2.宰相と王女様
悲鳴事件から翌日の昼、私は無表情の恩人と対峙していた。
王女を襲った罪人などと在らぬ濡れ衣を着せられ、地下牢に投獄された恩人の男性はアウルム・ヴァレンティノ。
ルーメンアルブムの宰相である。
昨日、倒れた私を宮廷医師の所まで運び、解毒剤を飲ませてくれたのは彼だと後から来た侍女に聞いた。
アウルムが不実の罪から解放されたのは、つい1時間前。
地下牢から出た彼はその足で私のいる部屋に足を運んだというわけだ。
体力の回復が出来ていない私はベッドから出るなと言われたので半身を起こし、アウルムはベッドの横に椅子を持ってきて座した。
何の話があるのか。
私はただでさえ恥ずかしい姿を見られた挙句、恩人を牢屋に入れてしまったことでかなりの負い目を感じていて気まずいのに……アウルムは私の顔をジッと見つめて何も話さない。
「あの、アウルムさん?」
「はい、フィーリア様。さん、などと私ごときに付ける必要はございません。貴方様はこの国の王女なのですから」
「そ、そう? それでは、アウルム……ごめんなさい。昨日は私のせいで、本当にごめんなさい…」
無言でいる時間に耐えられなくなって、私はアウルムに謝罪として頭を下げる。
しかし、次の瞬間には厳しい声色が飛んできた。
「頭をお上げください、フィーリア様。王族が簡単に頭を下げてはなりません。それでは相手に侮られてしまいます。それこそ、王家の名折れとなりましょう」
彼の言葉に私は頭を上げて目をパチクリとさせる。
悪いことをしたら、頭を下げて謝るのが可笑しい?
それこそ、一般市民出身の私にはわからない考えだ。
そもそも、フィーリアの記憶にもこんなことを言われた記憶はない。
だったらどうしろと言うの……?
「……じ、じゃあ、頭を下げなければいいの?」
「は?」
「だから…頭を下げなければいいんでしょ? だったら、ごめんなさい。それから、ありがとう! これだったらいいよね」
私の言葉にアウルムは目を瞬かせて、再び私をジッと見つめる。
ああ、マズイかも……これではまたお叱りを受けそうだ。
だけど…悪いことをしたら謝る! 助けて貰ったら感謝する! それが私にとっての礼儀だ。
「解せませんな…」
「うん? 解せないって、別にいいよ。私がそうしたいだけだから、私のせいであなたは牢屋に入った。あなたのお陰で私は生きている。これが私なりの謝罪と感謝の気持ち。だから、アウルムは気にすることないよ」
今度こそアウルムの眉間に皺が寄る。
きっと私は王族に相応しくないとでも思われたのだろう。
どうせ不遇の姫なのだ。今更、どう思われようが構いはしない。
しばしの沈黙の後、彼は急にふっと笑った。
それは瞬く間で、すぐに無表情のアウルムが戻ってきてしまったが……
アウルムは椅子から立ち上がり、そのまま跪いて深々と頭を下げた。
「ご無礼をお許し下さいませ、殿下。私はフィーリア様のお心遣いを全く理解しておりませんでした」
「そんな、そんな! 頭を上げて、アウルム。あなたは何も悪いことをしていないのだから、謝る必要も頭を下げる必要もないの!」
必死になってアウルムを止める。これではどちらが謝っているのかわからない。
私の説得にアウルムも渋々といった様子で椅子に戻った。
「フィーリア様には、お見苦しい所を見せてしまいました。さて、私がここに参りましたのは貴方様に助言をお伝えするためです。担当直入に言わせていただきます、フィーリア様。貴方様は11の誕生日を迎えることが出来ないでしょう」
アウルムから聞かされた衝撃の発言は私の死を意味した。
けれど、私は別段驚かない。
きっと毒を盛られなくても、離宮であのまま暮らしていてもフィーリアは早くに死んでいただろう。
私にはわかる。フィーリアの悲しみが苦しみが…彼女は10歳にして死に場所を探していた。
「知ってるわ。何者かが私を排除しようとしている。毒を盛ったのはお父様、私が邪魔なのね。理由はわからないけど……」
「それは間違いでございます。陛下は、フィーリア様の死など望んではいません」
「だったら、誰が私を殺そうとしているの……?」
「それは……第一王女のレジーナ様です」
レジーナお姉様。
その名前は私の記憶の片隅にある名前。
あれはフィーリアが5歳の時だったか、レジーナの姿を初めて見たのは……
黄金色の髪にをたなびかせた、白い肌の少女。翡翠色の瞳が宝石のようだと思った。
フィーリアよりも、10歳年上で一緒に一度だけ遊んだ記憶がある。
王宮の庭で花冠を作って、二人で頭に乗せて笑いあった。そんな微笑ましい記憶。
「レジーナお姉様が私の命を…一体、何のために…」
「何のため? 貴方様はもう少しご自分のお立場をご理解なさいませ。いいですか、フィーリア様の母君であるアルビナローズ様は第一王妃、つまり正妃です。対してレジーナ様の母君、セルジュ様は第三王妃。我が国では、王と正妃の御子が王位継承権を持ちます」
