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炎王の使者  作者: たき
3/9

(3)

「だから、なぜだめなのだ?」

「何度も同じことを言わせるな。たとえただの軽い鍛錬でも、交流戦以外でお前と剣を交える気はない」

 どれほど冷たくあしらってもくじけない相手に、馬の背で揺られながらタウは大きく嘆息した。

 休日、トレノ市に屋敷をかまえる上客へ注文されていた商品を届けた帰り、宿敵と言えなくもない相手にタウは捕まった。トレノ市は広く、中心地カラザーンも決して狭くはないのに、たまたま出会ってしまったのだ。

 いや、本当に偶然なのかどうかもあやしい。この男は興味対象には異常なまでにめざといのだから。

「総大将同士が交流戦前に打ち合うのはさすがにまずいだろう。これが原因で交流戦が中止になってもいいのか?」

 馬を並べて進みながら「むう……」と不満げにうなった彼の名は、レイブン・ピスタシオ。ゲミノールム学院と毎年交流戦をおこなうスクルプトーリス学院の剣専攻三回生代表で、今年『スクルプトーリスの紅玉』にも選ばれている。

 襟足を少し長くしたくすんだ赤色の髪に、浅緋色の瞳のレイブンは、貴族の家柄だ。さらに容姿もあいまって、『スクルプトーリスの貴公子』と呼ばれている。ゲミノールム学院より比較的貴族の子弟が多いスクルプトーリス学院の中でも、政治的に力のある家系なのだが、レイブンは腹の探り合いよりも剣を振るほうを好んだらしく、また末っ子でもあるのでわりと自由奔放に生きているようだ。それは別に本人の事情なのでいいのだが、問題は少々――いや、かなり粘着質な面があるという点だ。

 レイブンと初めて顔をあわせたのは、一回生のときの交流戦だった。セムノテース川の合戦で互いに一歩も譲らない勝負のすえ、かろうじてレイブンを打ち負かして以来、遭遇するたびにまとわりつかれるようになってしまった。これで二回生の交流戦でうまく回避できればよかったのだが、どういうわけかそこでもレイブンのいる隊と衝突してしまい、彼はタウを見るなり単騎で突っ込んできたのだ。しかも行く手を遮るゲミノールム側の生徒たちをあっさり払いのけながら。

 実力だけは半端なくあるので味方が恐れて下がってしまい、結局タウが相手をするよりなかった。そのときはタウの配属されていた隊が負けたので、撤退に際ししんがりを引き受けようとしたが、レイブンの執着ぶりを目にした副隊長が、あの妙な奴にいつまでも追いかけられてはたまらないからとタウだけ別のほうへ逃げるよう指示を出し、タウはレイブンのしつこい猛追を何とか振り切って生きのびた。

 今年になってから何度もカーフの谷に向かったので、途中で見つからないかと内心ひやひやしていたが、まさか単独で行動していた今日出くわすとは……皆を巻き添えにしなくてよかったが、自分にとってはついていない。

「ならば、我が屋敷で茶をふるまおう。それならいいだろう」

「断る。とにかく、交流戦が終わるまで不必要な接触は避けるべきだ」

「俺にとっては必要な接触だ」

「頼むから、人より大幅にずれているお前の判断基準で決めるのはやめてくれ」

 何が何でもこのまま素直に去る気はないらしい。ねばるレイブンにタウは頭をかかえた。

 本当はさっさと捨て置いて帰りたいところだが、ピスタシオ家は自分が慕うシアンの家とも親交がある。昔はシアンを追い回していたのに、タウと出会ったとたんそっけなくなったと以前シアンが苦笑していたが、解放されてどこかほっとした様子でもあった。

 早く自分以外の誰かに興味を向けてもらえないものかと会うたびに切望しているが、今のところ願いはかないそうにない。武闘館に進学したとき、他の二つの学院から上がってきた生徒の中にレイブンの関心を引く者がいるといいが、と考えていたタウは、前方で起きている喧噪に気づいた。

 停車した馬車を男たちが囲んでいる。御者は地面に転がされ、馬車から侍女らしき女性が乱暴に引きずり出された。男たちはさらに馬車の中に身を乗り込ませている。まだ誰か乗っているのだ。

