16【別視点】イディールがいなくなって崩壊するジラハー家
ジラハー家当主ハーパンク=ジラハーは焦っていた。
彼の自慢は、複数の有能な息子たち。
中でももっとも優秀である長男ゼクトウォリスは、王都では知らぬ者なき英雄の中の英雄。
社交界では『あのゼクトウォリスの父親』と誰もが尊敬の眼差しを向け、丁重に扱ってくれる。
自身は極めて凡庸で、独身時代はその他大勢から踏み出ることのなかったハーパンクは、父親となって浴びた脚光に舞い上がった。
その喜びと興奮こそが、次男以下にも極上の成果を求め、できなければ必要以上に叱りつけるという歪みを生んだ。
優れた息子たちは彼にとっての勲章であり、彼の存在を高めるもの。
だから最高の一つがあっても、さらに優れた勲章が欲しい。優れた息子を多く持てば持つほど彼の名声も上がるのだから。
逆に無能の息子はいらない。父親の存在を貶める愚息など存在も許さない。
だから期待を裏切った三男を勘当し、自分の手元を必要なものだけにして整理を計った。
自分の周囲を完璧な世界にしたいだけだった。
その結果……ハーパンク=ジラハーは大いに焦り出した。
◆
「エクサーガ! エクサーガよ!」
その日、ジラハー家当主ハーパンクは息子の下を訪ねていた。
二番目の息子エクサーガ。
既に騎士学校を卒業して独り立ちし、実家も出ているために会うためにはみずから出向かなければならなかった。
本来ならば呼びつければ息子の方からやってくるべきが、先日の行き違いから次男は一切の呼びかけを無視するようになった。
そのうち、耳を疑うような話を人づてに聞いたため、自分から足を運んででも真実をたしかめなければならなくなった。
「ウソだろうエクサーガ!? お前の配属先が辺境だなんてウソだろう!?」
数週間ぶりに顔を合わせた二番目の息子は、いかにも鬱陶しげな表情で父親を見返す。
勤務中で、仕事の手を止めることはなかった。
「お前の実力なら、近衛騎士でも精鋭騎士でも充分に務まるのだぞ! 辺境警備など問題を起こした者が飛ばされる左遷先ではないか! ワシの息子が、そんな落ちこぼれの職務についてはならん!」
ずっと無言で、取り合う素振りも見せなかった次男エクサーガだが、ついに我慢の限界に達したかのように答える。
「イディールの行方を追ったのです。アチコチ聞き込みをしてわかったことは、イディールが『イデオニール大樹海』に入ったということ。そこで何をしているのかはわかりませんが、アイツを見つけるのに現地に勤めるのが都合がいいのです」
「そんなことのために! そんなくだらないことのために栄光を捨てる気なのか!?」
父ハーパンクは、目の前が崩れ去っていくかのような衝撃を感じた。
辺境勤務は、息子の経歴に確実に傷となる。
何とか中央に戻ってこれたとしても、騎士団長となるための出世レースでは必ず足枷となるだろう。
兄弟から二人もの騎士団長を輩出した父親。
いずれ手に入るはずだったステータスが遥か遠くへと去っていく。
「考え直せエクサーガ! 今からでも申請し直して近衛騎士への配属を希望するのだ! ゼクトウォリスにも便宜を図るように言う! ワシの期待を裏切るな!」
「私はもうやめたのですよ、アナタの期待に応えることを」
何よりも冷めた声音で言う次男。
「今思えば、なんでアナタなんぞの期待に応えようとしていたのか甚だ疑問です。私はアナタじゃない。アナタが喜ぼうと悲しもうと私には関係ない。アナタのために私の時間を使うことは無駄だとやっと悟ったのです」
しかし……。
「イディールは私の弟です。血を分けた弟のためなら自分の時間も労力もいくら使ったところで惜しくはありません。世界でただ一人私だけは弟の味方であろうと決めたのです」
「あんなヤツのために、何故お前がそこまでしないといけない? アイツがいなくなってやっと我が家は完璧になったのだ。家族皆で、栄光あるジラハー家を作り上げようではないか!!」
哀願するように父親は言った。
しかし大人になった息子にとって、老いた父親の醜態は唾棄すべきものでしかない。
「アナタの言う家族の中にイディールは入っていないのですね。私も同じようなものだ。私にとっての家族の中にアナタは入っていません。子どもの頃からアナタの期待と干渉が煩わしくて仕方がなかった」
それ以降、父親が何を言ってもエクサーガは聞く耳持たず、最後にはあまりに騒ぎすぎたために駆けつけた衛兵に捕まり締め出されることになった。
その間、エクサーガは連れていかれる父に何も言うことはなかった。
何も変えることができなかったということを悟り、失意のまま家路へとつく当主ハーパンク。
彼の、新たに手に入るはずだった勲章が崩れて消え去った。
次男もまた役立たずになった。
父親を讃えるという務めを怠り、自分勝手に生きて。
「ここまで育ててやった恩を何と心得るか……!? 親不孝者が、親不孝者が、親不孝者が……!?」
帰路をたどって自宅へ近づくほどに、思い通りにならなかった苛立ちと憤懣が膨れ上がる。
