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mission8 弟子、約束する

 俺はピクリとも表情を動かさなかった。

 ムン師匠に「永久氷壁」と言わしめた表情を、ラフィーナに向ける。

 威圧するわけでもなく、脅すわけでもない。

 ただ俺は淡々とこう尋ねた。


「何故、そう思う?」


 ラフィーナは逡巡した後、言葉を選ぶように言った。


「似ているのだ、お前の気配は。私の家族を殺した暗殺者の気配と……」


「俺は――――」


「いや、すまない。お前が下手人だとは思っていない。だが――」


「違うぞ、ラフィーナ」


「?」


 ラフィーナの明るく光る翡翠の瞳が揺れる。

 俺は言葉を続けた。


「俺は暗殺者ではない」


「しかし、今の体術や――そのトランプだって、暗殺者が使う暗器ではないのか?」


 俺は黙って、ラフィーナにトランプを箱ごと差し出した。

 恐る恐る受け取り、その中の1枚をつまみ上げる。

 すると、自重だけで簡単に折れ曲がってしまった。


「や、柔らかい……」


「これは市中で売られている庶民が使うよう粗悪品だ。貴族たちのとは違って、薄く、紙の質も悪い」


「こ、こんなのでナイフを受け止めていたのか?」


「【硬化】の魔法を使っていたからな」


 俺はラフィーナが摘んだ1枚を取り上げ、近くにあった木に投げる。

 薄い紙は空気を斬り裂き、硬い木に刺さって止まった。

 直後、再び柔らかい紙に戻る。


「待て、ブレイド。物体に魔法を付与する魔法を、お前は使えるのか。あれはミズヴァルド学院の上級課程で学ぶような高等技術だぞ」


 ラフィーナの言うことは、間違っていない。


 魔法とは、人間の魔力回路を起動させ魔力を練り、法式詠唱(じゅもん)もしくは魔法陣によって具体性を高め、発露する奇跡だ。


 ここでポイントとなるのは、魔力回路と魔力である。

 一般民衆の知識では、魔力と魔力を練り上げ、人体の隅々まで通す魔力回路がないと、魔法は発動しないと考えている。

 つまり魔力や魔力回路がない物体に、魔法を付与することは難しいとされてきた。


 しかし、これは全くの出鱈目であり、物体付与はさほど難しい技術ではない。


 貴族たちが技術を独占したことによって植え付けられた、偽りの常識である。


 俺はそれらを説明してやると、ラフィーナは驚いた。

 彼女の家が滅びたのが10年前。

 その間は、始皇帝に飼われていた。

 そうした真実を知らなかった可能性は十分にあるだろう。


「では、何故平民のお前が使えるのだ?」


「俺はザイ(ヽヽ)・アドキン先生の弟子だからな」


「なに!? ザイ・アドキン! あの伝説の諜報員ザイ・アドキンか。彼の情報がなければ、ザイン帝国の統一はあと20年遅れていたという」


 ザイ・アドキンというのは、サイ(ヽヽ)師匠の表の名前だ。

 ラフィーナの言うとおり、100年は続くといわれた六角戦争を早期に終結させた、あの始皇帝と並び称されるほどの偉大な伝説の1人である。


「ああ。そのザイ先生だ」


「そうか。超一流の諜報員ともなれば、魔法技術に明るいのも納得できる。それにザイ殿は徒手空拳の達人であったとも聞く。それならばブレイドの動きも……」


「誤解は解けたか?」


「あ、ああ……。すまない、ブレイド。さすがはザイ殿の弟子だ」


 ラフィーナは称賛し、そしてホッと胸を撫で下ろす。

 その姿を見て、俺は少し眉宇を動かした。


 今のは全くの出鱈目だ。

 いや、すべてというわけではない。

 付与魔法の技術的な説明は正解だ。

 だが、トランプを鋼のように硬化させたのは、別の力である。


 人間には筋力の他に、2つの力がせめぎ合っている状態にある。

 すなわち『魔力』と、魔力を抑止するための『念』と言われる力だ。

 俺にこの力の秘密を教えてくれたサイ師匠曰く、人間は『念』を持つからこそ、魔法を使っても暴走しないのだという。


 『念』は魔法ほどの汎用性があるわけではない。

 だが、身体強化や物体強化という点においては、魔法以上の力を発揮する。

 魔法でトランプを【硬化】させたとしても、人の肌を切る程度だ。

 だが、ナイフを受け止めるという芸当は難しい。


 この念が全く世の中に伝わっていないのは、これが暗殺者によって編み出されたものだからだ。

 時に暗殺者は武器を持たず目標に近づかなければならないことがある。

 その時、頼れるのは己の肉体だけだ。

 しかし、いくら鍛えたところで人間の身体が鋼のように硬くなることはない。

 そこで編み出されたのが、『念』だと聞いている。

 無音で、魔法のような派手な光もない。

 まさに暗殺のための力なのだ。


 ラフィーナに嘘を吐いたのは、単純に暗殺術の1つであることを、気付かれたくないからである。


 仮に本当に俺が暗殺者だと知られたならば……。

 今ここでラフィーナを殺さなければならなくなるだろう。


 俺は落ち着きを払い、ラフィーナを諭すことにした。


