22.名前を呼んで
久しぶりにエンデ先輩から呼び出しがあった。
彼の進路の話をして以来だったので、いつもの森でクロと戯れながら、その後どこに決めたかを聞いた。
…といっても、噂で出回ってたからなんとなくは知っていたのだけど。
「軍に入ることに決めた。」
「!おめでとうございます。」
改めて彼の口から聞かされると、本当のことだったんだと実感する。
「エンデ先輩ならご活躍されること間違いなしです。陰ながら応援しております。」
「陰ながら…ああ。ありがとな。」
きっとあの後も色々と葛藤して、自分の道を決めたに違いない。彼が卒業してしまったら、もう会えなくなるんだろうな。まだ先の話なのに、なんだか無性に寂しくなる。
しんみりしたく無かったので、彼の友達の進路について話を振ってみる。
「シャノン先輩は王立魔法研究所に決まったみたいですね。」
「シャノンから聞いたのか。スカウトが来なければ教師陣を脅して推薦状を書かせるって言ってた位だからな。あっさり決まって良かったと思う。」
「恐ろしいですね。本当に真っ当に決まって良かった。」
確かに今までのやりとりから、チートな彼ならやりかねない。本当にすんなり決まって良かったと思う。
「アージュン先輩ももう決まったんですか?」
「アージュンは進学希望だ。」
「へー!早く卒業して契約獣を持ちたいって言ってたので、意外です。」
「大学部では契約獣は許可されてるからな。自分のやりたいことを学校の研究費でできるから、そのまま学園の講師にでもなるんじゃねえの?」
「そうかぁ、アージュン先輩は大学部かあ。」
学園は高等部まで行くと卒業資格が貰えるが、学問をもっと専門的に学びたい人向けに大学部がある。大学部まで進むと、大半の人はその道を極めて専門家や教授になったり、より高度な研究所に就職したりする。
アージュン先輩にはその後も何度かクロを会わせた。その時に彼の進路の話をすることは無かったのだが、幻獣を愛し幻獣に愛される彼は召喚士の道を極めたいのかもしれない。
「エンデ先輩たち仲良し三人組はみんなバラバラになっちゃうんですね。寂しい?」
「いや別に。やりたいことが違うんだから当たり前だろ。それに今生の別れって訳でも無いしな。」
「あっさりしてるなぁ。」
「そんなもんだろ。」
いや、私ならキアラやカタリナ、それに他の友達と卒業後は頻繁に会えなくなると思うとめちゃくちゃ寂しいけどな。
「私は寂しいです。」
「…」
なんだか微妙な顔をするエンデ先輩。
あ、これだと先輩と別れるのが寂しいと言う風に聞こえてしまったか?いや、それも事実なんだけど。
「ええと、私が先輩の立場だったら、お友達と別れるのが寂しいです、という意味です。」
「そうかよ。」
なぜかクロがエンデ先輩の肩に手を置いてドンマイポーズをしてる。
なんだか変な空気になってしまった。
「そういえば、エンデ先輩は卒業研究はどうするんですか?シャノン先輩の魔法研究所は提出が必須とか言ってましたけど。」
「軍のほうからは卒業単位さえ揃ってれば必須じゃないと言われてる。」
「必須じゃないんですね。」
「必須じゃないが、自分がやってきたことの集大成として研究内容を論文に纏めてるところだ。」
「論文発表のときって、他学年も講聴できるんでしたっけ?聞きに行きたいな。」
「聴講可能なのは講師陣と卒業年の生徒の希望者だけだ。下級生は普通に授業中なんじゃねえの。」
「それは…残念です。」
先輩方がどんな研究をして、どんな風に発表するのか興味があったけれども。聴講不可なら仕方がない。
「まあ代わりになるかはわからんけど、卒業パーティーの各科のパフォーマンスは高等部の在校生みんなが見れるから、それで我慢しとけ。」
「それはもちろん楽しみにしてます!」
卒業パーティーの各科パフォーマンスはパーティーのメインとも言っていいくらい壮大なものらしい。
魔法科、魔法薬学科、幻術科、魔法騎士科、召喚科、魔術学科のそれぞれが5年間の集大成ともいえる発表を披露する。毎年テーマが決まっており、昨年は「花」で、「未知」なんて言う抽象的なテーマの年もあったとか。
今年のテーマはまだ時期が早いので決まっては無いが、どんなテーマであろうと素晴らしいものになるに違いない。
ちなみに何をやるかは完全に生徒の自由である。
「私は今年初めて見ることになるんですけど…中等部にいた頃から、卒業パーティーのパフォーマンスはどんな芸術よりも凄いと聞いていたので、すでに期待値が振り切れてます。」
「まあ、期待されてる分には悪い気はしないな。特に今年の魔法科は俺とシャノンがいるから、おまえが期待する以上のことをやってやるよ。」
一切の謙遜が無いところがエンデ先輩らしい。
「了解です。見事に私の期待を超えて来て下さい!」
彼は「上から目線」と笑った。
「それより話は戻るが、進路の件、改めてありがとうな。」
「へ?私お礼言われるようなことしましたっけ?」
「おまえがあの時話を聞いてくれて、肩の力が抜けたと言うかなんていうか。とにかく、感謝してる。」
…私はただ先輩の話を聞いて、自分の意見を述べただけに過ぎない。
わざわざお礼なんて、本当に律儀な人だ。
「じゃあ、有り難く受け取っておきます。」
「おう。」
