焼肉屋さんに行こう!
焼肉屋さんに行く日が決まった。十一月二十三日、土曜日。
鈴木家はそわそわ。ひよりとくるりは、カレンダーを何度も見ては、日にちを指折り数えている。赤いサインペンでぐるぐると囲まれた日付。
二週間前から楽しみにしているのだから、当日になったら、ひよりとくるりの喜びが爆発するのではないかと思った。
しかし、当日の朝。居間に集まった、父とひよりとくるりの顔色は冴えなかった。
「ねぇ、お父さん。食べたら終わるよね。消化されて、体から出ていくと思うと悲しい」
「それが人間の体の仕組みだからなぁ」
「僕、緊張してきた。どうしよう。お腹いっぱい食べたいけれど、ミナトに悪いよね。お肉十枚ぐらいだったら、ミナト怒らないかな?」
「父さんは、肉一枚でご飯二杯食べられる。くるりは父さんの分の肉を食べなさい。……実はな、父さんも困っているんだ。焼肉屋に行ったことがないから、どうしたらいいのかさっぱりわからん。四人で、千五百円ぐらいの肉を頼めばいいかと思うんだが……」
「えーっ!! 高いよ! 豚ロース、そんなにしないよ」
「僕、ウインナーがいい!」
私はスマホで、今夜行く焼肉屋のメニューを調べた。
牛肉がメインで、タン塩六枚で四千円。カルビ五枚で四千円。一番高いのは、特選シャトーブリアン二万円。しいたけ焼がなぜか千五百円する。ちなみに、ウインナーはない。
私はメニュー画面を閉じた。
(見せるのやめよう。パニックになって、行くのやめるって言いそう)
金銭感覚のない母の遺伝子をひよりとくるりは受け継いでおらず、父の慎ましい性格のほうを色濃く受け継いでいる。
焼肉屋に行って、メニュー表を見たときの三人の反応が怖い。ひよりは怖がりなので、泣いてしまうかもしれない。
私は、魅音にSOSのメールを送った。
午後、五時半。
鈴木家は待ち合わせ場所に、三十分も早く着いた。緊張が高まりすぎて落ち着かず、家にいられなかったのだ。
待ち合わせ場所はファッションビルの前。自然と、おしゃれな男女に目が行く。
私は今日のために、洋服を買った。上下合わせて五千円。ダークブラウンのセーターと、ベージュの切り替えスカート。
お店で見たときは素敵に思えたのに、おしゃれな人たちと比べると、生地の違いなのかダサく見える。
ちなみに黒色のコートは、四年前に買ったもの。
(私って、ダサい女。水都とクリスマスデートをするの、イヤになってきた……)
おしゃれな子たちに打ちのめされていると、十分早く魅音がやってきた。
「こんばんは! 町田魅音です。ゆらりちゃんには、いつも仲良くしてもらっています。今日は混ぜてもらって、ありがとうございます」
私の家族と魅音は、初対面。父とひよりとくるりの表情がこわばる。明らかに緊張している。
しかし、魅音のテンションは一ミリも下がらない。
「お父さん、はじめまして! わぁ、優しそうな人で、かっこいい! 背が高くて素敵ですね。あなたが、ひよりちゃん? 可愛い妹がいるって聞いていたんだけど、想像していたより千倍可愛い! 私もひよりちゃんみたいな、可愛い妹ほしいなぁ。君はくるり君だよね。イケメンじゃん! モテるんでしょう?」
「女に興味ない」
「おぉ! クールでいいじゃん。サッカーやっている?」
「やっていない」
「へぇ、サッカー男子っぽく見えた。スポーツやっているの?」
「なんにも。僕んち、貧乏だから無理」
「あははー! だったら、図書館で本をいっぱい読んで、博士になったらいいよー。ひとつのものを極めると、金になるよ」
さすがは魅音。物怖じすることなく、スッと入ってきた。しかも、会話をリードしている。さらには、くるりの貧乏発言にも笑顔で返す思い切りの良さ。
父とひよりとくるりは、緊張しすぎて、午後四時頃から口数が少なくなっていた。
しかし底抜けに明るい魅音の登場によって、三人から緊張が抜ける。
「私たち、お昼はパン一個にしたんです。だから、お腹ペコペコ」
「ひよりちゃんも? うちもお腹ペコペコ! お昼は、ラーメンとチャーシュー丼しか食べていない」
「そんなに⁉︎」
「そう? いつもだったらデザートも食べるけれど、我慢したんだから。くるり君は普段、なに食べているの?」
「普通」
「普通って? 海鮮丼とか松茸のお吸い物とか、ローストビーフ?」
「それ普通じゃないよ!!」
魅音の話術の巧みさに、父とひよりは尊敬の眼差しを向け、くるりは笑顔でツッコミを入れた。
気がつくと、水都が来ていた。魅音とは違って、スッと入ってはこられなかったようだ。
私は家族に水都を紹介した。魅音によって緊張から解き放たれたひよりが、大胆な発言をする。
「わぁ、素敵! かっこいい!! お姉ちゃんの彼氏ですよね? お姉ちゃんのどこを好きになったんですか?」
「どこって言われると……。好きなところがたくさんありすぎて、一言では言えないけど……」
「一個だけ言うなら?」
「うーん……匂い?」
ひよりの目が丸くなる。予想外の答えだったようだ。もちろん、私も。
(匂いって⁉︎ えっ、そうなの⁉︎)
どう返したらいいのか困っているひよりの代わりに、魅音が腕組みをしながらウンウン頷いた。
「みなっちは、匂いフェチであったか。ゆらりのフェロモンに引き寄せられたって感じ?」
「うん。そんな感じ」
「うちは猫の匂いが好き。吸っている」
「吸う……なるほど」
水都と魅音はなにやら分かり合った空気感を出しているが、私も父もひよりもくるりも、理解できないという微妙な顔をした。