 タウの心臓が大きく脈打つ。

 その光景が、記憶を激しく刺激した。

「うん? あの馬車は――おい、タウ!」

 レイブンの制止を無視してタウは馬を馳せた。

「いやあっ、やめてください! ああ、お嬢様! 誰かお嬢様を――!!」

 抵抗する侍女に下卑た笑いを返しながら、男が着飾った少女を外へ連れ出した。

「へええ、これはまたずいぶんかわいらしい姫様じゃねえか」

 おびえすぎて声すら出ないのか、少女は紅紫色の双眸を見開いていた。

 つとその視線が、駆けてくるタウをとらえた。

 馬から飛び降りるなり、タウは一番に少女を捕まえている男の腹に蹴りを放った。続けて侍女と御者を取り押さえている男たちを殴り倒す。

「なんだ貴様は!?」

「くそ、生意気なガキが!」

 侍女に少女を素早く押しつけ、タウは向かいくる男たちともみあった。一人が剣でタウに襲いかかる。タウはかわしざま自分の剣を抜いた。

「よせ、タウ! 殺すな!」

 レイブンの叫びにはっと冷静さが戻る。正確に男の心臓を狙っていた剣先をぎりぎり流し、相手の左腕に突き刺した。

 ギャッと醜いうめき声があがる。一瞬凍りついた場で、男の仲間が怒りをあらわにしたとき、レイブンがやって来た。

「ならず者か? ヴェルド家の令嬢と知ってのふるまいなら、ただではおかんぞ」

 互いを見合いざわめく賊にさらにレイブンが名乗ると、さすがにまずいと思ったのか男たちはいっせいに逃げていった。しかし刺された男だけはタウが地面に踏み倒しておいたので、騒ぎを聞きつけてきた警兵に連行されることになった。

「フィーリア嬢、けがはないか?」

 何度もタウに頭を下げる侍女や御者には見向きもせず、レイブンが少女に歩み寄る。

「我が永遠の好敵手にして最高の友の勇猛果敢ぶりは実に見事だったが、か弱い女性の前で披露するにはいささかぶしつけだったな」

 レイブンと一緒に少女がタウをかえりみる。タウはうつむき、唇をかんでいたが、やがてふうと息を吐き出した。

「……すまない。とめてくれて助かった」

 あやうく少女の目の前で男たちを切り刻むところだった。そんなことをしていたら自分のように――母のように、ずっと血なまぐさい記憶が頭にこびりついてしまっただろう。

「見たところ、お前はかすり傷一つ負っていないだろうに、なぜお前のほうが死にそうな顔をしているんだ」

 レイブンがいぶかしげに首を傾ける。事情を知らないレイブンに説明する気にはなれなかった。話したところでどうにかなるものでもない。

「何でもない……悪いが、お前の知り合いなら後は任せる。俺は帰る」

「俺の屋敷で茶を飲む約束はどうなった?」

 まだ引きとめようとするレイブンにタウはあきれた。

「約束をした覚えはないぞ。どうせ来週また会うんだから別にかまわないだろう」

「なるほど、楽しみをとっておくというわけか。そこまで言うなら俺も待つことにしよう」

 一人納得顔でうなずくレイブンに、タウはもはや反論する気力もなく、片手をひらりと振って馬にまたがった。そして少女に目を向けることなく、その場を早々に立ち去った。



 翌日、イオタは朝から一人で買い物に出た。来週は武闘館の学祭に行くことだし、何かいいものがあればと服屋や靴屋をぶらぶらのぞいてまわっていたが、よろず屋が目についたので入ることにした。

 以前来たときと同じ場所に香水は並べられていた。イオタが迷っていると、後ろから肩をたたかれた。

「今日は一人か?」

 ふり向いたイオタは、驚いたあまり香水の瓶を落としそうになった。タウが立っていたのだ。

「ええ。いつもはミューと買い物に来るんだけど、今日はラムダと出かけるっていうから。タウは用事?」

「いや。店にお得意様が来るというから逃げてきた。おやじさんの店で時間をつぶそうかと思っていたんだが、ここを通りかかったらイオタが見えたから」

 タウが窓を指さす。

「おばさまがたに捕まると大変ってわけね」

 何となく面白くない。イオタがほんの少し口をとがらせると、タウは苦笑した。

「香水が欲しいなら、うちに来ればいいのに」

「だって高いでしょ?」

「そうでもないぞ。来年妹が学院に上がるから、同年代の女の子にも買ってもらえそうなものも置きたいと話を進めているところだ。それに香水専門店というわけでもないからな」

