どっちが悪役令嬢かって話
「クラリス・エル・アインフェリア! 貴様との婚約を破棄するッ!!」
ざわりと周囲がどよめくが、それを宣言した王太子はその程度の事、気にも留めない。
「貴様は己の権力を笠にエミリア・ガルウェット男爵令嬢に対し数々の非道な行いをしてきた。そのような性根の腐りきった者を我が妃になどできようはずもない! よって! この場にいる者たちを証人としここに婚約破棄を宣言するッ!!
そして新たな妃としてエミリアを迎え入れる事とするッ!!」
などと宣言されてしまったクラリスであるが、彼女は別段驚いた様子もなければ何故……!? と悪事がバレたような態度を見せるわけでもない。ただただ冷静にこちらを糾弾しようとしている王太子――アルベルトを見ていた。その瞳に特にこれといった感情は存在していない。
ちなみにどうでもよい話かもしれないが、今この婚約破棄を宣言した場は何と国王――アルベルトの父であるユーゴの誕生日を祝うものであった。
転生者でもあるクラリスは最初「いい歳したおっさんの誕生パーティーとか……プッ」と吹き出しそうになったけれど、いかんせん国の上の立場の者にはそれなりに危険が伴う。一見すると安全そうな場所でぬくぬくしているようにしか見えないが、その実内部はどろどろしてるし下手したら味方の振りした暗殺者とか紛れ込むしでとんだ魔窟である。
だからこそ、一年無事に生き延びた事を祝い、また王国の繁栄を願うとかそういう意味を持たせてパーティーを行っているのだ。
そういった理由があるのであれば、まぁ、そこまで笑うものでもない。
とはいえ、まさかその息子がパーティーを台無しにしようとしているとか流石に予想外である。
……いや、予想外というのは嘘だ。
実のところここでそう宣言される事はわかりきっていた。
何故ってこれまたお約束のように前世でプレイした事のある乙女ゲームの世界だからだ。ここが。
最早テンプレ過ぎて説明いる? と思われるだろうけれど、一応説明させていただくと、だ。
ゲームのタイトルはクラリスも正直覚えていない。いや、何かやたら長くて英単語だったのだけは覚えているけど正式タイトルなんて口に出す機会がそもそもなさすぎてすっかり忘却の彼方である。
ただ、この乙女ゲームの内容は覚えていた。
というのもこのゲーム、本当に乙女ゲームか? と言いたくなる内容だったのだ。
いや、大まかに言えば乙女ゲームなんだとは思う。
主人公というかヒロインが攻略対象と最終的にくっついてハッピーエンドとかいうのが乙女ゲームだというのなら、まぁそうなのだろう。たとえヒロインがとんでもなく極悪人だったとしても。
ヒロイン――先程アルベルトが口にしたエミリアがそれだ――は、元は平民として育っていたのだが、実は父親が貴族で母が病気で亡くなった際、時を同じくして父の家で育っていた子――エミリアの異母兄にあたる――が落馬、そして絶命。跡取りのなくなった父が昔手を出して捨てた女の存在を思い出し調べた結果エミリアへと行きついたのである。
とはいえエミリアは女。跡取りとするには微妙な存在だ。だがしかし、婿養子を迎え入れるための道具にはなる。
という、エミリアの人権? そんなのあるとでも? というような理由で彼女はガルウェット家に引き取られたのだ。引き取られなければエミリアも母が死んだあと行くあてなどないので孤児院か、はたまた身体を売って生活するかの二択とか大分追い詰められた生活環境だったのだが……どっちがマシだったんだろうかこの場合。
これで健気に慣れない貴族生活を日々努力し乗り切っているとかいう正統派ヒロインであれば良かったのだが。
このゲームが乙女ゲームかどうかを疑われたのは、エミリアが将来の婿候補、もしくは自分が嫁入りして家同士の繋がりでどうにかする、みたいな感じで将来性のある男性――攻略対象だ――に接近するわけだが、ここからが酷い。
攻略対象には婚約者がいる。
普通に考えてエミリアが入り込む余地などあるはずがない。
だがエミリアは数々の小道具を用いて細工をし、自らを悲劇のヒロインとして周囲の同情を得、最終的に婚約破棄に持ち込ませた上で攻略対象とくっつくのだ。
クラリスは前世でなんでこのゲームプレイしようとしたんだっけ、と思ったが確かパッケージに恋も勝利も勝ち取ってこそ! とかの煽り文句がついてたのと、目指せ最強の悪女、とかいう言葉もあったからだ。いや乙女ゲームですよね?? とか思ったのは覚えている。そうだ、ついでに言うとあまり有名なメーカーが作ったわけでもなく初っ端から廉価版ですか? みたいなお安いお値段だったのもあってまぁ今は懐に余裕もあるし……とかでちょっとしたネタのつもりだったのだ。
お値段二千円くらいのゲームだったが、ボリュームはすごかった。
いやシナリオが凄いとかではなく。内容はホントよくある感じの貴族たちが通う学園で~とかライトノベルでもそれ散々見たやつ、とか思うくらいのものだったのだが、ヒロインの行動がえげつない。
まず虐められている悲劇のヒロインになってお相手の男性から同情されなくてはならない。
こいつには俺がいないと駄目なんだ……みたいに持ち込むところから始まるわけだ。
一応元平民で貴族としてのマナーなどはまだ疎い、という設定もあり、多少非常識な行動をとっても周囲も「あぁそういやあの家の令嬢は確か……」みたいに、本当にちょっとだけなら大目に見てもらえる部分もある。そしてそういった貴族の事情に詳しくないから、本来ならば踏み込まないような部分にも踏み込んだりだとか(物理的な意味だけではなく相手の内面とか)、それはもう使える手段は全部使っていこうぜ! みたいな感じなのだ。
本当に婚約者の令嬢がエミリアを虐めるような展開になってくれればいいが、そうならない相手もいる。そういう時は冤罪吹っ掛けるわけなのだが、その冤罪もお粗末すぎるとゲームでは逆に論破され自分が断罪される事になるのだ。
まぁ当然の結果だが。無実の相手を犯罪者に仕立て上げようとしてるも同然なのだから、そりゃそうなる。
だからこそゲームでのエミリアは精密に、相手のアリバイを利用し、周囲の目撃者の有無を確認した上で相手を追い落とすのである。いやもうこれ完全に乙女ゲームじゃないですやん。罠仕掛けて獲物捕えるゲームじゃん。その方法があまりにも多岐にわたりすぎてとてもボリューミー。乙女ゲームなんだからもっと甘いシーン増量して。
攻略対象の婚約者令嬢によってそこら辺の難易度が大きく変化する。
小者レベルなら多少粗があっても勢いで乗り切れる。だが、難易度の高い相手であった場合、ちょっとでも粗があれば簡単にそこから突き崩されて敗北するのだ。
いやあの、これ本当に乙女ゲーム……?