そこまで言って、私は少し欲が出た。
「お礼の代わりと言っては何ですが、一つお願いが…」
「なんだ?おまえ、今日は課題はもう片付けたとか言ってなかったか?」
「違います。」
どうやらエンデ先輩は課題のお手伝いを要求されると思ったらしい。そんな生ぬるいものではない。断られたら、しばらくは立ち直れないおねだりをしようとしている。
「な、なまえ…」
声が震えた。
「名前?」
「私のこと、名前で、呼んで欲しいです…」
いつも感じていたことだ。
なんでか、先輩は私のことをいつもおい、とか、おまえ、としか呼んでくれない。
故意にそうしてるのかもわからず、今まで黙っていた。
「…俺、いつも呼んでなかったっけ?」
「はい。」
寝ぼけてるんだろうか。再会してから、一度たりとも名前で呼ばれてなどいない。
口に手をあて、何か考える素振りをしている。
考えこむ位、嫌だったのかな。
やばい、泣きそうだ。言わなきゃ良かった。
やっぱりいいです、と撤回しよう。
「や、」
「ネモ」
「!」
結局、涙がこぼれた。
「おい、嘘だろ、泣くほどのことかよ。」
一度出ると、止まらない。端を切ったかのように涙がぽろぽろと溢れ出てきた。
「ご、ごめんなさい、自分でも泣くと思って無かったんですが。嬉しくて、思わず。」
そうだ、これは嬉し泣きだ。
彼から、二年越しに名前を呼ばれて、ただそれだけのことが嬉しくて。
「ごめん、自分の中ではずっと名前で呼んでたから、気が付か無かった。」
目に見えておろおろしだすエンデ先輩。ローブのポケットをゴソゴソしだすが、残念ながら、前にくれた飴は今回は入って無かったらしい。
泣き顔をこれ以上見られたくなくて、顔を覆っていると、フワっと自分ではない香りが鼻を漂う。
「」
視界にはエンデ先輩の肩。私の肩に手を置き、反対の手で、身体同士が接触しないギリギリで、背中をトントンされる。
「泣かせたの二回目だよな…本当ごめん。」
この人の慰め方は、前回も今回も幼児に対するもの。
でもその不器用な優しさが彼らしさな気がする。
規則正しい速度で背中を優しく叩かれるうちに、気持ちも落ち着いてきた。
「ありがとうございます、もう大丈夫です。それと、私が勝手に泣いてしまっただけなので、エンデ先輩は謝らないで下さい。」
涙を拭って顔を上げる。見上げた先には困ったような表情と真っ赤な瞳がこちらを見つめていた。
ち、近い。
「…名前で呼ばれないことが悲しいのは、俺も知ってる。無意識とはいえ、悪かった。」
「いえ、そんな。」
距離を取ろうとしたが、そのままの位置で話し始める先輩。
そして、彼から私の予想を超えた返しがきた。
「おまえ…ネモも、俺のこと名前で呼んでないだろ。」
「え?」
「シャノンやアージュンは名前呼びで、なんで俺だけ家名なんだよ。」
「エンデ先輩?」
「…」
彼はじっとこちらを責めるように見てくる。
あれ、私、なんで責められてるんだ?
「え、と、シャノン先輩は合同授業のときに向こうから名前でいいよと言われたので。アージュン先輩の場合はそもそも家名を知りません。」
「俺も名前でいい。」
先輩から名前呼びの許可が出てしまった。すでにエンデ先輩で定着していたので、改めて呼び方を変えるのは少し気恥ずかしい。
「…ダリオ先輩。」
「ああ。」
名前で呼びかけると、憮然とした顔が笑顔に変わった。
これはこれでヤバい。どうヤバいかというと、恥ずかしさメーターが振り切れて顔に熱が集まってる。
憧れだった人と、名前で呼びあってるなんて、そんな奇跡のような状況で平静でいられる筈がない。
…こういうときは、話題を思い切り逸らすに限る。
「せ、先輩はご兄弟がいらっしゃるんですか?慰め方から、弟か妹がいるのかなって。」
「年の離れた弟と妹がいる。二人ともまだ初等教育で学園にはいないけど。」
「あぁ、だから…」
だから年下に優しいんですね。
「ネモは?」
ひっ、名前。ナチュラルに呼んでくることから、これまでは本当に無意識に呼んでなかっただけだとわかる。
「えと、私の場合、年の離れた兄がいます。」
「あぁ、だから…」
妹キャラなんだな、といった内容が続くことが予想できた。仲良くなった人たちからよく言われてきた台詞である。その人たち曰く、甘えん坊の可愛い妹というより、世話を焼きたくなる手のかかる妹という感じらしい。
全くもって自覚はないが。
「念の為言っとくが、俺はおまえの兄になったつもりはない。」
「はい、それはもちろん、先輩は先輩です。」
私の中で兄と言えば、平気で私のオヤツを取ってきたり、イタズラをしかけたり、からかう対象にしたりと、随分と精神年齢が低い我が家の兄を想像する。
目の前の彼とはそもそものベクトルが違う。
「…そう思ってるんならいい。じゃあ、そろそろ帰るか。」
そう言って私の手を握って歩きだそうとする。
「ダ、ダリオ先輩、私もあなたの妹になったつもりはありません。」
小さい子が迷子にならないようにするための行為に、慌てて抗議する。
「当たり前だ。ネモはネモだ。」
「…」
眉を寄せ、ぶっきらぼうに言われる。妹と思われてないなら、いい。なんなんだろう、このフワフワした気持ちは。
私は不思議な感覚に陥りながら、森を抜けるまでダリオ先輩と手を繋ぎ、互いに帰路に着いた。