後編
「──この方は娘さんですか?」
長谷川は平静を装って老女に写真の女性について訊ねた。
「ええ、7年前に」
「どんな方、だったのですか?」
老女の表情は分からない。
「じゃじゃ馬娘でね。冴えない男と駆落ち同然で家を出て……結局、一度も帰って来なかったわ。相手の男は早くに亡くして一人で子育てして……。苦労したでしょうに。残ったのは、亡くなる前に贈って来たカード一つ」
長谷川は不思議に思い振り返った。あの押し花はまだ新しかった。
「あのカードは貴女がお作りに?」
「ええ、押し花が色褪せてしまったから見様見真似でね。本物はほら抽斗にしまってあるわ」
そう言って取り出したカードは大切に仕舞われていたのだろう色褪せてしまってはいるが、まだきれいな状態だった。
「あの子は本当は何を伝えたかったのかしらね」
その言葉はほとんど独り言に近かった。
──本当に伝えたかった事……。
それは絶対に“貴女の死を望みます”等という花言葉ではないだろう。
長谷川は色褪せてしまった押し花を見つめた。ふわりとそのカードから柑橘系の匂いがすることに気が付いた。脳裏に子供の頃流行っていた手紙を思い出して
、長谷川は側にあった火のついた線香にカードを翳した。
「まぁ!」
浮かび上がった文字に老女は目を見開いた。
──春になったら会いに行きます。
一言そう書いてあった。
「私が子供の頃、炙り出しが流行った時期があったんです。このカードから柑橘系の香りがして思い出しました。気恥ずかしかったのか、驚かせようと思って書いたのかはわかりませんが、きっと貴女と和解したかったのではないでしょうか」
「和解?」
老女は長谷川をまじまじと見つめた。
「待雪草は冬の終わりに咲く花です。雪が融け、春の訪れを告げる花に貴女との蟠りを解きたいという想いを込めていたのではないでしょうか」
長谷川がそう告げると老女はふっと笑う。
「不思議ね。貴方が言うとそんな気がするわ」
そう言った老女の顔からは険しさは消えていた。
──きっと間違っていないだろう。
長谷川には確信があった。
──だって彼女は……。
✧✧✧
「──何であんな回りくどい事を?」
研究所に戻り、長谷川は相馬を問い詰めた。
「あんなって何さ?」
しかし、彼が何時もの様にのらりくらりと躱そうとするので、長谷川は溜息を吐いた。
「別に腹を立てている訳じゃない。その、寧ろ、感謝してるんだ」
「え」
長谷川が少し口を尖らせて言うと相馬は予想外だったのか目を丸くした。
「ちょっと驚いたが、会えて良かった」
「そっか。うん、良かった」
気恥ずかしさで顔を赤らめる長谷川を見て、相馬は少し安堵している様だった。
長谷川はあの仏壇に飾られていた写真を思い出す。あの写真には若かりし頃の長谷川の母の姿があった。
──母さんは良家の出だと話には聞いていたが、本当だったとはな。それも相馬さんの親戚とは。
長谷川の記憶の中の母は良家とは縁遠い人だった。だから、実際、祖母に会ってみても実感は湧かない。
「にしても、本当に回りくどい事を。カードは私をあの人に合わせる口実だったのだろう?」
それに相馬は首を左右に振った。
「確かに伯母様と君を会わせる好機とは思ったけど、カードの意味を知りたかったのも本当だよ」
「だが、ある程度予測出来ただろう」
「さあ、どうだろう」と彼は肩を竦める。
──相馬さんが母さんと親しかったなら、その性格は分かっていただろう。まあ、どの程度の知り合いかは分からないから何も言えないが、私に良くしてくれる辺り悪感情はないだろう。
長谷川はこの相馬について何も知らないのだと痛感した。
ふと、あの祖母だという女性の姿が頭を過った。
「いきなりだったから、禄に話もできなかったな」
少し悔やまれる。
「これから沢山話せばいいさ」
「そうだな」と長谷川は頷き、窓の外を桜の木を見た。桜の木は時期満海となるだろう。
──何時かこの桜を一緒に見られたら良い。
密かにそんな事を思った。
✧✧✧
──数日後
相馬の元を例の老女が訪れていた。
「──何か御用ですか?」
「用事が無くては甥の顔を見に来てはいけないのかしら?」
そう返され、相馬は苦笑いを浮かべた。
──伯母様は用事が無くてはいらっしゃらない方でしょうに。
内心そう思うが、敢えて口には出さなかった。
「いいえ。ですが、丁度良かった。貴女に伝えたい事があったんです」
「何かしら?」
「彼が後で改めて調べたそうですが、待雪草には”希望“と言う花言葉もあるそうです。だから、きっとあの押し花には沢山の希望も籠もっていたのではないかって。彼女らしいと思いませんか?」
そう言うと彼女は何とも言えない顔をする。
「そうね。あの子はそういう子だった。明るくて前向きで頑固者で、苦労して変わってしまったのかと思いもしたけど、変わっていなかった」
誤解したのはきっとあの『花言葉集』のせいだろう。
「にしても、貴方は本当に回りくどい事をするわね」
「何を」とは言われなくても分かった。某知人と同じ言い方だった為に相馬は思わず笑いそうになった。
「何よ、そののニヤけた顔は」
彼女はむっとしてそのまま踵を返した。驚いた相馬が声をかける。
「伯母様、もう帰られるんですか?」
「今日は貴方の顔を見に来ただけって言ったでしょう」
そのまま帰ろうとした彼女は、「それと」と言ってぴたりと足を止めた。
「私に気を使って知人なんて言い方しなくて良いわ」
目を丸くする相馬に彼女の表情は分からなかった。しかし、少しだけ耳が赤くなっている様な気がした。
──似たもの同士だな。
相馬の脳裏に楽しそうに笑う花が好きな女性の姿が浮かんでいた。