相合傘
「これって……相合傘?」
私がなにげなく発した言葉に、水都は一瞬固まった。それから開いた傘を静かに閉じると、私に差しだした。
「ごめん! 迂闊でした。嫌だよね。傘、使って。僕は濡れても大丈夫だから」
「ええっ⁉︎ 水都が傘を使って!! 私は頑丈だから。濡れても風邪ひかない自信がある!」
「女の子を濡らすわけにはいかないよ。それに僕、昔より体力がついた。心配いらない」
凛々しい表情と、毅然と言い切る口調。
その昔、水都が母親に向かって「ボク、明日からこの幼稚園に通います。一人で来られます」とキリッとした表情で話したのと似ている。
普段はおとなしくても、いざというときには頼もしくなる性格は変わっていないらしい。そのことに嬉しくなる。
過去を懐かしむ視線に気づいた水都が、(なに?)と言いたげに眉根を寄せた。
「ううん、なんでもない。それよりも、水都の傘だもん。水都が使いなよ」
「想像してみて。僕が傘を差すその横で、ゆらりちゃんはずぶ濡れ。他の人から、あの男冷たいって絶対に思われる」
「じゃあ、これも想像して。私が傘を使っていて、水都はずぶ濡れ。あの女、傘に入れてあげたらいいのにって絶対に思われる」
私と水都を顔を見合わせると、二人同時にぷっと吹きだした。
「一緒に入ろう」
「そうだね。相合傘するのが一番いいよね」
「僕と相合傘するの、嫌じゃない?」
「なんで?」
「だって、僕のこと……嫌いだよね?」
「誰が?」
「ゆらりちゃんが」
「えぇーっ⁉︎」
水都が差してくれた傘に入りながら、私たちは並んで歩く。
校内では、他生徒の視線が気になった。だから、教室から出たときから昇降口まで、わざと距離を開けて歩いた。
けれど、歩くほどに学校から遠ざかっていく。しかも、グレー色の傘が私たちの顔を隠してくれる。
誰にもきっと、気づかれない。そのことが、私の心を軽くさせる。昔みたいに、明るく笑っている自分がいる。
「嫌いだなんて思ったことないよ」
「そうなの?」
「うん。むしろ、私のほうがダメ人間」
「なんで? ゆらりちゃんのどこがダメなの?」
「だって……」
この流れ。謝るのにちょうどいい。私は隣にいる水都を見上げると、「あのね、小二のとき……」と切りだした。
水都は傘を落としそうになり、慌てて傘の柄を握り直した。焦った声が降ってくる。
「その話は、明日、僕から話す」
「でも私、今、言いたい」
「ダーメ! 明日!」
「なんで? 明日はラッキーデーとか?」
「そういうわけじゃないけど……。明日、会う口実がなくなるのはイヤなので……」
意味がわからずに、キョトンとするわたし。水都は恥ずかしそうに額に手を置いた。
「休みの日に、会いたいです……」
「どうして?」
「私服で会うのって、特別な感じがするから……って、ゆらりちゃん。意味、わかってないよね?」
「うん」
ボツボツボツ……。
傘に雨が当たって、音を奏でる。傘の露先から、雫がポタポタと垂れる。
傘に当たる雨音は、あることを思い出させる。
休みの日に私服で会うことの特別感を考えるのではなく、私は幼稚園時代のある記憶に思いを馳せた。
水都が口を開く。
「幼稚園のとき。先生がホースで水攻撃したことがあって、傘の中に逃げこんだよね。覚えていないと思うけど……」
「覚えているよ! 私もね、そのことを思い出していたの! すごいね。私たち、同じことを考えていたなんて。楽しかったよね」
水都は口をポカンと開け、それから嬉しそうに微笑んだ。
「覚えていたんだ……。うん、楽しかった」
それから私たちは、幼い日の思い出を語り合った。私の楽しい思い出の中には水都がいて、水都の楽しい思い出の中には私がいた。
楽しいだけじゃない。運動会のリレーで転んで悔しいときも、クラスで飼っていたカメが死んで悲しいときも、口の悪い男子にからかわれて嫌な思いをしたときも、いつだって、私の隣には水都がいた。
私たちは、いつだって一緒だった。そのことがかえって、離れていた時間を浮きあがらせる。
胸を差すキリっとした切なさを隠すように、私は明るい声をだした。
「そうだ! 大切な話をするのを忘れていた。ブリトー、すごく美味しかった。ありがとう。妹も弟も気に入って、また食べたいって喜んでいた」
「良かった。ゆらりちゃんはなにを食べたの?」
「ハム&チーズだよ。美味しかったよ」
「僕もハム&チーズ。チーズが三種類使われているんだね」
「ハム&チーズが、一番人気があるんだよ。あ……っ」
「なに?」
失敗したことに気づいて、「あぁーっ!」と叫んで、顔の片側を右手で覆う。
「ハム&チーズにしたんだけど、違うのを食べればよかった。マルゲリータにしようか、迷ったんだよね。でも一番人気のハム&チーズに心引かれて、つい……。マルゲリータにしたら、水都が今度食べるときの参考になったのに!」
唸る私に、水都はクスクスと笑った。
「ブリトーの品評会をしたかったわけじゃないから、気にしないで」
「そうなの?」
「うん。話すきっかけがほしくて、食べた感想を言い合おうって言っただけだから」
「そうなんだ……」
話すきっかけを作ってくれた水都。胸に甘酸っぱいものが広がっていく。
水都は意外と積極的。小さいときもそうだった。結婚しようと言ったり、誕生日会に私だけ呼んでくれたり。
子供のときはなんとも思っていなかったけれど、今は些細なことでもドギマギしてしまう。
私のアパートの近くで、別れる。水都は家まで送っていくと言い張ったけれど、近所の小学生から幽霊アパートと呼ばれている建物を見られたくはない。
「右肩が濡れているよ。自分の傘なんだから、遠慮しなくてよかったのに」
「ゆらりちゃんこそ、左肩が濡れている。傘の中にもっと入ってくれたらよかったのに。……今度、相合傘をするときは、もっと近づこう」
また今度が、あるんだ──。
感情がごちゃ混ぜになって、泣きたくなる。
水都は私を好きなんじゃないかって、勘違いしてしまいそう。