自分勝手な母
土日の家事はみんなで分担している。洗濯と掃除機はひより。皿洗いとトイレ掃除はくるり。父はお風呂掃除だけれど夜勤でいないので、私がお風呂掃除をした。
週末のバイトは朝八時から。私は靴を履くと、ひよりとくるりに声をかけた。
「行ってくるね!」
「行ってらっしゃい」
「頑張ってきてねー」
玄関の扉を開けると、気持ちのいい風が顔に当たった。夏の暑さはもう残っていない。爽やかな秋風が吹いている。
私は軽やかな足取りで階段を降り……途中で、足を止めた。階段の下に、見知った女性が立っていた。
私に気づいた女性は、嬉しそうに笑った。
「えへっ。会いたくなって来ちゃった!」
「お母さん……」
母と最後に会ったのは、中学一年のとき。あれから三年たったけれど、母は変わっていなかった。
肩上で揃えた、明るいブラウンのストレート髪。少女らしさが抜けていない、茶目っ気のあるくりっとした瞳。
目尻の皺が増えたような気もするけれど、母は可愛らしい顔立ちをしているので、十分に若く見える。
「どうして、ここに……。再婚したんだよね?」
「そうなんだけど、うまくいかなくて……。すぐに別れた。でね、ゆらり。聞いて! すごいことが起こったの!」
母は胸の前で手を組んで、無邪気に笑った。母は情緒が不安定なところがあって、喜怒哀楽が激しい。今日は喜びの感情が大きいらしい。
「ゆらりのお父さんと再婚しましたー! それを報告したくて、ゆらりに会いに来たんだ。外に出てきてくれて、良かった。昌幸さんに会いづらくてぇ。険悪な感じで別れたから」
ふふっと、嬉しそうに笑う母。私は全然笑えない。
「ごめん。私バイトだから……」
階段を下り、母の横を通り過ぎる。背中に不満げな声が飛んできた。
「えぇーっ! 会いにきたのに、つめたぁい。本当のお父さんに会いたいんじゃないかと思って、来てあげたのにぃー!」
私が一才のときに母は離婚し、昌幸さんと再婚した。それから、ひよりとくるりが産まれた。
私は実の父親を知らない。知りたいとも、会いたいとも思わない。
私は、昌幸さんとひよりとくるりと住んでいる。私の家族は、血のつながった父ではなく、昌幸さんだ。
「本当のお父さんになんて会いたくない。私のお父さんは、昌幸さんだもん」
「意地張らなくていいってば。弘治さんがね、あ、本当の父さんの名前、弘治さんっていうんだけどね、ゆらりに会いたいって。ゆらりの名前、弘治さんがつけたのよ」
「……バイトだから、じゃあ」
「休めばいいじゃない」
ゆらり、という名前を気に入っていた。でもそれは、記憶にない人がつけたものだった。
知りたくなかった。自分の名前を好きなままでいたかった。
母は無神経だ。昔からこうやって、自分本位な感情を押し付けてくる。私の気持ちを考えてくれない。この人は変わらない。そのことに、失望する。
私は深呼吸をして肩を上げると、ゆっくりと息を吐きだしながら、肩を下げた。
「私のお父さんは一人だけ! 昌幸さんが本当のお父さんだから!! だから、帰って!!」
「ゆらりってば、つめたぁーい。反抗期?」
甘えた口調で、拗ねてみせる母。
母は、私とは違って甘え上手。昌幸さんは優しくて面倒見のいい性格だから、母が浮気をしても非難せず、自分が至らなかったからだと自身を責めた。
でも、私は違う。
母が浮気をしたことも、私たちより彼氏を選んだことも、許せない。こうやって、悪びれた様子もなく会いにくることも許せない。
母に振り回されるのは、もう嫌だ。
「お母さんのこと、好きじゃない。もう来ないで。迷惑なの! 二度と会いたくない!!」
「ゆらり!」
私は振り返ることなく、走った。