TARO令嬢~絵が魔法になる世界で現代美術チートを得たけど、誰も理解してくれませんでした。すべてを無視して今日もでたらめを描き続けます~
「エルフリーデ、魔法の才能が無いお前とは婚約破棄だ」
ナスみたいな頭をした少年は鬱陶しげな顔つきで手をパタパタと振った。その装いはどこぞの王子様といった感じだ。以後こいつはナス夫と呼ぼう。
ナス夫は同い年くらいの少年少女が集まるパーティで、それなりの声量でもって婚約破棄を告げていた。パーティをするフロアを眺められるような高台で、多くの視線を受けている。
「カイン様、どうして……」
氷のように青ざめた少女は白銀の髪の美少女。告げられた相手、エルフリーデだ。グラスを落として割って高そうなお召し物がぶどう色に滲んでしまった。
飛び跳ねた雫がカイン、いや、ナス夫の傍らにいる女のドレスにも掛かった。
「ちょっと! あー、もう最悪……」
その女はドレスをたぐって赤いシミを見て顔を歪ませた。髪色は黄色に黒い斑点。まるで『南瓜』だ。以後こいつはカボ美とする。
カボ美は隣のナス夫がおっかなびっくりに「ミーア、どうしたんだい?」と尋ねた。
「な、なんでもないの。それよりエルフリーデはショックだったみたい。わたし、彼女が落ち着くまでそばにいてあげるわ」
「おお、ミーア、なんて優しい子なんだろう」
ナス夫はカボ美をうっとりと眺めた。
そんな目を背中に受けながら、カボ美はエルフリーデの腕をぎゅっと掴む。高台になった場所から階段を一段おりる。しかし、それにあらがってエルフリーデはナス夫の方へ近づこうとする。
「待って下さい、カイ……痛っ」
エルフリーデが顔をしかめ、掴まれた腕を手で押さえた。
そんな彼女の耳元でミーアはぼそりとつぶやく。
「あんたは終わったのよ。北限の魔女さん」
「違う! 私は北限の魔女なんかじゃない! 私はっ……!?」
その時、エルフリーデの体が宙に浮いた。足が階段から離れて、床までの距離はそれなりに。後頭部を強打し、それからは水を詰めた袋みたいに階段を転げ落ちた。
階段に下半身、床に上半身。頭からどくどくと赤いものが流れ、それは血溜まりとして広まった。優雅なクラシック音楽が止め処なく流れ続ける。そしてエルフリーデの意識はここで途切れた。
◆
「黒澤明映画かよ」
そうつぶやいた時、私は目が覚めた。
夢を見ていた。いや、あれは走馬灯というやつじゃないか?
とにかくそれは自分のものじゃなかった。じゃあ誰の走馬灯なんだ?
ガシャン!!
「エルフリーデ様! お目覚めになったのですね!?」
視界の外から声がした。
音がした方へ目だけ向けると、メイド服姿のおばさんが立っていた。足元には割れた破片と花。お見舞いの花だったのかな? 少なくとも私のことを心配してるみたい。へへ。
「良かった、もう五日も眠ったままだったのですよ! このままエルフリーデ様が起きなかったら、このマニラどう旦那様に顔向けして良いか……!」
エルフリーデ様というのは、さっきの走馬灯で見た子のことだ。随分と愛されているんだなぁ。
でも私の眠るベッドに駆け寄って、おいおいと泣き始めたのはちょっとよく分からない。
「あ、あの……、エルフリーデ様って?」
がばりと起き上がった。
「何を仰るのですか!? エルフリーデ様はあなたのことですよ?」
「私? 私はエルフリーデ様じゃ……。あれ? 私は……誰?」
意外に驚きはない。私は私が誰か思い出せなかった。
「おお、かわいそうなエルフリーデ様。混乱しても仕方ありませんわ。あんなことがあったんですもの」
悲しそうに涙を拭うおばさんには悪いけど、混乱してるつもりは無かった。
なにか思い出すきっかけがほしい。
「あの、あの! すいません、部屋のものを私に見せてください。何でも良いですから!」
声が上ずった。必死に訴えた。早く私は私のことを思い出さなきゃならない。そうしなければズブズブと深い沼に沈んでいくような気がした。
メイド服のおばさん、マニラさんは部屋じゅうのものをベッドの上に運んでくれた。
私はマニラさんに背中を支えてもらいながら起き上がってそれらを一個ずつ手に取って確かめる。
「可愛い髪留め……違う。綺麗な切り花……違う。絵の具が付いた筆……あ、ああ、そうだ、私は!」
筆を握った瞬間、すべてを思い出した。私は美大生だった。たしか昨日は大学でデッサン講義の指導員をした後、埼玉で作家の制作アシをやって、夜中に下宿に帰って課題作品を描いてて……。
寝落ちした。そして寝不足と過労で私は。
「そんな……、私は死んだっていうの?」
「いいえ死んでおりませんよ。あなたは生きていらっしゃいます」
マニラさんが私の手を力強く握った。温かい。それでいて存在感がある。今、ここにあるという実感だ。
「私、生きてるんだ……」
こんなに嬉しいことはない。命は尊いのだ。
私の手は昨日の自分と比べると、見るからにか細かった。
「でも、これは私の手じゃない。私って誰なんだろう?」
「まだ混乱してますのね。あなたはエルフリーデ・フォン・ヴァイス様。ヴァイス辺境伯家の長女でございます」
マニラさんはベッドの上から手鏡を取って私に見せた。
そこには走馬灯で見たエルフリーデの姿があった。
ああ、これが私か。
すると今度はエルフリーデの生い立ちが脳裏によぎる。
ここは地球じゃない。異世界だ。そして私はエルフリーデとして蘇ったのだ。
◆
王立学園の教室に私が入った時、教室の喧騒が一瞬で鳴り止んだ。
みんな目を見開いている、死人でも見たかのように。(そしてそれは間違っていない)
しばらくして新しく教室に女子生徒が入ってきた。
「ごきげんよう」
彼女が優雅な挨拶をすると、教室のみんなが「ごきげんよう」と繰り返した。
他の生徒が彼女に向かって声をかける。
「ミーアさん、王子と婚約した噂は本当なの?」
「えっ、それは、その……」
生徒たちが固唾を飲んで回答を待つ。
ミーアと呼ばれた少女はもじもじと恥じらった後で、こくり、と首を縦に振った。
教室じゅうに「おめでとう」の声が繰り返された。
「えへへ、ありがとう」
頭をぺこりと下げ、再び上げた。黄色い斑点のある髪の間から垣間見えた顔は照れではにかんでいて可愛らしい。
ん? 黄色に黒の斑点は……、そうだ。ナス夫の隣にいたカボ美じゃないか! なんでここに!