探偵と犯人の対決並みにトリックとか用いるやつだったんですけど……難易度の高い攻略対象を落とすとなると、元々頭の回転が速いタイプのプレーヤーか、攻略情報を見ながらでもないと無理。初見で適当にやってクリアできるなんてのはまずないと言っていい。運だけでどうにかできるとか、それ逆にそういう才能ずば抜けてるとかでもなければあり得ないと思えるものなのだ。
そして言うまでもない事だが、攻略難易度最大の相手というのは――この国の王太子でもあるアルベルトだ。
クラリスは転生した際に「うわまさかよりにもよってこのゲーム? もっとこう、冒険に出たり魔法使えたりするファンタジーっぽいとこが良かったな」とか思ったものだが、同時にヒロインが王太子に近づくとかないだろ。こっち追い落とすのに必要なフラグどんだけあると思ってるのよ。とか考えていた。
そのフラグのうちどれか一つでも失敗したらその時点でヒロインの敗北が確定するのだ。
前世でゲームをプレイしたクラリスだって全部の手順なんて覚えていない。転生する前にプレイしたゲームの内容一字一句違える事なく覚えてるとか、記憶力とんでもない相手じゃないと無理では。転生してから十年以上はこっちで過ごしているのだ。記憶だって前世のものなら余計に風化する。
仮に生まれてすぐに「あっ! この世界は!」となるだろうか。余程誕生した瞬間に特徴でもない限りは転生した事実を受け入れてもそもそも自分が前世でプレイしたとか見た・聞いたとかいうゲームや漫画の中の世界だとか思うはずもない。
だがそれでも一応考えてはいたのだ。万が一の展開を。
この場合ゲームと同じように話が進めば、誰かしらエミリアに追い落とされる事になってしまう。
転生ヒロインが逆ハーレム作っちゃうんだ、キャッ☆ みたいな考えの持ち主だろうと転生者じゃなく好きになった人に邪魔な女がいるから排除しちゃお、ミャハッ☆ という考えだったとしてもどっちにしても変わらない。
おかしいな、乙女ゲームのヒロインってこう、性格とかに癖があってもなんだかんだ同じ女からは好かれるタイプだと思うんだけど……このゲームのヒロインどう足掻いても女の敵にしかならないタイプ。
エミリアが転生者で、前世この乙女ゲームの存在を知らず、また人間性も普通である、とかいうコンボが決まらなければ自分含めて攻略対象の婚約者になってる誰かが被害に遭ってしまう。だからこそクラリスはそういやそろそろエミリアがガルウェット家に引き取られる頃だな……とか思ったあたりでこっそり探らせたのだ。
その結果、彼女も転生者であるというのが判明した。それも悪い意味で。
乙女ゲームの方は逆ハーレムルートというものは存在しない。
それに近い状態で他の攻略対象を味方に引き込む事は可能だが、味方として引き込んだ相手はあくまでも取り巻きとかそういうポジションになるだけでそちらとのエンディングになるわけでもないのだ。
だがエミリアはゲームじゃないなら強引に逆ハールートを開拓できるのではないか? などと考えたらしい。
それはもうありとあらゆる手段を用いて下さった。アルベルト以外の攻略対象の時に使えた手段を、しかしアルベルトの時には使えない、なんてのもあるのだがエミリアはそんなの知らんとばかりに本当にゲームにあった使える手段全部を使ってくれたのだ。
そしてその結果が――
婚約破棄を突き付けた王太子の背後で不安そうにこちらを見ている(恐らく内心でほくそ笑んでる事だろうが)エミリアと、彼女を守るように周囲にいる他の攻略対象だ。
こうやって見ている分にはとっても悲劇のご令嬢。
いじわるな悪役令嬢に虐めに虐め尽くされて、騎士のように彼女を守ろうとしている男性に囲まれて――と見えなくもないが、生憎その虐めとやらは自作自演である。
多分エミリアの中ではもうクラリスが何を言ってもどうしようもないくらいに詰んでいると思うくらいにガッチガチにやり遂げたのだろう。つまり、こちらを追い落とすためのものが。
そもそもゲームの中でもクラリスは別にエミリアを虐めたりはしていなかった。だからこそ自作自演に持ち込まないといけないわけなのだが。
だがしかしそこがエミリアの敗因である。
転生者が自分だけだと思ったのだろう。仮に、もしクラリスも転生者かもしれないと想定したとして一体どうやって判別するのか。原作では虐めてきた相手が何も手出ししてこない、とかであればその可能性を疑ったかもしれない。けれどもクラリスは表向きの行動全てはゲームの中のクラリスとそこまで変わらないのだ。これで気付けるとか、無理だと思う。
例えば人を雇ってこちらの動向を調べさせるという方法もあったかもしれない。けれど侯爵令嬢でもあるクラリスはそれも可能だが、正直没落寸前になりつつある男爵家が今の今まで平民として育ってきたエミリアのために余計な金を使ってくれるか、となればまぁないだろうなと思う。
必要経費ならともかく、貴族のお嬢様の動向を調べたいからとかしかも相手が身分も立場も圧倒的に上の侯爵家となれば、余計な事をそもそもさせるはずがない。
学園に入ってからは周囲の男を手玉に取り、彼らから貢がれた物を売り払って自由に使える金に換える方法もあるが、学園に入ってから調べたのでは遅すぎる。
それにエミリアはこの時点でゲーム通りにほとんどの事が進んでいると思って油断もしていた。
ここで負ける事になるなんてこれっぽっちも思っていないに違いない。
「まずよろしいでしょうか?」
「なんだ謝罪か? 今更貴様の謝罪で傷ついたエミリアの心が無かったことになるとは言わんが、許可しよう」
「謝罪、とは違いますが……まず非道な行いとは一体どのような……?」
「貴様この期に及んで……まず学園で居場所のないエミリアを更に孤立させようとしたではないか!」
「居場所のない、とは意味がわかりませんが。そもそもお互い教室が違いますし、他所の教室で彼女が孤立している事に関してどうしてわたくしが関係しているのです?」
「貴様の取り巻きでも使ったのだろう」
「生憎、わたくし、友人はいても取り巻きというものは持ち得ておりません。彼女が孤立しているのはそうやって人のせいにしている人間性のせいではないかしら?」
暗にてめーの性格が腐ってるから遠巻きにされてんだろ、と言われたエミリアの頬がひきつる。その程度で表情を変えるなんて、まだまだ淑女としてはなっておりませんね。
「ぬ、だがしかし教科書が破られたりインクまみれにされたりしていたのだぞ!?」
「それもわたくしに心当たりはございません。大体用もない教室に足を運んで他人の教科書を傷つけるなんて時間もわたくしにはありませんが。生憎暇ではないもので」
「貴様が直接やったとは言っていない。これも人を使ったのだろう」
「では、その使われたらしき人はもうわかっているのですか?」
「ぬ……それは……まだだ」
「なのにわたくしのせい、なのですか? 証拠らしい証拠もないうちから?」
「黙れ! それだけではない。エミリアを中庭の噴水に突き落とそうとしたり階段から突き落とそうとしたではないか! 一歩間違えれば怪我では済まないのだぞ!?」
「生憎それもわたくしではございません。他には?」
「他!? 認めるつもりもないくせにそれは聞くのか!?」
「認めるつもりもなにも、やっていない事を認めるわけには……
わたくしが行ったのは、ガルウェット家所有のモール商会を潰したりそこで働いていた一部の者を毒殺した程度ですわ」
「おいっ!? そっちの方が酷くないか!? というかそれは犯罪だろう!!」
「いいえ正当防衛ですわ。そもそも先に手を出してきたのはそちらです。殿下はわたくしにやられっぱなしで泣き寝入りをしろと申すのですか? もしそうなら、どうしてエミリアさんにも同じようにやられたとしても泣き寝入りしろとおっしゃらないの? わたくしは泣き寝入りしてもいいけれどエミリアさんは駄目、なんて筋が通らないじゃありませんこと? その理由がまかり通ってしまえば、下々の者が反乱を起こした時、王家は抵抗せず滅ぼされろと言うのと同じようなものですわ」
「ぐ、ぬ……それは……いやまて、先に手を出した? エミリアが何かをしたのか?」
アルベルトが背後にいたエミリアへ振り返る。
ゲームにもない展開にエミリアは思わず目をまるくして驚いた表情を浮かべていた。
「え、いえ、あたし、何も……」
知らない、とばかりにふるふると首を振って否定するエミリアに、クラリスは内心で「なんだ」と思った。
ゲームにもない逆ハーレムルートを達成させようとばかりに精力的に動いていたのだから、一体どんな剛の者かと思ったのに。目論見が外れたなとすら思う。
ゲームにもないエンディングを自らの手で作り出してやるよ……! みたいな乙女ゲームマスターみたいなのを仮想敵にしていたのに、今のこの様子で判明した。
この子、単純に考えが足りてないタイプだったわ……と。
恐らくはゲームを沢山やりこんだのだろうとは思う。
だからある程度内容も何をどうすれば攻略できるかのフラグも覚えていたはずだ。
そして万全の状態にしておいた。あとはもうエンディングまで一直線。
全ての悪はクラリスだったという風に仕立て上げ、自分は王太子の新たな妻とでもなるつもりだったのだろう。それ以外の男たちは護衛だとか、王妃教育の際の勉強を教えてもらう教育係にでも任命していつもいつでも自分を慕う男たちに囲まれて……なんて想像だってしていたに違いない。
ヒロインという立場に自分から収まって、でもその枠組みから逃れるような新たな展開を望む。
そしてそのせいで彼女は自滅するのだ。これから。
――ちょっとどうなってるの!? とエミリアは声にこそ出さなかったがそう叫びたくて仕方がなかった。
前世でプレイした乙女ゲームの世界に転生した、というのを理解したのは母が死に、父が貴族でそちらに引き取る事にしたという話を耳にした時だ。
そこでようやく自分が前世プレイした乙女ゲームの世界だと理解できた。
あたしヒロインじゃん! と思わず浮かれてしまったのも確か。乙女ゲームだったけど、他の乙女ゲームとは違ってヒロインが悪女なのが個人的にウケたから思わず全員の攻略もした。だから問題ないと思っていた。
それに、ゲームの流れは覚えているし自分が何をどうすればいいか、もバッチリ覚えている。王太子だけ攻略フラグがとても面倒だったけど、そのせいで最後にクリアしたのもあってそれも覚えていた。
ゲームをプレイしつつ攻略サイトを見てもうっかり操作ミスとかで今までの苦労が台無し、なんて事もあったから、念の為自分でもメモを書いてフローチャートを作ったりもしたのが功を奏した。あれをやらなかったらきっと転生した時点でほとんど忘れてたかもしれない。
メモを取るって大事なんだな、とかこんなところで実感したいものでもなかったけど。
だが、全員の攻略ルートを覚えていたのでもしかしたらこれ、全員落として逆ハールートできるんじゃない? と思えていた。ゲームクリア後に見られるエクストラと言う名のオマケでイベントスチルだとかエンディングリストだとかを見られるようになっていたが、実の所いくつかのスチルとエンディングが埋まっていなかった。
攻略サイトで見たのはあくまでも王太子の攻略ルートだけ。イベントやその他のエンディングはなるべく自力でやり遂げようと思っていた。
王太子ルートより難しいものがあるわけないとも思っていたけれど、何故かスチルもエンディングリストも埋まらず。
結局見ないままに転生したけど、ふと思ったのだ。
もしかして、逆ハールートあったんじゃない……? と。だとすればあれだけ周回プレイしたのに埋まらなかったのも納得がいく。王太子をメインで攻略しつつ他の攻略対象も落としていけばいいのかもしれない。攻略する時のタイムテーブルとか作ったけど、確かにギリギリ行けそうな気がしなくもないのよね……って感じだったし、よし! いっちょやりますか!!
