9話 知らない……こんな子、僕は知らない
他の都市はどうか知らないが、皇都にはスラムなんてものが存在しない。
計算し尽くされた都市設計と手厚い社会保障、生活保護により最低限の暮らしが保証されているからだ。
とは言え、その最低限の暮らしは本当に最低なものと聞く。
カニ漁にでも来たのではと思わせる大人数での雑魚寝。風呂は一週間に一度。支給される食事は一日一食で家畜の食事と見紛う酷さ。
それでも雨風凌げる屋根の下で、生きる事を許されるのは他国に比べればかなりマシと言えた。
さて、そんな恵まれている皇都で、こんな夜更けにゴミ捨て場のゴミを漁る幼女が一人。
なにやら事件の香りがして温室育ちの僕は興奮してしまう。
早速、捨てられた残飯をバクバク食べている彼女に声を掛けてみた。
「やっほー可愛い子猫ちゃん。それ美味しい?」
すると幼女は凄まじい勢いで後ずさりして僕らを見詰める。
どうやら僕達の接近に気付いてなかったみたい。それほどお腹が空いていたのだろうか。
まだ三月だと言うのに、幼女はボロボロのパンツとシャツを着ているだけのほぼ裸みたいな恰好だ。おまけに肩に掛からないくらいの短い髪はぼさぼさでゴミ捨て場という事もあってか、蠅がたかってる。
しかし顔の造形は思ったより整っていて……いやよく見ると滅茶苦茶可愛いぞこの子。
おまけに目を引くのは髪の色とその瞳。
ユーゼアン皇国において、黒髪というのはウェザーズ公爵家の証だ。なのに何故この幼女がその黒髪を持っているのだろう。
とどめとばかりにこちらを真っ直ぐ見詰めるその瞳は僕やツバキママと同じ緋色。これまた珍しく、僕は自身とツバキママ以外に見たことが無い。
つまりは、だ。客観的に見ればこの子は僕と瓜二つな容姿をしている。
「少し目付きが悪くて幼い気がしますが、まさにお嬢様そっくり……。これは、どういうことでしょう?」
メルトも驚きから闇の秘密結社モードという事を忘れてお嬢様呼びしちゃってる。
やれやれ仕方ない。こうなったら僕がメルトの主として、そして【漆黒の星団】のボスとして行動の指針を示そうじゃないか。
「よし、連れて帰ろう」
「本気ですか!? こんな怪しさ満点の幼女を!? というかただの誘拐ですよ!?」
僕そっくりという事はだ。世界一の美幼女がここに二人いるという事に他ならない。
まさか自分がもう一人いればいいのにという僕の昔ながらの願いがこんな形で叶ってしまうなんて。
こうなりゃ偶然だろうが誘拐だろうが絶世の美幼女リリアちゃんに対する神からの贈り物だろうが、うちに連れて帰るしかない。連れ帰って綺麗にしてあげて、僕という美貌の化身を第三者視点で再確認するのだ。
「だってこんな容姿、うちの子じゃなきゃ有り得ないよ。きっとこれはアレだ。隠し子に違いない。実は僕に妹がいたんだ」
「当主様方に限ってそんなハズは……と言いたいですが確かにこの不気味なほどの容姿の一致は一度連れ帰る必要がありますね」
メルトの了承も得られた所で、仲良く三人で帰ろう。そう思ったのだけど、当の幼女がそれを拒否。
「お前らもクロの敵なの。クロは死んでもあの場所には戻らないの」
敵? あの場所?
