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炎王の使者  作者: たき
5/9

(5)

 学祭から三日後のことだった。放課後に帰宅したイオタは、自分の家の前に大きな馬車がとまっているのを見ていぶかしんだ。

 何事かと馬車に近づくと、玄関でイオタの母と話していたマギスがふり返った。

「やあ、イオタ。迎えにきたよ」

「どういうこと? あんたと約束した覚えはないわよ」

「まあそう言わずに、乗って乗って」

 マギスはイオタの母親に笑顔で別れを告げると、イオタを強引に馬車に押し込んだ。

「ねえ、待って。どこに行くのよ?」

「そうだなあ、とりあえず買い物かな」

 馬車を出発させたマギスののんきな答えに、イオタはますます渋面した。何を考えているのかさっぱりわからない。

「下ろしてよ。あんたに付き合ってる暇はないんだから」

「そう? イオタにとって悪いことにはならないと思うけど」

 マギスはにやりと笑った。

「もうじき交流戦があるはずだよね。そのとき『黄玉の姫』としてスクルプトーリスの姫に勝ちたいとは思わない?」

 背筋がひやりとした。マギスはフィーリアが自分を馬鹿にした言葉を聞いていたのか。イオタは唇を結ぶと、ひざ上で法衣をにぎりしめた。

「元が美人なんだから、いいものを身にまとえば絶対にひけはとらないよ。ゲミノールムにいた頃みたいに強引に交際を迫ることはしないから、ちょっと僕に任せてくれないか?」

 恋人になれというわけではないらしい。イオタは少し安心した。

「どうしてそこまでしようとするわけ?」

「女性に贈り物をするのは大好きでね。特に気に入った相手への投資は惜しまない。君は僕に関心がないかもしれないけど、僕は君が輝いていてくれるだけで嬉しいんだ」

 イオタはマギスから目をそらした。馬車の窓に映る景色はなめらかに流れていく。やがてアーリストンの町に着くと、マギスは看板も建物も派手な、大きな衣料品店の前で馬車をとめた。

 そこは貴族御用達の店で、イオタは女主人が次から次に出してくる高価なドレスに目をちかちかさせながら着替え続けた。そのたびにマギスは満足げにうなずき、ほめちぎった。

 結局その日は三枚のドレスをマギスに買ってもらった。帰りに立ち寄った茶店でお茶を飲みながら次は靴だねと笑うマギスに、イオタはあまりにも疲れすぎて返事ができなかった。

 それから二、三日おきにマギスは家まで迎えにきては、イオタを連れ回した。一度に買ってしまうと会う口実がなくなってしまうからと陽気に言われ、最初は気乗りしなかったイオタもしだいに買い物が楽しみになった。もともと服や装身具を見て歩くのは好きなのだ。さらに今まで手の届かなかった高価なものに簡単に触れることができるのは、やはり魅力的な話だった。