私は居ても立っても居られなくなった。
「お前っ! よくも私を殺したな!!」
思わず指をさしてしまう。なんてことだ。ここに殺人犯がいるぞ。
ミーアの表情が崩れた。しかし、すぐさま泣き顔になった。
「殺した……? え? 怖い、どういうことですか?」
生徒たちがかばうようにミーアを取り囲んだ。
そのうちの一人が私に指をさす。
「北限の魔女め! あの時、お前を助けようとしたのはミーア様なんだぞ!」
他の者も口々に「そうだ」と同調した。
「違う! 私は」
言葉に詰まる。だってあれは何を言っても信じてくれそうにない、そういう目だ。私は孤立している。
そこへ先生がやってきた。
それぞれが自分の席に座る。
「はぁ……」
ため息が出る。友達ゼロ人のハードモードから何とか再起しなきゃならない。
◆
廊下を他の生徒に混じって有るきながら、ノートを見返した。さっきの授業はちんぷんかんぷんだった。私になる前のエルフリーデは勤勉だが、要領が悪かったようだ。だが、ありがたい。事細かに書かれたノートによると、ここは魔法がある世界らしい。さらに、この世界の魔法は「描く」ことで力を発揮するようだ。
描く魔法……、早く試してみたい。
「それでは『絵画魔法』の講義を始める」
そんな私が待ちに待った授業が移動先のアトリエで始まった。
偉そうなくるくるヒゲのおじちゃん先生が号令する。
「今日のモチーフはりんごだ。食材の絵画魔法は最も重要である。見た目だけでなく、味も再現しなさい」
テーブルに置いたりんごを囲んで、生徒たちはイーゼル――キャンバスを置く台のことだ――を置いて場所取りをする。
戸惑っていると、ドカッとイーゼルの足をぶつけられた。
「痛ッ」
「ちょっとどいてくれる?」
ミーアだ。
意地悪そうな目つきでわざわざ私の居る場所を奪った。
こいつ……。
私が言い返す前に取り巻きたちに追いやられた。
なんてやつだ! でも、しょうがない。私には友達がいないもの。余ったイーゼルを取り出して、ちょうど良い場所を探す。だが、ちょうど良い場所は見つからなかった。仕方ないのでかろうじてりんごが見える位置に座った。
キャンバスが配られて、各々が手を動かし始める。
「よぅし、ひさびさだな」
やっと私も描けるぞ。
私は持参した絵の具をパレットに乗せて、薄い色から描き始めた。
◆
かなり集中していたので体感2秒だった。
なんてことはない、ただのりんごの絵である。しかし、モチーフがほんの少ししか見えなかったので、脳内にある「美味しそうなりんご」を色々と組み合わせて、りんごを描ききった。
心なしか全身に疲れがある。まだエルフリーデの体に慣れきってないのだろう。それに。
「絵画魔法って何だ?」
たしか絵画魔法って言ってたけど、これからどうやって魔法になるんだ?
しばらくして先生が手を鳴らした。
「それでは皆さん、実体化の時間だ。サインをしていいぞ」
ああ、名前を書くのか。
そう思っていたら、隣の生徒が「サイン!」とまるで詠唱するかのように、キャンバスに書き入れる。
すると、絵のりんごが消えて、生徒の手の上にりんごが現れた。
……すごい! これが絵画魔法なのか!
私も真似する。
たのむぞ、私の初めての絵画魔法。
「サイン!」
絵のりんごが消えた。そして、私の目の前にりんごが現れる。
万有引力に従って私の手の中に落ちてきた。
おお、これが絵画魔法か。
「それでは講評に入る。先生が試食するので、りんごは手に持っていなさい」
美大の授業と同じく、絵の出来栄えを評価する。だが、試食付き。
先生はりんごを口にする。硬すぎてかじれないりんご、横からみると薄すぎるりんごなど絵の出来に応じて、実体化したりんごも影響を受けるようだ。
そして私の番になった。
「どれ、エルフリーデ君か……」
先生が渋る。
それに他の生徒たちがくすくすと笑った。
どういうことだ?
