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炎王の使者  作者: たき
6/9

(6)

 初めての舞踏会はかなり緊張したが、回を重ねるうちに慣れていった。時々マギス以外の人に申し込まれて踊ることもあった。

 一度踊っただけの相手から高い贈り物が届いたり、招待状が直接送られてきたりするようにもなったが、イオタの心は晴れなかった。買い物、茶会、舞踏会を繰り返す生活に、むしろ疲労と不満が積もりつつあった。

 自分が望んでいたことだったのに。フィーリアに負けないものを手に入れたいと願い、かなったものなのに。このところはマギスと踊りながら、闘技場で皆と円卓を囲む光景ばかり思い出すようになっていた。

 控え室に置かれていた古い木棚や、脚に瑕の入った椅子、ミューが持ってくるパンの匂い。いつもミューは穏やかに笑っていた。ラムダは軽口で場をなごませ、情報通のローはいろいろな話題を提供してくれた。法術についてファイと議論するのは楽しかったし、おしゃべりで活発なシータはそばにいるだけで元気を分けてもらえた。そしてタウは……もう何日も口をきいていなかった。廊下で会っても目もあわさない。

 これでよかったのだろうか。高価な服や靴や指輪が、自分は本当に欲しかったのだろうか。

 やわらかい椅子に腰かけていたイオタに、踊ろうとマギスが手を差し出す。機嫌のよさそうなマギスの顔をイオタはじっと見つめた。

 本当に見てもらいたかったのは、この人ではなかった。

 きれいだなとほめてもらいたかったのは、この人ではないのに。

「イオタ?」

 マギスが首をかしげる。違う、名前を呼んでもらいたいのは――。

 そのとき、扉の前にいた使用人があらたな来客の名を告げた。現れたフィーリアにイオタはこわばった。

 フィーリアもイオタに気づいたらしい。ゆるやかな歩調でやってきたフィーリアに、マギスがひざを折ってその手に接吻した。

「場違いな者が招かれているとは、どういうことですの?」

 羽のついた扇で口元を隠しながら、フィーリアが侮蔑のまなざしをイオタに投げる。格上のフィーリアからの追及に、マギスはうまい弁明の言葉が出てこないのか口ごもった。

「僕がマギスに頼んだんだよ。彼女の着飾った姿を見てみたいとね」

 声をかけてきたのはシアン・フォルナーキスだった。神法学院で会ったときとは異なり、舞踏会用の上質な衣装をまとっている。

「彼女は僕の出身校であるゲミノールム学院の黄玉だ。きっと見栄えがすると思ったんだが、予想以上だった。イオタ、踊ってくれるかい?」

 シアンがイオタの手を取ると、フィーリアの顔色が変わった。

「わたくしの相手をしてはくださらないの?」

「残念だが、踊るには身長差がありすぎる。もう少し君の背がのびたら、僕からひざまずいてでもお願いするよ」

 学祭では生気のなかった紅紫色の瞳に怒りの色が走った。あきらかに不快感を表しながらも言葉にしないのは、立場が同等であるからなのか。あるいは旧家のヴェルド家より、フォルナーキス家のほうが今は勢いづいているのかもしれない。シアンに導かれるまま立ち上がったイオタは、ちょうど始まった音楽にあわせて会場の中央へと移動した。

「どうしてここにいるんだい?」

 踊りながら小声で尋ねられ、イオタはうつむいた。

「悪いことは言わない。もうここへは来ないほうがいい。ここは、君のような者がいる場所じゃない」

「身分違いですよね。形だけ取り繕ってもだめだって身に沁みました」

「そういう意味じゃないよ。君はタウの冒険仲間だろう? 自分から希望を求めて行動するような人間は、ここにはいない。何度足を運んだのかは知らないが、君の心を満たすほどの楽しみは得られなかったはずだ」