「ミュー、見てこれ。本物の青玉よ」

 朝、登校するなり喜々として指輪を見せたイオタは、沈黙したままのミューに小首をかしげた。

「どうかしたの?」

「イオタ……昨日は冒険の話し合いをする日だったんだけど、忘れていたの?」

 言われてイオタはあっと手で口を押さえた。確かにミューから聞いていたのに、すっかり頭から抜け落ちていた。

「……そうね、うっかりしてたわ」

 素直にあやまると、ミューはほっとした顔になった。

「イオタが来なかったから、話し合いはあさってに変更になったの。次はちゃんと――」

「ごめんなさい、その日は約束があるの」

「マギスとか?」

 割り込んできたとげとげしい声に、イオタはびくりとした。ふり向くと、タウとラムダが立っていた。

「このところ、ずいぶんあちこち買い物に回っているみたいだな」

「……だったら何? 別にいいじゃない」

 責める口調のタウにイオタはむっとした。 

「タウだって、ヴェルド嬢の屋敷に呼ばれているんでしょ? それとももう行ったの?」

 尋ね返すと、タウの目つきがけわしくなった。

「俺のは家の仕事だ。遊び歩いているわけじゃない」

「何よそれ。どうしてそんな嫌味を言われなくちゃいけないのよ!?」

「イオタ、落ち着いて」

 大声を出したイオタをミューがなだめる。周辺にいた生徒たちがちらちら見ながら通り過ぎるさまに気づき、イオタも唇を引き結んだ。

「最近おかしいぞ。誰と会おうとイオタの自由だが、今の状況がイオタのためになるとは思えない」

「保護者面しないでよ。私は『黄玉の姫』として恥ずかしくない格好をしたいのよ。もういいわよっ」

 イオタは怒って三人に背を向けた。ミューの呼びとめる声がしたが無視して駆ける。

 わかってもらえないことが、むしょうに腹立たしい。

 安物を身につけている自分をフィーリアが嘲笑しても、タウは平気なのか。それとも、安物で十分だとタウは思っているのか。自分にはそれがお似合いだと。

 しかも、誰と会おうと自由だなんて。少しくらい妬いてくれてもいいのに。

『イオタが近くにいるのに何とも思わない奴』というアレクトールの言葉が改めて胸をえぐる。仲間であって付き合っているわけではないという女生徒たちの悪口が、傷をさらに広げた。

 タウはフィーリアに香水を持っていたのだろうか。その香水を指に取り、フィーリアの耳に触れたのか。

 二人が近づいて見つめ合っている姿を想像してしまい、イオタは歯がみした。そんなのはタウではない。そんなタウは――嫌いだ。



 二日後、イオタは闘技場へは行かなかった。ミューには申し訳ない気持ちになったが、タウと顔をあわせたくなかった。

 自宅へ戻ると、すでにマギスの馬車が待っていた。今日はどこへ買い物に行くのだろうと思いながら家に入ったイオタに、だがマギスは先日購入したドレスに着替えるよう勧めた。母親に手伝ってもらってイオタが支度を整えると、マギスはまぶしそうに目を細めてほめそやした。

「今日は舞踏会に招待されているんだ。着飾ったイオタを皆に自慢したくてね」

 急にそんなことを言われてもと慌てるイオタを、「大丈夫、僕に任せて」と笑ってマギスは馬車へ押し込んだ。マギスも馬車に乗ろうとしたところで、その肩をつかんだ者がいた。

「手を離してくれないか、タウ」

 マギスがタウに低い声音で抗議する。だがタウの赤い瞳はイオタだけをとらえていた。

「また約束を忘れていたのか? それともわざとか?」

「……わざとよ」

 イオタは目を伏せた。正面からタウを見ることができない。怒られるのを覚悟したが、タウは無言だった。

「邪魔だからどいてくれないか。僕たちはこれから舞踏会に出かけるんだ」

 タウの手をはじいて、マギスはイオタの隣に座った。

「俺たちとの冒険より、ダンスのほうを選ぶのか」

「当たり前だろう。イオタのように美しい女性はもっと華やかな場に導いてあげるべきだ。タウ、君もそろそろ冒険などという子供じみた遊びは卒業したほうがいい」

「俺は、見せびらかすためにイオタを連れ回したいとは思わない」

 タウの返答にイオタは傷つき、唇をわななかせた。

 自分は紹介する価値もないということか。やはりタウにとってはどうでもいい存在なのだ。ただ一緒に冒険するかしないかというだけの人間でしかなかった……。

「冒険は嫌いよ。私は汗臭いことはしたくないの」

「イオタ!」

「タウ、君は変わってないな。その傲慢なところはなおしたほうがいいと、前にも忠告したはずだよ」

 鼻を鳴らしてマギスが馬車を出発させる。タウの姿が視界から消えても、イオタはうつむき、ずっとドレスの裾をにぎりしめていた。



 闘技場に一人で戻ってきたタウを見て、待っていた五人は話をやめた。黙って席に着いたタウに、ミューが果汁の入った杯を置いてラムダの隣に座る。

「イオタはやっぱりマギスと行ったのか?」

「ああ、今日は舞踏会だそうだ」

 椅子の背もたれに体重をかけたタウは、無言で杯を見つめている。シータたちは互いを見合い、ラムダが話を進めた。

「仕方ないな。とりあえずイオタ抜きで計画を立てるか」

 それから五人は次の冒険の行き先を話し合ったが、タウが心ここにあらずという感じだったせいか、結局まとまらなかった。町の時計塔の鐘が六つの音を響かせたので、また二日後に集まる約束をして帰ることにした。