「たしか君は絵画魔法が苦手で王子に愛想を尽かされたと聞く。悪いが、試食は遠慮しておこう」
そうだったのか。いや、そういえばそんなこと言ってたような。
いや、そうじゃない。まずは絵を見てもらおう。
「これなんですけど、どうですか?」
私は実体化したりんごを手渡した。
「ややっ!? 本当にエルフリーデ君の絵画魔法かい? 成績最下位の君が急にどうしたというのかね!?」
「いや、頭を打ったからですかね……?」
そんな驚くほど前のエルフリーデって絵が下手だったのか。
「頭を打っただけかい? それにしては精巧な……。いや、実物よりも美しいだと!?」
先生は驚きに驚きを重ねた。
りんごを顔に近づけてみたり、遠ざけて回してみたり、とにかく実物のりんごと比較して、目を白黒させている。
まずい、ちゃんとりんごを真似て描くんだった。
「すいません。私、真似て描けなくて……」
ミーアに邪魔されて場所取りできなかったからだ。
だが、りんごに興味津々な先生は私の声なんか聞いておらず。
「これなら少しだけ試食してみよう」
しゃりっと心地よい音を立てて、りんごを皮ごとかじった。
噛めば噛むほど先生の表情がみるみる明るくなった。
「う、美味い……っ! こんなに美味いりんごは初めてだ。いや、待て? 本物と比べてみよう」
先生はぶつぶつとつぶやいて、テーブルに置いてあったモチーフのりんごをかじった。
しなっと音がした。置きっぱなしで柔らかくなっていたのだろう。
「どういうことだ? 食材魔法は見た目と味の再現が大事。なのにこれは見た目も違うし、味は段違いに美味い。エルフリーデ君! きみはいったいどんな絵画魔法を使ったんだい!?」
「ええと、マニエリスムですかね……。頭の中でりんごの美味しそうなところを集めて合体させただけなんですけど」
マニエリスムはルネッサンス時代の美術様式だ。ミケランジェロの『ダヴィデ』なんかがそう。
だが、先生は大喜びしていた。
服装とかルネッサーンスって感じなのに、絵画の歴史は地球とは違うようだ。
「絵画魔法に革命が起きた! エルフリーデ君、良かったら学内展に出てみないか!?」
なんと。
私は二つ返事で承諾した。
また絵を描けるんなら喜んで参加する。
◆
週末に学内展が開催された。
私の想像では学園の展示室を使ったものだと思っていたが、そういう規模じゃない。
「どう見ても円形闘技場《コロシアム》じゃない!」
しかも話し声がそこらじゅうからするので、めまいがしてきた。だめだ、遠くを見よう。フロアをぐるりと観客席が囲み、その中でも屋根のある場所から、七色のシンボルが描かれた幕が垂れている。その旗が垂れる縁に、これまた七色の髪をした奇抜なおじさんが立った。
その瞬間、コロシアムの騒ぎが静まる。
「旭日晴天なり! このビルト王パレッテ四世が王立学園の学内展開催をここに宣言する!!」
へえ、あの七色頭の人、王様なのか。靉嘔の作品かと思った。以後、アイ王と呼ぼう。
会場が一気が一気に湧き上がった。地鳴りがするほどだ。
アイ王は私の居る方を向いた。
「さあ、学生の諸君! 絵画魔法の準備は良いかな? 早速、制作に入ってくれたまえ!」
フロアの学生たちは私を含めて十人ほど。
モチーフらしき物がいくつも置かれている。槍を持った甲冑、テーブルに乗ったフルーツとワインボトル、檻に閉じ込められた猫科――のように見えるが、実際は知らない動物だ――の猛獣。
もう他の学生は描き始めている。
「おおっと、大会唯一の一年生の君! 甲冑をすでに2体も描いている!? なんて速筆だァ! このパレッテ四世から10ポイント!!」
たしかに色の少ない甲冑は絵の具を乾かす時間が少なくて済むけど、それにしても早い。
しかし、それどころじゃない。この学内展ってポイント制なの!?
まずいぞ。置いていかれる。
それに王様まで見に来る大イベントなら……、ここで良い評価を残せば再起のきっかけになるかもしれないんだ。
以前のエルフリーデに酷い行いをした王子やミーアも黙らせるような高得点を取ろう。
そして私はイーゼルを置き、猛獣の前を陣取って絵画魔法を描き始める。
◆
「サイン!」
猛獣を描ききった私は実体化の詠唱を行う。
しかし……。
「あれ? 実体化しない?」
渾身の出来だぞ!
あの一年生ちゃんがスピード絵画魔法を展開したために、他の生徒もスピード重視になって、絵画魔法が量産される中で私はどっしり時間を掛けて描いたというのに。
「サイン! ……サインッ!!
いくら叫んでもダメだ。むしろ叫ぶたび力が入らなくなる。
これじゃあ高得点は取れない!
こういう滅入ってる時ほど嫌なことに敏感になる。
観客席から「やっぱりエルフリーデは絵画魔法の才能が無いのよ」という声がした。
その方を見る。あの声、あの髪型。ミーアだ。
くそ! なんで。
でも、本当にエルフリーデは絵画魔法の才能が無いのかも……。
「信念のためには……」
その時、猛獣を入れた檻の方から声がした。
「えっ!?」
なんと猛獣がいる檻の中で腰掛ける岡本太郎がいた。
いや、あれは岡本太郎ではない。今までもこういう経験がある。
美大の受験で困った時にも現れた私のイマジナリー岡本太郎なのだ。
「信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ」
そうだ。
私は子供の頃を思い出した。絵はそれなりに上手かったが、もっと上手い奴が常にクラスに居て卑屈になっていた時、岡本太郎の作品を見て絵は上手い下手じゃないと気づいた。そして美術にのめり込んだんだ。
私の中にむくむくと力がみなぎるのが分かった。空を仰ぐ。巨大な月がある。さすが異世界。私の中でピーンと何かが弾けた。
「これだ!」
私はアイ王が立つ席に垂れる旗を思い切り引いた。
真上に立ったアイ王がこっちを見下ろしながら素っ頓狂な声を上げる。
「な、何ィ!? 二年生の君、これは我が国の旗! 何をするつもりだ!?」
「すいません、お借りします!」
ビリビリと音を立てて旗がフロアの床に落ちる。
「我が国の旗が!」
会場がどよめく。不本意ながら視線を一手に集めたが、今はそんなことどうでもいい。
旗だ。かなりの大きさ。都合がいい。私が大の字で横になったら5人分くらい。旗は七色のシンボルが中心に描かれている以外は真っ白だ。
「はぁッ!」
その旗の上に立ち、絵の具と水をたっぷり含ませた筆を思い切り振る。雫を飛ばす。ドリップが無軌道にしたたり、白い旗を汚していく。だが、これは汚れではない。れっきとした美術様式。ライブペインティングだ。
ジャクソン・ポロックの模倣にすぎない。イマジナリー岡本太郎は怒るだろう。だが、今ここで作品を作り上げるこれに意味がある。
◆
気がついたら体がふらふらだった。
たまらず横になる。
「はぁ、はぁ……」
青空に巨大な白い月が見える。
もう立ち上がる気力はない。這うようにして旗の端に名を書き入れる。
「サイン!」
絵画魔法が実体化する。
以前はりんご。だが今回はどうなるのか。
色さまざまに塗り替えられた国旗から、そのままの無軌道な絵画が浮き上がる。それは平面ではない。空間だ。
「な、なんだこれは!」
