5.事情
魔王の部屋の中は、他の部屋とは違い、豪華な装飾が一切無く、質素で静かな空間だった。
子らに手伝ってはもらったが、トロッコから魔王を下ろすのに少し手間取った。ダイニングルームから近くて、魔王の寝室には一瞬でついたから、トロッコに乗せないで引きずっていった方が効率はよかったのか? いや、せっかく準備してくれたんだし、この方法でよかったよな。
魔王をベッドの上に乗せると、仰向けに寝かせた。そして布団をそっとかける。
「魔王、大丈夫かな?」
初等部の子が小さな声で俺に質問する。
「大丈夫だ、きっと。疲れてるからたくさん寝かせてやろうな」
「そうだね、魔王、またね」
会話をしながら部屋を出ようとした。
「わたち、魔王と寝たくなってきた」と、幼児チームの中で一番小さい子が半べそをかきだした。大声で泣きだしたら魔王が起きる……。とりあえず抱えて部屋の外に出るか?
「だけど、トイレに行きたくなったらひとりでいけないだろ?」
中等部の一番大きな子が小声で言った。
「うん、怖くていけない」
「そしたら、魔王を起こさないといけなくなるから、魔王ゆっくり眠れないぞ? いっぱい魔王を寝かせて、魔王が元気になったらみんなで一緒に寝るか?」
「うん! みんなで寝たい! そうする!」
半べそをかいてた子はなだめられると笑顔になり、俺は安堵した。眠っている魔王以外、魔王の寝室から出た。
その後は子らの寝る準備をする。入浴は食事前に全員済ませてあったらしいから、後は歯磨きをして寝かしつけるだけだ。歯磨きが終わると、中等部チームの三人は二階にあるそれぞれの部屋へ行った。初等部チームもそれぞれの部屋があるらしいのだが、最近はいつも三人同じ部屋で寝ているらしく、初等部メンバーのうちの、ひとりの部屋へ。残ったのは赤ん坊と幼児三人。
「執事、幼児と赤ん坊はどこで眠るんだ?」
俺は、執事に抱かれて眠っている赤ん坊を見る。
「普段は幼児の子供たちはわたくしと共に、赤ん坊はリュオン様の部屋で一緒に眠っております」
「じゃあ、俺が今日、赤ん坊と眠ればいいか?」
「でも、この子は数時間おきに起きるから勇者様のご負担になると思われます」
「いや、大丈夫だろ」
執事と話していると「勇者と寝たい!」と幼児たちがざわめいた。
「一緒に寝るか?」
「うん、寝たい!」
子らは、目を輝かせている。
「じゃあ俺が寝る部屋で、みんな一緒に寝るか? 執事、部屋まで案内を頼む」
「かしこまりました。では、勇者様に泊まっていただくご予定のお部屋をご案内いたします」
そうして俺が寝る二階の部屋には、幼児三人と赤ん坊、そして執事も一緒に寝ることになった。魔王城の部屋はひとつひとつ広い。準備してくれた部屋は、その中で特に広かった。そしてベッドも全員並んで横になれるくらい大きい。テンションが高く、部屋内を走り回ったりしてなかなか眠らない幼児たち。だが絵本を読んでいたら、これも能力のお陰なのか、無事に寝てくれた。
「ちょっと、食器を片付けたり荷物持ってきたり……色々してくる」
小声で執事に伝えるとダイニングルームへ行き、そのまま置いてあった食器をキッチンへ運ぶ。
洗い物が終わると、大きな鍋が視界に入った。
――そういえば、途中で寄った町で昼食を食べて以来、何も食べてないな。
食べ物について考えたからなのか、ちょうどタイミングよく腹がなる。まだ残っているかなと淡い期待を寄せながら鍋の蓋を開けてみると、食欲をそそる香りがするミルクのスープがまだ残っていた。皿に盛るとひとくち味見した。
――な、なんだこの味は!? 美味しすぎる。その味は、今まで食べてきた食べ物の中で一番美味しいかもしれない。
魔王が作ったんだよな……魔王は料理上手なのか。美味しすぎて鍋の中のスープ、約皿三杯分を完食してしまった。
その時「あっ……」と背後から声がした。
振り向くと執事が呆然とした表情で立っていた。
「執事、どうかしたのか?」
「いや、あの、勇者様、もしかしてスープを全てお飲みになってしまいました?」
執事に問われると俺は静かに頷いた。
「駄目だったのか?」
「いえ、あの、わたくしも飲みたかったなと……」
「そっか、執事も食事はまだだったか。何か代わりに食べるものを……」
「いえ、お気になさらずに。わたくしは魔族ですので、食事を取らなくても平気ですので……ただ、リュオン様の作る料理を食するのが毎日の楽しみなのです。とても美味でして――」