 ローとファイが先に出ていく。シータも動かないタウを気にしながら腰を上げた。部屋を出る前にもう一度タウをかえりみたとき、タウはそばにいたラムダにぽつりと漏らした。

「俺は……傲慢か」

 ラムダが眉をひそめてミューと視線を交える。シータは聞かなかったふりをしてそっと退出した。

 二日後の放課後、着替えをすませて更衣室を出たシータは、生徒会室の前で立ち話をしているバトスとレクシスを見かけた。ふり返った二人に手招きされてシータが近寄ると、タウとイオタは喧嘩でもしているのかと聞かれた。

「タウがおかしいんだ。演習でもたまにぼうっとして、ウォルナット先生に何回注意されてもしゃきっとしない。病気でもないみたいだし」

「イオタもだ。今まで授業中にあてられて答えられなかったことはなかったのに、このところは『わかりません』の連発で、課題は忘れるし、ひどいときは居眠りまでしてる」

 いったいどうなっているんだという二人に、シータはイオタが最近冒険の話し合いをすっぽかして、買い物や舞踏会に出かけていることを話した。マギスの名前を口にするとバトスが目をみはった。

「マギスって、マギス・オドルか? イオタの奴、前は全然相手にしていなかったのにどういうつもりなんだ」

 大きくため息をついて、バトスは茶褐色の前髪をかきあげた。

「よりによってマギスとはな」

「何かまずい人なの?」

 首をかしげるシータに、タウにとっては関わりたくない相手だろうなとバトスは答えた。

「マギスは俺たちより二つ年上で、ゲミノールム学院在籍中は剣専攻だったんだ」

「じゃあ、シアンさんと同い年?」

「シアンさんを知っているのか?」

 シータが武闘館の学祭で会ったことを告げると、バトスたちはなるほどとうなずいた。

「それで、そのマギスのことだが、今はトカーナエ高等学院に入学している。もともと剣術はたしなみ程度のつもりで、本気で学ぶ気はなかったんだろうが、当時一回生だった俺でさえ、合同演習で手合わせしたときはひどいなと思った。でも一応上級生だし、こっちが勝つわけにはいかないだろう。だから下級生はみんなマギスと組むときは手を抜いていたんだが、タウは融通がきかない性格だから、まともに打ち合ってあっさりマギスの剣をはね飛ばしてしまったんだ。下級生のくせに生意気だとマギスは怒ったんだが、タウがまた『下級生に負けたくないなら腕をあげろ』なんてことを言ったものだから、ますますこじれてな。それでなくともあいつは入学前から目立っていて、一回生なのに黄玉の投票で三位に食い込んだんだぞ。剣の腕だってすでに三回生のへたな奴よりは上だったから、あいつを妬む二、三回生はけっこういたんだ。そこへマギスとのやりとりだろ? その日から上級生の嫌がらせが始まってな。合同演習では誰もタウの相手をしなくて、いつも一人だった。たまに手合わせしても、後ろから別の人間に攻撃されたり邪魔されたりして、治療室行きになることも多かった」

「バトスたちは? 同期生はタウをかばわなかったの?」

「二、三回生に立ち向かうほど、まだ団結力はなかったしな。それにタウはあの頃、生真面目で正論をふりかざす奴だったから、俺たちにとっても付き合いにくい相手だった。そんな奴を守るためにわざわざ上級生に逆らうような人間が、そうそういると思うか?」

 シータはむかむかした。どんなに嫌いでも、一緒に学んでいる仲間なら助けるべきではないのか。

「でも、そんなあいつにシアンさんだけは話しかけていたんだ。俺たちが入学したときには、すでにシアンさんは下等四学院一の剣士だと言われていたし、合同演習ではいつも手合わせの希望が殺到していたんだが、シアンさんは自分から進んでタウの相手をしたんだ。シアンさんならタウが本気で挑んでも勝てないから、その日のタウはずいぶんすっきりした顔をしてたな」