アイ王のつぶやきが私にも聞こえた。
たくさんの水分を含んだ絵の具が破裂した箇所が点々と空に浮遊する。無数の細い線が破裂した箇所をつなぐ様は、色とりどりの蜘蛛の巣に似ているかもしれない。
それにこれはあの白い月を見えなくするほど、円形闘技場に蓋をするように浮いていた。
観客席から悲鳴が聞こえる。言葉をなくして呻く者もいる。
アイ王が観客席から私の居る方へ身を乗り出した。
「これを描いた君! この宇宙的なこれはいったい何なんだ!?」
「王様、これは宇宙的ではなく、宇宙です」
アイ王はふたたび空を――いや、宇宙を見上げた。
横から付き人らしき男が出てきて、「いけませんよ、王様」とたしなめている。
ちょっと現代美術チートをしすぎてしまったかな。
◆
だが、そんな驕りは数秒で消し飛んだ。
あの後、不敬罪となった私は「お前は美術を馬鹿にしている」と烙印を押されて学園を追放されてしまった。
現代美術は何の役にも立たなかった。
「あのう、御者さん、御者さん。もう少し揺れないように運転はできないですか?」
領地のある辺境に戻るため、今の私は馬車に揺られているところ。ドナドナ気分だ。さよなら王都。
御者のおじちゃんの声がして、馬車が止まった。止めるほどのことは言ってないはず。だってこの馬車すごい揺れて、お尻がしびれて板みたいに感じてきたんだもの。
御者台の方へ顔を出す。
「あのう、御者さん。もしかして怒らせたなら謝りますけど……、ってあれ?」
私たちの馬車の行く先で、馬車が一台、斜めになって立ち往生していた。
辺りを見ると薄暗い沼地だ。沼にハマって動けないわけか。
私は間仕切りの布から顔を引っ込めて、荷台の画材を手にとった。
「絵画魔法って濡れても大丈夫なのかな?」
まあ、ものは試しだ。
私は馬車を下りて、前方の馬車に行って木の板を描く。
「サイン!」
木の板がべちょ! と音を立てて沼地に実体化した。ちょうど車輪の前に並べれば、これを足場に道へ戻れるはずだ。
前の馬車の御者はフードを深々とかぶって顔が見えない。
「君は……」
「気にしないで! 私は通りすがりの絵描きだよ」
「あ、ああ。恩に着る……」
若い声だったが、言葉遣いは古臭い感じだ。
フードの御者が手綱を握ると馬が歩き出したが、まだ上らない。
私は後ろに回って荷台を押した。
「う~~~~ん!」
だめ、私は非力だ。
私の馬車の御者さんも加勢した瞬間、一気に板の上を車輪が転がった。
なんとか道に戻った後、絵画魔法の板は沼の水に溶け出しているのを見た。やっぱり絵画魔法も水には弱いらしい。
「ありがとう、エフィ」
フードの御者は私に手を振った。
それよりエフィって私のこと?
理由を聞こうか迷っているうちにフードの御者の馬車は先へ行ってしまった。
「御者さん、揺れは気にしないから安全運転でお願いします」
御者のおじちゃんは「もちろんです」と礼儀正しく頭を下げた。
私は車に乗り込み、エルフリーデの実家のことを想った。
実家には絵の具あるかなあ。
だって本当は橋を描きたかったのだ。沼を一気に突っ切れるような橋だ。でも、絵の具が足りなかった。だから板にした。でもこのまま絵が描けなくなるかもしれない。絵の具や画材もタダじゃない。辺境伯って呼ばれるくらいだからすんごく田舎なのだ。絵画ができる環境があるかすら怪しい。
エルフリーデとしての記憶の中で、両親は忙しくて私を乳母に預けきりにしていたみたいだけど、そんな人間でも親なら面倒を見てくれるはずだ。いや、そうであってほしい。せめて馬車に揺られてお尻を削られている間はそう思うことにしよう。
◆
ヴァイス城――なんとお城が私の実家らしい!――の玉座の間に着いて、そんな私の甘い目論見は両親に会った瞬間に潰えた。
「エルフリーデ! お前はなんてことしてくれたんだ!!」
父が怒鳴る。
「ああ、どうしましょうどうしましょう。あなたが王家に嫁がなきゃこの家は終わりだわ」
母がパニクる。
「それにお前、『北限の魔女』などと呼ばれているそうじゃないか! そんな悪評じゃ嫁にも出せない!」
いやそれはミーアが勝手に流した噂でして。
と言っても無駄だろうから閉口する。
「お前は塔に幽閉だ! そこで頭を冷やせ!!」
うぐぐ。
それじゃあ絵は描けそうにないじゃん。はー、死んだ。終わりだ。
そんな時。
「お待ち下さい、ヴァイス辺境伯!」
振り向くと、あれはさっき助けたフードの御者だ。
なんでこんなところに。
玉座の間に控える衛兵二人がフードの御者の前に立ちはだかった。
「何奴だ!」
当然の対応である。田舎とはいえお城の主なわけだし。
御者はフードを脱いだ。顔立ちを見るに年は二十代半ば頃だろうか。美男ではないが、懐かしい感じのする顔立ちで、同時に彫刻のような精悍さがある。そして頬に傷があった。
そんな顔を見せた瞬間、衛兵二人はあわててひざまずく。
「ヴァルター・エクルベージュ北方爵!? ご無礼を、申し訳ありませんっ!!」
「構わん。盗賊を警戒してこんな身なりをしたが、そのまま参上した俺にも非がある。下がれ」
「はっ!」
衛兵二人は腰を低くしたままエビのように退いた。
ヴァルターさんは私の方へずんずんと歩いてくる。
思ったより背が高い。そんな男が私と父の間に立って、その場でひざまずいた。
「ヴァイス辺境伯! ご無礼を承知で申し上げます。エフィ……、いや、エルフリーデ様を幽閉するのは、我がヴァイス領の宝を持ち腐れする行為に他なりません」
「ヴァイス領の宝だと? エルフリーデは王子に婚約を破棄され、不敬罪まで背負って王都を追放されたのだぞ!!」
父が激高した。
ヴァルターさんがちらりとこちらを見た。その目にどういう意味があるか私は知らないけど、やれやれ、といった諦めの念を感じなくもない。なんて失礼な男! ……でも、父の言葉は事実なのでそっと心に秘めておこう。
「エルフリーデ様は道中、類稀なその絵画魔法によって俺を救ってくださいました」
「何? エルフリーデはあまり絵画魔法は得意ではないと聞いているが」
父は首をかしげた。得意じゃないどころか、王立学園で最下位だった。たぶんメイドのマニラさんが上手いこと誤魔化して報告してたんじゃないだろうか。感謝、マニラさん。
「得意、不得意どころではありません。盗賊が根城にする沼地で足を取られた馬車を引き上げてくださったのです。短時間で寸分の狂いもない木材を絵画魔法によって作り出しました」
あれはホームセンターで売ってる木の板を参考に描いたものだ。しかし、考えてみればこの城だって石造りだし、円形闘技場もスペインの実物と同じで石造りだった。
「ほう、木工の絵画魔法か。たしかに雪深いこの地で役立つ絵画魔法ではあるな……。よし、分かった。エルフリーデ」
「は、はい」
「お前の才能を活かせ。幽閉はなしだ」
「本当ですか!?」
「二度は言わぬ。城の外にもう使ってない古いアトリエがあるだろう? そこを使え」
なんと専用のアトリエまでもらえるのか。
私は驚愕と歓喜で言葉が出なかった。
ありがとう、ヴァルターさん。失礼な男と思ってごめんよ。
「良かったな」
ヴァルターさんが私を振り向いた。それからすぐに父の方を向いていたけど、あれ? いま少し笑ってなかったか?
