(9)
何もかもが解決したと思った。夕暮れ時、晴れやかな気分で帰宅の途についたイオタは、あと少しで家に着くというところで角から急に出てきたマギスに驚いた。
「やあ、イオタ」
「マギス……どうして」
とまどうイオタに近づくと、マギスは全身に視線を走らせた。
「もしかして、また冒険に出ていたのかい?」
冒険は嫌だと言っていたのに、とマギスが首をかしげる。
「ええ、そうよ。やっぱり私、冒険が好きみたい」
舞踏会の誘いならもうけっこうよ、と通り過ぎようとしたイオタの腕をマギスがつかんだ。
「ちょっと、放してよ」
「いいよ。君がおとなしくついてきてくれるならね」
「だから、私はもう舞踏会には――」
「大丈夫、シアンにもイオタを振り回すなと叱られたし、二度と誘わないよ。だから最後に一度だけ、付き合ってくれ。これで本当に終わりにする。君のことはきっぱりあきらめるし、この先絶対に君に近づかないと約束する」
「でも……」
シアンの忠告が脳裏をよぎり、イオタはためらった。その様子からマギスも勘づいたらしい。
「よけいな注意を受けたみたいだね。心配しなくても、命を奪うとか家に帰さないとかいうまねはしないよ。用事がすめばきちんと送り届けるから」
そしてマギスはイオタの耳にささやいた。
「これまでずいぶん君に貢いできたんだ。一つくらい僕の願いを聞いてくれてもいいと思うけど?」
さすがにイオタもはねのける手をとめた。イオタのほうからねだったわけではないとはいえ、マギスに散財させたのは事実だ。
「ちょと待って、お母さんに一言告げてから……」
「いいから、早く」
マギスはイオタの腕を取ったまま、強引に馬車へと導いた。
「えっ、マギス、待っ……」
抵抗したが、鼻と口を布でふさがれる。なすすべなく気を失ったイオタは、馬車に抱え込まれて宵闇に消えた。
寝返りを打とうとして、両腕の違和感にイオタは薄くまぶたを開けた。
「――――!?」
まず一番に視界に入ってきたのは知らない少年だった。イオタの顔をのぞき込んでいた彼がにやりとして、後方へ声をかける。
「おい、マギス。気がついたぞ」
そうか、と言って寄ってきたのはマギスだけではなかった。少なくとも四人はいる。
「お姫様のお目覚めだね」
マギスが嬉しそうに笑う。ただし、悪意を込めて。
「何……何なの、これは?」
イオタは自分の両手が頭上で縛られているのを知って動揺した。しかも寝かされているのはとても柔らかい、明らかに高級な寝台だ。
「言ったじゃないか、最後に一つだけ僕の願いを聞いてほしいって」
マギスが目を細める。
「本当にただであれだけたくさんの贈り物をされたと思っていたのか? これだから平民は」
一人が嘲笑する。
「まあ、確かにすごい美人だけどな。おまけに胸も大きそうだ。よくこんな子を引っ掛けられたな、マギス」
誰も彼もがいやらしくにやついている。身なりから、全員が貴族の子弟らしかった。
「まあね。シアンに邪魔されて最後は難しくなったけど、どうにかうまくいってよかったよ」とマギスが得意げに言う。
これから起きることが嫌でも想像でき、イオタは青ざめた。マギスがイオタのれんが色の髪を一房取って口づける。
「君が考えているほどひどいことはしないよ。へたに胤を落として後で屋敷に押しかけられても困るからね」
「誰の子かわからなくなるのだけは勘弁だな」
少年たちが下卑た笑いを振りまく。しかし安心どころか、なんのなぐさめにもならなかった。
「君も十分いい思いをしただろう? 普通なら手の届かない高価なドレスや宝石を、置き場に困るほど贈られたんだから……次は僕たちの番だ」
マギスはイオタの頬をなでた。
「怖がらなくていいよ。これは遊びだから。ただ裸にして、みんなで眺めてちょっと触れるだけだ。堪能したら、約束どおりすぐ返してあげるよ。それとも、正式に僕の愛人になるかい? 君ならとびきりかわいい子を産んでくれそうだからね。もし君が望むならちゃんと認知するし、一生涯遊んで暮らせるだけの援助はさせてもらうよ」
おぞましい冷笑を浮かべ、マギスがイオタの胸元に手をのばす。
「……ニス」
「うん? 何だい?」