 シアンが二、三回生をなだめたのか、その日を境にタウへの嫌がらせは少しずつ落ち着いていき、タウもまたシアンから助言を受け、かたくなだった態度がやわらいでいったという。マギスたち一部の人間は裏であいかわらずタウにちょっかいを出していたが、タウが反抗的な姿勢を見せなくなったことで興味がうせたのか、最後は無視するだけになったらしい。

「タウが俺たち一回生の輪にも入るようになったのは、そのあたりからだ。口うるさい父親みたいなところは変わらなかったが、面倒見はいいし、みんなが嫌がるような仕事も黙って引き受けてたし、弱音や愚痴なんかほとんど聞いたことがない。まあ、一緒にいる時間が長くなればなるだけ、『こいつ、意外といい奴じゃないか』って思えるようになったってわけだ。それから、野外研修で同じ班だったラムダとは間でちょこちょこ話していたみたいだが、二回生になって冒険集団を立ち上げてからは、タウもかなり雰囲気が変わったぞ。つまりお前が知っているタウは、二回生からのタウだ」

 妙な気分だった。タウの過去を聞けたことは嬉しい驚きだったが、同時に重いものを飲み込んだような感じだった。

 迷ったり悩んだりしたことなど一度もないと思っていた。成績はいいし、みんなから慕われているし、模範的な人生を歩んできたのだろうと想像していたのに。

 俺は傲慢かとつぶやいたタウの顔がよみがえる。あのときのタウは、どんなことを考えていたのだろう。

 バトスたちと別れ、シータは町の闘技場に向かった。今日こそはイオタが来ることを期待して。



 時計台の鐘が五つの音を響かせたが、イオタが顔を出す気配はなかった。今日も逃げられたかとぼやくラムダの隣で、タウは腕組をしたまま身じろぎもしなかったが、鐘の音を聞くと羽ペンを手に取った。

「待ってもむだだ。話を進めよう」

 みんなが提案した冒険の行き先の候補を紙に書き出していくタウに、ミューが口を開いた。

「タウ、学祭のときに起きたことを全部話してくれない?」

 手をとめ、タウは顔を上げた。

「イオタの様子がおかしくなったのは、あの日からだもの。何か原因があると思うの」

「悪いが、一緒に冒険に行く気のない人間のことを心配するのは、もう終わりにしたいんだ。どこかで線を引かないときりがないだろう」

「本当にそれでいいの? イオタがこのまま抜けても、タウは後悔しないの?」

「冒険は嫌いだとはっきり言われた。冒険よりも買い物や舞踏会を選んだのはイオタの意志だ」

 再び紙面に視線を落としたタウに、ラムダが言った。

「お前がいいなら別にかまわないが、ここはマギスに遠慮するところではないと思うぞ」

 タウがラムダをにらんだ。しかしラムダもひるまない。室内に走った緊張を、タウはため息で解き放った。

 そしてタウは学祭での出来事を五人に話した。実は学祭より前にカラザーンで事件があったことを知ったミューにさらに問いただされ、しぶしぶ説明する。偶然よろず屋で会ったことも含めてタウがすべて語り終えた頃には、ミューの表情はすっかりかたくなっていた。

「そんなにたくさんのことがあったのに、タウはイオタの気持ちがわからないの?」

 珍しく非難してくるミューに、タウは困惑顔になった。

「香水にけちをつけられたからといって、いきなり上流階級に仲間入りしようとまで考えが飛ぶほうがおかしいだろう。確かに彼女の言いかたはイオタを刺激したとは思うが」

「そうじゃないわ」

 ミューはかぶりを振ってタウを見つめたが、やがてあきらめたように小さく息をついた。

「みんなにお願いがあるの。次の冒険で手に入れたいものがあるんだけど」

 いつになく強い調子のミューにシータはとまどった。他の四人も同じらしい。そしてなかば押し切られる形で、ミューの希望したものを取りに行くことが決まった。


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