「辺境伯、北方の帝国が不穏な動きがございます。急ぎ報告を……」
こんどは私の関係なさそうな話が始まった。
次は何を描こうか考えることにする。
◆
ギィィィ
きしむ音を立てて、古いアトリエの扉をヴァルターさんが開いた。
中は薄暗い。うわっ、ホコリ臭い。窓を開けて換気も必要そうだ。
「ありがとうございます、ヴァルターさん」
普段の感謝より心なしか深めに頭を下げ、さっそくアトリエの掃除に掛かる。
だが、窓がちょっと高くて手が届かない。
「うーん……。あ」
私の背後から手が伸びた。太くて傷跡のある男の手だ。
窓が外側に開く。
「ありがとうございます、ヴァルター……」
「ヴァルでいい」
私が言い終わる前に、後頭部で低い声が響いた。不本意ながら背筋がぞくっとする。
振り向くと、窓から差し込んだ光で、ヴァルターさんの顔がよく見えた。頬の傷は動物にやられたような傷だ。
愛称で呼んでほしいってことだよね? てことは幼馴染とかなのかな。でも、エルフリーデの記憶にこんな精悍な男の姿は無い。
答えに窮しているとヴァルターさんは後ろに退いた。
「覚えてないなら良い。で、窓は全部開けるで良いのか?」
私が頷くと、ヴァルターさんはアトリエの窓を開け始める。
窓を開ける間、私もせっせと片付けをした。
日差しでやっとアトリエの全貌が見え、画材が一通りそろっているのが確認できた。
「やった。これだけあれば絵が描けないってことはなさそうね」
手についたホコリを払って、額の汗を腕でぬぐう。けっこう大掃除なった。
ヴァルターさんも途中から手伝ってくれた。
「変わったな。昔は絵が嫌いだったのに」
少なくとも記憶の中のエルフリーデは絵が苦手で、絵画魔法を上手く使えずつまらない思いをしていた。
私は彼の知るエルフリーデじゃないからだ、とは言えない。
口を噤んでいると、アトリエに父がやってくる。
「ヴァルター、ここに居たか」
「辺境伯」
ヴァルターさんは慌ててひざまずこうとしたが、父がそれを留めた。
「良い。それより王都のプンクテ家から兵と食料が届いている。今すぐ国境防衛に回せ」
「はっ!」
ヴァルターさんはアトリエを出た。
残った父が部屋を見回し、私を値踏みするように見る。
「エルフリーデ。お前は失敗を犯した。だが、その絵画魔法で挽回するがいい。次は我が領地を助ける絵を描くのだぞ」
「……」
私は返事をしなかった。そんなの関係ないと思ったからだ。
父がアトリエを後にしてから私は椅子に腰掛けて、イマジナリー岡本太郎が出てこないか待った。だが、彼は出てこなかった。こういう時、彼ならこう言うはずなんだけど。
『誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために? そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために? だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう』
ってね。
自分の求めるもの、ふと惹かれるもの、そういうのを描けば良いんだ。
◆
それからアトリエには絵がたくさん増えていった。
持てる技術を駆使して贋作を描き、それが実体化する。
パブロ・ピカソの自画像と話したり、ムンクの叫びを耳にした。
「絵画魔法、最高かよ……」
もっと未来に生まれていれば、絵画を実体化する科学も生まれていたかもしれない。
私は両腕を伸ばす。がたん、と近くのキャンバスを倒しそうになった。危ない危ない。ちょっと片付けが必要そうだ。
ちょっと眠いけど、朝までに実体化させていない絵画を一旦外に出してアトリエ内を掃除しよう。
◆
気がつくと眠っていた私はアトリエの扉が勢い良く開く音で飛び起きる。
「エルフリーデ!! これはどういうことだ!」
アトリエに押し入ってきた父は顔を真っ赤にしていた。
「急に何ですか? 心臓に悪い……」
「わからんのか!? 外を見ろ!」
言われるがまま外を見ると、ヴァイス城の城下町を怪物が襲っていた。怪物は動物、昆虫、無機物、悪魔のキメラで、レンガ造りの街を闊歩するたび家々を極彩色に変えていく。殺人的人道主義だ。
「『シュルレアリスムの勝利』だ」
紛れもないあれはマックス・エルンストの贋作である。
いったいどうして。
その時、アトリエの裏手で子供のすすり泣く声が聞こえた。
「誰か居るの?」
子供が三人ほど出てきた。城下町にする子供たちらしい。
一人が泣きべそをかきながら説明する。
「ごめんなさい、お姉ちゃん……。たくさん絵があったら遊び半分でサインを描いたらこうなっちゃって……」
合点がいく。そうだった、絵を外に出しっぱなしにしてたんだ。
私は外に置いたままの絵を見る。半分くらいが真っ白なキャンバスになっていた。
まずいことになったぞ。
「まったくエルフリーデ。大変なことをしてくれたな」
父は怒りも失せて呆れた声を出した。
「ど、どうしよう。絵画魔法は水に弱いけど……。西洋絵画で雨の絵って思いつかないよ……」
西洋絵画はほとんど雨上がりの絵だ。たとえば浮世絵みたいに雨粒を描いたりはしない。ゴッホも雨の絵を描いているけど小学生の落書きみたいなやつだ。そして私は日本画をやって来なかったから、そういう絵の贋作は難しい
「神さま、何でもするので何とかしてください……」
私は必死で空に祈った。
その祈りが届いたのか、ピチョン、と一滴。そしてどしゃぶりの雨になった。
街で暴れる絵画魔法は雨に濡れて消えていく。
◆
後日、私は家を追い出された。
