13.初めての感情
壁に絵を描いた日から一週間後。朝食後に子らと一緒に掃除をしている時だった。ダイニングルームの壁を雑巾で拭いていると、ホウキを持った一番年上の子、グリーンがコソッと話しかけてきた。
「ねぇ、勇者」
「なんだ?」
「魔王、最近変じゃない?」
俺は手を止め、体をグリーンの方へ向けた。
同じように感じていた。壁に絵を描いた日、様子がおかしい状態のまま部屋から出ていった。その時から沈んだ表情が増え、情緒不安定な時間が増していた。一週間経った今も同じ状態だ。いや、更に悪化しているかもしれない。
部屋に魔王がいないのを確認すると、グリーンに顔を寄せた。
「実は、俺も気になっている。状況を探ろうとして変わったことはないか直接尋ねてみたけど、魔王は何も言わないんだ」
心配だ――何かの病気なのだろうか。そうではなく何か落ち込む原因があるのなら具体的に教えてほしいが、ひとりで抱え込み何も話してはくれない。おそらく執事に対しても同じ態度だろう。距離が近づけたと思えばすぐに元通りになる俺と魔王。距離の振動を感じるほどに魔王のことが気になりすぎてどうしようもない気持ちになる。
「体調悪いのかなぁ。ストレスとか……」
「俺もそれは思った。本当の休憩が必要かもな。例えば、魔王が思いきり安らげること……」
『そうだ。常に子供といる母親は短時間だけではなく、羽を伸ばしゆっくりできた! 明日からがんばれるぞ!と、はっきり感じるほどの休める時間と、過ごせる場所を――』
頭の中で子育てチートのお陰だと思われる言葉が再び流れてきた。
「勇者、何か思いついたら教えてね。僕も考えてみるから」
「おう、分かったよ。グリーンは魔王のことを気にして、優しいな」
「だって、魔王のこと大好きだもん。すごく心配だよ」
グリーンは目を潤ませながら俯いた。俺はグリーンの頭を撫でた。
――魔王、こんなに心配してくれる子も目の前にいるんだぞ。俺も、すごく心配だ。
*
それからも魔王観察を強化した日々を過ごした。魔王はいつも通りに家事育児を完璧にこなすが、やはり鬱々しい態度をみせた。更に、声を荒らげることも増えた。
夜、ベッドで眠ろうとしていた時。魔王のことを考えていると、ふと閃いた。立ち上がると自分の荷物をあさり、一枚のチケットを手に取った。温泉宿のチケットだ。魔王討伐の日に王から貰ったのだが、結局まだ行くタイミングを逃していて行けていない。
完成したばかりの天然の湯
高級宿
位の高い者しか入れない
たしか王から直々に、このように温泉宿の説明を受けた。
子らを俺らに任せ、魔王がひとりで宿に泊まればゆっくりと過ごせるのではないか? 心身の疲れもとれて、安らげるのではないか?
早速、明日の朝に渡そうと思ったのだが。
*
朝、いつものように魔王が朝食を準備した形跡はあったのだが、魔王がいなくなっていた。
「勇者様~、リュオン様の気配が消えてしまいました~。いったいどこに行ってしまったのでしょうか。何も言わずに行方不明になるなんて。一体何が……」
執事が子らを不安にさせないようにそっと俺に呟く。
魔王の性格上、朝食だけを残して消えることは考えられない。人任せにせず、きちんと最後まで責任を持ち、全員に朝食を食べさすだろう。せめていなくなるとしても報連相は完璧にしていくだろう。最近の情緒不安定な仕草も気になっていたから余計に心配だ。
消えた理由は――?
事件に巻き込まれた可能性もゼロではないと、不安な気持ちが強くなる。
子らの食事を済ませた俺と執事は、魔王城の中を手分けして探そうかと話し合った。ふたりでと言っても、やはり子らを優先して探すわけだから、順調に探すのは難しかった。些細なことで誰かが泣いたり、誰かと誰かが喧嘩をしたり……理由は様々だが、騒ぎが常に絶えなかったからだ。
魔王が突然消えたことに関しては、子らに「魔王は用事があり出かけた」と、ごまかしてまだ内緒にしておこうとしたが「魔王、大丈夫かな?」「最近、元気なさすぎるよね」と、いつもと違う雰囲気を察知し、心配する声もあった。
執事と相談した結果、中等部のグリーンとバイオレット、ブラックの三人には伝えることにした。そして飛び出す映画を全員で視聴覚室兼遊び場でもある部屋で観ていてもらい、三人に子らを任せ、俺と執事は短時間集中して魔王城全体を探すことにした。
一部屋ずつ中を覗いていくが、なかなか見つからない。見つからなかったが、とある部屋へ行くと俺は驚いた。その部屋とは、壁に絵を描いた部屋だ。
子らが全員描かれている絵は何も変わりはなかったのだが、その横に魔王だらけのスゴロクがいつでも取り外しできる状態で貼ってあった。魔王の顔が貼ってある子らのコマが、それぞれマスにいる。眺めていると執事と自分のコマもあった。
魔王のコマを見た瞬間に、心臓が跳ね上がるようにドクンと強くなった。執事が描いたギルバードを抱いている魔王もいたのだが、もう一人の魔王が。なんと、俺が描いた魔王もいたのだ。
「我はそんなにふにゃふにゃしていないと思うが?」
「それは、使えない。使いたくない」
あの日に魔王から言われた言葉、その時の魔王の仕草を鮮明に思い出す。俺はカッとなり、自分が描いた魔王のコマを捨てたはずだが……。誰が拾った? もしかして――
その時、強い風が吹いた。
窓の方に視線を向けると、強い風が吹いていてカーテンが揺れていた。
他の部屋はどこも窓は開いていなかった。
この部屋だけ――?
