06【別視点】イディールのいないジラハー家
ジラハー家は、先祖代々騎士を輩出する家柄で、特にここ最近は勢いが目覚ましい。
それは現当主の息子たちが活躍華やかであるからだった。
長男ゼクトウォリスは幼い頃から天才の呼び声高く、正規の騎士となってからも才能陰りなく、最年少で王都第八騎士団の騎士団長へと登り詰めた。
次男エクサーガも負けず劣らず才能を発揮し、幼年学校から騎士学校まですべてを首席で進み、鳴り物入りでの騎士叙任を果たす。
これより兄同様の活躍を期待されていた。
ゼクトウォリス=ジラハー。
エクサーガ=ジラハー。
この二兄弟は、今もっとも注目されている騎士二人。これからの王都騎士は彼らによってけん引されていくだろうと言われている。
そんな若者たちの勇名に、もっとも鼻が高いのは彼らの父ハーパンク=ジラハーであろう。
かつて自身も騎士であり、家督を継ぐために引退した男であったが、自身よりもその子どもたちの功績に恵まれ、世間に対して胸を張れるようになった。
社交界では『有能血統の源』『俊才の父』などと誉めそやされ、幅を利かせている。
しかし、多くの者は知ることがない。
天才の長男、秀才の次男の陰に隠れ、無才と罵られる三男の存在がジラハー家にあったことを。
◆
その日、ジラハー家次男エクサーガは、一番最後に遅れて夕餉についた。
父からの急な呼び出しであった。
正式な騎士となったエクサーガは、騎士学校を卒業して学生寮を出ると同時に、独身騎士のための宿舎に移ってそこで寝起きするようになった。
実家に戻ることは一年を通して数える程度。
様々な節目に雁首揃えることを求められもするが、それ以外ではなるべく寄り付かないようにしていた。
エクサーガは実家があまり好きではなかった。
息が詰まるような期待とプレッシャーで、押し潰してくるような実家の空気が。
「エクサーガ参りました。遅れてすみません」
「よいよい。お前も正式な騎士の仕事が始まって忙しいのだろうからな。配属先は決まったのか? 優秀なお前のことだ。王太子直属とか、国王の護衛とか、きっと重要な仕事を任されることだろう?」
この父親からの身勝手な期待が、エクサーガは何とも苦手だった。
晩餐の卓には、すでに家族が勢揃いして並んで座っている。
上座に佇む父を筆頭に、その隣に佇む長兄ゼクトウォリス。
彼こそ現ジラハー家を代表する大看板であった。
正騎士となって数年の間で数え切れない武功をたて、それが認められた結果として二十四歳という若さで騎士団長に抜擢された。
王都に十二ある騎士団の一つを任されたのだが、それらすべてを束ねる総騎士団長にもいずれ手が届くと。
エクサーガは、父親以上にこの兄が苦手だった。
生まれてから何度この優秀すぎる兄と比較されてきたことか……。
さらに隣に座る物静かな母。妹と弟が一人ずつ。
これで家族全員揃ったと言われるが……。
……すぐに違和感に気づいた。
「イディールが来ていないようですが?」
エクサーガには二人の弟がいる。
三男で、彼のすぐ下の弟になるイディール。エクサーガにとって直弟の存在は、父や兄へ向けられる以上に複雑なもので、言葉にしがたい。
要領の悪い子であることは間違いなかった。
物覚えは悪いが、だからといって覚えられないわけではない。人より時間はかかっても最後には何でもモノにできる。
大器晩成というヤツであろうか。弟の能力は、最終的には自分を超えるであろうとエクサーガは常々思っていた。
しかし父の判断は違うようで、すぐさま出来るようにならない弟を『無能』『出来損ない』と罵る姿を何度となく見たことがある。
だから、この家に帰ってくるのは嫌なのだ。
きっとまた晩餐の席で、父はイディールに対してネチネチと嫌味を言い続ける。自分はそれを、文句一つも言えないまま眺め続けるしかない。
この家で食べる夕食を美味いと思ったことは一度もない。
「そのことだがな、いい報告があるのだ」
父はホクホクとした表情で言った。
どうやら上機嫌の理由は、そこにあるらしい。
「イディールは勘当した」
「は?」
一瞬耳を疑った。
「いい加減アイツの役立たずには我慢の限界だったからな。あんな無能が我が家に生まれたのが間違いだった。アイツは家の恥だ。だから正式に排除してやったのだ!」
みずからの功を誇るように言う父親。
その声に呼応するように、脇席に座る母親が、目元にハンカチを運んだ。あふれる涙を拭っているのだ。
それで冗談や戯言でないことがわかった。
わかってしまった。
「ワシは、この上ない子宝に恵まれた! ゼクトウォリス、エクサーガ、お前たちのことじゃ! お前たちは頑張って学校でいい成績を取り、騎士になっても大いに活躍してくれる! お前たちのお陰でワシは鼻が高い! 社交界でも大威張りできる!」
その一方でエクサーガの脳内ではおぞましい感覚がグルグルと渦巻いていた。
イディールが勘当された。
この家から追い出された。
幼い頃から罵倒され、打擲され……兄の方がずっと優秀だと屈辱的な比較をされながら、それでも頑張ってきた弟が、その頑張りも認められずに最後には放逐されたというのか。
「それに比べてイディールのヤツめ! ワシの息子に生まれながら何の役にも立たない親不孝者じゃ! 我が子がアイツ一人であれば、栄光あるジラハー家を継ぐためにも泣く泣く留め置かねばならぬところじゃが、ワシには愛するお前たちがいるでな! 役立たずの一人ぐらい簡単に放り出せるわ!」
