閑話.宰相の憂鬱(下)
「何用か」
「失礼いたします、閣下。レジーナ様がお見えです」
第一王女のレジーナ様が急に私を尋ねくるなど珍しい。
必要とあれば、私を呼びつけてもよいものを自ら足を運んだのだ。
余程の急用があるのか…
「お通ししろ」
外に侍らせている側仕えが扉を開けると、長く美しい黄金色の髪の女性が入って来た。
白い肌に目鼻立ちのくっきりとした顔、翡翠色の瞳は彼女の美貌の証。
ただし、それは両方揃っていればの話だ―――
レジーナ様の額から左目にかけて、覆われる不自然な眼帯。
彼女の左眼は半年前に一生使い物にならなくなり、醜い傷跡さえ残っていると聞く。
半年前か……アルビナローズ様に続き、セルジュ様もお亡くなりになられた日―――
陛下に代わりセルジュ様が補える執務は担っており、丁度その時は地方への視察に向かわれる途中だった。
レジーナ様も伴われ、明け方に出かけた馬車は北の山の崖で横転。
その後、崖付近を通った村人が転落した馬車を発見。
急ぎ、城より兵士たちが駆け付けたが、すでにセルジュ様と従者たちは崖の下で息絶えていて、生き残ったのは大怪我を負ったレジーナ様のみ。
瞳が潰れたのもその時だったと聞くが、足も不自由らしく…
常に赤い宝石のついた杖を突きながら歩く姿は見ていて痛々しく思う。
側仕えが2名ほどやってきて、私の座る机の前に一人掛けのソファと小さなサイドテーブルを並べる。
そこへ杖を突くレジーナ様が座す。
「ご機嫌麗しく、殿下。本日はどのようなご用件でしょうか」
「ありがとう、アウルム。今日は貴方に重要なお話があって参りましたのよ」
紅の引かれた薄い唇がすっと妖艶に微笑む。
レジーナ様は半年前からよくこんな笑い方をするようになった。
何を考えているかわからない、影のある微笑みに虜になる者も多いが私はなんとなくゾッとする。
「左様ですか。どうぞ、このアウルムでよろしければお話下さい」
「うふふ、相変わらず堅物なのね? 貴方って……お話というのは、わたくしの可愛い可愛い妹であり、第3王女のフィーリアについてなのだけど―――」
我が国の陛下の御子としてレジーナ様、リアンナ様、フィーリア様、3名の王女様方がいる。
その中でも次期女王の正当な資格をもつフィーリア様は現在、感染する恐れのある不治の病で部屋に籠られているらしい。
しかしながら、フィーリア様が不治の病であることは真っ赤な大嘘なのだ。
1年前にアルビナローズ様が亡くなられた際、後ろ盾をなくしたフィーリア様を傀儡にしようとする輩から遠ざけるために取った苦肉の策。
それに際しレジーナ様がその時、一役を買ってでたとのことだが……
レジーナ様も王位を狙っているらしいとか…
表では、仲の悪い王位継承権を巡る血みどろの姉妹だが、裏では姉妹仲はそこまで悪くないのか判断しかねる。
「まずは前提として言わせていただくけれど…わたくし、王位を継ぐ気なんてないの」
「王位継承権をお持ちなのは、フィーリア様です。レジーナ様が王位継承権について心配なされることはなにもございませんよ」
実にもっともらしい正論を返したと自分でも思う。
けれど、レジーナ様はコロコロと鈴のように笑ってみせてた。
「嫌だわ、アウルムってば……そんなこと、分かっているわ。ただ、わたくしを女王にと思う者も少なくないの……理由はわかっているわよね?」
「ええ、フィーリア様はアルビナローズ様同様、不治の病に罹り、離宮にて床に伏している状況だと聞き及んでおりますとも」
「そうよ。治る見込みもない上に、感染するから誰も近づけもしない……小さく弱くい可哀想なわたくしの妹。だから、思いましたのよ? わたくしがあの子を強くしなければいけないって」
しっとりとした流し目は右目だけだというのに、十分に魅惑的で吸い込まれてしまいそうだ。
私は急ぎ視線を逸らして、咳払いをする。
「ゴホンっ……失礼を。お話の腰を折ってしまい、申し訳ございません。茶を用意させるのを忘れておりました。私としたことが―――」
「あら、いいのよ? だって…貴方にはお茶なんて飲んでる暇はございませんことよ?」
「……? それは、どのような意味ですか」
「言ったでしょ? わたくしが"あの子を強くしなければならない"って……今頃、あの子は昼食の時間かしら? 今日のスープは特別に美味しいはずよ。それも、のたうち回るくらいに…」
レジーナ様は優しく慈愛に満ちた眼差し向けながら、口の前で手をあわせる。
その碧眼の視線は確実に私に向けられたものではなかった。
刹那に私の思考が最悪の結末に辿り着く。
小さくか弱い肢体が無造作に床に放り出され、ピクリとも動かない。
瞳孔の開いた青い瞳はすでに光を失っていて……
嫌な汗が、じわじわと体から噴き出す感覚に私は声を上げずにはいられない。
「馬鹿なっ……! レジーナ様、貴方様は何を考えていらっしゃるっ!?」
「そんなに大きな声を上げないで、アウルム。大丈夫よ、フィーリアならちゃんと乗り越えられるわ。だって、わたくしの可愛い妹ですもの…きっと強い子になれる。うふふ、これが姉としての使命感ってやつなのね」
「……っ!?」
私は即座に立ち上がり、執務室の扉を開け放った後に離宮めがけて疾走した。
狂っている、レジーナ様は狂っている―――
『うふふ、これが姉としての使命感ってやつなのね』
使命感?
何を言っているんだ、あのお方は……
これではただの人殺しだ。
自分は次の女王になるつもりはない、などと言っていたが国が立場がそれを許さない。
レジーナ様とて、そんなことは十分過ぎるほど理解しているだろう。
ならば本気で王位継承権を狙っているとしか思えない。
―――だとしても、こんなやり方は強引すぎる。
レジーナ様の言葉が、笑い声が、耳の奥に残って離れなかった。
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