5.森での一時
一体、城を出てどのくらい飛んだだろう―――窓を覗いても、星空以外は闇が広がっている。
今から魔国に向かうことはわかっているのだけど……
そもそも魔国への距離感について、"遥か西にある"以外の情報を知らない。
ここはベルディナントさんに聞くべきか……
でもでも、何かさっきから目を瞑ってて話しかけずらいな…
寝てる?わけでもないだろし……
まごまごと私が迷っている間に馬車は旋回しながら高度を下げ、どこかもわからない森の中に着陸した。
静寂と暗闇に包まれた馬車の室内で身動きが取れないでいたら、ポゥっと小さな明かりが現れる。
向かいのベルディナントさんの持つランタンがその正体だった。
「私が先に出る。お前は、ここにいるように」
ベルディナントさんが馬車から先に出ていく。
暗がりに取り残された私は指示を待つばかり。
外で話し声が聞こえるけれど何を話ているかは聞こえない。
そのうちに、ランタンを持ったベルディナントさんが馬車の扉を開けて私に手を差し伸べてきた。
「つかまれ。コケるんじゃないぞ」
座席から立ち上がり、ベルディナントさんの手を取りランタンの明かりを頼りに馬車の外に歩みを進める。
慎重に進んでいたつもりだったが、入口の段差は私の幼い、もとい……
短い足には厳しく、大いに踏み外し前かがみに倒れこむ。
「きゃ……!?」
我ながらに乙女な悲鳴を上げながら、暗い地面に顔面を強打する覚悟をしていたつもりだった。
が、手を繋いでいたベルディナントさんが抱き留めてくれたお陰で、私の顔面は彼の胸に突っ込んだ。
「何をしている!?」
「ご、ごめんないさい……段差に躓いてしまって…」
鼻を抑えながらベルディナントさんの胸に謝る。
しかし次には呆れたような溜め息が聞こえ、少しこの幼い体を憎らしく思った。
体制を整えやっと地面に自分で足をつけることのできた私は、大きく息を吐く。
まずは、城を出られたので一呼吸と言った所か…
直ぐ近くで私を馬車に運んだ青年が焚火を燃やし、マルクが馬車から放したグリフォンを毛をブラシで撫でていた。
青年が私を降ろしたベルディナントさんに気が付き走ってきて、跪き、首を垂れる。
「先ずは、ご報告いたします。近くに追っての気配なし、魔物の姿も今の所は確認しておりません。そして、先刻は…申し訳ございません、ベルディナント様。人の国で魔力を使うことは、禁止されていると知りながらも使用しました。罰は魔国に帰り次第受けます」
「頭を上げろ、セオドア。お前がやらなければ私がやっていた。有事の際は魔力の使用は許されるのも、また掟。今はその有事だ。お前は禁を犯してはいない」
青年の名前はセオドアと言うらしい。
魔力を使ったと言っていたが、グリフォンの檻の錠前を壊した時の姿が思い浮かぶ。
掌に発生した燃え盛る炎の玉、あれが人にはない魔力というものなのだろう。
だけど、どうして―――
「魔力を人の国で使ってはいけないの?」
魔力に興味が出てきた私は、つい口から言葉を出してしまった。
ベルディナントさんが驚いた顔で私を見下ろす。
「お前は10年前の戦争について、教わっていないのか?」
「10年前といえば、私の生まれた年ですね。いいえ、何も。家庭教師からは字の読み書きと刺繡に礼儀作法、私が教わっていたのはこのくらいです」
記憶にあるのはこのくらいか、どれもお母様が亡くなるまでのフィーリアが教わっていたものだ。
もっとも、離宮に移されてからは教育という教育は受けていなかったが……
「ふむ。女だからか、次期女王が聞いて呆れるが―――いいだろう。10年前、人の国で一番の力を持っていたヤシトラは魔国までを我が物にしようと攻めてきた。当然、戦になり人と魔族は激しく争い、多くの犠牲を出したが戦いは半年で終結する。それは何故かわかるか?」
「……魔力を使ったからですか? 人にはない力を使い、圧倒した」