「……!」
「上二人は無論、末弟のアギアッハも健やかに育って、今年の幼年学校では主席をとったそうじゃ!」
晩餐の席に座るもう一人の弟のことだった。
常にヒトを小馬鹿にしたような表情をする小僧で、小才を鼻にかけた小者であることが容易に窺い知れる末弟だった。
粗略に扱われる兄のことも見下しているのだろう、得意そうな侮り顔が鼻につく。
さらに下の、末っ子の妹は不安げに、兄たちや両親の顔を見回していた。
幼いながらも、ここにいない兄のことを心配しているのだろう。イディールは居心地が悪いはずのこの家によく帰っては妹の遊び相手になってやったという。
エクサーガは騎士の務めが忙しくてそんなことはできなかった。
優しい男なのだ、イディールは。
自分が不遇に置かれようと、周囲に気を配らずにはいられないほど。
そのことを改めて思い出した時、エクサーガの頭の中でパチンと音が鳴った。
同時に視界が、真っ赤に煮えたぎり始める。
「孝行息子たちに囲まれてワシは本当に幸せものじゃ! イディールだけが親不孝の馬鹿者であった! そのイディールを追い出して、ついに我が家は完璧となったのじゃ! 今日はその祝いじゃ! 皆で我がジラハー家の栄達を誓い合おうではないか!」
「……ふざけるな……!」
「は?」
「ふざけるなクソオヤジがッ!!」
エクサーガの振り払う手が、卓上の料理を薙ぎ払い壁や床にブチ撒ける。
食べ物を粗末に……と唐変木な怒りを表す者もいるだろう。しかし今のエクサーガにはそんなことはどうでもよかった。
こんな汚臭漂う晩餐に出された時点でマズくて食えたものではない。既に粗末にされている料理なのだからブチ撒けようと大した違いはない。
「エクサーガ!? 何を……!?」
「醜く肥え太ったブタが! なんで私たちがお前ごときの見栄のために苦しめられねばならない! イディールも、私も、ずっとお前たちに苦しめられてきた!!」
エクサーガの視線がもう一人へと向けられた。
ここまでの騒ぎになってもまだ、我関せずと無言を貫く長兄ゼクトウォリス。
「兄上アンタが……アンタが余りにも容易く一位をとるから、このブタが勘違いするのだ! 過酷な競争を勝ち抜き、頂点に立つことが簡単であるなどと!」
それはエクサーガ自身の恨み言でもあった。
優秀すぎる兄に比べられて、心が休まった時などもない。
必死で駆け抜け全力以上を出し切っても、長兄同様一位でなければ父は決して満足しない。
二位では『なんで兄のように一位になれないのだ?』と父から叱責が飛んでくる。
それは弟イディールに対しても同じだった。
何事も時間をかけて覚えていく弟にとって、それは八方ふさがりの拷問であっただろう。
一番にしか価値を認めない愚かな父親だ。こらえ性だってあるはずがない。
「しかもイディールが在籍する学年がなんと呼ばれているのか御存じか!?『黄金の第一三九期生』だぞ!? 私や長兄の世代より遥かに手強い同級生に囲まれながら、それでも不動の一位を要求されるイディールの過酷さを考えたことはないのか!?」
「しかしゼクトウォリスやお前は実際に一位を……!?」
「その大変さを想像する知能もないのかと言っているのだ、このブタが!!」
実の父親に対して『ブタ』『ブタ』と連呼するエクサーガ。もうこの愚父に対する気遣いなど残ってはいなかった。
息子とはいえもう子どもではない。
正規の騎士に取り立てられ、独立した大人だ。その自信が、今まで逆らうことのできなかった実父への反逆心に火をつけた。
「私が何も知らぬ子どものままだと……いつまでもそうだとお思いか? 先日とある集まりで、アンタと同世代でおしゃべり好きの紳士に出会った。彼に教えてもらったよ父上?」
「な、何を……?」
「アンタが学生時代、一番よかった時の成績で四十位ぐらいだったと」
そんなヤツがよくも息子たちに、常に一位であることを当たり前のように要求できたものだ。
怒鳴り散らして沸き立った血の気も戻り始める。エクサーガは呼吸を整え言った。
「イディールを勘当してくれたのならいい機会です。私も父上との縁を切らせていただきます。アナタからの能天気なプレッシャーをいつも息苦しく感じていた。いい加減私も解放されたいのです」
「何を言う、お前はワシの自慢の息子……!?」
「兄上、ご文句はありませんな?」
狼狽する父親を無視してエクサーガは兄へと注意を向ける。
結局この家でもっとも注意を払うべきは既に、現当主である父親よりも、若くしてその何十倍も功を挙げた長兄であるのは明らかだった。
「……私は任務以外の些事に煩わされたくない」
「では好きにしても?」
「そう言っている」
無駄な時間を過ごしたとばかりに席を立ち、部屋から出て行く長兄ゼクトウォリス。
心から、騎士としての職務以外どうでもいいと思っているようだった。
「私も失礼します。ここはもう私には二度とかかわりない他人の家なので」
エクサーガも迷わず退出した。
頭の中には弟イディールのことだけ。
家から放逐された弟を見つけ出し、保護することが彼の何よりの急務だった。
◆
この日から、名門ジラハー家の崩壊が始まっていく。
初日投稿はここまでになります。
これからしばらく一日一更新のペースで続けていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。