尋ね返すマギスに、イオタは恐怖にかすれる声で懸命に祈りの言葉を絞り出した。
「我は請う、我に仇なす者どもに灼熱の刃を!!」
指をわずかに動かして三角形を描く。とたん、イオタの周囲に炎がわき上がった。
「うわああっ」
「あつっ……!」
飛びのいたマギスたちはしかしかわしきれなかったらしく、腕や髪にからみつく炎を必死に払い落している。自分の手首を縛っていた縄を炎で焼いたイオタはすぐさま跳ね起きて寝台を下りた。
「くそっ。マギス、神法学科生なら先にそう言えよっ!」
「おい、逃がすな!」
やけどの軽かった者が、扉へと向かうイオタを追う。先に開けようとしたイオタは、予想外に重い扉に手間取った。その間に再度捕まえられ、床に引き倒される。
「口をふさげっ」
「平民のくせになめたまねをしやがって!」
数人がかりで押さえつけられたイオタは、焼けた敷布のかけらを口の中に突っ込まれた。息ができない。首を振ってもがき吐き出そうとしたとき、びくともしなかった扉が開け放たれた。
「そこまでだ」
ぼうっとした頭の中に響いたのは、聞き覚えのある声だった。
「なっ……お前、なぜここに」
誰かが驚惑の色を問いににじませる。イオタは自分の頭の横で足をとめた人物の顔をあおいだ。
「さすがにこの状態で言い逃れはできないよ」
空色の瞳を冷え冷えと光らせ、シアン・フォルナ―キスはマギスたちを順に見た。
苦々しげに唇をゆがませ、少年たちが腰の剣に手をかけると、シアンは目を細めた。
「君たちの飾り物で僕を倒せるとでも思っているのか?」
柔らかな話し方しか知らなかったイオタは息をのんだ。シアンは本気で憤っているのだ。
シアンが片手を挙げると、外に控えていたらしい男たちが荒々しい靴音を鳴らしながら踏み入ってきた。
「はっ、フォルナーキス家の嫡男ともあろう者が、市の警兵に助力を請うたのか」
たいした統率力だと鼻で笑う少年の一人をマギスがとめた。
「待て、違う。こいつらは――」
警師団だ、と最後まで言わせることなく、シアンは彼らの捕縛を命じた。この国にいるかぎり誰であろうと罪を犯した者に剣先を突きつけることができる国の最高治安組織を率いてきたシアンに、マギスたちはあせり顔で訴えた。
「やめろ、誤解だっ」
「俺たちは、この女には何もしていないっ」
「信じてくれ、シアン!」
どれだけ懇願されてもシアンは聞く耳を持たず、警師団に彼らを連行させた。
「大丈夫かい、イオタ?」
差し出された手を借りて立ち上がったものの、膝がガクガクして力が入らない。どうにか気持ちを落ち着かせようと深呼吸するイオタを、シアンはせかすことなく待ってくれた。
「ごめんなさい。シアンさんに言われたとおり、逃げようとしたんですけど」
「うん、無理やり連れてこられたんだろう? イオタの格好を見ればわかるよ。冒険の帰りに捕まったみたいだね」
タウたちと仲直りできてよかったねと微笑むシアンにうなずいてから、イオタは焼け焦げた室内を見やった。
「私も罪に問われますか?」
これを弁償しろと言われたら困る。ましてや建て直せなどど詰め寄られたら、いったい何年かかることやら。
「それについては心配いらないよ。むしろこの有り様は、君が彼らの言いなりになるまいと奮闘した証だからね」
仮に裁判になっても、証言台に立たなくていいよう取りはからっておくよとシアンは答えた。あの連中の顔など二度と見たくないだろうからというシアンの気づかいが、とてもありがたかった。
「でも、どうしてここがわかったんですか?」
「実は少し前から調査は進んでいたんだ。トカーナエ高等学院で、女生徒による謎の不登校と自主退学が続いているという情報が入ってね」
たしか、先日帰省した兄もそのようなことを言っていた。
「それに、イオタがマギスに連れていかれた衣料品店は、僕の姉も時々利用しているんだ」
シアンの姉は現在、トカーナエ高等学院に在籍しているのだが、店主との雑談中に妙な話を聞いたのだ。マギスたち数名が、明らかに身分の違う女の子をしばしば引っ張ってくると。
姉の友人の友人が急に高級品を身につけるようになったかと思うと不登校になり、理由がわからないと友人に相談されたので、姉が父を頼り、同世代の自分がそれとなく探ることになったのだとシアンは語った。