などというノリで、エミリアは逆ハールートを目指す事にしたのだ。
その乙女ゲームに逆ハールート及びにエンディングなど無いとは知らないまま。
とても大変だったけど、攻略は順調だった。
秒刻みのスケジュールかってくらい忙しかったけど、どうにか駆け抜けた。
その結果が今だ。
攻略対象だった者たちは自分を守るように最後の難敵でもあるクラリスを睨みつけているし、王太子は婚約破棄を突き付け断罪イベントを発動させている。
実の所少し前に父が所有していたモール商会が潰れるという事件があった。これはゲームにはない出来事で、そのせいでエミリアも苦労したのだ。モール商会がなくなったという事で家で他に行っていた事業も不穏な雰囲気が漂い、ガルウェット家の経済状況は一気に傾きつつあった。
このままではせっかく貴族の家の娘となったのにまた平民に逆戻りだ。それも今度は平民の暮らしなど理解できてなさそうな父と共に。
母は、苦労していたようだがそれでも平民としての生活はできていた。けれど父はどうだろう。彼は生まれた時からずっと貴族だ。没落して平民の暮らしをするしかないとなって、果たして本当にそれができるだろうか?
自分が父の世話になるのはともかく、エミリアは自分が父の世話をするつもりは正直なかった。
家に引き取ってくれた事で生活の心配をしなくて良くなったのは有難いと思っている。そのおかげでここがどういった世界であるかもわかったし、無事に攻略対象と会う事もできた。彼らを落とせば自分の今後の生活は安泰だ。自分が父の面倒を見なくても、家同士の繋がりとしていい相手を選んだとなればそれでもう親孝行は果たしただろう――なんて考えていたのだ。攻略対象の誰か、それこそ王太子とくっつけばそれで引き取ってくれた分はチャラどころかおつりがくる、くらいに考えていた。
だがその前に家の資産がどんどん減って危うく学園に通えなくなる可能性も出ていた。
そこでやりたくはなかったが、攻略対象から贈られた物のいくつか、それこそ高く売れそうな物を売って家に少しだけ援助するなんてこともしたのだ。
売る時は人目につかないよう細心の注意を払った。自分が売りに行くのではなく、休みの日に一度家に戻り、そこで父に品を渡し父が使用人に命じて……という流れで。その使用人もなるべく顔を見せないようにしてガルウェット家の者だとわからないようにもしていた。
そして手放す結果になった品も、悪役令嬢のせいで失くしたのだという事にした。とはいえ売ってすぐにそんな話を攻略対象たちに泣きつくのはマズイ。エミリアに対して良くない感情を持っている誰かが持ち去った、程度で済めばいいが売り払われた可能性を考えてそこら辺調べられると困るからだ。
だからこそ、その件に関してはまだ攻略対象たちにも言っていなかった。
だが折を見て――それこそこの場でクラリスが非を認めない――まぁ冤罪なので認めるはずもない――というのであれば、それっぽいパーツの欠片などを用意したので壊された事にするくらいのでっち上げは可能だった。使うかどうかはともかくタイミング的に使えるようならやるつもりでいた。
だがそれどころではない。
家の資産が減る原因――モール商会が潰れたのは、クラリスの仕業だというではないか。しかも先に手を出したのはこちらだという。確かに冤罪吹っ掛けるのにやらかした自覚はあるけれど、報復にしても大きすぎる。
ましてや、商会で働いていた一部の者には毒を盛ったとまで言うとか、どう考えてもオーバーキルでは?
「あ、あの、お待ちください……クラリス様に何かをした、という心当たりがございません。それにその、毒殺……というのは? あまりにもやりすぎではありませんか……!?」
目一杯か弱そうに見えるのを意識して声を出す。ここで黙っていたとしても、このままではゲームで見たバッドエンドに突入しそうな予感がしたからだ。
どこで何を間違ったか……はわからない。けれども突ける隙があったのは確かだ。教科書もそうだが噴水や階段の話は他の攻略対象の婚約者を追い落とすのに使った手段だ。だからクラリスが知らないと言っても仕方のない話。
だがこのままアルベルトとクラリスの会話で進めていけば、アルベルトも真相に気付く可能性が出てくる。
エミリアにコロッと騙される程度には愚かだが、けれど馬鹿ではない。この場の主導権をクラリスに奪われてアルベルトが向こう側についてしまうというのだけは回避しなければならなかった。
「そうね、直接貴女が何かをしたというわけではなくってよ。ただ、モール商会の人間がよりにもよってわたくしの妹を誘拐しようと致しましたの。幸い大事にはならずに済みましたが……だからといって放置するわけにもいかないでしょう?