父が大激怒したからだ。アトリエは取り上げられ、私の面倒を見てくれる人は城には誰も居なくなった。
馬車だって用意してもらえなかった。ぐずつく空の下、歩きで北の森へ向かう。
「森に行けって言われたけど、ずっと荒れ地じゃん」
かつては田畑があった痕跡はある。轍のある道を行きながら、森があるという北へ向かうと、たしかに森らしきものが見えてきた。黒い針葉樹の森だ。その森の前に見覚えのある馬車が停まっている。
「あれって……まさか!」
私は駆け足で近寄る。御者台にはいつかのフード男。
「ヴァルターさん!」
「遅かったな。疲れただろ、乗れ」
後ろの車にアゴを向けた。私はいろいろと聞きたかった。というより、話を聞いてもらいたかった。
「ヴァルターさん、どうして私なんか」
「幼馴染だからな」
「だって私、自分のことばかりで絵を描いてた。それでたくさん迷惑を掛けちゃって……」
「安心しろ。俺の所領はほとんど人が居ないから、好きにしてもらって良い」
「でもヴァルターさんに迷惑を掛けるんじゃ」
「そうかもしれんな。だが、今それを考えても仕方ないだろ?」
私は自信がなかった。人に迷惑を掛けずに生きるなんて出来るのだろうか、いや出来ない。
ただ、ヴァルターさんの好意に甘えるなら、私も相応の覚悟が必要だ。
「ヴァルターさん、よろしくお願いします」
私は馬車に乗った。
森の中を馬車が走る。すごくゆったりとした進みで揺れは少ない。
森を眺めていると、懐かしい気持ちになってきた。私はここに来たことがある。だが、それはエルフリーデの記憶だ。
そして古い館に着いた。なんだか見覚えがある。馬車を下り、扉の前に付いた傷を見て思い出が蘇った。
「そうだ。昔、ここでマニラさんと、それから……」
当時のエルフリーデは七歳くらいだ。同い年くらいの子がいて、線が細いくせにいつも番犬みたいに私を守ってた少年が居た。扉に付いた傷は森に出た狼を少年が追い払ってくれた時のものだ。私は泣いていて、何度もヴァルの名前を呼んだ記憶がある。
「もしかして、ヴァルターさんの頬の傷って狼に付けられたんじゃ……」
振り向くと御者台から降りたヴァルターさんが、細く長く息を吐いた。頬の傷はやっぱり少年が負った傷とそっくりだ。
「ようやく思い出してくれたか」
そうだ。間違いない。記憶の中の少年からは想像できないくらい立派な男になった。
これがあのヴァルかぁ、と思う。エルフリーデの幼少期の物語の続きを見ている気分だ。
「あれ? ヴァルターさんっていくつなんだろう?」
「お前の一つ上だ。今年で19になる」
「……25歳くらいだと思ってた」
「まったくあなたは……」
ヴァルターさんは頭をかいた。
「それにしても昔から私は守られてるんだね」
「そうだぞ。親が早死にして今じゃここの領主だ。本当はお前の騎士になりたかったんだが……、ゴホン! いや、これは忘れてくれ」
恥ずかしそうに顔をそらした。
ごめん、番犬とか思っちゃって。
「まあ、とにかくこの屋敷は今日からエフィが自由に使っていい」
「なんだか悪いよ」
「ありがたく思うのは早いぞ。中を見てみろ」
うながされるままに屋敷の中へ入る。
扉が音を立てることもなく開き、綺麗なエントランスがある。これでどこがありがたく思えないのか? 屋敷の奥へ行くとだだっ広い部屋があった。床には絵の具の跡がある。ここはアトリエだ。でも。
「な、何もない……」
「そうだ。絵を描きたいエフィには申し訳ないと思っている」
本当に申し訳なさそうにうつむいた。彼のトゲトゲした髪も何となくぺたんと寝ているように見える。こっちが悪い気がしてくるじゃないか。
「大丈夫だよ! 家から少しだけ画材は持ってきてるし」
「そうか? もし取り寄せるなら言ってくれ。時間は掛かるが、何とかしよう」
「うん。ありがとう、ヴァル」
ヴァルの目が輝き、その場で礼儀正しく頭を下げる。
頭を上げてチラリとアトリエの北側を見た。
「森の北には行くな。帝国兵がいる。ここに来ることは無いと思うが気をつけてほしい。まあ、最近は雨ばかりだ。こんな天気で出歩くこともないだろうがな」
そう言ってヴァルは屋敷を後にした。
ヴァル、すごく良い奴だったな。それにしても彼が騎士になりたかったのは私じゃなくて、エルフリーデだったはず。やっぱり悪いよ。
私は気が滅入ってしまいそうだったので、持参した画材を床に並べる。
紙と筆。数色の絵の具だ。さらに言うなら絵の具はほぼ無い。これをやりくりしなきゃならないんだ。
泣きたくなってくる。私は自由に絵を描ける日々を失ってしまったんだ。
「はぁ……」
ため息がこぼれた。
私は岡本太郎じゃない。でたらめにやったら破滅する。
そんな私の前にイマジナリー岡本太郎が現れた。
「全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ」
それだけ言って消えた。
意味がわからなかった。そんなの実践できるのは岡本太郎だけだ。
でも、私はこのどうしようもなく差し迫った状況が楽しく感じ始めていた。
「爆発って何だよ」
私は筆を握った。真っ白な紙を床に並べる。ここには円形闘技場にあったような布もない。だけど、有り余るくらいに広いアトリエがある。ニューヨークの山奥にあるディアビーコンを思った。私が地球に居た頃、一度は行ってみたかった美術館だ。私はここをディアビーコンとする。
◆
気がついたら絵の具がなくなっていた。
それに鳥のさえずりが聞こえる。朝らしい。
服も手も絵の具だらけ。カピカピしているが、関係ない。
