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一般向けのエッセイ

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」の感想

 ゼルダの新作「ティアーズ オブ ザ キングダム」(以下、ティアキンと呼ぶ)を発売からずっとプレイしています。ここで感想を書こうと思います。


 ゼルダに関しては前作「ブレス オブ ザ ワイルド」をかなり評価しています。それについての感想は以前に書いていますので、興味のある人はそちらを読んでください。→「ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド」に感動した話


 まずティアキン全体に関して言えば、前作からの正統進化という事が言えると思います。前作でのオープンワールドの面白さは引き継ぎつつ、イベント量が増え、プレイヤーの自由度が増えたので、前作を大幅に強化したものと言えるでしょう。


 逆に言うと、前作の始まりのような、はじめて広大なオープンワールドに出て、自由に探索できる喜びを味わう、そういう強い感動は今回はありませんでした。ただ、これは前作がこれまでのゼルダから大きな転回を果たしたから出てくる感情であるので、それを毎作要求するのは過大な要求という事になるでしょう。


 前作の感想でも書きましたが、私が強調しておきたいのは、ゼルダの世界は質感が素晴らしいという事です。空を見れば雲が流れている、草が風にそよいでいる、といった「動き」の表現がこれまでやったどのオープンワールドゲームよりも優れています。


 「エルデンリング」なんかも私は好きです。ただぱっと見の風景では、「エルデンリング」の方がキレイな風景に見えますが、動きを伴った自然的な感じというのを考えると、ゼルダの方が上だと思います。この点は私は重要だと思います。というのは、ゲームというのは、大抵はゲームプレイヤーが、ゲームをプレイする上での様々な制約を(これはゲームだから)と無意識に感じつつつプレイしているからで、ゲームが進化するほどに、この障害は打ち破られていくべきだと思います。ゼルダはその障壁を、世界の質感という意味ではより多く突破していると思います。


 ゲームの目指す所というのは、現実世界のリアルさをゲーム内で表現しつつ、現実世界ではできなかった様々な事をゲームの中でプレイヤーに実現・体験してもらう、そういう部分があると思います。そういう意味では今作のゼルダは、前作以上にそういう要素が強化されています。


 具体的にはプレイヤーのできる事が広がっています。特殊な能力として、主人公のリンクにはいくつかの能力が与えられています。一つは時間を巻き戻す能力、もう一つは自由に物質を組み立てて、物を作る能力、もう一つは装備品を組み立てる能力、もう一つは屋根のある所では上方に飛んで、屋根の上に上がる能力です。


 リンクはこれらの能力を駆使しつつ、与えられた課題をクリアしたり、敵を倒したりします。この時、おそらく、上記の文章を読んだ人も感じたでしょうが、リンクの能力はかなり自由なものに設定されています。特に大切なのが「自由に物質を組み立てて、物を作る能力」ですが、ゲームをプレイしていない人は、抽象的で漠然としたものに感じたでしょう。


 この能力は実際、自由度が広くて、非常に強力です。飛行機のようなものを組み立てて飛んだり、車のようなものを組み立てて草原を走行できます。今回は、リンクの能力は極めて自由度が高いものになっています。その為に、問題の解き方も、プレイヤーの手に委ねられています。


 この「プレイヤーの自由にできます!」という文言は、ゲームの宣伝文句として散々使われてきましたが、実際にはたいして自由ではない事がほとんどでした。ですが、今回のティアキンは本当に自由になっています。しかしそれ故に、ゲームの難易度は上がった部分もあります。


 自由という事は、選択肢が多いという事でもあります。私は、あとから考えれば単純な問題の解決も難しく考えて、時間がかかった事が何度もありました。それというのは、リンクに与えられた自由度が高く、選択肢が多い為に、一度思考の迷路にはまるとなかなか抜け出しにくいからです。


 しかし同時に、プレイヤーの創意工夫によって、問題を解決したという快感は、これまでのような、ゲーム制作者が用意した答えを見つけるという感情よりもより強いものになっていると思います。


 ただ、私が言っておきたいのは、どれだけプレイヤーが創意工夫して割り出した答えでも、それは最終的には、ゲーム制作者が用意した答えであるし、答えであらねばならない、という事です。例えば、プレイヤーが見つけた、バグを使った、ゲームの世界観を壊すような裏技は、正真正銘、ゲーム制作者の手を離れた、プレイヤーの創意工夫から生み出された「技」ですが、そういうのはアップデートがすぐに潰されます。


 この事実は次のような事を物語っています。つまり、プレイヤーが自由に発想して、様々な課題をクリアする事は推奨されているが、その答えの全体像はあくまでも、『こういう体験をしてもらいたい』という制作者の意向の範囲内に収まっていなければならない、という事です。


 これは自由という概念とは何かという問題とも関わりますが、ここではある種の葛藤があります。というのは、制作者はできる限り、プレイヤーに自由を委ねながらも、同時にその自由を統制して、ゲームの世界を壊してしまうような事にさせてはならないからです。


 それではこの自由と、不自由の問題はどうやって解決されるでしょうか。それは地道な、年月をかけたゲーム開発という事になるでしょう。ティアキンはかなり長い開発期間を持っています。あくまでも私の推測ですが、ティアキンにおいてはゲーム内の主人公の自由度が非常に高いので、その自由度が世界観を壊したり、バグで主人公がにっちもさっちもいかなくなったり、そういう事にならないように、かなりな時間、調整を必要としたのではないでしょうか。


 主人公の自由度が広がったので、同時にその自由を統制する労力も飛躍的に増えた。その為に、開発が長引いたと私は予測しています。


 ここでは、良いゲーム体験をしてもらうために制作者が骨を折った、というのが透けて見えます。この場合、「良いゲーム体験」というのは、プレイヤーができる限り自由に、自分の意志や思考で問題解決したと思わせるような体験の事です。


 プレイヤーの側の自然さを生み出すために、制作者は随分と苦労したと思います。自然な体験を提供する為には、それを作る側も自然に制作するというわけにはいきません。自然な全体像を作る為に、制作者が不自然な労力を積み重ねるというのは普通の事ではないかと思います(個人的にはフローベールの創作が思い浮かびますが)。


 ※

 ティアキンの感想についてはそんな風で、前作よりも自由度と難易度が増して、より面白くなったという印象です。ただ、前作から大きく何かが変化したというより、前作を踏襲しながらの進化だと感じました。


 他にもストーリーについてあれこれ言う事もできますが、正直に言うと、エンターテイメントのストーリーに私はもう期待していないので、特に言及する事はありません。


 ティアキンはそんな風に面白い作品に仕上がったので、前作をプレイした人は大方満足できると思います。ただ作品世界はより複雑になり、難易度もあがったので、ライトユーザーにはとっつきにくくなったかもしれません。これ以上作品が複雑になったらどうなるかな、という危惧も個人的にはありますが。ティアキンに関しては、とりあえず前作からの正統進化と言っていいかと思います。

 

 

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