一人二人ならまだしも複数名が関わっていたために、そのような人間を使っていたモール商会への責任追及、並びに事件を大々的に知らせる事をしない代わりに下手人をこちらで処分する事にいたしましたの」
「そ、そんな……」
まさか自分の知らない所でそんな事が……!? ゲームにはなかった展開だ。知っていたら対処していた。
クラリスが行った事は非道と言えなくもないが、しかし侯爵家の令嬢を誘拐しようとしたとなれば話は別だ。報復としては可愛らしいもの。それに大々的に周知させていたら今頃ガルウェット家は没落寸前どころか下手をすれば罪人だ。手を下したのが自分や父でなかったとしても、そういった相手を抱え込んでいたという責任を取る事は容易く想像できる。
実際その犯行に及んだ者だけを内々に処罰するというのも、そういう事情があるならば仕方ないと思えるものだ。クラリスの家からすればガルウェット家なんていう小さな男爵家、潰そうと思えば簡単にできるというのにしかし彼女はそれをしなかった。図らずも彼女に家は救われたようなものである。陥れようとしている相手だというのに。
「そのような事が……」
まだどこか訝しげなアルベルトに、しかしクラリスは動じる事なくこちらを、と控えていた従者からの書類を受け取り手渡す。
「その時にあった出来事の一部始終です。目撃していた者の名も記してありますので、もしわたくしの事が信じられないようであればそちらへ確認してくださいませ」
「しかし、その目撃者とやらがグルでエミリアを陥れるための嘘である可能性がある」
「あらいやだ。目撃者の名前、きっちり確認してくださいな。その場にはフェリトゥス家のご令息も居合わせておりました。我がアインフェリア家とフェリトゥス家の対立はご存じでしょう?」
「む……それは、確かに……」
エミリアには意味がわからなかったが、それでも想像はできる。
恐らくはとてつもなく仲の悪い所なのだろう。下手にこっちと話合わせてねー、なんて頼もうものならそれが弱みとなりかねないような。つまりはそういう頼みごとが出来ない相手がその場に居合わせていた、と。
成程、最悪だ。
ゲームのイベント通りに事が進んでいればこの後いくつかのでっち上げ話をアルベルトに振れば後はどうにかなるはずだった。しかしゲーム内ではなかったはずの出来事がしれっと紛れ込んだ挙句、今の話ではクラリスがエミリアの家に配慮をしているようにも受け取られる。そもそも虐めているような相手の家にそんな事があれば、これを口実に嬉々として潰せたはずだ。
なんてこと!! とエミリアは盛大に舌打ちしたい衝動にかられた。
だってこれでは、立場が逆になる。
本当にクラリスがエミリアの事を潰そうとしていたのであれば、この一件を見逃すはずもない。大々的に周知させてしまえば、いくら王太子であっても庇いきれるものでもない。
けれどもクラリスは家を潰すような事もせず、内々に収めていた。
だがそんな事があったにも関わらずエミリアがクラリスから虐めをうけている、なんて話をしてもそりゃあそうだろうね、で終わる可能性が高い。だってそれだけの事をしたと見なされる。身分が上であればまだどうにかなったかもしれないが、平民からの男爵令嬢が侯爵令嬢に、なんて不敬であると言われてバッサリ処分されてもおかしくはない状況だ。
「あ、アルベルト様、もしかしたら、クラリス様は本当に何もしていないのではないかと」
「なんだと?」
そもそもクラリスは何もしていない。全部エミリアの自作自演だ。だからこそ自分で言っててとても白々しいなと思っているが、それでもエミリアはここで路線変更する事にした。このままだと自分が明らかに不利だから。
「被害に遭った時、クラリス様の名を出した人がいました。だからてっきりそうだ、と思ったのもあります。ですが、考えようによってはクラリス様の名を貶めるためにわざとそうした人がいたのかもしれないな……と」
「ではクラリスはそなたに危害を加えてなどいないと?」
「わたくし最初から身に覚えがないと申し上げておりますわ」
突然の路線変更。このままではクラリスが悪役令嬢であったというシナリオを進めるのも厳しくなってくる。だからこそ、クラリスに関しては濡れぎぬで、他に黒幕がいる説を押し出す事にした。
証拠など後からでもでっち上げる事が可能だ。クラリスの身近にいる誰かか、はたまたアインフェリア家を良く思わぬ者のどちらかに該当する人物が上がるようにしておけばどうとでもなる。
この世界魔法はないし、かといって科学捜査なんてものも前世程発展してるわけじゃない。だからこそゲームでのヒロインは中々の無茶だってできたくらいだ。いけるいける!
まずはこの場を乗り切る事だけを考えよう。エミリアは必死に頭を巡らせていた。
「……では、今一度新たに調べる事としよう。その結果もしそなたが無実であったなら、改めて謝罪を」
「えぇ、はい。それはそれとして、婚約破棄の件は確かに承りましたので」
「――は?」
「え? 先程宣言していらっしゃったでしょう。まさかもうお忘れになったのですか? ですがご安心下さい。ここにこれだけの証人がいらっしゃるのですもの。ね?」
にこ、と微笑むクラリスとは逆にアルベルトの表情が強張っていく。
そうだ、先程確かにアルベルトは婚約破棄宣言をした。
その時点で勝利を確信していたエミリアは内心で高笑いが止まらない状態だったはずなのに、今はそれどころではない。
マズイ。この時点でクラリスを断罪できなかったのもそうだが、婚約破棄を承諾された事もマズイ。断罪できているならばまだしも、そうではない。周囲に目撃者多数の状態でやらかした事も勿論マズイ。こちらが勝てばどうにでもできた。けれど今のままでは勝負と見なせばこれはエミリアの負けまではいかないが引き分けのようなもの。更に後日の調査次第ではこちらの分が悪くなる可能性が高い。
王太子の婚約を破棄させる原因を作った娘。
しかもその婚約者には内々に家を救われたようなものなのに、恩を仇で返すとんだ恥知らず。
そんな話が駆け巡る可能性は考えるまでもなかった。
どうする、クラリス本人を断罪できずとも、せめて彼女の関係者に罪を擦り付けて向こうの家が一切何も悪くないというわけではなかった、という状況に持ち込むか……? であれば婚約破棄したとしても、そこに理由がついてくる。勿論後付けでしかないが。
陥れるにしても、ではどういう方法を用いるべきか。
もうこの時点でゲームではほぼエンディング直前だ。だからこそエミリアは今すぐ打てる手がない。勝利を確信してしまったのだから。
取り巻き状態になっている他の攻略対象に泣きついてどうにかする? いや、それも微妙。
そもそも王太子はクラリスがとんでもない悪女だと思ったからこそ婚約破棄を突き付けたわけで。だがその彼女が実は無実であるかもしれない、となれば婚約破棄を突き付けた時点での好感度と比べて悪感情は若干消え去っている。むしろ言いがかりをつけてしまった、とか考えたら罪悪感含めてクラリスに対する好感度などはそう悪いものではなくなるだろう。
エミリアは考える。
駄目だ。
これ逆ハールートとか無理だ。
この状態からそうなる展開が想像できない。
であれば――
「お待ちください。確かにアルベルト様は先程婚約破棄を宣言なさいました。ですが、わたくしは貴族といえども下位の男爵家。それも元を辿れば平民の出です。いくらなんでもこの国の妃になるなど、到底無理な話。
アルベルト様の事はお慕いしております。ですが、だからこそわたくしは重荷になろうとは思わないのです。わたくしがこの場にいるのは、今までの嫌がらせなどがクラリス様の仕業なのではないか、と疑っていた事もですが、もしそうであればせめて一言謝罪を、と思っただけなのです。
どうやらそれも思い違いのようでとんだご迷惑をおかけしたようですが……
ともあれ、わたくしはそれさえ済めば潔く身を引くつもりでした」
「エミリア……?」
「アルベルト様、お慕いしております。ですが、わたしは男爵家の娘。国を背負う覚悟など到底なくて、いずれ王になる貴方を支えられるだけの力もありません。それに、貴方も今の身分を捨ててわたしと一緒に、なんて無理なのはわかっているでしょう……?」
驚いたようにエミリアへ視線を向けるアルベルトだが、そう言われればそれ以上何も言えなかったのかぐっと黙り込んだ。
そうだ。わかっているはずなのだ。
ゲームではクラリスを断罪した後、アルベルトとくっついた。だが、そこでゲームはエンディング。その後の生活がちょっとだけ出ていたが、その時点ではエミリアも妃としての勉強に励んでいる様子はあった。どうにか頑張って彼の隣にいる、みたいな感じではあったし、きっとこの後も努力を続けていくのであればまぁ……みたいな感じのエンディングだった。
だが、実際そんな穏やかな状況にはならないのではないか。
アルベルトは既に王太子となっている。次代の王となるための教育は済んでいる。だがその伴侶が未だ半人前では、王の負担は減るどころか増える一方だ。
