


 小雪ちゃんの口調からは、私よりずっと若いのに、お父さんがいなかったことや、ときどき男の人が一番になってしまうお母さんのことや、それが原因で預けられたことの寂しさやそういうことを受け入れてしまっている小雪ちゃんの強さを感じた。


 過去を恨んでも仕方ない。

 それらはすべて起こってしまったことなんだ。


 小雪ちゃんの口調からはそんなものを感じた。

 

 それにしても・・・・

 生い立ちが不幸だとワルイ男を好きになる、幸せな人間関係を結べない、昔どこかで聞いたそんな言葉を思い出していた。


 そしてそれは自分自身にも当てはまる。

 

 


 




 


 


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