果たしてこの幼女は何を言っているのだろう。
気になる事は山ほどあるが、こんなゴミ捨て場で問答するのも嫌なので努めて笑顔を作り出す。
「僕達は敵じゃないよ。むしろその逆。君を助けに来たんだ。さぁ一緒に帰ろう」
しかし幼女は僕の差し出した手を握る事なく、むしろガクガクと震え出した。
「そんな怖いお面付けた奴がクロの味方なハズないの。絶対お前らは悪役なの」
「……そう言えばさっき貰った般若の仮面付けっぱなしだったな」
突然現れる深手のローブを着た般若二人。そいつらが自分を誘拐しようと企んでいれば誰だって怖い。
僕のような美幼女の誘いを断ったのはそれが理由かと納得した所で僕は幼女にだけ見えるようにチラッと仮面を外す。
幼女が僕の美貌を見て息を吞んだのが伝わって来た。
「……びっくり。クロと同じ顔なの。もしかしてクロのお姉ちゃん?」
「そうだよ!」
「そうだよじゃありません、そうだよじゃ!(小声) 違ったらどうするおつもりですか(小声)」
自分より年下の子に初めてお姉ちゃんと呼ばれたから嬉しくてつい。
「でもクロには家族なんていないの……。きっと他人の空似なの」
「他人の空似だろうがなんだろうが僕は君のお姉ちゃんだ。血筋なんて関係ない。だから一緒に帰ろう? ママ達も君を歓迎してくれる」
「お姉ちゃん……!」
最悪ママ達の隠し子じゃなかったとしても、メイドとして雇えばいい。そろそろ魔法学院入学に向けて個人寮を管理するメイドを一人選べと言われているし、この子にそれを任せてしまえば全て解決だ。
偶然か奇跡か。僕はこの幼女に出会ってしまった。なら僕は僕そっくりの美幼女がこんなゴミを漁る人生を送るなんて認めない。僕の妹としてその美貌に見合った幸せな人生を与えてやるから覚悟するのだなフハハハハ!
「クロ、お姉ちゃんと一緒に行く」
「よしじゃあ帰ろう。――……それで? 君達は何者なんだい? 道を開けてくれると助かるんだけど」
先程から複数の視線は感じていたが、それが次第に増えて僕らを取り囲み始めている。
僕はその集団に向けて背中越しに問い掛けた。
当然メルトも気付いていて今は僕を守るように、注意深く周囲に目を向けている。
「あら気付いていたのねお嬢ちゃん。思ったよりも賢いわ。でもよい子はもう寝る時間よ? お嬢ちゃん達もとっととおうちに帰りなさい。当然、そのガキは置いてね」
なるほど、こいつらの目的はたった今僕の妹に就任したこのクロを名乗る幼女か。
てっきりウェザーズ公爵家を煩わしく思う敵対派閥が僕を誘拐にでも来たのかと思ったのにどうやらアテが外れたらしい。この様子では向こうは僕が公爵家令嬢だと気付いていないだろう。
はてさて、この皇都で幼女攫いだなんて初めて聞いた。コイツらは一体何者なのか。それとも正体を探るべくはコイツらではなく我が妹かな?
「うぅ……お姉ちゃん」
謎の集団に怯え切っているクロを背中に隠す。
「やれやれ、たった一人の幼女を攫う為に幼女三人を脅すとは情けない。君達には天罰が必要なようだ」
「天罰? その不気味な仮面を被って気でも大きくなってしまったのかしら? 我ら【優生会】は目的の為には手段は選ばない。当然、いたいけな子供だって躊躇いなく殺すわよ」
悠然と宵闇から僕達の前に姿を現したのは一人のナイスバディ―なお姉さん。
パーティーにでも出席してきたのかと思わせる大胆に胸元の開いた黒のドレスと燃えるような真っ赤な髪が特徴的な大人だ。そして手にはつい最近アイシャママが嵌めていたものと全く同じ深紅の手袋。
「深紅、この場での争いは教授のご指示にはありません。一度戻って啓示を聞くべきかと」
「馬鹿ねぇ。こんなおチビちゃん達相手じゃ争いにもならないわよ。それに教授の指示は漆黒の確保。ここでおめおめと引き下がる方が問題だわ」
なんとも迷惑極まりない話だがどうやらこの人達との戦闘は避けられそうにないらしい。そろそろ屋敷に戻らないとママ達にバレるというのに厄介な。
だが古来より姉は妹を守るものだと決まっている。それがたとえ数分前に妹になったばかりの赤の他人だとしても、僕は家族を見捨てるような真似は絶対しない。
覚悟を決めて、いつものように闇のローブをバサッと大袈裟に広げる僕。
そして万が一にでも般若の仮面が外れないようしっかりと固定しながらカッコよく宣言した。
「この子は我ら【漆黒の星団】が頂いて行く。無論、貴様ら全員を倒してな!」