描いた。限界だった。
まだ描きたかった。体が動かなくて、まぶたが重くなった。
でもこれでいい。
「サイン」
◆
しばしの眠りについた後、またも私は叩き起こされた。
「エフィ!」
きっとやらかした。ヴァルに迷惑を掛けたんだな。じわじわと申し訳無さが湧き上がる。覚悟は意味なんか無かった。私はだめなやつだ。
ヴァルは私を起こして、空に指さした。
「なんだ、あれは!」
残った絵の具は赤、黄、黒。そしてキャンバスの白。これだけ広いアトリエを使って最大限の絵を描いた。そうしてできたのが巨大な白い塔である。またの名を。
「『太陽の塔』だよ」
立体物を生み出す絵画魔法で、立体物を描いたらどうなるのか。
それを試してみたかった。結果、巨大なハリボテが出来た。裏側は何もない。本来は黒い顔がある。過去を象徴する顔が無い。なんだか私にぴったりだと思った。
「太陽の塔か。実は帝国軍が奇襲を仕掛けてきたんだ。だが、朝になって突如現れたあの塔を見て、帝国軍も俺たちも戦いにならなかった。今は防備を固めたし、援軍もいる。これ以上は襲われる心配はない」
そんなことがあったのか。でも、戦争のことなど知ったことでなかった。
「迷惑にならなかった?」
「ならない。むしろ感謝している。またエフィの絵画魔法に助けられた。ありがとう」
ヴァルが会釈した時、声が聞こえた。
「ヴァルター様! スパイを見つけました!! 現在逃走中でこれは奴の落とした篭手です」
兵士のようだ。ヴァルに頭を下げながら、篭手を差し出す。
「この篭手の紋章はプンクテ家か」
プンクテ家って名前は聞き覚えがある。なんだっけか。だが、紋章を見て納得した。黄色に黒い斑点だ。これはカボ美じゃないか。単なる偶然か、カボ美の家が帝国軍を領地に引き入れたらしい。
◆
後日、私は王都へ向かう。
王子からお呼びがかかったからだ。
その手紙がこう。
「学園でコンクールを開くことにしたよ。君の手柄を称えてのことだ。ぜひ審査員を」
偉そうなやつ。
でも、私は快諾した。
王都に行けるならこれに越したことはないからだ。
「まさかヴァルと一緒とはね」
「俺はスパイを見つけて帝国軍を退けた武勲らしい。絵画魔法は分からんから、そっちはエフィに任せる」
「うん、任された」
王からの勲章の授与はヴァルにお願いすることにした。不敬罪で追放されているからだ。今回、王都に来れたのも例外らしい。
「それとヴァルにお願いがあるんだけど……」
私は小声で伝える。
ヴァルは目を丸くして、大きくうなずいた。
◆
コンクール会場に到着する。円形闘技場ではなく、学内のホールだ。それでも充分に大きい。
案内役の生徒に付いていくと、豪華な椅子にふんぞり返って座る男がいた。ナス夫である。
「よく来てくれた、エルフリーデ!」
私に気づくなり大声で歓迎する。
自分勝手なところを除けば快活な人物なのではあるが。
「まったく僕は騙されていた!! ミーア・プンクテは裏切り者だ」
手のひらくるっくるだ。風見鶏みたいな奴。信用が置けない。
彼はついていけない私のことを蔑ろにして会を進める。
「皆の衆、お集まりいただき誠に感謝する。これよりエルフリーデ・フォン・ヴァイスの功績と婚約の復活を祝して絵画魔法コンクールを始める!」
待って。
いま、胡乱なことを申していなかったか?
「ナス夫、いまなんて?」
「な、ナス? ……聞こえなかったかい? 君の功績と婚約の復活を祝して……」
「聞いてない! 婚約の復活?」
手紙にはそんなこと一つもなかった。
「ああ、僕が決めた。君ほどの美貌は他にない。それでいて絵画魔法に長けている。なら、この国で君にふさわしいのは僕以外に居ないだろう?」
ナス夫が何を言ってるのか理解できなかった。
だが、それがまかり通るのが王族の権力というやつなのだろう。
私が答えに困窮しているのをどう受け取ったのか、ナスオは開会宣言を続けた。
「改めて、エルフリーデの功績と婚約の復活を祝して絵画魔法コンクールの開催をここに宣言する!」
まばらな拍手が鳴った。
誰も私のことを祝していない。当然だ。
宣言と同時に生徒たちは絵を描き始める。その審査員を私がするらしいが。
生徒の一人が黄金の冠を描いて、ナス夫に見せた。
「ほう、美しい。これは僕にふさわしいだろう。10点だ」
つまりは王子が喜ぶかどうか。
そこに良し悪しを見るなんてものはない。
私も審査員として評価しなくてはならないから、一応はまともに返していく。
「おい、誰だこんなところにゴミを置いたやつは」
会場を歩きながら、王子がつまづいて怒鳴った。
なぜかこんなところに小便器が落ちていた。
付き人らしき生徒が謝る。
「すいません、いますぐ片付けます!」
「片付けるだ? 捨てろ! そんなものこのコンクールにふさわしくない」
ナス夫は他の付き人に服についたホコリを払わせながら、ふてぶてしく手を振った。
付き人風な生徒はいそいそとゴミとやら運んでいく。
「まったく。興が冷めた。コンクールは終わりだ」
ナス夫がそう言うとコンクールは終わりになった。他にも見てない作品は少し残っていたのに。
「エルフリーデ、この後、僕の庭園へ来ないかい? 美しい花を取り寄せたんだ」
私はナス夫に幻滅していた。
こんなやつと婚約させられていた昔のエルフリーデはかわいそうだ。
「庭園には行かない。ちゃんと全部の作品を審査するべきだよ」
「まったくまじめだね。……はあ、しょうがないな。全部の作品を審査したら庭園へ来てくれるかい?」
「全部の作品を審査したなら考えてもいいよ」
