中編
長谷川はメッセージカードをもう一度じっくりと見た。押し花にされている花は白く小さな花弁が愛らしい花だ。
──この花は鈴蘭水仙、待雪草で間違いないだろう。このカードに何かしらメッセージを込めるとしたら、この花くらいだろう。
長谷川はそう思い立って書棚へと向かった。その中から1冊の本を手に取る。
「そんな本も持っているのかい?」
長谷川の様子を見守っていた相馬は書棚から取り出した本を見て目を丸くした。その表紙には『花言葉集』の文字が印字されている。
長谷川は紛う事なき植物の研究者であるので、植物関連の書物を多く有しているが、可愛らしい表紙が特徴のその本は長谷川のイメージに合わなかったらしい。それもその筈で、この本は元々長谷川の物ではなかった。
「これは母の形見だ」
それだけ言うと長谷川は本を開いて目的の頁を捲り……直ぐに閉じた。冷たい汗が頬を伝う。
「どうしたんだい?」
首を傾げる相馬に長谷川は軽く咳払いをして訊ねた。
「このカードはお前宛か? その、誰からなんだ?」
「なんだい唐突に? これはとある御婦人からだよ」
彼の返答に「お前一体何を……」と言いかけて長谷川は言葉を止めた。相馬が笑いを堪えているのに気が付いたからだ。
「くくっ、“貴方の死を望みます”かい?」
「お前!!」
長谷川は顔が熱くなるのを感じた。怒りではなく、恥ずかしさからだ。
「僕だってそれくらいは調べたさ」
相馬の言葉にぐうの音も出なかった。
普段飄々としている彼は馬鹿ではないし、長谷川に面倒事を押し付けて来るが、完全な他力本願と言う訳でもない。自分で出来ることならしている。簡単に調べられる花言葉くらい自分で調べていただろう。
その結果分からなかったから、長谷川に依頼したのだ。そこには思い至らなかった事に長谷川は恥ずかしくなったのだ。
──それならそうと先に言え!
その言葉を長谷川は飲み込んで再び訊ねた。
「これはお前に宛てられた物ではないな? もしかして、宛てた相手は故人か?」
相馬は「おや?」と一瞬目を見開いた。
「どうしてそう思うんだい?」
「お前に宛てられた物ではないのは、さっきの反応からして間違いないないだろう? その解釈で合っていたらお前は俺のところに持って来ないからな」
「そうだね。だけど、何故故人に宛てたものと言えるんだい?」
「それはあくまで憶測だ。待雪草の花言葉からみるに死を連想させる花だ。菊等と一緒だな。人に贈るのは適さないだろう。だから、故人に宛てたものと考えた。但し、贈り主と受け取り手がその意味を知っていればの話にはなるが。まあ、カードに意味を持たせる為に使用したというならある程度花や花言葉に詳しい人物だろう。そんな人物が敢えて贈り物に選ぶとは考えにくい」
「どうだ?」と相馬を見るとうんうんと頷いた。長谷川が予想した人物像は大方あっているようだ。
「で、贈り主はどんな御婦人なのだ?」
「気難しい方だよ」
相馬は苦笑する。その僅かに憂いを含んだ笑い方が少し気になった。
──気難しい御婦人と相馬……ねぇ。
「お前は嫌われてそうだな」
心の声がそのまま口を衝いて出た。「しまった」と思うも、幸い彼は気分を害した様子はなかった。
「確かに、嫌われている、だろうね。僕みたいなのを好まない人だ。僕は好ましいと思っているけど」
「難儀だな」
世辞に疎い長谷川には何と声をかけていいか分からなかった。ただ、何時も飄々としている彼が、長谷川の前で憂い顔を浮かべた事が少し意外だった。
「ところで、このメッセージカードはお前に宛てられたものではなかったんだろう? なら、どうやって手に入れたんだ?」
話題を変える為に疑問を口にした。
「仏壇から拝借してきた」
「なっ……!」
──なんて罰当たりな!!