「マギスの身辺を調べていたら君が行動をともにするようになったから、これは何かあるなとにらんだんだ。タウの冒険集団に加入している君が、マギスになびくとはとても思えなかった」
イオタは納得した。だからシアンは、自分のいるべき場所ではないとたしなめたのだ。
タウのことをよく知っているからこそ、シアンはイオタをタウのほうへ戻そうとしてくれた。
ようやく体が動くようになったので、イオタはシアンの誘導で屋敷の外へ出た。ここはマギスの父親がもっている別宅で、今はほぼマギスだけが使っているらしい。
張り込んでいた警師団から不審な馬車が入ったと報告を受け、シアンが駆けつけてみると、イオタが襲われかけていたというわけだ。
もしシアンが来てくれなければ、自分はひどい目にあっていた。きっと不登校や自主退学した女生徒たちも同じ罠にかかったに違いない。もてあそばれて、最後に嘲笑われれば、恥ずかしくて死んだほうがましだとさえ思っただろう。同じ学院に通っていればなおさらだ。
楽しく心躍る夢から覚めて突き落とされた女生徒たちを思うと、共感と同情に胸が痛んだ。
シアンの馬に相乗りさせてもらって家路をたどりながら、イオタは今回冒険に出ることになったきっかけから説明した。シアンは何度も相槌を打ちながら、イオタの話に耳を傾けてくれた。
「タウには内緒にしておいてもらえますか? マギスにさらわれたなんて知ったら、それ見たことかって絶対に怒るもの」
両の人差し指で自分の目をつり上げるイオタに、シアンは噴き出した。
「そうだね。彼は責任感が強いから、イオタの身に危険が降りかかったとなれば黙っていられないだろう」
「あれでも一回生の頃に比べればかなり落ち着いたんですよ」
「わかるよ。君たちのような仲間ができたんだ……彼は本当にいい冒険集団をつくったね」
シアンの温かいほめ言葉が心に染み入り、イオタは涙目でうなずいた。
翌日は『黄玉の姫』の再選の日だった。プラムは自信に満ちた顔つきで登校してきたが、タウと一緒に現れたイオタを見てこわばった。
誰もがイオタに注目していた。すっかり元に戻った容貌は本来の華やかさに加え、落ち着いた輝きも備わっていた。イオタは黙ってプラムのそばを通り過ぎたが、存在感の違いは明らかだった。
さらにタウと並んで来たことも味方した。互いのもつ生命力あふれる雰囲気が見事に調和している。『黄玉の姫』としてタウの隣に立つのはイオタしかいないと、二人を目にした誰もがそう認めた。
結果は、二位のプラムに大差をつけてのイオタの圧勝だった。ローの勧めで今朝タウと登校したイオタだが、これにはいぶかしんだ。実はそれほどの効果を期待していなかったのだ。
困惑するイオタに、ローは自分が他にも仕掛けていたことを告げた。プラムの後押しをするヘイズルに、もしプラムが選ばれれば常にタウと行動することになるよとささやいたのだ。その小さな、たった一つの忠告に、ヘイズルは引っかかった。表ではプラムを応援しながら、裏ではプラムに投票しないよう、息のかかった連中に指示していたのだ。
今回はローの立てた二つの計画がうまくかみあったらしい。こうしてイオタは『黄玉の姫』の座に返り咲いた。
昼休み、中央棟一階の廊下に集まった七人が、放課後に闘技場に集まろうと話していたところに、アレクトールが通りかかった。イオタは輪から抜けると、アレクトールに小さな袋を押し付けた。
「これ、返すわ。化け物にあげたことを後悔しているといけないから」
「あれは、その……悪かった。あんなことを言うつもりじゃなかったんだ」
「別に怒ってないわよ。私だって自分の顔が気持ち悪かったもの。みんな同じような反応だったしね」
ほっとした様子のアレクトールに、「でも」とイオタは続けた。
「逃げずにかばってくれた人もいたわ」
アレクトールの顔色が変わる。イオタはきびすを返すと、再び仲間のもとへ戻った。
放課後、イオタはミューに頼まれて一緒にパンを取りにいった。このところはずっとラムダの役目だったので首をかしげたが、ラムダは用があるからとミューは笑って答えた。