 イオタは顔を上げないままうなずいた。シアンの言うとおりだ。やはり自分の居場所はここではない。

「それに……よくない噂を聞いた」

 首をかしげるイオタに、シアンはひそりとささやいた。

「マギスたちには関わらないほうがいい。早急に付き合いを断つんだ」 

 真顔のシアンに、イオタはぞくりとした。イオタの目がようやく覚めたことがわかったのか、「送るよ」とシアンが優しく微笑んだ。

 家の前で下ろしてくれたシアンは、二度とマギスに近づかないよう念を押して帰っていった。理由までは教えてくれなかったが、シアンはマギスよりずっと信用できる。ここは素直に忠告を聞き入れようと思って馬車から目をそらしたイオタは、視界の端に見えたものにドキリとした。

 冒険するときにいつも背負っている袋を、タウは肩にかけて近寄ってきた。しかし立ちどまった距離はかつてないほど遠かった。

「冒険に出ていたの?」

「ああ。サルムの森にみんなと行ってきた」

 知らないうちに話が進んでいたことに、イオタは動揺した。自分が復帰するのをみんな待っていてくれると、どこかで期待していたのだ。

「誘ってくれればよかったのに」

 つい責めてしまったイオタに、タウは間をおいて吐き捨てた。

「舞踏会よりおもしろい冒険なんて、イオタにはないのだろう? 嫌いな冒険に今まで付き合わせて、悪かったな」

 冷たく突き放されて立ちつくすイオタに、「高い香水だな」とすれ違いざまつぶやいて、タウは去っていった。

 遅かった――もう二度と彼らの輪に戻ることはできない。受け入れてもらうことは不可能なのだ。それくらい、タウたちとの間の亀裂は大きくなりすぎていた。

 自分は馬鹿だ。大馬鹿だ。

 イオタはマギスからもらった指輪を乱暴にはずすと道に放り投げた。真珠の首飾りも耳輪も全部引きちぎるようにして捨てていく。口紅もぬぐい、靴も脱ぎ、イオタは裸足で自宅に駆け込んだ。驚いた母親の問いかけにも答えず自室にこもり、泣きに泣いた。そのせいで翌日は目がはれた状態で登校したが、廊下で顔をあわせたタウは何も言わなかった。

 すれ違うだけの毎日に、やがてイオタも涙が出なくなった。他の仲間にも反応せず、独りでいることが当たり前のようになった頃、イオタの誕生日がやってきた。



「あさって?」

「ああ、イオタの誕生日だろう? どこかへ出かけないか?」

 昼休みに声をかけてきたアレクトールを、イオタはしばし見つめた。

「そうね、いいわ」

「本当か!?」

 まさか承知してもらえると思っていなかったのか、アレクトールは目をみはった。

「どこへ行きたい?」

「人の多いところは嫌だわ。空気のおいしいところでのんびりしたいの」

「わかった。じゃああさっての朝、迎えにいく」

 上機嫌のアレクトールと別れ、イオタは法塔へ向かった。マギスと遊び回っていたおかげで勉強のほうがすっかりおろそかになっていたが、ここ数日の努力で何とか遅れを取り戻すことができた。ただ集中しすぎて疲れたので、少し休憩したい。ぼんやりしていたイオタは、レムナが恐ろしい形相でにらんでいたことに気づかなかった。

 二日後、約束の時間にアレクトールは訪ねてきた。一頭の馬に相乗りし、二人はステーラ平原を目指した。

 到着するなり、イオタは小川に足をひたした。『炎の神が奮い立つ月』は日中の気温がかなり上昇するので、水につかるのは心地よかった。アレクトールも隣に座って同じように足を投げ出し、二人はぼつぼつ話をして過ごした。

 あれからマギスは誘ってこなくなった。シアンがとめてくれたのかもしれない。マギス以外の人間からはあいかわらず招待状が届いていたが、イオタは開封もせずに捨てていた。

 アレクトールはタウや他の仲間について触れなかった。イオタが彼らと仲違いをしていることは勘づいているようだが、その話題を出してこないのはありがたい。イオタも模擬戦のことは避けたので、二人の会話はたわいのないものだったが、そのぶん安らかな時間を満喫できた。

