05【別視点】イディールのいない騎士学校
イディールを退学に追い込んだ教師の名は、ツァルゲスタという。
騎士学校最上級生の学年主任であった。
彼には大きな野望があり、その達成の妨げになることがイディールを退学させる理由となった。
ほんの小さな妨げではあったが。
「フフン、完璧というのは心地がよい」
教師ツァルゲスタは、鼻歌交じりに校舎の廊下を練り歩いていた。
自身が達成させた『完璧なる学級』を、その目で確認するために。
彼が受け持つ学年は、騎士学校においても特別な意味をもって扱われている。
曰く、『黄金の第一三九期生』。
本年の最上級生……騎士学校六学年生は、他の年代と比べても著しい才能豊かな麒麟児たちでひしめいている。
第四王子マシュハーダを筆頭に……。
公爵令嬢にして女子成績トップのアーレッサ。
総騎士団長の子息ブルックス。
『漆黒の迅稲妻』の異名をとるギルズ。
いずれも学生身分でありながら、既に正規の上位騎士と変わらない実力を持っている。
翌年卒業後は、王都騎士団入りは全員確実。時を置かず幹部クラスに入ることも確実といわれている才覚の怪物集団であった。
そんな中、『黄金の第一三九期生』で唯一の汚点というべき者がイディールだった。
天才と謳われる騎士団長ゼクトウォリスの弟であるという出自だけは麗しいものの、その中身は天才騎士団長とは似ても似つかない愚鈍凡才。
怠け癖があるのか授業にもロクに出席せず、成績も最下位だった。
そのイディールもまた本年の最上級生だった。
『黄金の第一三九期生』を不完全にする小さくとも目障りな汚点だった。
だからこそ退学にした。
教師ツァルゲスタにとっては、自分が指導する麒麟児の群れの中にヤツのような劣等生が交じることは許しがたい。
自分が送り出した秀才たちが王都騎士団へと入り、様々な功績を挙げて賞賛と注目を得る。
そんなエリートたちの恩師として、ツァルゲスタは名人教師としての評価をほしいままにする。
多くの少年少女たちが、ツァルゲスタに教えを乞うためにこぞって王立騎士学校の門をくぐるのだ。
それが教師ツァルゲスタの野望であった。
「そのために、あの落ちこぼれを退学させることは必要だったのだ……!」
教師ツァルゲスタはウキウキとした調子で教室へと向かう。
イディールを排除した最上級生の教室は、さらなる完璧となって美しく見えることだろう、と……。
◆
「今日は皆に嬉しい知らせがある!」
教卓につくなりツァルゲスタは言った。
見た目通りに浮かれていた。
「イディール=ジラハーが退学処分となった! 彼は不才であるだけでなく、みずからを鍛える意志に欠け、王立騎士学校に不適格だと判断された! むしろ遅い判断であったぐらいだが、ついに決断が下されたことを諸君らに報告しておこう!」
ツァルゲスタとしては、誇るべき教え子たちと喜びを共有しようとの発表であったが、彼が思うほど打って響くような反応は返ってこなかった。
なのでもう少し言い募る。
「落ちこぼれを傍に置かれてさぞかし目障りだったことであろうが、これからは視界もスッキリし、心置きなく修行に励むことができるだろう。諸君らのために最高の環境を整えるのも教師の務めである! 吾輩の手厚い配慮の下、より励んで立派な騎士になってくれ!」
「知っている」
氷ですら凍えて震えそうなほどの冷たい声が響き渡った。
その声にツァルゲスタも、ゾクリと身をすくませた。
「知っている、お前の愚かな所業のことは。イディールが去ってから早や五日。情報が巡らぬとでも思ったか」
「ま、マシュハーダ王子……!?」
凍える声の主は、最上級学の生徒マシュハーダであった。
成績は学年トップ。
イディールの真逆というべき立ち位置で、能力ばかりでなく現国王の息子……王子という出自まで高貴なエリート中のエリート。
騎士学校において誰もが彼のことを知り、同時に敬っていた。
彼の機嫌を損ねまいと、教師すら腰を低める。
「さ、さすが王子殿下! あのようなクズの進退まで把握しておられるとは、将来国を背負って立つ御覚悟は、既に万全と見えますな! このツァルゲスタ、アナタの指導を受けもてることを誇りに思いますぞ!」
「オレは残念だ。お前のような無能教師の受け持ちに入れられるとはな」
王子からの鋭い言葉に、ツァルゲスタはたじろぐ。
「ぶ、無礼な……! いかに王子といえども今は騎士学校の一生徒! 教師への反抗は、成績の低下に繋がりますぞ!」
「無能を無能といって何が悪い? よりにもよってイディールを退学にするとはな。アイツの隠された才能を見抜けなかったことこそ、無能の証明ではないか」
マシュハーダ王子は一体何をそこまで怒っているのか。
どうやらイディールを退学にしたことを怒っているようだが、目の前にいるエリートと、既にこの場にはいない劣等生にいかなる接点があるというのか、担任教師にはわからなかった。
「オレは……随分前からイディールには目をかけてきた」
「は?」
「劣等生を装っているが、アレは類まれなる才能の塊だ。『黄金の第一三九期生』などと言う大仰な呼び名は知っているが、ヤツこそが黄金のたとえに相応しい。少なくともオレはそう思っていた」