店に入ってからもミューはやけにのんびりと準備していた。いつも段取りがいいミューにしては珍しい。やっとパンと飲み物を袋に詰め終わったときには、外は薄暗くなってきていた。
二人で重い荷物をかかえて闘技場に急ぐ。両手がふさがっているので部屋に向かって声をかけると、シータが扉を開けた。
中に入ったイオタは目をみはった。天井から壁、円卓にいたるまで、色とりどりの鮮やかな飾りつけが施されていたのだ。立ちつくすイオタからシータが荷物を受け取り、ミューの荷物はラムダが持った。ミューに手をひかれて席に着いたイオタは、別室のように変わってしまった控え室を落ち着きなく見回した。
飲み物とパンが円卓に並べられたところで他の六人も座った。
「それでは、これよりイオタ・サリーレの誕生日会を始めます。司会は不肖ながら、わたくしロー・ケーティが務めさせていただきます」
ローのあいさつに、「いいぞ」とラムダがはやし声をたてる。ローが勧めるままに皆が杯を手に取り、乾杯した。つられて果汁を口に含んだものの、拍手されてイオタはとまどった。
自分の誕生日会が一度流れたことなどすっかり忘れていた。てっきり次の冒険の話し合いをするものとばかり思っていたのだ。
そうしている間にも会は進み、ミューが代表で大きな花束を持ってきた。控え室の飾りつけが見つからないよう、ミューはわざと自分を誘ったのだ。用意が遅かったのも納得できる。思い出して苦笑をこぼしたイオタに、今度はタウが立ち上がった。
みんなからの贈り物だと差し出された小箱を開け、イオタは息をのんだ。黄玉の指輪が入っていたのだ。宝石自体はとても小さかったが、極上のハチミツのような美しい色をしている。指にはめてみるとぴったりだった。自己主張しすぎない自然な輝きにイオタはみとれた。
自分がマギスと会っている間に、六人はサルムの森に黄玉を探しにいっていたのだ。あの日会ったタウはその帰りだったのだとイオタは知った。
「ミューの提案だ」
「イオタにふさわしいものでしょう?」
タウの言葉にミューが穏やかに微笑む。確かに『黄玉の姫』に対してこれほどすばらしい贈り物はない。しかも店で売られていたものではなく、六人がわざわざ足を運んで取ってきたものなのだ。涙目で指輪に口づけ、イオタは六人に向かって礼を言った。
その後はみんなで食事を楽しんだ。舞踏会では得られなかった幸福感に、イオタは思う存分ひたった。
戻ってきてよかった。戻ることができて、よかった――あのよどんだ世界から仲間のもとへ押し返してくれたシアンに、イオタは心から何度も感謝した。
すっかり遅くなってしまったので、帰りはタウが送ってくれた。一時はにらみあうまでに険悪だったのが嘘みたいだ。隣を歩く端整な横顔をイオタはちらりと見上げた。
アレクトールほど軽口をたたけなくてもいい。正面からぶつかることもあるだろうが、それでもそばにいたい。
タウが好きだ。改めて自分の気持ちを確認したイオタに、タウが背負っていた袋から箱を出した。
「これは俺から、イオタに」
細長い箱の中身は香水だった。瓶からして相当高いものなのではないか。かいでみると、意志の強そうな躍動感と知的な上品さがいい具合に組み合わされた、不思議な香りだった。
「調合してみた。うちの専属調合師と母に相談に乗ってはもらったが、世界に一つしかないものだぞ」
タウの自分への印象がこの瓶に込められているのだ。イオタはもう一度丁寧に匂いをかいだ。
「いい香りね」
たまらなく嬉しい。瓶をしまった箱に頬を押し当てるイオタに、タウは赤い瞳を弓なりにした。
「降臨祭までの勝負ね」
タウから迷いのない恋心を引き出せるかどうか。だめなら降臨祭にも誘わない。真剣なイオタのまなざしに、タウはうなずいた。
「ああ。受けて立とう」
後で悔やむことのないよう正直な答えを出そうと、二人は約束しあった。
その翌朝、目覚めたイオタは黄色の玉をにぎっていた。
残るはあと三つ。
虹の森の足音は確実に、七人に近づいてきていた。
閲覧ありがとうございます。これで4巻は完結です。次巻のタイトルは『賢者の心臓』で、12月中にアップ予定です。