由良くんと付き合ってよ
今日はマラソン大会。
天気予報では降水確率五十パーセントの予報だったけれど、雨が降る気配はない。むしろ空全体を覆う雲のおかげで日差しが遮られ、マラソンをするには絶好の天気。
「五十パーセントに期待していたのにーっ! 雨雲のヘタレー!」
魅音は、空に文句を言っている。親に怒られてズル休みできなかったのだ。
しかし、魅音は諦めない。担任の先生に、「お腹が痛くて走れない」と訴えて、マラソン大会を見学することに成功した。
さて、晩秋の空の下。校庭に続々と一年生が集まってくる。
まずは、男子のスタート。私は、水都と岩橋くんに手を振って声援を送った。
男子が出発し、校庭にいるのは女子生徒のみになった。
「かったるー」
「テキトーにやればいいよね」
あちこちからテンションの低い声が聞こえてくる中、私はスタート地点に向かう。
第一グループは一組から四組、第二グループは五組から八組という、二グループに分かれてのスタート。
(二グループに分かれても、人数が多いな。場所取り、失敗しちゃった)
スタート地点前方は、運動部の女子たちが固まっている。入る隙間がない。
仕方がないので、後ろのほうに回る。肩を回し、深呼吸をして、そのときを待つ。
先生がホイッスルを口に含み、勢いよく吹いた。ホイッスルの甲高い音とともに、一斉に女子生徒たちが走り出す。
テキトーにやればいいよね、なんて言っていても、いざ始まるとどの顔も真剣で、テキトーに走っている人はいない。
(追い抜かそうにも、人数が多いから前に出にくい)
校庭を飛び出して、舗装されている山道へと入る。
人がばらけてきたので、ぶつからないように気をつけながら追い抜く。すると、突然右足に衝撃が走った。視界が傾く。
「あっ!」
叫んだときにはもう、遅かった。体勢が斜めに崩れる。咄嗟に地面についた手に、鋭い痛みが走る。
「いた……っ」
転倒はしなかった。けれど地面に強くついた右の手のひらが、擦りむけてしまった。破れた皮膚から血が滲みだし、ジンジンと痛む。
それでも、足を止めるわけにはいかない。焼肉を楽しみにしている家族のために、水都に勝たなくてはいけない。
痛みを我慢して黙々と走っていると、場にふさわしくない笑い声が聞こえてきた。
「あははーっ!! ざあまみろって感じー」
「ちょっと可愛いからって、調子に乗んな!」
声のほうに顔を向けると、茶髪の女子二人組と目が合った。ニヤニヤと笑っている二人。
(まさか、この人たちが足を引っかけたの?)
誰かの足にひっかかって転びそうになった。でも私は、人が多いから誤って接触したのだと思っていた。
彼女たちの表情や笑い方に悪意が感じられて、喉がぎゅっと締め付けられたように苦しくなる。
(多分、四組の女子だと思うんだけれど、どうして? 一回も話したことがないし、名前も知らないのに……)
無視していると、彼女たちは会話を始めた。
「気がついていない? 鈍感?」
「無視しているんじゃない?」
「ふんっ! あざとい女。由良くんに気に入られているからって、調子に乗っている!!」
「ねぇ、言っちゃう? わざと足を引っかけたって」
「言うことないって。あ、でも聞こえているかもね。あはは!」
間近で話されたら、いやでも聞こえてしまう。
水都と学校で話すようになったときから、女子の嫉妬を買うだろうことは覚悟していた。
だから私は、唇を噛んで耐える。言い返すつもりはない。相手にしないのが一番だと思うから。
私は彼女らを振り切るために、スピードを上げようとした。ちょうどそのとき。
「足を引っかけて転ばすって、低脳すぎる。自分はアホですアピール?」
棘を含んだ嫌味な言い方には、聞き覚えがある。振り返ってみると、やっぱり、川瀬杏樹だった。
杏樹の目は、茶髪女子二人に向けられている。
「嫉妬心から嫌がらせするなんて、超絶みじめ。くだらない。そんなんだから、ダサい男としか付き合えないんだよ」
「なっ!!」
彼女たちの顔が引き攣る。相手が言い返すより早く、杏樹が言葉を続けた。
「みんな見てるよ。悪口を言っているあんたらと、足を引っかけられても我慢している鈴木さん。どっちが悪者か、みんなわかっていると思うけど?」
「そういうあんただって、うちらの悪口言ったよね! 悪者はあんたでしょ!」
「じゃあ、どうする? 戦う?」
「なっ⁉︎ 戦うって……」
「相手になってあげる。嫌がらせなら、負けない自信があるし」
杏樹に反発して言い返した女子を、もう一人の女子が止めに入った。
「この人、やばくない? やめたほうがいいって」
「ふんっ!!」
二人はスピードを上げて、私を抜いていった。
彼女たちをすぐに追い抜くわけにはいかず、私は仕方なくゆるゆると走る。
周囲にやった視線が、杏樹とぶつかる。
「ありがとう」
「嫉妬して嫌がらせする超絶みじめな女って、おまえだろって思ったでしょ?」
「そんなこと思ってないよ!」
「思っていいよ」
「思わない!」
「私の家、焼き鳥屋なんだよね」
杏樹は突然話を変えてきた。杏樹の表情も話し方も淡々としている。
「ダサいって思っていた。焼き鳥屋に王子様が来るわけがない。お金持ちのオシャレな家に生まれたら、素敵な王子様と出会えたのにって、親に文句ばかり言っていた。自分のニオイが大嫌いで、母親の香水をこっそりとつけていた。でも、幼稚園のときに男子にクサイって言われて、怒ってやっつけてやった。気持ち良かった。あれが、私の性格の悪さの始まりだったんだろうな」
「そうだったんだ……」
「でも、由良くんはうちの焼き鳥が好きで、友達になってくれるように父が頼んでいたことも知って……。なんか、私が今までこだわっていたこと全部バカらしくなった」
杏樹は私を見ると、苦いものを吐き出すように笑った。
「でもさ、そういうこと、もっと早く言ってほしかった。そしたら私の人生違ったかも、なんて、勝手な言い分だけど……。私、ダサいのがホント嫌いなんだ。オシャレに生きたい願望が強いから。だから──……謝る。今までのこと全部、ごめんなさい。でも、許してくれなくていいから。自分がしたことのひどさ、ちゃんとわかっている」
「あの……」
「町田さんから、鈴木さんと由良くんが焼肉勝負しているって聞かされた。邪魔すんなって威嚇付きでね。このままでいいの? 早く走ったら?」
「そ、そうだよね! 行かなくちゃ!!」
杏樹は、気が強くて頑固。おまけに女王様気質。自分の考えを変えようとしない。
そんな彼女が、考えを変えた。本気の謝罪をしてきた。杏樹は変わろうともがいている。
そのことに、許せないと思っていた気持ちが緩む。
「助けてくれて、ありがとう」
「鈴木さん以外の人が由良くんと付き合ったら、嫉妬心が再燃して、いじめちゃうかも。だから、鈴木さんが由良くんと付き合ってよ」
「うん。ありがとう。……あっ! 行くね!!」
山の中腹で折り返してきた女子たちの姿が、目に飛び込んできた。
やばい! このままでは焼肉勝負に負けてしまう!!
私は全速力で坂を駆け上がった。