「バカな!? アイツはどうしようもない劣等生ですぞ! やる気もなく成績も最下位! ここにいる成績優秀な逸材とは比べ物にならぬ……!?」
「アイツも、途中までは成績優秀者だったのだぞ? 一学年から三学年までは常に、オレに次いで第二位の成績だった」
「……!?」
それを聞いてツァルゲスタは耳を疑った。
まったくの初耳であったからだ。
例年、最上級生を受け持ってきた彼は、それ以下の学年のことなどあずかり知らなかった。
「四学年からは何かきっかけでもあったのか、すっかりやる気をなくして成績もズルズル落ちていったがな。しかしオレは、何とかアイツにやる気を取り戻させ、アイツの才覚に相応しい立派な騎士へと仕立て上げたかった。何故かわかるか?」
「……い、いえ……?」
「オレが、この国の第四王子だからだ。国を担う王族として、国のために優秀な人材を求めるのは当然ではないか。イディールは間違いなくこの国を支える最強騎士になれる男だ。そんなイディールを勝手に退学にしおって、無能は常にヒトに迷惑をかける」
「無能!? 吾輩が無能……!?」
マシュハーダ王子の投げかける言葉が、ナイフの鋭さでもって何度もツァルゲスタを突き抉った。
プライドの高い騎士学校教師にとって、無能呼ばわりはこの上ない侮辱であった。
当然のように反発する。
無能なのは自分ではない、退学になったイディールの方だと。
「……お、恐れながら殿下は、退学になったイディールのことを買い被りすぎなのではないですか? 彼の過去の成績は知りませんが今現在、最低の成績であったことは事実。目に見える評価がすべてなのですぞ!?」
「目に見えないところまでしっかり把握していることが有能の証拠だ。逆に把握できないなら無能ということだ。そこまで言うなら、お前も知っているのだろうな? イディールが授業をサボっている間、どこで何をしていたか?」
「は?」
「アイツは冒険者に興味を持ち出し、ギルドに出入りしていたらしい。密偵に調べさせたことなのでたしかだ」
「密偵!?」
王族はやることがいちいち大袈裟だった。
「イディールは様々なクエストを成功させ、実質B級冒険者の評価をギルドから受けていたというぞ。学生身分のため、正式なランク取得はしていなかったそうだが。先日はパーティを組んでワイバーン討伐を果たしたそうだ」
「ワイバーンを……討伐……!?」
「王都騎士団の正騎士にも、ワイバーンを倒しうる逸材が果たして何人いることやら……?」
教師ツァルゲスタは、自分の耳に入る言葉すべてが信じられなさすぎて、もはや自分の耳を信じられなくなるほどだった。
マシュハーダ王子の言うことが事実なら、イディールは何故今まで自分の実力を隠してきたのか。
ワイバーンを狩れるだけの力があれば騎士学校でも十位以内の成績を叩き出すのはたやすい。
そうすれば自分も正当に評価し、惜しみない指導を与えてやったのに……、と。
「生徒もまた、教師を見限る権利を有している、ということだ。お前がイディールを勝手に見限ったようにな」
「ですが……、それは……!?」
「イディールの唯一の欠点は、勝手に自分自身で絶望し、騎士として進む道に見切りをつけたことだ。国に仕える騎士ならば、ソイツに落第点をつける権利は国にこそある。つまり王族であるこのオレだ」
王子である自分が失望しない限り、イディールは勝手に諦められない。
傲慢ともとれる徹底さでマシュハーダは言うのだった。
「イディールには騎士学校卒業後、成績に関わりなくオレの直属騎士となるよう父に掛け合っていた。そしてオレが直々にヤツを鍛え上げてやろうと。……それをお前の愚行でブチ壊しにしてくれたな!?」
「王子の父上……、つまり国王陛下……!?」
「王族の意図を阻害したお前には反逆罪を適応してやる。この騎士学校で教師ごっこができる時間も僅かと心得ておけ。来月辺りからお前は、辺境の砦を守る一兵卒だ!!」
「そ、そんな……!?」
辺境の砦を守る一兵卒。
王立騎士学校の教師といえば、最上級のコネと実績を兼ね備えなければ得ることのできないエリート職。
そんな高みから地方へと左遷されることは、貴族から奴隷に落とされるも同様だった。
とりわけプライドの高いツァルゲスタには、とても受け入れられるものではない。
しかし王族の命令とあれば拒否もできなかった。
「吾輩が……一兵卒……!? 辺境の……一兵卒……!? ここまで積み上げてきたキャリアが……!?」
騎士学校教師ツァルゲスタの、栄光に輝く未来がこの瞬間崩れ去った。
過去最高の優秀生徒を送り出した高名教師の誉れは、もう彼の手には入らない。
どうしてこうなった。
唯一の汚辱を拭い去って完全無欠の教室を作り上げたはずなのに。
崩れ落ちた肉体に、少しの力も入らず。
もはや左遷を待つばかりの教師は絶望に身を沈めるしかなかった。
◆
そしてマシュハーダ王子は、優秀な人材を諦めるつもりは毛頭なかった。
今なお、王子として動員できる密偵を最大限動かしてイディールの行方を追っていた。
「絶望するなど許さんぞイディール。必ずお前の力をこの国のために役立ててやる」