しぶしぶ付いてきたナス夫と一緒にフロアにある作品の審査を終えた。
「やっと終わったか。よし、エルフリーデ、僕と」
「まだ一つ審査していないものがある」
「何言ってるんだ。もう無いはずだ。おい、そうだろ?」
傍らに居た得点係の生徒にそう尋ねた。
得点係の生徒は首をかしげて、表の一つを指さした。
「何? まだ一つ審査していないものがゴミ捨て場にあっただと?」
「そうよ。ナス夫が捨てさせたあれも作品だったの」
「おいおい、エルフリーデ。あれは小便器だぞ。君は女だから知らないかもしれないが、あれは……」
知っている。
すべての現代美術はこの作品から始まったんだ。
「作品名は『泉』。会場のトイレを探してみなさい。小便器が一つ無いんじゃないかな」
「はあ? じゃああれは会場のトイレを取ってコンクールに出品したというのか?」
「その通り」
「馬鹿げてる。やっぱりゴミじゃないか! 君のような絵画魔法を描ける人間がそんなゴミを審査するまでもない」
私はため息を吐いた。
「その『泉』は私が出品したんだよ」
そう。ヴァルに頼んで小便器を一つ会場から拝借してもらった。
あとは私が名前を隠して出品したというわけ。
王子がこれを私の作品とは知らずに酷評するのを狙っていたが、まさか捨てられるとまでは思わなかった。
「はぁ?」
ナス夫は変な声を上げてから顔が青くなった。本当にナスみたいだ。
「う、嘘だ! 君のように可憐な人があんなくだらないもの! もし本当なら美術を馬鹿にしている!!」
これを言われるのは何度目だろう。
私は気が遠のきながら言葉を探していると、会場の扉がドンと開け放たれた。
「そこまでにしろ、カイン」
アイ王だった。七色の頭をした見た目が騒がしい王だ。
「父上!」
「お前たちの婚約は破棄のままだ」
「……そ、そうだ! エルフリーデ、君を見損なったよ。下品な人間と僕は婚約なんかできない」
「馬鹿者!! これ以上、恥を晒すな」
アイ王はナス夫に怒った。
「ち、父上?」
ナス夫はなぜ怒られたのか分かっていないらしい。
「エルフリーデ殿はふさわしくない、お前のような恥知らずには」
アイ王は私に頭を下げた。
「父上ッ!? なぜそんな奴に頭なんか」
「エルフリーデ殿! 息子の無礼を許してほしい」
会場がどよめく。一国の王が私に頭を下げたのだから。
私だってここまで大事になるとは思っていなかった。
大丈夫だとなんとかなだめて、その場は丸く収まる。いや、きっといろいろな問題を先送りにしただけかもしれないが。
◆
会場を後にした私はいつかの階段に来た。見覚えがある場所だが、よく思い出せない。とにかく顔を真っ赤にして震える王子を見れただけでも良しとして森に帰ろう。絵の具をたくさん買って。
ドッ
そんな能天気さのせいか、私の体は宙に浮いていた。
いや、違う。
蹴られた。
誰に?
振り向いた先にいたのはカボ美だった。ミーア・プンクテ。帝国のスパイをヴァルターの軍に送り込んだ反逆者の家の娘。
あの顔は、復讐だ。
結局、こうなる運命だったのか。
束の間、絵を描くことができてよかった。
もう走馬灯は見なくて良い。なのになぜかヴァルと森の館で話した時を思い出す。そうだよね、このまま死んだらヴァルに悪いかな。
「っ!?」
衝撃があった。
だが、死ぬほどのものじゃない。
背中と足をしっかりと受け止められた感覚だ。
「エフィ、怪我はないか?」
「……ヴァル!」
階段の下でヴァルが私をキャッチしてくれた。
ヴァルと私の横を憲兵が抜けて、カボ美を捕まえた。
「離せ! くそ、こんなはずじゃなかったのに! 何なのあんたは!!」
カボ美は憲兵に連行された。
二人きりになった私はヴァルと目があって気まずくなる。
「立てるか?」
「うん……」
ヴァルが優しく私を下ろした。
床の感触を確かめる。良かったちゃんと足がある。死んでないみたいだ。
「まあ、一度死んだみたいなもんだしな」
神さまのいたずらで幸運にも今も絵を描き続けられている。
それをみすみす手放すべきじゃない。
「何を言ってるんだ、エフィ。あなたにはまだ生きてもらわねばならない」
切羽詰まった様子でヴァルが私の独り言に答えた。
「どうしたの?」
「聞こえないか? 会場が盛り上がっているんだ」
耳を澄ますと会場席の方はドヨドヨとした声のうなりが聞こえる。
盛り上がってるっていうのかな、これ。
「もっとあなたの作品を見せてほしいと言われて、こうして探しに来たんだよ」
「どういう風の吹き回し?」
「王様があなたの作品を評価した。すると、国民たちも急に評価するようになったんだ」
得心がいった。
ひとつ、ヴァルに聞いてみたくなる。
「ヴァルはあの作品をどう評価するの?」
「俺か? 俺は……絵画魔法は分からない」
「でも考えてみてよ」
「ううむ、そうだな。あれは魔法じゃない。でも、芸術作品だ。いや、芸術作品なのか? ……って、これじゃあ観客席にいる人たちと同じことを話しているな」
「へえ、そんな風に盛り上がってるんだ」
「エフィ、教えてくれ。国民がみんな答えを求めている。誰も分からなくなった。芸術って何なんだ?」
良い質問だ。嬉しくなって私は会場のある方へ階段を少し上った。
ただし、この質問は人それぞれ答えがある。
でもそうだな、強いて言うなら……
「爆発だ」
#TARO令嬢祭り という企画で書かせていただきました。
https://twitter.com/sait3110c/status/1556222701630414848?s=20&t=4iSuXT4yhvEKIW2FCWfZNQ