閑話.宰相の憂鬱(上)
ルーメンアルブム王国宰相。
王を補佐し国の未来と民たちを守る、それが私の役職だ。
しかし、現状はどうだ。
私は自分の役目を果たせていない。
それどころか、この国を民たちを危険に晒そうとしている。
約2ヵ月前、遥か西にある魔国より、魔族の貴族が2名の従者を連れてこの国を訪れた。
彼らの目的は貿易協定を結ぶこと。
国の面積、資源量、生産力、どれを見ても乏しい我が国は幾度となく、深刻な食料難に直面している。
従って、この申し出を断る選択肢などありえないと私は考えていた。
魔国は大国だと聞いたことがある。
なぜ、我が国のような小国と協定を結ぼうなどと考えたのか……
なんでも、とある行商人が持ち込んだ織物で作ったドレスが魔国で大流行し、国中の商人が取り扱いたいと言いだしたらしい。
それがルーメンアルブムの伝統的な手法を使い織られた布地だったというわけだ。
確かに、光沢のある質感と滑らかな手触りの織物は、何処の国にも負けない我が国が誇る一級品だ。
しかし、この国から魔国に輸入する際に掛かる関税が高すぎて並みの商人では仕入れができず、一部の財力のある商人の独占状態にあることが問題となり、国をあげて解決することになった。
魔国から来た貴族、ベルディナント・ミュラー氏はそのように語った。
ミュラー氏はルーメンアルブムで作られる装飾品の細やかな細工にも興味を示し、織物と装飾品の関税を下げる代わりに魔国で採れる食料資源を毎月一定量ではあるが、相場の半分の額で取引すると約束。
魔国から安く資源を調達できれば、我が国のひっ迫した食料問題を解決できる、はずだったのだが―――
『魔国の王から罪人の安否を確認する書状がきていますぞ? さすがは盗人の国だ白々しいにも程がある』
『魔族なぞ、存在自体が罪なのです。いっそ、処刑なさってはいかがか』
『いやいや、死ねば楽になる。それではいけませんな。なにせ、国宝を盗み出そうとした罪人、丁度良いではないですか。ここは、あちらの国に然るべき対処をしていただかなければ』
先週の魔国からきた書状について開催された王宮会議を思い出す。
果実酒を煽りながらまるで国のことなぞ考えていない3名の貴族連中とそれに媚びる大臣たち。
現在、我が国では権力を牛耳る3人の貴族がいる。
固太りで食い意地のはったマロノ・スローリア侯爵。
チビでずる賢いリター・カニングス伯爵。
細身で神経質のガリアン・ナアバシュゲルツ伯爵
3人はもともと貴族の中でも身分が高く上に何かにつけて発言力を強めたがる傾向にあったが、政治を動かす程ではなかった。
それが、1年前のあの日から事態は一変した。
あの日…アルビナローズ様が亡くなられた日から、陛下は毎日が上の空で政治にも口を出さなくなった。
それをいいことに最初に発言力を強めたのは侯爵であるマノロだ。
正直、マノロは頭の良い方ではないのでずる賢いリターが入れ知恵をしたのは間違いない。
その内に大臣や他の貴族連中に顔が効くガリアンを引き入れ、大臣たちを手玉に取り、国の舵をまんまと手に入れた。
"険吞な王" 誰が言い出したのか、国の未来を担えない不安な王だという意味で貴族連中が裏で使っている言葉だ。
陛下に変わって、自分たちが国を治めているつもりか?
何が然るべ対処だ、馬鹿も休み休み言え!
貴族連中の言う、然るべき対処とは魔国に賠償金を請求することだった。
金を払わなければ罪人は一生解放しないなど、脅迫も甚だしい。
そもそも、ミュラー氏は国宝を盗みだしてなどいない。
ことの発端は宝物庫の鍵が壊されているのを巡回の衛兵が見つけたのが始まりだ。
私の元にも、国宝である飛龍の鱗で作られたペンダントが盗まれていたと報告が入る。
話を聞き急ぎ宝物庫に向かうと、すでにあの3貴族がすべてを取り仕切り、城中の部屋を捜索している最中だった。
時刻は城の消灯過ぎ、普段ならば酒を浴びるように飲み、呼んでも自室で寝こけているはずの3貴族が素面の状態で指示を飛ばす姿は夢でも見ているのかと我を疑った。
しかし、あの時もっと疑うべきだったと今は後悔している。
その後、1刻も経たないうちに飛龍のペンダントは見つかった。
場所は3階の客室のベッドマットの下―――ミュラー氏が泊まる部屋だった。
3貴族は問答無用でミュラー氏とその従者2人を拘束、罪人として牢屋に閉じ込めた。
あきらかに、この事件の道筋は出来過ぎている。
それに、ミュラー氏にも従者たちにもアリバイがあった。
日が沈んだことを知らせる宵の鐘が鳴る頃。
日勤の衛兵が最後の見回りをしており、その時にはまだ鍵は壊されていなかった。
そして、夜勤の衛兵が一回目の巡回の時に鍵が壊されているのを発見。
従って、宝物庫の鍵が壊された時刻は、宵の鐘が鳴ってから夜勤の衛兵が宝物庫に辿り着くまでの約2刻の間だと断定されている。
宵の鐘から2刻の間と言えば、ミュラー氏は私の執務室を訪れていた。
従者2人も一緒に私が招待したのだ。
貿易協定を結ぶにしても、我々は魔国のことを知らなさすぎる。
このまま闇雲に協定を結ぶのは、いささか危険を感じた私はミュラー氏に魔国について話してくれるように頼んだ。
ミュラー氏は私の申し出に快く応じてくれ、大変興味深い話を沢山聞くことが出来た。
予想していたよりも、魔国の文化は我が国よりも進んでおり、私は驚かされるばかりだった。
気が付けば、宵の鐘から3刻の時間が過ぎており―――
私は申し訳ないと謝りつつ食事を持ってこらせようとしたが、ミュラー氏は明日も早いと従者を連れて部屋に戻った。
ミュラー氏と従者たちのアリバイは私が一番わかっている。
宝物庫の鍵を壊す時間など、彼らにありはしない。
なので私は真っ向から彼らの無実を主張した。
が、すべては最初から仕組まれていた罠。
3貴族の準備は周到、他の大臣らを抱き込み私の意見はあっけなく突っぱねられた。
程なくして、魔国から届いた書状に対して馬鹿らしく危険な提案が可決され書状が作成されたというわけだ。
あんな書状が魔国に渡れば、開戦も時間の問題。
私は最終手段として、書きたて書状を陛下の命だと偽り、盗み出した。
この後はどうする?
ミュラー氏をどうにか牢から出さない限りは、事態は好転しないだろう。
溜め息を吐きつつ、執務室の窓から望む城下の景色を見つめる。
この国は決して温暖な気候が続くわけでも、広大な国土があるわけではない。
それでも、そこに暮らしている民は大勢いる。
小さな子供から老いた老人まで、皆が国を支える命なのだ。
それをむざむざと、私利私欲でおきた戦火で失うわけにはいかない。
例え私の地位が脅かされようと、この命を賭けてでも守らなければ。
窓に背を向け、形ばかり豪華な机に着く。
そうして、一刻も早くミュラー氏を助ける方法を考えねばと私はペンを執り、現状の考えつく策を書き出そうとした時だった。
扉をコンコンっと叩く音が聞こえたので、返事を返す。