貯金箱がいっぱいになったら……
翌朝。体内時計が五時半にセットされているのか、早朝の弱い日差しの中でもパチっと目を開けた。そのまま、木目のある天井を見つめる。
考えるのは自然と、水都のこと。
「反応がなくてもいいから、コメントを入れてみようかな……」
言葉がストンと心に落ちてきた。
「よし、決めた!」
掛け布団をバサっと勢いよく捲ると、すぐさま朝の行動に移る。
まずは、炊飯器のスイッチを入れる。お風呂の残り湯を使って洗濯機を回したら、その後トイレに行き、顔を洗う。
それからやるのは、朝ご飯作りと、父と私のお弁当作り。
冷蔵庫から食材を取り出し、お味噌汁用の鍋を火にかける。
いつもはよそ見をすることなく料理に勤しむのだけれど、今日は合間にスマホをいじる。
【つぶやきランド】での私の名前は、【ゆり】
すずき《《ゆ》》ら《《り》》。略して、【ゆり】
プロフィール画面の写真は百合の花。アイコンは自分のピースサインの写真。プロフィール欄には、高校一年生であることと、好きな芸能人や好きなテレビや好きな食べ物などを羅列している。
これらの情報で、ゆり=鈴木ゆらりだと特定できるわけではないと思うけれど、水都にバレないように慎重になったほうがいい。
私はプロフィール欄を【おむすびが大好き。鮭、梅、明太子、おかかが好き。シンプルに塩おむすびも好物。マヨネーズが好きじゃないのでツナマヨは食べない】と、どうでもいい情報に書き換えた。
「おはよう」
父が寝ぼけ眼で、のっそりと起きてきた。スエットの中に手を入れてお腹を掻いている。
「おはよう!」
元気よく挨拶を返す。
時計を見ると、六時半になっていた。
「さてと、そろそろ起こさないとね」
鈴木家の朝は忙しい。なんといっても、ひよりとくるりの寝起きが悪い。
布団を剥ぎ取って起こすと、二人から「あと五分ー!」と悲痛な訴えが飛んできた。
「朝ご飯ができたよ! なめこと油揚げのお味噌汁と、卵焼きとウインナー。美味しそうでしょ」
「いつもとおんなじー」
くるりは唇を尖らせながらも、渋々といった感じで体を起こした。
ひよりは目を閉じたまま「焼肉屋さんでお腹いっぱい食べる夢を見ちゃった」と、幸せそうに笑っている。
「えーっ! お姉ちゃん、ずっるーい!! ボクだって焼肉屋に行きたい!!」
「夢の話だから。ほら、起きて」
くるりが悲しそうに、「焼肉屋に行ってみたい……」とポツリとこぼした。
「うん。いつか行こうね」
明るく言ったものの、行くつもりなんてない。くるりもそれがわかっているのか、いつ? なんて野暮なことは聞かずにトイレに行った。
父は真面目に働いているし、私もバイトをしている。それなのに我が家が貧乏なのには、二つの理由がある。
一つ目は、町工場の社長をしていた祖父が、借金を残したまま亡くなったこと。
二つ目は、父のクレジットカードを使って、母がブランド品を買いまくったこと。
父と私は、自分のせいではない借金を返している。それでも父も私も悲観することなく、「これも人生だね」と諦めて、笑いながら生きている。
だけど……ひよりとくるりに我慢させてしまっていることが心苦しい。
「一回ぐらい、焼肉屋に連れて行ってあげたいな……」
まったくお金がないわけじゃない。でも、私の思考回路は節約モードになっている。
焼肉食べ放題コース×四人分にお金を使うのだったら、スーパーの特売日に肉を買って、家で焼肉をしたほうが安上がり。
そうやって浮いたお金を、十万円が貯まる貯金箱に入れる。貯金箱がいっぱいになったら、海の近くの民宿に泊まりに行きたい。
家族仲はいいし、友達もいるし、バイトができる体力も時間もある。苦しくも悲しくもない。
だけどたまに、どうしようもない感情に囚われるときがある。それらを吐き出す場所が、【つぶやきランド】
私にとってSNSは、ガラス張りの場所。ガラスの向こう側にある通路には、たくさんの人が往来している。こちらをチラリと見る人もいるけれど、大概の人は私に興味を示さない。だからいい。視線がないからこそ、気兼ねなく、はち切れそうな感情を叫ぶことができる。
交流したいからでも、注目されたいのでもない。壁を相手にボールを打っているだけで、行き場のない感情が落ち着く。
「十万円が貯まったら海に遊びに行こうと思っていたけど……決めた! まずは、焼き肉食べ放題に行こう!!」
決心をSNSに投稿する。
【ゆり@yurarinko・1分前
今我慢したら、きっといいことがある! 貯金箱がいっぱいになったら、焼き肉食べ放題に行くんだ!!】