澄まし顔で予想外の返答をした相馬に長谷川は唖然として言葉を失った。
「このカードの贈り主が気になるんだよね? ならいっその事、このカードの持ち主に会ってみないかい?」
そう言った相馬は悪戯を思い付いた子供の様な表情を浮かべていた。
✧✧✧
「──何方様かしら?」
険しい顔の着物姿の老女を前に長谷川は身体を強張らせた。何も悪い事はしていない筈なのに、全身から冷や汗が滲み出てくる。
彼女は相馬の伯母で華道を嗜んでいる女性らしい。
ただ彼女の冷たい視線を浴び、長谷川は相馬にのこのこついて来た事を激しく後悔していた。
「──彼は僕の知人です。伯母様に御紹介したくて連れて参りました」
一方の彼は何時も通りの飄々とした様子でふわっとした説明をするものだから、長谷川は変に誤解されはしないかと顔を青くした。
「何故、私が貴方の知人とやらに会わなければならないのかしら?」
──御尤も!
そう思いつつ、彼女に冷たい視線を向けられる度に長谷川の背筋が寒くなる。
「伯母様があのカードの事を教えて下さらないからですよ」
「もしかして、その方が貴方が最近世話しているという例の探偵さん?」
「ええ」
──なっ、誰が探偵だ!? 私はただの植物学者だぞ!
相馬が堂々と肯定するものだから、長谷川は内心で悲鳴を上げた。しかし、それを言葉にする勇気は長谷川にはなかった。
「貴方も本当に奇特な子よね。あんなカード一枚の事がそんなに気になるなんて」
彼女は呆れた様子で相馬を見る。
「でも、彼はこのカード一枚でちゃんと伯母様が花に詳しい人物だと当ててみせたのです。凄いでしょう?」
──いや、大して凄くないだろう……。
胸を張る相馬に内心ではらはらしつつも長谷川は口を挟まず二人を見守る。
「そんなに凄いなら、カードの意味はもう分かったのではなくて? なら、態々私の所に来る必要はないでしょう?」
彼女が同意を求める様に長谷川を見た。
「か、完全に分かった訳ではありません」
長谷川が告げると彼女は「そう」相槌を打つ。一応、聞いてはくれるらしい。
「メッセージカードですから、誰が誰に宛てたかで当然意味合いは変わって来ます。私は初め悪意を持つ誰かが相馬さんに贈ったものだと考えました」
「ちょっと待って、それどういう意味?」
長谷川は相馬を無視して話を進める。
「それは違ったという事なのね?」
「はい、相馬さんとのやり取りから見ても貴女がそんな事をする人とは思えませんし、その、貴女がこんなメッセージカードを贈るとも思えませんでした」
「あら、どんな人が誰に贈ったのかしら」
「正直、もっと若い方かと。そして、贈られたのは貴女」
長谷川は気不味そうに老女を見たが、彼女は気分を害した様子はなかった。
「他には?」
「えっ?」
老女は長谷川に続きを促した。
「他にこのカードからどんな事がわかるのかしら?」
「えっと、受け取り手が貴女だとしたら、貴女を信頼する人が贈ったのではないでしょうか? メッセージカードを贈るなら、普通に文字を認めれば良い事なのに、敢えて押し花だけにしています。それだけで伝わると思う相手はかなり親しい、信頼関係にある方だと考えました」
ふっと老女の口元が緩んだ。しかし、その表情は何処か自嘲めいている。
──違ったか?
長谷川はひやひやしながら、老女の様子を見る。老女は不意に踵を返すとついてらっしゃいと長谷川達を仏間へと案内した。
仏間に入った時、長谷川の目には仏壇に置かれた見覚えのある『花言葉集』が目に入り、そしてその横に飾られた一枚の写真を見て目を見張った。
──ああ、そういう事か。
全て合点がいった。