 嫌味や自慢話さえなければ、アレクトールは冗談も口にするし、ものをよく知っていた。一部分だけを見て毛嫌いしていたのは悪かったかと、イオタは少し思いなおした。頭のかたい誰かより付き合いやすいかもしれない。

 日暮れに家に送ってもらったイオタは、いい気分転換ができたと礼を言った。アレクトールははにかんだ笑みを浮かべながら、小さな包みを渡して帰っていった。

 中をのぞくと手作りの腕輪が入っていた。意外と器用だなと感心して化粧台に置いたイオタは、まだ未開封の招待状と、少し厚みのある封筒に気づいた。招待状はたしか二日前に来たものだ。

 招待状をごみ箱に捨てたイオタは、封筒のほうを開けた。入っていたのが入荷を待っていた日焼け止めの容器だったので母に確認すると、水の法専攻生が持ってきたと言った。

 ミューだろうか。自分が留守だったので母に預けたのかもしれない。

 タウとの関係はもう戻らないだろうが、ミューはどれだけこちらが避けても、粘り強く話しかけてこようとしていた。

 ミューとだけは仲直りできるかもしれない。今さら声をかけるのは気まずいし怖かったが、日焼け止めのお礼はきちんと伝えなければ。

 翌朝、イオタは日焼け止めを丁寧に顔全体に塗った。手に取ったとき何となく違和感があったものの、気のせいだろうと思い直して家を出た。しかし学院に近づくにつれて、顔がひりひりしはじめた。

 やはりおかしい。登校したらすぐ洗い流そうと急いだイオタは、門をくぐり人が増えたところで、いきなり金切り声をあげられた。周囲の生徒たちがイオタを見て逃げ、また遠巻きに騒いでいる。

 肌の痛みはどんどん激しくなっていく。気になって触ってみると奇妙なねばりを感じた。手に膿のようなものがついていることにイオタが息をのんだとき、後ろからアレクトールが話しかけてきた。

「よう、イオタ。昨日は楽しかったな」

 ふり返ったイオタに、アレクトールがぎょっとした表情になった。

「お前、何だその顔!?」

 イオタが尋ねるより先に、のけぞったアレクトールが化け物だと言って走っていく。イオタは袋から鏡を出すと、おそるおそるのぞいた。

 大量の吹き出物が顔中に広がっていた。さらにその吹き出物は汁を垂らしながら膿を出している。悲鳴をあげてうずくまったイオタに駆け寄ってきたのはタウだった。

「どうした、イオタ!?」

 肩をつかまれる。イオタは抵抗したが、タウは無理やりイオタの体を自分のほうへ向けさせた。

「嫌ああああっ!!」

 自分の顔を見てこわばるタウを、イオタは突き飛ばした。逃げたいのに足がすくんで動けない。その場にへたり込むイオタに、タウがもう一度手をかけた。暴れるイオタに法衣のフードをかぶせる。

「治療室へ行こう」

 タウに抱きかかえられるようにして、イオタはどうにか中央棟を目指して歩いた。フードのおかげでそれ以上他の人間に顔を見られることはなかったが、誰もが自分に注目しているのはわかった。