 化粧品や石鹸など、香りづけをするものはたいていそろっているというが、それすら裕福な家の女性たちがおもな顧客らしいので、やはり店に足を運ぶのは気がひける。

 イオタが返事をにごすと、タウは陳列されている瓶を流し見た。

「意外と種類が多いな。イオタには……このあたりか?」

 タウが一つの見本瓶を取った。

「ちょっと派手すぎない?」

 匂いをかいだイオタは、自分はこんなふうに見られているのかと眉根を寄せた。香りはいいが、かなり濃厚で豪奢な印象だ。

「どんな感じのものがいいんだ?」

「はっきり決めているわけじゃないけど。強いて言えば優しい感じのものかしら」

 香水を見るタウの目が真剣になった。常連客はきっとこの横顔を気に入って香水の見立てをせがむのだろう。自分のために一生懸命になってくれる、そんな姿に嬉しくなるのだ。

「これは?」

 タウがイオタに差し出したのは、前にイオタが買って蒸発させたものと同じ香水見本だった。

「ええ、好きよ」

 イオタが匂いもかがずに答えたので、「なんだ、やっぱり決めていたんじゃないか」とタウは笑った。

「ああ、ちょっと待て」

 タウは香水の見本瓶に書かれている成分を確認してから、中の香水を少しだけ指に垂らした。それからイオタの手を取る。

 香水のついた指でイオタの手の甲をそっとなでたタウが「刺激はないか?」と問う。

「ええ、ないわ」

 イオタの返事にうなずいて、タウは次にイオタの耳に触れた。びくりと身をすくませるイオタに、タウが眉をひそめる。

「ひりひりするのか?」

「違うわ……ちょっと驚いただけよ」

「それなら大丈夫だな」

 使われている材料によってはあわないものもあるからとタウが言う。値段が安いとよくないものも混ざっていることが多いのだと。

「どれが危険なの?」

 タウの持っている瓶をのぞき込みながら、イオタはドキドキする胸をさりげなく押さえた。タウが瓶に書かれている素材のいくつかを指で示す。

「香水だけじゃなく、化粧品も気をつけたほうがいい。もったいないからと無理して使うと、肌が荒れて治りが遅れるからな」

 タウが横目にイオタをとらえる。まるで自分の肌を観察されているようで、イオタはうつむいた。冒険に出ると特に汚れやすいので、毎日の手入れはかかさずしているが、やはり高級な品を浴びるように使うお金持ちと比べると、肌のきめや透明感が違うかもしれない。

「その様子だと、イオタは日焼け止めも塗っているんだろう?」

「もちろんよ――そうだわ、日焼け止めも買わないと……あら、ないわ」

 からっぽになっている日焼け止めの陳列棚を見て、イオタは渋面した。

「この日焼け止め、気に入ってるのに」

 時期的によく売れているので品切れなのだろう。もっと早く予備のものを買っておけばよかったとイオタは悔やんだ。

「これを買うついでに入荷日も確認してくるわ」

 もうじき使い切ってしまうから、それまでに商品が補充されるといいが。勘定台へ向かいかけたところでイオタはタウをふり返った。

「タウって、香水の見立てをするとき、いつもああやって客にさわるの?」

 そこで初めてタウが目をみはった。どうやら無意識にしていたようだ。

「ああ、まあ……店では母が対応することが多いんだが」

 さすがに身分の高い女性には気安く触れたりしないし、打ち解けた常連客の相手をするときくらいだが、それも可能なかぎり避けているという。ただ、注文品を屋敷までタウが届けると、試しつけを頼んでくる客がいるので、やむを得ず対応することがあるんだとタウが肩をすくめる。

 今日は先に逃げてきたとタウは言っていた。つまり、来店予定の客は日頃から積極的にタウにからんでいるのだろう。

 年配の女性だろうか。自分と同世代だと嫌だなともやもやして、イオタは首をかしげた。普段は安易に近づかないよう注意しているのなら、先ほどのタウの行為は……?

 まさか若い女性にだけということは――さすがにないと思いたい。

 でも、タウにはどうやら気になる人がいるようだし、もしそれが客の中にいたら……。

 ひざまずいて貴族の女性の手に接吻するタウの姿を想像しかけ、イオタはかぶりを振った。

 それだけは絶対に見たくない。そんなことになったら、この冒険集団に入る決心をしたのが馬鹿みたいだ。

 あまりここへ来ることがないのか、イオタが日焼け止めの入荷日を聞いて香水のお金を払っている間、タウはゆっくりと歩きながら品物を見て回っていた。店のおばさんに「すてきな男の子ね。お似合いでいいわ」とほめられ、イオタはあいまいに微笑んだ。そのとき、勘定台のそばの棚で白粉を物色していたレムナと目があった。