愛があれば……なんて簡単な話ではない。
愛があったら他国との戦争が起こらないのか? そんなはずはない。
現状この国と周辺諸国との仲は可もなく不可もなく。良くなる可能性もあるが、何かあれば簡単にその関係にヒビが入るのも想像できる。
そして、半人前の妃の存在を知られてみろ。今なら攻め入る隙がある、チャンスなのではないか? と好戦的な他国が考える可能性はゼロではない。
悠々自適な生活ができるならともかく、そうでないのなら王宮暮らしなどごめんだ。
取り巻き状態の攻略対象の誰か一人を選んでそっちルートに強引に持ち込んだ方がいいような気がする。いや、ここで王太子にお慕いしているとか言っちゃったからそれも難しくなってしまったかもしれない。
この場の状況をどうにかする事を優先しすぎて、この先の選択肢を大きく減らしたかもしれない。
人目がなければエミリアは頭を抱えて呻いていた事だろう。
いやでも、この状況をどうにかできれば今は良しとしようじゃないか。乙女ゲームのバッドエンド、この場合クラリスを陥れる事ができなかった場合のバッドエンドはそれはもう悲惨なのだ。それだけは回避したい。
「特に問題はありませんわ」
状況がどう転がるかわからないまま、それでも保身のために次にどうするべきかを考えていたエミリアの耳に、クラリスの涼しげな声が届く。
「現時点をもってアルベルト王太子殿下は廃嫡され、その権利を失います。ですから、エミリアさん、彼とお幸せにね」
「なんだと?」
「え?」
「と言いたいところなのですが、今すぐにとはいかないでしょうね。貴方が他の貴族の令息たちに言い寄るために仕出かしたあれこれの証拠があがっています。元婚約者の方々からの訴えもありますし、当分は牢屋暮らしになるのかしら。
ともあれ、これだけの証人がいる以上言い逃れはできませんよ」
クラリスがそう言って手をパン、と打ち鳴らすと控えていただろう衛兵たちがさっとアルベルトとエミリアを取り押さえた。
「なっ、おい、これはどういう事だ!?」
「えぇええええ!? ちょっとどういう事!?」
アルベルトはさておき、エミリアもこの状況は想定外すぎて何かを言おうにも咄嗟に出てくる言葉なんてほとんど意味のないものだった。エミリアを守るようにしていた他の攻略対象だった令息たちは何がなんだか、といった感じでおろおろとその様子を見守っている。
どうにか衛兵からエミリアを取り返そうにも、余計な事をしたらお前らも捕まえる、と言わんばかりの気迫にあっさりと尻込みしてエミリアから距離を取るように数歩、後退した。
相手がクラリスであったならどうにか勝てると思ったのかもしれない。けれど武装した兵士相手にパーティーの中なので武器など持っていない状態で勝てるか、と言われると……彼らにはそこまでの実力があるわけでもないのでこうなるのは当然の結果だった。
――とんだ茶番だったわね、とクラリスは連れ去られていく二人を見て思った。
これでも一応強敵を想定していたというのに、いざ対峙してみれば相手は恐らくゲームをそこそこやりこんだだけのお花畑、しかもバッドエンドを回避しようとしてか保身に走る始末。
そもそも最初の時点で勝敗など決まっていたも同然だというのに。ゲームに無い展開が出てきた時点で悟るべきだったのだ。クラリスもまた転生者であるという事実に。けれど彼女はそれに気づいた様子はなかった。
ここまで来たら勝利を確信してたんだろうな、とは思うがそれにしたってお粗末な話だ。
どうやら一部始終を見ていた国王がその後は上手く場を収め、新たな王太子として第三王子であるユリウスの名が挙がる。ついでにクラリスはそちらの婚約者となる事となった。そうね、妃教育とか終わってすぐさま妃として働けるの現状わたくしだけだものね、と思う。
ユリウスはゲームの攻略対象だった男ではないので、言ってしまえばモブだ。
だがクラリスはむしろその状況こそを歓迎していた。
それに、エミリアが転生者でありよりにもよって逆ハー狙ってるっぽい時点でクラリスが何の手を打たないわけもない。こうなる事を想定して、王には既に相談していたのだ。
結果、王太子としての教育を第三王子であるユリウスが内密で始める事となり、結果はクラリスの想定通り。
エミリアにまんまと騙されてあの場で婚約破棄を宣言した時点で、アルベルトの未来は決定されていたのだ。
ついでにエミリアの取り巻きのようになっていた他の攻略対象たちも、家の跡継ぎにするにはちょっと……となったので今後の人生は薔薇色から一転、灰色の人生を送る事となる。まぁ生きてるだけマシだろうし、今後の頑張り次第では人生にちょっとくらい彩りがつくかもしれない。
かくして、国王の誕生パーティーは一波乱あったもののどうにか無事に終える事となった。
牢屋にぶち込まれたアルベルトは鉄格子を掴んで出せとひたすら叫んでいたが、いい加減喉が限界を迎えたためか一時間程した後はすっかり大人しくなっていた。
一体何故このような事に……いや、確かに先走った事をしたと今なら思う。だがそれにしたって廃嫡というのはやりすぎではないだろうか。
こうなってしまった元凶とも言えるエミリアは別の牢屋に連れられていったのか、少なくとも自分がいる牢屋からは姿も見えなければ声も聞こえない。
近くにいるのであれば、せめてもう少し話をする事もできただろうに……
エミリアの勘違いであったとしても、実際に彼女を虐げた者は存在するはずだ。その相手がクラリスではなかったというだけで。
その調査を済ませてから結論を出すのでもよかっただろうに……いや、その人物を調べられると問題がある? それとも……エミリアの自作自演を疑われて?
少し前ならもっと自信満々に考察して結論までも出せたかもしれないが、現状がそれを許さない。
仮にきっとこれが正しい! と思えるようなものであったとしても、本当にそうなのか、という疑惑が付き纏う。
「無様ですね兄上」
「……ユリウス」
護衛の兵と共にやってきたユリウスが、何の感情もこもっていない声で告げる。
「次の王太子は私に決まりましたよ。どうです? 安心しましたか?」
「は、これはこれは……確かに優秀な弟でもあるそなたが次の王太子となれば国は安泰だろうさ。それで、わざわざこんな場所に足を運んでまで言いに来た事はそれだけか?」
「今回の件、クラリス嬢は最初からエミリア嬢を怪しんでいました。だから気付かれないように優秀な密偵を潜ませていたのです。
貴方はあの女に騙された、と思うかもしれません。ですが、仮にも将来国を背負って立つべき存在があの程度の女に簡単に騙されるようでは……というのが今回兄上が王太子でなくなった理由の一つです。
父上とクラリス嬢の間でそのように取り決められましたから。
なので兄上、この先どう足掻いても貴方がかつての位置に戻る事など不可能だ、という事だけは覚えておいてください」
王が決めたというのであれば、アルベルトがどう足掻いたところでその決定が覆る事はない。
何か誤解があったはずだ、という思いも確かにあった。
けれど、ユリウスが言うあの程度の女、という言葉に。
何故かすとんと納得したのだ。
「きっと兄上は、物珍しかったんでしょう。そもそも私たちは平民と関わる機会などそうありませんから。いくら下位とはいえ貴族になれたとしても、その少し前までは平民だった女です。
そんな相手に翻弄されるようでは、他国との外交で使い物になるはずがない、そう思われても仕方のない事ですよね」
まるで出来の悪い生徒に語って聞かせるかのような口調のユリウスに、しかしアルベルトは何も反論できなかった。
何故って今になってその言葉がその通りだとしか思えなくなったからだ。
そうだ、自分が最初にエミリアに対して思った感情はなんだった? 貴族としてはあり得ないだろう活発すぎる立ち居振る舞い。それに対して面白いと思ったのは確かだ。
だがその後、嫌がらせを受けるようになったらしいエミリアの、普段とは違う弱々しい姿に何故だか心が痛んだのだ。
あの時はそれを恋だと思っていた。
消え入りそうな、儚いその姿に守ってやらねばと思った。
だが弟の言葉を聞いた後で冷静に考えてみれば、物珍しかった、という部分を否定しようがなかった。
あれだけ元気いっぱいだった彼女が、そんな姿の面影もないくらいに儚いものに変わってしまったせいで、それ以降はとにかく守らねばと思ってしまった。
だがそれが本当に恋だったか? となると今は違うと言えた。
クラリスに婚約破棄を宣言した時に、新たな妃としてエミリアを、なんてのたまったけれど、それも今思えばどうかと思えるものだった。
そもそも同じ貴族に虐げられるような相手が、妃として自分の隣に立ち同じ目線で同じものを見て、そうして国を導く事など果たしてできるだろうか?
あまりにもそれは、彼女にとって重すぎやしないだろうか。
同じ貴族でそれならば、王家にやってきたとして、他国と交渉するような時、彼女は王妃として務めを果たす事が本当にできるだろうか……?