直感が不自然だと告げる。導かれるように体が勝手に窓の方へと動き出す。そして窓から外を見下ろした。俺は窓枠に足をかける。そして、飛び降りた。
草むらに片膝と両手をついて着地する。ユニコーンに乗り捜索するか、徒歩で近場を探すか……。
魔王が準備したと思われる朝食は、ほのかに温かかった。すなわち、朝食の準備をしてから魔王が消えるまでの時間はそんなに経ってはいないのだろう。まだ近くにいる可能性が高い。
まずは近場を探すのが的確な判断だろう。
勘を頼りに、街に向かう道を進んでいく。木々に囲まれた一本道を少し歩くと魔王の背中が見えた。いつも溢れているオーラは消えかけ、いつもよりも小さく見える魔王の背中。小さな池のほとりにある岩の上に座り、池を眺めている様子だった。静かに近づいていく。近づくと怒りが込み上げてきて「何故何も言わずに突然いなくなったんだ。心配させやがって!」と、怒鳴りたい衝動に駆られる。
その時だった。
『落ち込んでいる子には怒りをぶつけずに優しく対応しろ。まずは理由を聞くのだ』と、言葉が頭の中に流れてきた。今まで魔王に対しては、母親としての魔王への言葉が頭に流れてきていた。だが今回は魔王は子供ではないのに、子に対しての子育てチートが発動した。
優しく接しようと、怒りを腹の中にぎゅっと押し込める。深呼吸して「魔王、大丈夫か?」と、魔王の背中に優しく話しかけた。
「……」
無視される予感はしていた。俺は静かに魔王の横に座る。しばらくすると魔王が何かを呟いた。聞き取れなく、顔を近くに寄せる。「もう一度今の言葉を言ってくれ」とゆったりとした口調で尋ねた。
「母と過ごした幼き日々と、母が亡くなった時を思い出した……」
「魔王は母のことを思い出したのか?」
「子供たちがいなくなった後のことを考えた」
「……壁の絵を見た時のことか?」
「あぁ、そうだ。今まで感じたことのない気持ちが荒波のように押し寄せてきて苦しくなった。やがて子供と親は離れて、独立してしまう」
今の言葉、あの時からの仕草。推理すると魔王の気持ちが完全ではないが、分かった気がした。
あの時に俺は、絵を眺めながら親のような嬉しさと寂しさが混ざりあった不思議な気持ちになったが、きっと魔王はもっと激しい気持ちに襲われてしまったに違いない。
「我はもう、孤独にはなりたくない」
何を言ってるんだ魔王。鈍感だなお前は。お前は執事に溺愛されているのだから、執事に命がある限り孤独になることはないだろう。それに子らも魔王の事が大好きだ。子らが例え独立してもきっと近くに住んでいれば実家を訪れるように、頻繁に魔王城に遊びにくるだろう。お土産なんて持ってきてくれたりもしてな! それに、俺も――俺も、なんだ? 俺は魔王に何ができる?
俺は、魔王のことをどう思っているのか。魔王にとってどんな存在でありたいのか。魔王について、頭の中を整理しようとしていると、こっそり読んだ魔王の日記の文章が一語一句、誤りのない状態ではっきりと目の前に浮かんできた。
『我にできることは何か。母は幼き日に命を奪われ、唯一の愛は消えた。愛の形跡があった母の形見も人間に奪われた。愛とは何か。知る術もなく、与える術も知らず。ただ、衣食住を子供たちに差し出すだけだ』
答えが見つかった気がした。
俺は、魔王に無償の愛を渡したい。
沢山の愛を魔王に教えたい。
きっと俺は、魔王の母親になりたいのだ!!
「魔王、俺はお前の――」
大切な気持ちを伝えようとした時だった。
「魔王、覚悟しろ。お前のせいで俺の兄貴が……」
背後から憎しみ溢れるような低い叫び声がした。




