友達になれたかもしれない
水都の息が荒く、顔は真っ赤。私たちを見つけて、急いで走って来てくれたのだろう。
水都は語気鋭く、叫んだ。
「なにしようとしたっ!!」
「べ、べつに、なにも……。私はなにも、していない!!」
杏樹は水都に捕まれた手を振り払うと、余裕のある口調でせせら笑った。
「私、本当になにもしていない。それなのに、ゆらりちゃんったら勝手に誤解して。どうして怒っているのか、わけがわからない」
「友達の前で、私の悪口言ったじゃない!」
「私がゆらりちゃんの悪口? 言っていないけど?」
杏樹はとぼけることにしたようだ。私は、松下さんと早田さんの前で、杏樹が言ったことを突きつけようとした。
けれど口にしようとして、気づいた。
杏樹は、「貧乏な地味ブスが、由良くんの隣にいるなんて気持ち悪い」と言った。その視線は、早田さんに向けられていた。
そうだ、杏樹は私の名前を出していない。私を見て話してもいない。
まだ、ある。佐々木萌華が水都の元カノだと嘘をついたこと。でもこれも杏樹は「噂で聞いただけだから、本当かは知らない」と発言した。
杏樹は、逃げ道を用意している──。
さすが、いじめ慣れしている。自分が悪者にならないよう、考えて動いている。
でも、このまま引き下がるのは悔しい。
「もしかしたら、私が誤解しているところがあったかもしれない。だけどさっき、私のこと、ブスとかバカって言ったよね」
「あぁ、それね。ごめんね。心にもないことを言っちゃって。だって、ゆらりちゃん、ひどいことするんだもん。私、すごく傷ついた」
「私が? ひどいことって……?」
杏樹は、仄暗い笑みをうっすらと浮かべた。
「町田さんに頼んで、谷先輩とのダブルデートを仕組んだでしょう? 谷先輩とひなが楽しそうにしているのを見て、私がどんな気持ちになったかわかる? 私ね、憧れている人に邪魔者扱いされたんだよ。ダブルデートをしたもう一人の先輩に詰め寄ったら、教えてくれた。町田さんと岩橋くんに頼まれたって。町田さんって、ゆらりちゃんの親友だよね? ひどいことするよね。私が傷ついて泣くのを見て、ざまあみろって笑いたかったの? 性格、悪いね」
「あ……違う……」
「違う? じゃあ、町田さんと岩橋くんが勝手にやったことで、ゆらりちゃんは全然関係ないっていうこと? 岩橋くんに聞いてみてもいい?」
「…………」
魅音が仕返しをしようと動いているのを知っていた。私のために動いてくれているからと、反対できなかった。
知らないなんて言えない。魅音に罪を押しつけることはしたくない。友達を裏切れない。
口元にやった手が震える。それを見た杏樹が、ふふっと笑った。
「ねぇ、ゆらりちゃん。意地悪するのはやめてくれない? 友達のふりして嫌がらせしてくるなんて、がっかりだよ。ドス黒い気持ちがあるなら、ノートに書いて一人で処理しなよ。もう、高校生なんだよ。親友を使って、私に八つ当たりするのはやめて。私、ゆらりちゃんのこと好きだし、友達だと思っているけれど、さすがにこれはひどいよ」
「ご、ごめんなさい……私……」
立場が逆転してしまった。私は、杏樹の許しをもらわないといけない立場になっている。
どうしてこうなってしまったのだろう。いじめの鎖を断ち切りたかったのに……。私はこの先も、杏樹に囚われて生きていくの?
杏樹に勝てないことを思い知る。ダブルデートは、つい最近の話じゃない。杏樹はここぞという場面で使うために、仕組まれたことを知りつつも、黙っていたのだ。
悔しくて、悲しくて、涙がポロポロとこぼれる。
「魅音は違うの。私のために……ごめんなさい」
「まぁ、ゆらりちゃんの態度次第では、許してあげても……」
「いい加減にしろよ」
黙って見ていた水都が、威圧感のある低い声を杏樹に向けた。
「川瀬さんのやりたいこと、わかった。ゆらりちゃんを貶めて、自分の支配下に置きたいんだ?」
「なっ! 違う!!」
「違うなら、どうしてゆらりちゃんに近づいたの? 僕が好きなら、遠回りせずに、直接アプローチしてきなよ。僕の隣にいるのがゆらりちゃんなのが、気に入らない?」
「そうだよ! だって、全然似合わない!!」
「川瀬さんの意見は必要ない。隣にいてほしい人は、僕が決める」
杏樹は言葉に詰まると、私を鋭く睨みつけてきた。
「だって、ゆらりちゃんって、卑怯な手を使う……」
「ダブルデートには、僕も協力した。高梨ひなさんにデートするよう頼んだ。ゆらりちゃんは関係ない。僕と町田さんと岩橋の三人でした。責めるなら、僕を責めなよ。なんで、僕を責めないの?」
杏樹の睨む先にいるのが私であることに、水都が疑問を呈する。杏樹は浅い呼吸を繰り返しながら、ようやく水都を見た。
「川瀬さんって、本当、ゆらりちゃんが好きだよね。ゆらりちゃんに憧れて、ゆらりちゃんみたいになりたいって思っているのがバレバレ」
「違う! そんなわけないじゃない!!」
「ゆらりちゃんになれないからって、自分と同じところまで落とそうなんて、悪質だよ。言ったよね? ゆらりちゃんを傷つけたら許さないって」
「…………」
水都は声を荒げることなく、冷静に話している。けれど相当に怒っていることが、声の調子や目からわかる。凄みのあるオーラに、杏樹は顔面蒼白となり、唇をわなわなと震えさせた。
杏樹は息を吸いながら、口を開いた。だが、何もいうことなく口を閉ざした。
下手なことを言って水都の怒りを爆発させたらとんでもないことになりそうだと、本能が危険を察知したのかもしれない。
「なんで……ゆらりちゃんが、好きなの……。あれから八年もたっているのに……なんで別な人を好きになったりしないの? どうして、想いを貫こうとするの……」
「話したくない」
水都はバッサリと切った。そして、虚ろな目になった杏樹に静かに語りかけた。
「川瀬さんが意地悪な人じゃなかったら、僕たち、友達になれたかもしれない」
「……え?」
「僕の母は妊娠中、貧血がひどかった。でもレバーが苦手で、それなのに、川瀬さんのお父さんが焼いたレバーは食べられた。僕は母と一緒によく、川瀬さんちの焼き鳥を買いに行っていた。川瀬さんのお父さんから、『杏樹は気が強くてわがままだから、友達ができないかもしれない。水都くん、よろしく頼む』って言われた。だから僕は、川瀬さんと友達になるつもりだった。それなのに小学校に入ってみたら、友達に意地悪する人で、がっかりした。誕生日会になんで来てくれないのか責められたときがあったけれど、意地悪な人とは付き合いたくない。それが答えだよ。僕は、川瀬さんと友達になろうと思っていた。もう、遅いけど」
杏樹の唇が動いたが、声にならないようだった。しばらくして、杏樹は「……友達になれたんだ……」と、涙をこぼした。