「なっ、美味しいよな」
会話をしながら俺は、スープが入っていた鍋を洗う。
「勇者様、本当にこちらで働いてはもらえないでしょうか? 本当に大変な毎日で……」
執事の声を背中で受けている状況だけど、執事の真剣さが伝わってくる。洗い終わると鍋を拭き、執事の方を向いた。
「仕事な、受けてもいいんだけど。魔王的には俺と共に過ごすの、嫌なんじゃないのかなって思って」
「そ、それは……」
魔王がどう思っているのかは、さっきの魔王の言動、そして今の執事の表情をみれば分かる。さっと斜め下に視線がいき、気まずそうな表情をしていたからだ。
「……今、少しわたくしとお話してくださいませんか?」と上目遣いで言う執事。視線を一瞬ダイニングルームに向けたから、俺は頷く。執事は紅茶を淹れた。
ダイニングルームのテーブルの、一番入口に近い場所に執事が紅茶のカップを置くと、そこの席に並んで座った。
「というか、執事も俺を憎んでいるだろ?」
「……正直に申し上げますと、その感情はゼロではありません」
だよな、俺が魔王を倒したから魔王や執事、魔王の手下たちも……俺が魔界の全てを滅ぼしたようなものだから。
「しかし、わたくしのそのような感情などはどうでもよく。それよりもリュオン様のことが気になりすぎて……」
「俺も気になることあるんだけど、どうして魔王城で子供を育てるなんて状況になったんだ?」
「はい、話せば長くなるのですが……」
執事は俺の眠る時間と赤ん坊の目覚める時間も配慮しますのでと宣言をしてから、早口で話しはじめた。
まず、俺たちのパーティーが魔王を倒すと、魔界の者たちの中で魔王だけが捕らえられた。俺らの対決をあらゆるパターンで魔王は想定していて、魔王自らが倒され捕らえられたパターンも考えていたそうだ。
「リュオン様は『万が一、我が倒されたら、とにかく全員逃げ切れ』と、わたくしや他の魔族にも仰っておりました。本当にリュオン様はひとりで何でも抱え込んで解決しようとなさる。今も……」
目尻が濡れてきた執事は、ポケットから白いハンカチを取り出し、自分の涙を拭いた。
「リュオン様がいなくなると、わたくしはリュオン様の指示通り、魔王城にいた魔族全員を逃がし、外にいた者たちにも、はるか遠くへ行くように指示をいたしました」
「……執事は逃げなかったのか?」
「はい、人間界の者がわたくしたちを捕らえに魔王城に来ると予想していましたから、ここでじっとしておりました」
「何で逃げなかったんだよ」
「リュオン様がいなくては、わたくしが存在している意味はないからでございます。わたくしは予想通りに捕らえられ、リュオン様と再会いたしました。わたくしもリュオン様も、処刑という名の完全なる封印をされるのは確実でしたから、リュオン様と再会するまでは、リュオン様と共にこの世から消える覚悟でいました……ですが……」
執事の言葉が、ヴッと詰まる。
「執事、大丈夫か?」
「はい、話を続けます……。再会してリュオン様の無事なお姿を確認すると、リュオン様がお生まれになった時からトップに上り詰めた時までの、リュオン様の孤独や努力、共に過ごした日々を思い出し、わたくしは気がつけばリュオン様の命乞いを人間にしておりました。そして人間側が出した条件が『身寄りのない獣人の子供たちを一人前に育て全員無事に世へ送り出せば、リュオン様とわたくしを処刑せずに、魔力を全て封印した状態でわたくしたちを解放する』だったのです」
「そして今に至ると……」
なんか、魔王たちも色々大変なんだな。
全員を一人前にとなると、おそらく最低で成人までということだろうか。赤ん坊が十八の歳になるまで……人間と違い、魔族は何百年、中には千年以上も生きる者もいるらしい。子らが一人前になるまでの年月は魔族にとっては、一瞬なのか? 俺ら人間が生きている時間も魔族にとっては一瞬かも知れなくて。そんな人間なんかに、しかもただ命令を受けたから、ただ羨望の眼差しを向けられたいから勇者になった俺なんかに全てを一瞬で壊されて――。
モヤモヤとした考えが次々頭の中に湧き、罪悪感に苛まれる。
「そんな事情があったのか。国から命令されたからとはいえ、俺が原因を作ったわけだから、仕事の件は前向きに検討する」
「よろしくお願いいたします」
執事は丁寧にお辞儀をしてきた。
それから少し話をし、廊下に置きっぱなしだった荷物を持つと、執事と眠る部屋に戻った。