友情に燃える熱いハート
「は? 別にゆらりは泣いて……」
泣いていないんじゃない? と魅音は言おうとしたのだろう。
けれど、背けていた顔を私のほうに向けた途端。言葉が消えた。
私は涙をこぼしていたわけじゃない。だから、泣いていないよ。大丈夫だよ、って笑おうとした。
けれど唇を動かしたことで、堪えていたものが緩んでしまった。ポタッと涙が落ちる。
水都はお弁当をしまうと、立ち上がった。
「岩橋、教室に戻ろう」
「えぇっ⁉︎ このタイミングで⁉︎ ゆらりちゃんを慰めないの?」
「町田さんがいるから大丈夫。友達なんだから」
岩橋くんは私と魅音を困惑した目で見ていたが、急いでお弁当を片付け、歩きだした水都を追いかけようとした。
だがすぐに足を止め、振り返った。
「あのさ、お節介かもしれないけれど、ちゃんと話し合ったほうがいいよ。俺の父さんさ、若い女の子に手を出したことがあって。母さん、『離婚したいけれど、子供のために我慢する』って言ったんだ。そういうの重いっていうか、我慢する姿を見せられても嬉しくないっていうか……。とにかくさ、誰かのためにやっていることが自己満足じゃないか。その人が本当に望んでいることなのか。確かめたほうがいいと思うんだ。そのほうがお互いに気持ちいいし。俺は、その……ごめん。ゆらりちゃんのためっていうより、おもしろくて、復讐に参加していた。ゆらりちゃんがどうしたいのか聞かなくて、ごめん」
水都と岩橋くんが去り、私と魅音の間に重苦しい静寂が漂う。
開いている窓から生徒たちの明るい声が聞こえてくるのが、遠い世界のように聞こえる。
「あ、あのね、魅音。私……」
言い出したものの、考えが定まっていない。混乱している私の耳に、魅音の平たい声が届く。
「ゆらりは、どうしたい?」
「私は……私は、魅音とこれからもずっと友達でいたい。おばあちゃんになるまで、ずっと。川瀬さんのことをもういいって言ったのは、気を取られたくないから。それよりも私は、魅音と楽しくいたい。たくさん笑って、おしゃべりして、お菓子を食べて、猫と遊んで、そういうことがしたい」
「つまり、スヌーピーのあの名言ってことか」
「スヌーピー?」
首を傾げる私に、魅音が得意げな顔をする。この顔は蘊蓄を披露する気だな、とこれまでの経験からわかる。
「僕のことを好きじゃない誰かのことでくよくよする時間はないんだ。僕は、僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるから。……さすがスヌーピー、いいこと言う」
「名言って、咄嗟に出てこないから! 魅音の頭の中ってどうなっているの?」
「うちの愛読書、世界名言集だから」
ぷっと吹き出した魅音。世界名言集が愛読書だというのは冗談らしい。
「ゆらりの気持ちを置き去りにしていた。ごめん。……うん、別にもういっか。うちらはうちらで最高に楽しく生きればいいんだしさ。相手に手を下すんじゃなくて、幸せな姿を見せつけるのも復讐だと思うんだよね。よし! ゆらりを最高に幸せにするぞー!!」
「あははっ! ありがとう」
目的が変わっていたことに気づいた恥ずかしさからか、魅音の頬が赤く染まっている。
自分の過ちを認めて謝罪し、相手が望むことに寄り添うなんて、なかなかできることじゃない。魅音と出会えた幸運に、胸がジーンと痺れる。
「魅音と友達なんだもん。それだけで十分に幸せだよ。ありがとう」
「うん……。あーだけどさー、みなっちって、かっこよすぎない? 顔が良くて勉強もできて女子にモテるのに、ゆらり一筋。おまけにさ、うちを信用して立ち去ったと思うんだよね。かっこよすぎる!! だが、うちは信じない。完璧な人間などいない。みなっちのダメな部分を暴いてやる!」
「虫がダメだよ」
「そういうことじゃない。ダメ男の部分もあると明かしたいのだ!」
呆れるけれど、でも、こういうところ魅音らしい。
私と魅音は、高校に入ってから知り合った。
入学してすぐの校内見学。一人でいた私に話しかけてくれたのが、魅音だった。
魅音は明るくて気さくでおおらかで、私はそんな魅音を好きになった。でもどうしてか魅音には親しい友達がいなくて、不思議だった。
あるとき、三組の子から声をかけられた。魅音と中学校が同じだった女子。
「魅音って、変じゃない? アクが強いんだよね。頼んでもいないのにしゃしゃり出てきて、うざい。友情に熱いのは勝手にどうぞって感じだけど、正直、めんどくさい。ほどほどに付き合ったほうがいいからね」
魅音はお節介なところがある。やりすぎなところもあるかもしれない。けれどそれを、うざいという言葉で片付けたくない。
みんなが魅音を嫌っても、私は友達でいたい。友情に熱いハートが、私にもある。
教室に戻ると、隣の席にいる水都が話しかけてきた。
「どうだった? 仲直りできた?」
「うん! 水都のおかげだよ。いつもありがとう」
水都の憂い顔が晴れ、ホッとしたように白い歯を見せて笑った。
心配してくれていた水都に、質問するのは本当に申し訳ないのだけれど、魅音とのお付き合いも大切だ。私は魅音に指示されたことを遂行しなければならない。
「あ、あのね、魅音から『うちとみなっち、どっちが一番好き?』って聞かれた。両方とも好きって答えたら、『ダメ。どっちか答えて』って。どうしよう?」
「ふーん……じゃあさ……」
放課後。目をランランと輝かせている魅音の元に、報告しに行く。
「どうだった! ヤツはなんて言った⁉︎」
「……魅音、怒ると思うんだけど、それでも正直に言ったほうがいい?」
「うちが怒る? ははぁん! チャーミングな魅音ちゃんよりも、自分を一番好きだと言えって命令したんだな。やはりみなっちにも、心の狭い俺様な部分があるというわけだ!」
「そうじゃなくて……」
「なに? まどろっこしいから、さっさと言ってよ。ゆらり助手」
私はいったいいつの間に、助手になったのだろう。魅音はやはりアクが強い。
「本当に怒らないで聞いてね。水都は『町田さんはめんどくさい人だから、口では町田さんが一番って言っていいよ。でも、心の中では僕を一番にして』だそうです」
「なんだとぉーっ!! なんという凶悪犯! 偽装工作してきたー!!」
絶叫する魅音。
そばで聞いていた岩橋くんが、
「もうさ、付き合っちゃいなよ」
と、遠い目をしてぽつりと言ったのだった。