 彼女が持っているのは、そばかすを隠す効果をうたっているものだ。

 明らかに憎しみのこもったまなざしを突きつけられ、イオタも不愉快になったが、文句は言わなかった。どうせアレクトールのことだろうから。

 自分を恨むのは筋違いだし、迷惑だ。何度もすげなく追い払っているのにしつこく寄ってくるのは、アレクトールのほうなのに。

 そんなに好きなら告白すればいいのだ。同じ冒険集団に所属しているのだから、アレクトールだってレムナが嫌いなわけではないはずだ。

 そう心の中で吐き捨ててから自嘲の笑みをこぼす。それを言うなら自分も同じではないか。

 見込みがないうちは、好きだなんてとても口に出せない。もし打ち明けていい返事をもらえなかったら、もう一緒に冒険するのは無理だ。

 嫌いだと言われるのもつらいけれど、何年も近くにいて『何とも思っていない』と告げられるのもきつい。

 アレクトールに指摘されたことは本当に、ずっと自分が見ないふりをしてきたことだけに、ひどくこたえた。

 悶々としながらレムナに背を向けたイオタはタウのほうへ戻りかけ、足をとめた。

 模造の宝石を見てぼんやりしているタウは、どこか様子がおかしかった。

「支払いは済んだのか」

 気配を感じたのか、タウの瞳がイオタを映す。いつも通りに見えるが、やはりかすかに違和感がある。

「タウ、何かあったの?」

 ひくり、と肩が揺れる。目をそらしたタウはもう一度宝石を見やり、眉間にしわを寄せた。

「……昨日、ちょっとな」

 全然『ちょっと』ではなさそうな顔のタウをじっと見据え、イオタはその腕をつかんだ。

「お腹がすいたわ。ついでに昼食も付き合ってちょうだい」

 どうせ暇なんでしょ、と声をかけると、タウが小さく笑った。



 詳細を聞くことはできなかったものの、結局そのまま夕方近くまで一緒に過ごし、タウに家まで送ってもらったイオタは、思いがけない人物が家にいたので目をみはった。

「やあ、イオタ。元気にしていたか?」

「兄さん!? どうしたの、急に?」

 食卓で酒杯をかがげてあいさつしてきた兄に、イオタは駆け寄った。

 八歳年の離れた兄はすでに学校を卒業し、今は父と同じくトカーナエ高等学院で教官職に就いている。フォーンの町から首都アーリストンに毎日通うのは大変だというので、二人はアーリストンで暮らしているのだ。父は毎週末には帰ってくるが、兄の姿を最後に見たのはもう何年前になるだろう。

「ずいぶん嬉しそうな顔だが、何かいいことでもあったのか?」

 イオタと同じ深黄色の瞳を細める兄に、イオタは「まあね」とごまかした。手紙のやりとりはしばしばしていて、冒険集団に入ったことやタウたちのことも話してはいるが、特別な感情をもつ相手がいるということはまだ伝えていない。だが兄は勘づいたらしく、「あやしいな」とにやにやした。

「それより、何か用があって帰ってきたんじゃないの?」

 話題を変えるイオタに、今度は兄が「うん」と視線を泳がせた。

「報告があるそうよ」

 料理を卓上に並べながら、母がほがらかに笑う。兄は杯を置き、背筋をのばした。

「実は、結婚するんだ」

 一瞬黙り、まじまじと兄の顔を見つめてから、「ええっ!?」とイオタは叫んだ。

「兄さんと結婚するなんて、そんな奇特な人がこの世の中にいるなんて思わなかったわ」

「お前よりは常識人なつもりだったんだが」

 苦笑する兄に「どんな人なの?」と隣に座りながらイオタは尋ねた。

「トカーナエ高等学院で知り合った同期生だ。うちの妹君ほどじゃないが、美人だぞ。よく気がつくし、頭がいい」

「嫌だわ、のろけてる」

「お前は今、学院の行事で忙しい時期だろうから、それが落ち着いた頃に連れてくる。お前にも会ってほしいんだ」

 そう言って微笑む兄はとても幸せそうで、見ているイオタもほんわかした気分になった。

 その日は、兄と結婚相手のなれそめを詳しく聞きながら夕食をとった。ずっと学問一筋だった兄が書物や研究対象以外に目を向けたのは本当に驚きで、姉となる女性に会えるのが楽しみになった。

 それから話題は学院のことに移った。近頃トカーナエ高等学院では女生徒の急な自主退学が目立ってきているという。その予兆として、まず服装や持ち物が派手になり、地味だった子ですら妙に自信たっぷりな態度に変わるらしい。ところがある日突然登校しなくなったかと思うと、自ら辞めていくのだそうだ。