「私が…次の女王……待って、だったら、どうして離宮なんかに閉じ込めるの?」
「フィーリア様は、アルビナローズ様と同じ不治の病に罹られ長くない。さらに、その病は感染するとして隔離されているのです」
不治の病だなんて、真っ赤な大嘘もいい所。
お母様は生まれつき体が弱かったけれど、不治の病などではなかった。
まして、感染する病気などと……ひどい噂だ。
「その話は、嘘よ。お母様は生まれつき体が弱かったし、私も病気なんかじゃない。噂を流したのは、レジーナお姉様…」
「いいえ、正確には母君のセルジュ様です。セルジュ様は半年前の亡くなられる寸前まで、レジーナ様を次の女王にと望まれておりました。王位継承権はフィーリア様が亡くなった場合、第二王妃マリアヌ様を母君に持つ第二王女リアンナ様に移行します。しかしながら、リアンナ様は既に出家された身なので権利は自動的にレジーナ様のものとなります」
「レジーナお姉様が王位継承を欲しがっているなら……あげる。私が辞退するからレジーナお姉様が女王になればいい―――」
「そうは簡単にいかないのですよ。このまま、現国王であらせられるレギオニル様が崩御すれば、確実にレジーナ様を祀り上げる者とフィーリア様を祀り上げる者とで、争いが始まります」
王位継承権を巡る争いはいつの時代でも存在する。
皆、己の利益を優先させ利を得ようとするのはどこの世界も同じか…きっと本人たちが望もうが、望まなかろうがそんなのは関係ない。
例え民が苦しみ国が倒れようとも争いは終わらないだろう。
けれど、その争いはお父様が死んだ場合のみ起こり得る。
お父様はまだ生きていて、まだ現役の国王だ。
そうよ、お父様はどうして見て見ぬふりをしているのか…何か理由があるなら知りたい。
「お父様、お父様はこのことを知ってるんじゃいないの? 私を殺す気がないのなら、どうして見て見ぬふりをするの!」
「陛下は見て見ぬふりをしておられるわけではございません。アルビナローズ様が亡くなられた瞬間から、後ろ盾を持たないフィーリア様は恰好の獲物。いつ利用され、殺されてもおかしくはない…それならばいっそ、離宮に閉じ込める方がよいと判断なさいました。すべては貴方様をお守りするがため―――」
記憶の中のお父様はどんな人物だったか。
自分の親なのにほとんど会ったことがない。
これではただの他人だ。
私を守りたい?
それであの汚い離宮に1年間も閉じ込めた?
……いいや、違う。面倒くさかったの間違いではないか。
城に私がいればいるほど、厄介事は増える。
現にレジーナお姉様が私を狙ってきた。
本当に私を守りたいなら、城の外で匿うべきだ。ダメだ…お父様も当てにはできない。
「厳しいことを言うようですが、フィーリア様が生きている限りそのお命は狙われ続けます」
「…そうね、アウルムの話はよくわかった。お城にいる限りは狙われ続ける。だったら、私はお城を出る」
アウルムの顔が瞬時にひきつり、「何をおしゃられますか」と厳しい口調で止めれる。
私だって、負けてはいられない。
「私は本気だよ? どうせ、ここにいても殺されのを待つだけでしょ? 体調が良くなったら、お城を出る準備をする」
「お待ちください。城の外はさらに危険に満ちています。大体、外に出たとしてどうやって生きていくおつもりですか。それに上手く抜け出せたとしても、すぐに追ってが来て殺されかねませんよ?」
「それでもいいよ……どうせ11歳まで生きられる可能性が低いなら、やれることをやってから死にたい…その方が後悔はないから…」
「フィーリア様……」
それっきり、アウルムは何かを考えこむように押し黙ってしまった。
眉間に皺を寄せ、口元に手をあて―――部屋にある時計の秒針の音が響くのみ。
アウルムがこの後どう言おうと、私の決意は固い。
彼が考えているように私も城を出ていく算段を考えた。
ここを出たら、アウルムの言う通り生きていく術がない。
そもそも、10歳の私はこの世界のことを知らなさすぎる…まずは、知ることから始めなければ。
しばらくの熟考ののちに、ふぅっと息を吐いたのはアウルムの方だった。
「…いいでしょう。フィーリア様のお覚悟は十分に理解しました。なので、私も腹を括ることに致します」
「え?…えっと、協力してくれるの?」
「ええ。私は助言をしにこの部屋に参りました。それこそ、牢に入ってまで足を運んだのです。このまま帰れば、ただの愚か者に成り下がりましょう」
聞き間違いじゃないよね…?
目の前がぱっと明るくなった気がするのは気のせいではない。
私は驚きのあまり、大声をだす。
「本当に!? いいの!」
「お、お待ちください。まだ内容をお話していません。有益な情報かどうかは、フォーリア様次第になります」
「それでも、いいよ! なにせ、自分の命が掛かってるんだから、絶対チャンスに変えてみせる」
意気込む私を見て、アウルムが少しだけ笑った。