年の数だけキスを
春休み。ぽかぽかとした暖かい陽気の中、トラックに積んである荷物を新しいアパートへと運び入れる。
冷蔵庫や洗濯機などの重いものは父とコンビニの店長が運び、段ボール箱は魅音が運ぶ。
アパートの中では、洗濯機の設置やテレビや照明の取り付けを岩橋くんが担当し、くるりと水都は台所用品や日常生活品を段ボールから出して所定の位置に並べ、私とひよりは家族の洋服をクローゼットへとしまう。
見事なチームプレー。
みんなの頑張りのおかげで、昼にはひと段落ついた。
「みんなお疲れさまー! 引っ越し蕎麦を持って来ましたー!」
両手に袋を掲げて現れたのは、伊藤美月さん。居間に座った私たちの前に、コンビニの蕎麦と、飲み物が置かれる。
「お父さん、挨拶をお願いします」
「お、おおっ……」
私が促すと、父はフローリングに正座した。一人一人の顔を見回す。
「本日はお忙しいところ、お手伝いいただきまして、誠にありがとうございます。皆様に手伝っていただいたおかげで、予定よりも早く作業を終えることができました。ゆらりは人に恵まれていると、感動しました。自分は父親として不甲斐ないところも多く情けない限りなのですが、子供たち三人とも真っ直ぐに育ってくれて……」
「ゆらりパパ! 結婚式の挨拶じゃないんだから!」
魅音がツッコミを入れると、みんながどっと笑った。
父は「言われてみれば……ははっ!」と、照れた顔で頭を掻いた。
私としては、いただきますの挨拶をしてもらうつもりで父に声をかけたのだけれど……。真面目な父らしい挨拶に、私も笑う。
父は日陰で真面目に生きてきたところがあって、頑張っても認めてもらえなかったり、裏切られたり、陰口を叩かれたりと苦労してきた。
タイミング良く見つけた、築五年のアパート。日当たりの良いこの部屋のように、父もこれからは日の当たる道を歩いてほしいと思う。
◇◇◇
岩橋くんは猫の他に、亀とハムスターを飼っている。動物好きなひよりとくるりは、岩橋くんの家に遊びに行った。魅音も一緒。
コンビニの店長と美月さんは帰り、父は役所に行った。
そういうわけで、アパートには私と水都の二人。
水都が窓の大きさを測って、私はサイズを紙に書く。
「暗くなる前にカーテンを買いに行かないと」
「そうだね。僕も一緒に行くよ。その前に……」
水都はメジャーをテレビの下の引き出しにしまうと、意味ありげな目で私を見つめた。
「今日、僕の誕生日なんだけど」
三月二十二日は水都の誕生日。
私はなにをプレゼントするか悩んだ末に、本人が欲しいものをあげるのが一番という答えになった。そういうわけで少し前に、水都に直接聞いた。水都は「当日言うね」と答えた。
私は、カーテンを買いに出かけようとしていたのを引き返して、水都の前に立つ。
「お誕生日おめでとう。プレゼントなにがいい? これから一緒に買いに行く?」
「ううん。どこにも売っていない」
「ん? なにが欲しいの?」
水都は、すらりとした人差し指で自分の頬をツンと突いた。
「ここに、ゆらりちゃんのキスが欲しい」
「きゃあーっ! ダ、ダメだよっ!!」
「なんで? ゆらりちゃんは僕のなに?」
「か、彼女です……」
「僕はゆらりちゃんのなに?」
「か、彼氏です……」
「じゃあ、ダメじゃないんじゃない?」
水都は、このやり取りが大のお気に入り。
デートのときに手を繋ぐのを恥ずかしがったり、学校の図書室で一緒に勉強するのを恥ずかしがったりすると、
「ゆらりちゃんは僕のなに?」「僕はゆらりちゃんのなに?」と訊ねてくる。
「彼女です」「彼氏です」と言うのが恥ずかしくて、一回、あえて外したことがある。
「ゆらりちゃんは僕のなに?」
「同じクラスの人です」
「へぇー、同じクラスの人。ふぅーん」
その日。私たちはプラネタリウムを見た後で、同施設の展望台で話していたのだけれど、水都はいきなり私を抱きしめた。
「わわっ! 人! 人が見ているから!!」
「怒った」
「ごめん!」
「訂正して」
「彼女です!!」
水都は大人びた容姿をしているのに、案外、子供っぽいところがある。ムキになったり、拗ねたり。けれど、そういう無防備なところを見せてくれるのは私だけ。気を許してくれているのだと思うと、嬉しくなる。
水都はまた、自分の頬をツンツンと突いた。
「キスしてくれないなら、イタズラするよ」
「ハロウィンじゃないんだから。……うん」
私はつま先立ちになると、水都の頬にチュッと口づけをした。
恥ずかしさのあまり水都の顔を見られずにいると、頭上から嬉しそうな声が降ってきた。
「最高のプレゼントをありがとう」
水都の人差し指が、私の唇に触れる。
「予約しておく。誰にも触らせないでよ」
「予約って?」
「ゆらりちゃんの誕生日にね。ドキドキして待っていて」
「えっ⁉︎ わ、私の誕生日って、五月十五日なんだけど! は、はは、早くない⁉︎」
「早いってなにが? なんだと思っているの?」
「あ、あのー、ファーストキス的な……」
水都は真顔だ。もしかして、私の勘違い? そうだったら恥ずかしすぎる。
顔を真っ赤にしていると、水都が楽しげに笑った。
「正解。当たり」
「わーっ!!」
「やっぱり、一回じゃ物足りない。年の数だけほっぺにキスして欲しい」
「節分じゃないんだから、遠慮しておきます」
「じゃあ、ゆらりちゃんの匂いを吸う」
「なんでそうなるの⁉︎」
水都は私を抱きしめると、深々と息を吸った。それから、私の耳たぶを噛んだ。
水都はなにを考えているのかよくわからないクールな顔をしているのに、恋人モードになるとチョコレートよりも甘いことをしてくるので、クラクラしてしまう。
私たちは仲がいい。けれどたまに、気分が落ち込んで八つ当たりをしてしまったり、意地を張って険悪になったりすることがある。
けれど、夜までには必ず仲直りすると決めている。絶交した、あの日々のつらさを知っているから。
好きな気持ちを、もう二度と手離したくない。
私は水都の肩に手を置くと、背伸びをして、水都の頬に十六回、キスをしたのだった。
◇◇終わり◇◇
お読みいただき、ありがとうございました!