 兄の担当する生徒たちの中にも数人いて、話を聞きにいっても会うこともできず、理由がわからないのだと、酒を飲みながら兄はぼやいた。

 就寝の時分、自分の部屋に入ったイオタは買ったばかりの香水瓶を机に置き、小さく吐息を漏らした。瓶に貼られている金色の紙がタウの金髪と重なって見えるのは、きっと兄の話に触発されたせいだろう。

 イオタの家系は代々教官や学者になる者が多かった。もちろん特待生として進学した人間はごろごろいる。父と兄もそうだし、今は家でこまごまと家事をしている母も特待生だった。イオタ自身、神法学院へは特待生として入学できるようずっと勉学に励んできたし、将来は炎の法担当教官になるのが夢だ。

 でも、その先はどうなるのだろう。自分もいつか結婚して、子供を産む日がくるのだろうか。誰かと家庭をもつ日が……。

 護衛の申し込みに行ったときに他の女生徒の口から出た嫌みを思い出し、イオタは唇をかたく結んだ。

 ミューはラムダと気持ちが通じ合い、晴れて恋人同士になった。そのこと自体は我がことのように嬉しいし、心から祝福できるのだが、自分の立ち位置が曖昧なままであることに苦しくもなってきていた。

 自分とタウはまだ、特別な関係でも何でもない。タウも言ったように、一緒に冒険している仲間でしかないのだ。

 本当は、冒険など全然興味がなかった。環境のよくないところにまで足を運ぶし、危ない目にはあうし、美容にも体にも悪い。ファイほどではないにしても、静かな図書館や家で勉強しているほうがどちらかといえば好きなのだ。それでもミューに誘われて迷いもなく参加したのは、その冒険集団を結成したのがタウだったからだ。

 ゲミノールム学院の受験時にはもう、タウはすでに目立っていた。まわりの女の子たちがみんな騒いでいたので、名前も早くにわかった。

 初めて言葉をかわしたのは入学して一月もたたない頃のことだった。炎の法専攻一回生代表だったイオタは、生徒から集めた課題の紙をかかえて教官室へ向かっていたところ、上級生の女生徒に囲まれた。彼女たちの後ろで泣いている生徒がいて、どうやらその生徒の恋人が心変わりしたらしかった。その相手が、数日前に自分に告白してきた男子生徒だと思い出すまで時間がかかった。それすら彼女たちは気に入らなかったようで、さんざん理不尽に責めたてたうえに自分の持っていた紙の束をはたき落として去っていった。 

 それまでにも、イオタは何度も同じ目にあっていた。いつも勝手に好きになられて、そのことが原因であちこちから非難されたのだ。名前すら憶えていない男の子のせいでどうしてこんなに嫌な思いをしなければならないのかと、いいかげん腹が立っていた。 

 歯を食いしばって紙を拾っていたとき、手伝ってくれたのが偶然通りかかったタウだった。おまけに半分以上を取って一緒に教官室まで運んでくれたのだ。またそれを目撃した同期生たちに後日抗議されたのだが、今度ばかりは知らないと突っぱねることはしなかった。不純な動機ではないタウの純粋な親切心が嬉しかったから。

 そこからよく観察してみると、タウも上級生から頻繁に嫌がらせを受けているのがわかった。モテるからだけではなく、おもねることをしない彼の態度に原因があるということも。

 不器用に生きる彼が自分と重なり、目が離せなくなったものの、廊下で会ってもすれ違うだけで話すことはなかった。そのまま二回生に進級し、しつこいアレクトールの勧誘にうんざりしていた頃、親しくなったミューから声をかけられたのだ。

 イオタはタウに触れられた耳たぶにそっと指をはわせた。いきなりだったから本当にびっくりして、息がとまるかと思った。

 時々、タウは不意打ちで意識させるようなことをしてくる。それなのにたぶん、自分を異性としては見ていないのが悔しい。

 想っているのは自分ばかりだ。自分だけが、もっと親密になりたいと欲張っている。

 今、タウの近くにいられるのは冒険集団に所属しているからだ。この関係を崩してまで距離を詰める勇気は、自分にはない。

 今年の降臨祭に間に合うだろうか。その前にある、交流戦後のダンスの最後でタウに申し込んでもらうためには、どうすればいいのだろう。

 頑張っても、かなわないかもしれない。それでもわずかな可能性にイオタはすがった。

 

 





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