「とりあえず兄上、あの場で宣言したとはいえ、エミリア嬢を妃にするとのたまったものの嫁にするとは言ってないので。
もし、ここから出て市井で暮らすにしても、あの女と結婚する必要はない、というのだけは教えておきますね」
「しかしそれは……」
「彼女に対して不誠実? でも、不誠実な事を今までたくさんしてきたのは、エミリア嬢ですよ。婚約者のいる他の令息たちまで手玉にとっていたのですから」
そもそもアルベルトはもう王太子ではない。なのでエミリアと結婚したとしても彼女が妃になる事はない。あの宣言はどう足掻いても実現不可能なものになってしまった。
であれば、言葉の裏をかいて廃嫡されたので妃にできない、と言い切ってしまえば平民となったアルベルトがエミリアと結婚する事はなくなる。
何が何でも結婚しろ、というところまではいっていないのだ。あの場でもっと騒ぎが大きくなっていたらそうなった可能性もあったかもしれない。
「あぁそうだ。暇潰しにどうぞ」
「なんだこれは」
「私たちが調べたエミリア嬢に関してです」
そこそこの厚さの紙束を鉄格子の間から突っ込まれて、思わず受け取る。
「それ見た上でなお、平民となった際にエミリア嬢と一緒にいるつもりならもう何も言いません。二人の愛は真実のものなのだと何なら称賛もしましょう。どうせ牢から出られるまで、まだまだ時間はあるはずですので少し考えてみては」
それだけ言うと、もう話す事はないとばかりにユリウスは来た道を引き返していった。
後に残るはこれ武器になる厚さでは? と思える程の報告書である。
「…………」
どのみち牢の中などやる事は何もない。だからこそ、アルベルトは腰を据えてそれを読む事にした。
「こんなはずじゃなかった……こんな……ッ」
同時刻。別の牢に入れられていたエミリアもまた打ちひしがれていた。
アルベルトのように鉄格子を掴んで出せー! なんて叫ぶ元気すらない。
何が悪かったのだろう。使える手段は全部使った。順調だった。少なくとも、アルベルトが婚約破棄を宣言するまでは。
「……どこかでフラグを見落としてた……? いやでも、ゲームになかった展開もあったし……」
ぶつぶつと呟くその言葉は、この周辺の牢には誰もいないからこそ聞かれてはいない。もし他の牢にも人がいて聞かれていたら、間違いなくエミリアは気狂いだと思われただろう。
そんなエミリアの思考を中断させるように、離れた場所からカツンカツンと規則正しい靴音が響いてくる。
牢に入ってまだそこまで時間は経過していないが、もしかしてもう出られるのだろうか?
いや、無罪放免とはいかないだろう。何らかの罰は下される。それは仕方がない。
まさか、こんな周囲に誰もいないし誰かが来るような場所じゃないからって、ここで慰み者にされるとかないわよね……? なんてふと思う。
牢に捕らわれた貴族令嬢とかエロ同人にありそうな展開ではないか。
まさかいくらなんでもそんなうふふ、と笑って誤魔化したいが、現状それを否定できる材料がどこにもない。
靴音はどうやら一つのようなので複数の連中に嬲られるとかそういう事はなさそうだが……いざとなったら死ぬ気で抵抗するぞ、と決意だけは固める。
だがしかし、その決意はあっさりと崩れ去った。
「ごきげんよう、エミリアさん」
「……クラリス!?」
まさか彼女が、という思いがあってエミリアは咄嗟に鉄格子を掴んでいた。まさか、本当に、本物? という気持ちでよく見ようと思っただけではあったが、別にエミリアの視力は悪いわけではないので鉄格子に掴みかかってギリギリ接近してもその姿に変化はない。
「きっと最後になるだろうから、お話くらいはしておこうと思って」
「あ……今更、なんで。だってあたしは」
あんたの事、陥れようとしたのよ……? という言葉は出せなかった。
事実ではある。けれど、こうして今になってみればとんでもない事をした、という自覚はあるのだ。
ゲームの中ならヒロインがどれだけえげつない手段を選んだとしても最終的に攻略対象と結ばれればそれでよかった。だが、ここはゲームの中ではない。よく似た、けれどちゃんとした現実だ。
今更になって、エミリアはそれを自覚したのだ。手遅れにも程がある。
最後の難敵でもあるクラリスは陥れる事ができなかったけれど、他の攻略対象の婚約者たちはそれなりに蹴落とす事に成功していた。今にして思えばそれも酷い話だ。
中には確かに自分に危害を加えようとしてきた婚約者の令嬢もいる。そこもゲームと同じ展開だったから、今までは気に留めてもいなかった。
この世界は、エミリアを主人公として回っている。
そう思い込んでいたのだ。
実際そう思ってしまえるくらい途中までは上手くいっていた。
そう、エンディング目前となっていた、先程のパーティー会場までは。
今更悪戯がバレたこどものように気まずそうに視線を彷徨わせるエミリアに、クラリスは手にしていた扇子を広げ口元を隠す。これが演技だとしたら大したものなんですけれどもねぇ……とは言わなかった。
演技でないのはわかりきっているからだ。
「とりあえず、貴方の敗因はいくつかありますけれど。
この世界をゲームそのものと思い込んだ事、でしょうか」
「え……まさか、まさかあんたも転生者なの!?」
「えぇ。そちらが転生者だというのは早い段階でわかっておりましてよ」
「そうか、あんたが転生者だったから! だからゲーム通りにいかなかったのね! とんだバグじゃない!!」
「失礼な。バグだというならそれは貴方もでしょう。どうしてわたくしだけのせいにしているのかしら。図太い精神構造してますわね」
「あたしのどこがバグだっていうのよ!!」
叫ぶエミリアに、クラリスは広げていた扇子をあえて音がなるようにパンと閉じた。
「どうやら貴方もあのゲームをプレイしていたようなので細かい部分は省略しますが、でしたらなおの事わかるでしょう。あのゲームで確かにクラリスは転生者ではなかった。けれど、エミリアもまた転生者などではなかったのですから」
「でも、あたしはちゃんとゲーム通りに……」
「ゲーム通りにありもしない逆ハールートに進もうとして失敗した。ほら、それだけのお話です」
「え……逆ハールートが、ない……?」
「もしかして全部のエンディングを回収していらっしゃらない?」
「……攻略対象全員は、見たけどでも、他にまだ未回収のスチルとか、イベントとか」
「あぁ、それでもしかしたら逆ハールートがあるかもしれないと思ったのですね。攻略サイトとかご覧にならなかったの?」
「王太子攻略ルートだけは、見た。でもそれ以外は自力でやろうとして」
今にも食って掛からんばかりの勢いだったエミリアだが、逆ハールートがないときっぱり言われた事で勢いを失う。
実際その言葉が本当なら、自分は今の今まで順調にバッドエンドルートに進んでいたといっても過言ではないのだ。どこで間違えたも何も、最初から間違えていたという事になってしまう。
「わたくし、てっきりゲームにはなかった逆ハールートをここで完成させるつもりのある方かと思って、さぞ乙女ゲームエキスパートな人だと思って貴方の事は警戒していたのですよこれでも」
「うそ、だって、でもあんた何にも」
「えぇ、あからさまな行動には出ていません。そもそもアルベルトルートのフラグ回収の多さと面倒くささはわかりきっていますもの。それを一つも取りこぼさず間違える事なくやり遂げるとか、それこそゲームの時なら攻略情報見ながらできても現実じゃ厳しいと思っていましたのよ」
まさかそれでもやり遂げかけていたとは思いませんでしたけれど、と呟く。
アルベルトを攻略する際のルートはそれこそ面倒くさいくらいに手順があるし選択肢も無駄といっていいくらいに存在していた。いくらエミリアが転生者だからって、あの面倒な攻略手順を全部覚えていると思わなかったのだ。生まれた時から転生していた事に気付いたとして、そしてここがその世界だと理解しているならまだしもそうでなければ前世の記憶なんて数年前のもの。細かい部分は抜け落ちているだろうとクラリスは考えていた。
だがそれでも、エミリアはやり遂げかけていたのだ。