家へたどり着く頃には、怒りで全身が湯気立つようであった。
力任せにドアを叩き開ける。
「今帰ったぞ! セルリナ! 出迎えにこんかッ!!」
怒りに任せて妻の名を呼ぶ。
いつもならば必ず玄関へ迎えに来る妻が、今日は何故か呼んでも出てこない。そのことが彼の怒りをさらに過熱させた。
「何をしているグズ女が! 留守を預かるぐらいしか能がないくせに出迎えも満足にできんのか! この家には役立たずしかおらんのか!?」
しばらくして家の奥から現れた姿に、ハーパンクは息を止めた。
妻セルリナではなく、長男ゼクトウォリスだったから。
「ゼクトウォリス!? 帰っていたのか!?」
「ええ、母上から特別に頼まれて、代わりに父上を待っておりました」
それを聞いてハーパンクは眉をひそめた。
「そうか……? ヤツはおらんのか? それで仕事中のお前を煩わせるとは、本当に女は大バカだ!」
「その母上から伝言があります。メルトリナを連れて実家に帰るとのことです」
「は?」
メルトリナとは、夫婦の間に生まれた末の娘のことだった。
その娘を連れて、妻は家を出た。
報告に耳を疑う。
「なんで? どうして……!?」
「イディールを勘当したことで我慢の限界を超えたそうです」
長男ゼクトウォリスは、母親から預かったらしい伝言を無感動に読み上げた。
――『結婚してから、黙って夫に従うことが妻の務めと耐えてきました』
――『でも私の息子でもあるイディールを見捨てたことで、私のアナタへの愛想も完全に尽きました』
――『アナタの傍に置いては子どもを健全に育てることはできません。末娘のメルトリナは、実家の助けを借りて私一人で育てます』
と。
すべてを聞き終えて愕然とする当主ハーパンク。
「なんだと……!? そんな、そんな……!?」
これが周囲に知られれば、『三下り半を突き付けられた夫』として社交界の笑いものになるではないか。
エクサーガが役立たずとなって、輝かしい名声に傷がついたばかりだというのに。
ハーパンクの完全な名声がボロボロとなっていく。
「どうしてこんなことに……!? ワシは役立たずを追い出して、我が家を完璧にしてやったのに……!? なんでこんなに悪く言われねばならんのだ……!?」
「父上、私からもアナタに言うことがあります。そのために母上の伝言を預かり、ここで待っていたのです」
ゼクトウォリスは天才の呼び声が高く、それに関係してか滅多に表情を動かさない。
この世に動揺すべきことなど何もないというのだろうか。
実の父親に対しても、少しも感情を動かすことなく静かに告げる。
「そろそろ家督を私に譲っていただきます」
「は?」
「前々から考えていましたが、いい機会だと思いまして。私は既に成人し王都騎士団、第八騎士団長の位を頂きました。当主となる資格は充分にあるかと」
「ま、待て……! 待ってくれ……!? 当主の肩書がなくなればワシも社交界に出にくくなる。ワシの生き甲斐なんだ。どうか……!?」
「無駄なことはおやめください。夜ごと暇人同士でお喋りしあうことに何の意味があります。そんなことよりも騎士として精勤する私には、当主の肩書があれば色々と役に立つのです。無能な父上が持っているよりよっぽど有意義でしょう」
「無能……ッ!?」
そう言われるまでハーパンクは気づきもしなかった。
自分が長男からどう思われているかなど
幼少から天才である息子にとって、何事においても凡庸であった父親が尊敬されるはずがない。
むしろ軽蔑の対象であったと。
「私が十歳の頃から既に、父上はすべてにおいて私に劣っていた。そんなアナタが当主の座に居座り続けること自体間違いだったのです。そこまで重要なことではなかったので今日まで放置してきましたが、間違いを正しましょう」
「どうして……!? ゼクトウォリス……!? 私はお前を誇りに思っていたのに……なんでこんな仕打ちを……!?」
「私にとってアナタが父親であることは恥でした。無能は、努力してみずからを有能に引き上げなければならない。それすらできない無能は存在する価値もない。だから父上、アナタに存在価値はないのです」
天才の呼び声高い長男が望めば、自身一つの功績も残すことができなかった父親は逆らうことはできない。
『当主の座を譲れ』と言われたら黙って従うしかなかった。
息子たちの業績と成果でプライドを保っていた父親。
ずっと気づくことがなかった。それは自分自身とまったく関係のないことだと。
「それに比べればイディールは努力をしていたのでマシと言えますがね。とにかく無能はさっさと消えてください。完璧なジラハー家は私自身の手で築き上げてみせますので」
無能の居場所がない完璧なジラハー家。
そこにもっとも必要ないのは、当主ハーパンク自身だった。
次男エクサーガの反発も、妻セルリナとの離婚も、長男ゼクトウォリスからの切り捨ても、その原因は水面下で積もってきたのだろう。
しかしすべてのきっかけになったのはイディールを勘当したこと。
最初から最後まで自分の愚かさによって、ハーパンクは輝かしい栄光の座を失った。




