前編
──久しぶりに子供の頃の夢を見た。
居間で母と手紙を書く夢である。
その当時、少し変わった手紙を書くのが流行っていて、長谷川も例に漏れず嵌っていた。その手紙を書いては母に渡していたのは良い思い出である。
そんな母も7年前に他界した。
「手紙を出しに行って来る」と言って出掛けた先で事故に遭い帰らぬ人になったのだ。
季節が冬から春に変わる頃の出来事であった。
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温かな日差しが心地良い午後、『長谷川植物研究所』を営む長谷川は研究所の縁側で庭に植えてある桜の木を眺めながらお茶を飲んでいた。
腕の良い植木職人が世話をしているお陰もあって、桜の木には春の訪れを報せる蕾が幾つもついている。
春の気配を感じながら過ごす午後は本当に穏やかで心地の良い一時だった。
ただし、その時までは──。
「──やぁ!」
「ぶぼぉっ」
突然背後から声を掛けられ、長谷川は飲みかけの茶を思いっ切り吹き出してしまった。驚いて振り返れば、麗しの美青年・相馬──この研究所のオーナーである──が少し眉を顰めて立っている。
「──何なんだい? もう、汚いなぁ」
「誰のせいだ!」
相馬のあんまりな言い様に長谷川が言い返すも彼は一切気にした様子もない。
長谷川は内心で溜息を吐いた。彼がふらりとやって来て長谷川を驚かすのは何時もの事だったからだ。
「今日は何の様だ?」
用事がなくともやって来る彼ではあったが、一応形ばかりに訊ねてみた。
「実は君に見て貰いたい物があってね」
「見て貰いたい物?」
彼にしては珍しく畏まった様子で一枚のカードを長谷川の方に差し出した。手に取ってみるとそれは可愛らしい押し花が装飾されたメッセージカードだった。
「これがどうかしたのか?」
長谷川が尋ねると相馬は少し口籠る。
「とある人のものでね。書いてある内容が気になっているんだ」
──書いてある内容?
長谷川はじっくりとカードを見るが押し花の装飾だけで文字は書かれていなかった。
「何も書いて無いが」
長谷川が見た通りに言うと、相馬は良い笑顔を浮かべた。嫌な予感がした。
「だから、君のところに持って来たんだよ」
言外にこのカードに込められたメッセージを解き明かして欲しいという事らしい。
「報酬はきちんと出すからさ」
重ねてそんな事を言うものだから、長谷川は目を丸くした。どうやら何時ものからかいの類ではなく本当に依頼しに来たらしい。
──厄介事でなければ良いが……。
長谷川はそんな不安を覚えながらも、メッセージカードを受け取った。
「何時も言っている事だが、あまり期待するなよ」
長谷川が念押しするも、相馬の何の根拠があるのか彼は胸を張って「君ならきっと大丈夫さ」と言い切った。そんな彼の態度に長谷川は内心で溜息を吐いた。