 治療室の前まで来たところで、騒ぎを聞きつけたミューが追いかけてきた。タウはケローネー教官を呼んでくるようミューに頼み、イオタを連れて治療室に入った。

 もう大丈夫だと言われても、イオタはフードを脱がなかった。タウの手を振り払って一人震えるイオタに、タウもそれ以上触れようとはしなかった。

 やがてミューがケローネー教官を連れて戻ってきた。扉の外には生徒が集まっているらしく、ざわめきがくぐもって聞こえてくる。

「これはー、あー、毒のようですねー」

 ケローネーはイオタの顔を観察し、『治癒の法』をかけた。しかし吹き出物は一瞬消えてもすぐにまた復活し、膿を垂れ流した。

「『治癒の法』が効かないなんて……」

 ケローネーの隣にいたミューが声をつまらせる。

「まれにあるんですよー。呪いがかかったものかー、もしくはー、エルライ湖にー、生息するものでー、作られたかー」

『治癒の法』は水の女神の力を借りる法術なので、同じ女神の守護を受けたものから作られる毒物は、水の浄化の力に耐性ができていて効き目がないのだ。

「ここ最近でー、害のありそうなものをー、塗ったりー、さわったりはー、しませんでしたかー?」

 イオタは上目遣いに一瞬だけミューを見た。

「今朝、日焼け止めを使ったんです。昨日、部屋にあって……水の法専攻生が持ってきたって母が言っていたから、てっきりミューがよろず屋で入荷したものを届けてくれたんだと思って」

 ケローネーとタウの視線を受け、ミューは困惑顔になった。

「何のこと? 私はそんなものを持っていった覚えはないわ」

「でも水の法専攻生だって……」

「本当に知らないの。それに、イオタのお母さんだったら私のことは知っているはずよ」

 確かに、ミューだったら母はわざわざ水の法専攻生だという言い方はしない。

「そんな……」

 では誰が持ってきたのか。何のために?

「あのー、ですねー、とりあえずー、その日焼け止めをー、調べさせてくださいー」

 イオタは今日は帰ったほうがよさそうですねーとケローネーが勧める。衝撃のあまり呆然としているイオタの肩に、ミューがそっと手を置いた。

「私がイオタを送って、日焼け止めを持ってきます」

「そうですねー。一限目の授業はー、私ですしー、小試験ですからー、ミューはー、別の日にー、おこないましょうかー」

 予鈴が鳴ったので、ケローネーは後をミューに任せて退室した。タウはまだとどまっていたが、ミューに目で合図されて引き下がった。

 ミューはイオタを励まして立たせると、法衣のフードをかぶらせて一緒に治療室を出た。他の生徒たちの姿もすでになく、イオタはミューに支えられながらのろのろと帰宅した。

 イオタの母親に事情を説明して部屋に入ったミューは、問題の日焼け止めをさっそく手に取った。

「容器はいつもイオタが使っているものと同じね」

 イオタは寝台に腰を下ろしたまま動かない。日焼け止めの入っていた袋がごみ箱に捨てられているのを見たミューは、一緒に放り込まれている未開封の招待状を見て瞳をすがめた。

「招待状、開けなかったのね」

「舞踏会なんてもう行く気がないもの」

 まだフードをかぶった状態で、イオタがぼそぼそと答える。

「違うわ。これ、私たちからよ」

 イオタはミューがごみ箱から拾い上げた招待状をひったくった。雑に破いて開くと、誕生会の誘いがミューの文字で書かれていた。

 日付は昨日。場所は闘技場の控え室になっていた。

 文字がぼやけた。こぼれた涙は招待状に落ち、服を濡らしていく。しゃくりあげるイオタの隣にミューが座った。

「罰が当たったんだわ」

「イオタ……」

 横から抱きしめてくるミューにもたれかかり、イオタはしばらく泣き続けた。アレクトールが化け物扱いし、みんなが悲鳴をあげて逃げた自分を気味悪がりもせず包み込んでくれるミューに、イオタはひたすら甘えすがった。そして間で少しずつ、今までの心境を話した。ほとんど言葉にならなかったが、ミューは大丈夫だからと優しく頭をなでてくれた。

「ケローネー先生に調べてもらって、原因をつきとめるわ。絶対に治療法を見つけるから、安心して」

 ミューがイオタの両手を強くにぎる。うなずくイオタに微笑むとミューは腰を上げた。

 今日の帰りにまた寄るからと告げて、ミューは出ていった。イオタは窓を開けて空気を中へ通すと、大きく息を吸い込んだ。





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