だからこそクラリスはそっと一つの妨害を仕掛けた。それが、モール商会を潰す事に繋がったわけだが。
エミリアに直接何かをしでかすには、リスクが大きすぎた。
こちらが危害を加えたという事実が彼女にとって大義名分を与えかねないし、そうなるとアルベルトの攻略難易度が大幅に下がる可能性もあった。
だからこそ、彼女に直接何かをするより間接的に妨害をした方がいいだろうと考えたのだ。
クラリスの妹が誘拐されかけたというのは事実だ。
ただ、下手人が全員モール商会の者であったかと言えばそれは違った。
巻き込まれてしまった者もいたが、それでもクラリスは非情にも冷徹な処分を下した。
そうする事でガルウェット家の力を削いで、エミリアへの支援を絶とうとしたのだ。ゲームではエミリアに定期的に実家から仕送りというかお小遣いという名目で多少の援助がされていた。
それらを使って邪魔者を追い落とすための道具を用意したり、攻略対象の好感度を上げるために使ったりできていたが、実家の資金が大幅に減ればその援助も難しくなってくる。
そうする事でエミリアの動きを制限したのだ。
だからこそ、エミリアはクラリスの思う通りに動いてくれた。
結果裏でアルベルトやそのほかの攻略対象たち含めて色々な情報を集め、最終的に廃嫡やら後継ぎとして不適格の烙印を押したりもできたわけだ。
「折角だから教えてあげますわ。貴方がまだ見ていなかったエンディング、それは隠しキャラでもある隣国の王子エンドです」
「隠しキャラ……!?」
「逆ハー目指すならそちらも手玉にとられているかと思えばそちらとは未接触だったので、こちらも貴方が一体何をするつもりか無駄に深読みしてしまいましたが……ご存じありません? 黒い髪に紅い目の左手に包帯まいた自称画家の青年」
「あ……! え、あいつ隠しキャラだったの!? てっきり残念な中二病患者だとばかり思ってたのに!!」
その反応からとりあえず出会った事はあるらしい。だがしかしあの隠しキャラの言動は一々中二病を患ってるとしか思えないものなので、人によっては見てるこっちが痛々しい、となってしまうものだった。
「一度目の出会いがスチルにでもなっていれば、もしかしたら隠しキャラだと気づいたかもしれませんね。でもあの人、あの後五回程会ってからようやくフラグが出来上がるタイプなのであの中二病と根気よく向き合うつもりがなければ攻略情報見ない限り気付きようもないんですよね」
ちなみに前世のクラリスは隠しキャラのエンディングもバッチリ見ている。腹を抱えて盛大に笑った記憶は今でも鮮明に思い出せた。
今まで散々他の攻略対象を落とすために他人を蹴落として陥れてといったドロドロっぷりが一転完全ギャグシナリオだったのでクラリスとしては割と気に入っている。乙女ゲームかって言われるとあの隠しキャラも大概だったが。
エミリアの反応からして、彼女は彼と一度しか出会っていないのだろう。
ましてや初対面でいきなり中二病フルスロットル、とばかりの言動だった。おもしれー男認定して何度も会いに行くようなタイプでもないエミリアは、だからこそ隠しキャラだと気づかなかったのだろう。ちなみにクラリスはおもしれー男認定して何度も会いに行った結果そのルートに入ったクチだ。
「ま、仮にこの世界で逆ハールートをやり遂げてみせると決意したとしても、通常攻略対象の他隠しキャラまでとなればどう足掻いても無理でしょうし……何せこの国の王太子と他国の王子同時にとなれば流石に国際問題ですし」
「……それは、確かに……」
「隠し抜きにしても将来的に国の中核を担うだろう人材でハーレムとか、他の派閥を大きく敵に回す結果になるでしょうし、どっちにしても無謀すぎたのですよ」
「うぐ……」
「最悪毒婦扱いされて暗殺されててもおかしくなかった、という事は覚えておいてくださいね」
そう言われてしまえばエミリアがそれ以上何かを言えるはずもなかった。
善政であれば良い。だが、誰からも否定されない政などあるはずもない。そうなった場合元凶としてエミリアがやり玉にあげられるのは想像に容易い。
「でも、本当に良かったわ。エミリアさんがゲーム通りの事しかしなかったのが」
「え……?」
「ゲーム通りに進めていけば問題ないと思ってたんでしょうね。だから、貴方は愚かにもそれ以外の手段を選ばなかった。おかげで対策するのも簡単でしたのよ」
言われてすぐにその言葉の意味を理解できなかった。けれど数秒遅れてようやく理解した時に――エミリアは血の気が引くのを感じたのだ。
そうだ。確かにゲームであった選択肢だとか、追い落とすための方法だとかは使える物は全部使った。ゲームだったら一つしか選べない方法も、現実だから複数同時に使えるのだと嬉々として利用していたつもりだった。
だが、同じ転生者であるクラリスからすればそれら全てはゲームであった展開で、先読みも何もあったものではない。そう考えればエミリアの行動など全て筒抜けだったも同然だ。
クラリスが恐れたのは、ゲームに無い展開、選択、手段を用いられる事だった。そうなるとそれが今後どう転ぶかわからないのだから。そうなってしまえば念の為仕組んでおいたいくつかの罠も、無駄に終わった可能性が高かったのだ。モール商会が潰れた以外特に目立つ何かをしたようには思われていないが、実の所ガルウェット家の他の事業に関連する事でもいざとなれば潰せるようにそっと仕込みをしておいたので。
「おかげで無事に婚約破棄もできたし、本当に良かった」
「何それどういう意味よ」
「だってそうでしょう? エミリアさん如きにころっと騙されるような男、王に相応しいとでも? 外交でハニートラップに引っかかるかもしれない間抜けが王だなんて、この国の行く末が不安になってしまうわ。
婚約破棄まではわたくしの想定通りでしたのよ。その後はゲーム通りのエンディングになってやる義理はなかったので回避させていただきましたけれど」
「…………ッ!!」
しれっと言うクラリスに、エミリアは声も出せなかった。
何かを言おうとは思うのだ。けれど、何を言うべきか言葉にならない。
「そのまま新たな王太子との婚約も決まりましたし、わたくしにとっては最良の結果ですわね」
「なっ、新しい王太子って……まさかあの脳筋第二王子!?」
「いいえ、その双子の第三王子です」
「だって彼、攻略対象でも何でもないじゃない!」
「だからいいんじゃないですか」
「……えっ」
あまりにも当たり前の事なのだ、とばかりに言われて、エミリアは理解が追い付かなかった。
第三王子ユリウス。
確かに彼も顔は悪くなかった。けれど攻略対象でもなければこれといって目立つ何かがあるわけでもない。それこそモブといってもいいくらいに目立たないキャラだ。
世の中にはそういった男性を好む女性もいるが、クラリスはつまりそういう……
「だって、攻略対象の方々は簡単にエミリアさんにコロッと騙されてしまうような方ばかり。婚約から結婚に至ったとして、数年後金目当てか顔目当てかはさておき、女狐に狙われるような事になれば簡単に堕ちてしまいそうなのがわかりやすい方々ですもの。そもそも複数の男性に言い寄る女を良しとする女の趣味もどうかと思いますし。
エミリアさんだって思うでしょう? ちょろいって」
にこやかに微笑むクラリスに、果たしてエミリアが何を言えただろうか。
そうだ。
攻略対象は確かにちょろい。
他人を利用した事もあるけれど、それでも大半はエミリアが仕組んだものだ。
だがそれであっさり騙されてエミリアを守る騎士だとか親衛隊だとか、そういった何かを気取る彼らは、確かにちょろかった。フラグ的な意味で王太子以外は、という言葉がつくが。
ゲームならそれくらいで良いのかもしれないが、現実だと確かに問題だ。
そういうものだと思っていたから今まで疑問にも思わなかったけれど、クラリスに言われて確かに……と納得してしまった。
「そもそも二次元と三次元は別物ですもの。ゲームや漫画の中ならどれだけぶっ飛んだキャラでも好きー、なんて言ってきゃーきゃーしますけれど、三次元だと流石に……ねぇ?