「正解だ。魔族と人との戦力差は最初から雲泥の差だった。が、ヤシトラは諦めることを知らず、攻め続けてきた。それこそ、昼夜関係なくだ。そのため、戦に敗れた今日においても、その傷後が癒えることはないと聞く。人の国ではこの戦で魔族への警戒心が強まり、一時期は魔族とわかっただけでも、火炙りにされた」
「そんなの酷い、自分たちが魔国を攻めたのに、都合がよすぎます」
「都合がよいのが人なのだ、力を欲するがあまり他者を傷つけ奪う。まぁ、その点では魔族の中にも人のような考えの者もいるので、あまり否定はできんが…とにかく、今は魔族というだけで火炙りにされることはないが、良く思わん者もいる。極力、人の国では魔力を使わんない方がいいと掟が作られた。これは人のためではない、我ら魔族を守るためだ」
なるほど、人が魔族に勝てないのは魔力を恐れているに他ならない。
自分たちとは違う、異質な力は存在自体で萎縮してしまう。
それと、どこの国にも身勝手な人が多いと言うことだ。
悲しいかな、そんな人間が権力を握ると戦争はつきもので…多くの命が犠牲になる。
魔族にとっても、掟は死活問題だろう。
セオドアは主人であるベルディナントさんの命を危険に晒した。
魔力を使った現場に私がいたのだ。
人の前で魔力を使うことは歴史を聞く限りでは、自殺行為なのだと思い知る。
「もういいだろう。お前は火の側に行くといい、風邪でも引かれたら堪らん」
ベルディナントさんはマルクを呼んで、馬車の中にある荷物を運びだすように指示した。
セオドアは再び焚火の番に戻り、私はベルディナントさんの言う通りに焚火の側に座り込んだ。
「あったかい……」
森の中は夜なのもあって、なかなかに冷える。
もう少し厚着してきてもよかったかなと思いつつ、両手を火の付近にかざす。
赤く燃える炎がパチパチ音をたてながら、徐々に木の枝を黒く染めて崩していく。
セオドアがその様子を見て、枝を追加してくれるので赤い炎が途絶えることはない。
なんだか安心する……
そういえば、セオドアには馬車に乗る時にお世話になった。
私を抱えて馬車まで走ってくれたのだ。
頼んだことではないにしろ、子供の足で走るよりも確実に速かった。
「……あの、セオドア? さっきは、私を抱えて馬車まで走ってくれたでしょ? ありがとう」
「いえ、俺に礼など必要ありません。あれは独断な上に高貴な女性に取るべき行動ではありませんでした。お許しを」
枝を火にくべる手を止めて、深々とセオドアは頭を下げる。
何も頭を下げて欲しかったわけじゃない。
アウルムの時もそうだったけど、この世界ではお礼を言うのも一苦労な身分だ。
私は肩をすくめた。
「いいえ、セオドア。私はあなたが無礼だなんて思わない、感謝しています。だから、頭を上げてください」
「王女殿下のお慈悲、受け取らせていただきます」
セオドアは頭を上げてくれたけど……
結局、私が許したみたいになってしまった。
私は、ただ…ありがとうって言いたかっただけなんだけどな……
何だか、モヤモヤする―――
足元に落ちていた木の棒を握った私は伝えたかった“ありがとう”の文字を徐に地面の土に書く。
「おい、今から―――ん、何を書いている。文字…? ではないな、落書きか」
横にドカッとベルディナントさんが座る。
文字を落書きと指摘されて、失礼なっ!と自分の書いた文字を眺めて見て気が付く。
あれ?
そっか、これは私の前世の世界の文字だからこの世界では子供の落書きに見えちゃうのか……
「これ、私の夢に出てきた文字なんですよ」
正直、前世の私とともに生きた知識だ、落書き呼ばわりされては癪に障る。
だから、ほんのちょっとだけ抵抗してみたり。
「それは落書きとさして変わらんだろう。まぁ、いい。今後の話をするぞ」
落書きじゃないってば!
不本意な私の心の声は元より、ベルディナントさんには届くことはない。