少なくともユリウス殿下はゲーム上の攻略対象でもないので貴方が毒牙にかけるつもりはなかったし、またゲームのようにころっと貴方に騙され絆される、なんて事もないでしょう。というか彼、ずっと昔からわたくしの事を一途に想っていてくれたみたいで。うふふ、好きでもない政略結婚のアルベルトより、お互い好意を持てる相手の方が結婚後も幸せになれそうですわね」
言われてみればそうなのだ。
確かにゲームの中や漫画、アニメの中のキャラならどれだけぶっ飛んだ人間性だろうと捻じ曲がった性格だろうと、キャラデザと声次第で推しにだってなり得る。
強い奴との戦いに重きを置くバトルジャンキーだろうと、とにかく殺したくて仕方がない快楽殺人者だろうと、二次元なら人気の高いキャラであってもよくある話だ。
だが実際に現実でそういった人物と付き合え、となれば流石に躊躇う。
バトルジャンキーが単なる格闘家程度であれば、どうにかなるかもしれない。
けれど殺し屋系は駄目だ。どう考えても普通の暮らしは送れない。自分も犯罪者ルートまっしぐら、とかそういうのであればまだしも、普通に暮らして普通に生きていくのであれば流石に問題しかない。
漫画の中のヤクザキャラがカッコよいからといって、現実でヤクザと付き合えるか、と言うようなものだ。自分もそっち側の人間、だとかならともかくそうでなければ無理だろう。
自分じゃなくたって、仮に友人がその手の相手と付き合ってるなんてなったら、場合によっては距離を置く事だって考える。だってヤバい事件とかに巻き込まれたくないし。
飲み屋で働いててそういうのが客としてかかわる事になった、とかなら店と客の関係で終わるけれど、プライベートでまで関わるかとなれば、大半はしないだろう。
あれ、とエミリアは今更のように今まで手玉にとってきた攻略対象たちを思う。
確かに顔はいい。声もいい。
けれど、冷静に考えるとあいつら、とんでもなくダメンズではあるまいか……?
いや、世の中にはダメンズが好き、という女性も確かにいる。いるけれど、エミリアは別にそうでもない。ダメンズ男性のどこが良いのかを聞いて、何か大型犬飼ってるみたいな感じ~なんて言っていた人物の言葉を思い出したが、だったら大型犬飼えばいいじゃない、と思うのがエミリアだ。
ペット禁止だから人間飼ってる、と言われた時点でちょっとどうかとも思ったが。
え、あれ、あたし、ああいう連中侍らせてご満悦状態だったの……?
すべてが上手くいっていたのであれば、周囲から羨望の眼差しを向けられた可能性はある。けれども現状ではいい笑いものにしかならないだろう。
だって逆ハーは失敗したのだから。
「今後の処罰としては、複数の家の婚約事情を引っ掻き回しただとかでそれらの責任と謝罪と賠償金、慰謝料など諸々のせいでガルウェット家は取り潰しになると思います。
廃嫡されたとはいえ王太子にまで手を出したのだから、貴方の事を処刑しろ、などと言う方も出るでしょう。
ですがご安心下さい。
わたくしの幸せな結婚の切欠を作ってくださったエミリアさんですもの。処刑は回避して精々国外追放あたりで手を打ってもらえるようにしておきますね。
無罪放免とまでは流石に今まで貴方がしでかした事があるのでできないでしょうけれど……
遠い空の下で貴方が幸せになれるよう、祈っておりますわ!」
それではお話も終わりましたしごきげんよう、と言うだけ言ってクラリスは踵を返していった。
後に残ったのは、牢の中、ぽかんとした表情のエミリアだけである。
――果たして数日後。
牢から二人の男女が出される事となった。
一人はかつての王太子アルベルト。
もう一人は複数の貴族令息を手玉にとった平民上がりの男爵令嬢エミリア。
アルベルトはエミリアを見ても何も言わなかった。
もう彼女の事は関わりたくない相手だったのだろう。その足で王宮へ向かい、彼は自ら罪を犯した王族を幽閉するための塔へと入る事を希望した。
もしその足でそのままこの国から出ていこうとしたのであれば、途中で刺客に襲われ命を落としていた可能性は高い。せめて子を作れないように処置されていれば命だけは見逃されたかもしれないが、この時点でアルベルトはそういった事をされていなかった。
だからこそ、ある意味でアルベルトの選択は正しかったのだろう。
彼は、王族のまま死ぬことを選んだ。
牢の中で何が決め手になったかは、エミリアにわかるはずもない。ただ、こうなったのはお前のせいだ、という恨み言の一つはくるかと思っていただけに、何も言わず立ち去るアルベルトを見てエミリアは今更のように後悔していた。
自分のやらかした結果が、これだ。
自分だけじゃない。複数の人間の人生を台無しにした。
だというのに、その自分は処刑されるでもなく国外追放。
聞けば他の攻略対象だった者たちも、家の跡継ぎから外されたりしたようで、婚約者だった令嬢たちとの仲も修復は不可能なまでに至っている。
多くの貴族たちの関係に亀裂を生じさせたエミリアに対して、国外追放だけでは生温いと言った者たちは大勢いたが、それでもクラリスはエミリアに言った通り国外追放処分だけで済ませたのだ。
ガルウェット家はエミリアが牢から出る三日程前に完全に潰えたと聞いた。なのでもう戻る家もない。
父はどうしたのだろうか、と思ったが、二度と顔を見せるなという伝言を受け取っている。迷惑をかけた自覚はあるが、どうしても顔を出して謝罪しようとまでは思わなかった。元は父が母に手を出して手酷く捨てた、という根底の部分がある。引き取ってもらった恩がないとは言わないが、同時に落ちぶれて家がなくなって、ざまぁみろという気持ちもあるのだ。
貴族だからという理由で平民に好き勝手するような男だ。いっそ平民として落ちぶれてしまえば、もうそんな事もできないだろう。
牢を出た時、兵士からクラリス様からと言われ簡易なものだが地図を渡された。
見れば現在地、と書かれた自国とこことかここお勧め! なんて書かれた部分がある。
懐かしい日本語だった。クラリスが書いたのだというのが一目でわかる。
それをじっと見つめた後、エミリアは覚悟を決めたように歩き出した。
実際の話、クラリスだけがエミリアを赦そうとしても限度があった。
それはそうだ。彼女の仕出かした結果の損害が大きすぎる。国を内部から崩壊させようとした極悪人と言われても過言ではないのだ。
だが、クラリスも折角自分にとって都合よく動いてくれたエミリアを利用するだけしてポイ、というのは少しばかり胸が痛んだのだ。同郷のよしみというのもある。
だからこそ、エミリアを死罪にしろと声高にのたまう派閥にはこう伝える事にした。
あれだけの事をしてくれた女が、他国で追放されて慎ましやかに生きていけるかは微妙な話。もしかしたらその国でも同じような事をする可能性はあるわ。でも、その国がうちとあまり良い関係を築けていないところなら……?
と暗にあの女に他のちょっと邪魔な国内側から壊してもらえたらラッキーくらいに思いませんこと? なんて唆したのだ。
仮に、慎ましく生きて伴侶となる男性を得たとして、平民であればそれでよし。
もし貴族に見染められたとして、しかしエミリアは貴族の資格も剥奪された。そうなれば周囲から反対されるだろうし、一悶着くらいはあるだろう。
この国と同じように複数の男性を手玉にとって周囲を引っ掻き回すのであれば、こちらとしても望むところだ。
とりあえずはもう、エミリアがこの国に戻ってくる事はない。それだけは確かなのだから。
ところでエミリアは知らない。
実はこの乙女ゲーム、続編が出ているという事を。
そしてクラリスがこことかここお勧め、と書いた場所はその続編の舞台である事を。
クラリスとしてはエミリア死刑派に対する方便もあるが、ついでに新しい土地で新しい出会いを提供、くらいのノリだった。
もしそちらにも同じようにヒロインに転生した者がいたとして、どうして前作主人公がここに!? なんて展開になってエミリアが敵認識される可能性があろうとも、彼女がその結果続編ヒロインとバチバチのキャットファイトをするかもしれなくても。
勿論そんな事もなく普通に日々を過ごしていけるかもしれない。
どちらにしてもそれらは今後のエミリア次第だ。
地図の余白部分にはそれ以外の情報も書いておいたので、それを有効利用するかどうかもエミリア次第。
あの時エミリアに向けた言葉通り、クラリスは遠い空の下で彼女が幸せになれるように祈っていた。
それから更に後の話。
とある国に、ロクな荷物も持たないまま一人の少女がやってきた。彼女は修道院に身を寄せて修道女としてせっせと働くようになった。
彼女の名前がエミリアであるかは定かではないし、またそんな修道女が今後、慎ましく暮らし、それでいて幸せになれたかどうかは――
神のみぞ知る、といったところだろうか。