「目の前でこんな大立ち回りを見たのだ。動揺するのもおかしくない」


「いや……。一時とはいえ、学友を疑ったことは事実だ。何か礼をさせてくれ。これで水に流せるとは思わないが、頼む」


 律儀な娘だ。

 彼女は俺がコウ師匠から聞いた貴族からも皇族からも、何かかけ離れている。

 かといって、庶民という風にも見えない。

 もっと雄大で、どこか近寄りがたい空気を纏っていた。


 俺が師匠たちに話しかけるのと似ている。

 何か超越しすぎていて、常識に当てはまらない。

 誇り高い(さま)と、危うさが同居したような――そんな掴み辛さを、最初に会った時から感じていた。


「礼というわけではないが、最初の話を聞かせてほしい」


「最初? 賭けのことか?」


「お前がこうして学生でいるということは、始皇帝ベルヴァルドは賭けに乗ったということなのだろう。では、ラフィーナが皇帝になれなかった時、どうなるのだ?」


 ラフィーナがミズヴァルド学院を卒業し、さらに貴族の頂点へと駆け上がった時にのみ、ラフィーナは皇帝になれるという。

 ならば皇帝になれなかった時、どうなるのだろうかという質問は、至極真っ当なものであるはずだ。


 俺が知る限り、ラフィーナに賭けられるものはない。

 精々始皇帝の愛玩道具として、その美しい肢体を捧げるのが関の山である。

 あるいはマージュ家の生き残りの命を欲する貴族に、差し出すつもりなのかもしれない。


 だが、ラフィーナの返答は俺の予想を覆すものだった。


「おそらく戦争が起きる。今度は世界を巻き込む大戦争に発展するだろう」


 埒外の返答に、さすがに俺も動揺を隠しきれなかった。

 声を荒らげたくなるのをぐっと堪え、俺は口を開く。


「この国が滅びるぞ」


「ああ。その通りだ」


 ザイン帝国は6つの種族を統括し、広い国土と国力を持つ。

 だが、それは対外的なプロパガンダであって、内情はボロボロだ。

 理由は実に簡単なことである。

 貴族や皇族たちが、魔法技術を独占しているからだ。


 かつて魔法は6つの種族に等しく与えられていた。

 しかし、それは凄惨な六角戦争を生み出す火種にもなる。

 その抑止として始皇帝ベルヴァルドは国内に存在するすべての種族から魔法技術を取り上げた。

 おかげで、貴族たちが独占したことによって、ここ30年以上戦争らしいことは起こっていないことは事実である。


 しかし、魔法技術を失ったことにより、魔法が使えない平民たちは突如として原始的な生活を余儀なくされた。

 生活の低水準化は避けられず、多くの餓死者も出してしまう最悪な結果となる。

 一方で貴族たちは国内の問題に真剣に向き合わず、今も私腹を肥やし続けていた。


 考えるまでもなく国力は低下し、不満が蔓延している。

 他国も状況はわかっているだろう。

 それでもザイン帝国が他国からの干渉も侵略も受けないのは、まだ始皇帝ベルヴァルドという六角戦争の亡霊を、各国が恐れていることに他ならない。


「おそらく誰も望まない戦争になるだろう。平民はもちろん、貴族たちですらな」


「だが、始皇帝ベルヴァルドはそれを望んでいる。そうだな、ラフィーナ」


「戦場にこそ生きる道がある。かの皇帝はそう思っているらしい。血生臭い戦争よりも、甘い蜜が香る平和の方がよっぽど苦痛のようだ」


「狂っている……」


 俺は端的に表現すると、ラフィーナは首肯した。


「私もそう思う。それでも始皇帝ベルヴァルドは戦争を望んでいる。その願望はこうしている今も怨念のように積もり続けているだろう。始皇帝にとって国は陣地であり、民は己の(こま)でしかないのだ」


「だから、お前は皇帝になることを望むのか? この国の自殺を止めるために」


「それだけではない。この貴族が専横する社会構造自体も変えなければならないだろう」


 皇帝になることすら、今のラフィーナにとって簡単な道ではない。

 その上で、貴族社会を排し、この国に溜まり続ける種族間の怨念を取り払い、戦争を回避し、そしてこの腐り弱り切った国を立て直す。


 実現できれば、もはや奇跡の類である。

 目標としている人間の正気を疑うレベルだ。


「それがどれだけ険しい道か理解しているのか?」


「すべてを理解しているとは言い難い……。だが、誰かがやらなければ、この国はいずれ滅びる」


 ラフィーナは手を広げる。

 不意に俺の視界に、それは映り込んだ。

 何千万人というザイン帝国の民の前で、宣言するラフィーナの姿が。


 【皇帝眼(エンペラーアイ)】は苛烈に輝き、闇に生きる俺でも、恋い焦がれるような――一途で真っ直ぐな眩しさを持っていた。

 皆が諦めた光を、ラフィーナは身体をボロボロにしながらも、今も大事に抱えている――そんな風に俺の目には映った。


 そして未来の皇帝(ヽヽヽヽヽ)は弁舌を振るい続ける。


「確かに階級制度はこの国に大きな歪みをもたらした。だが、亡くなった父や祖父が血肉を削って勝ち取った今の安寧を絶やすことだけは、決してあってはならない!」


 ここで終われば、拍手喝采。

 ラフィーナは万雷の拍手を受けていたことだろう。

 しかし、そうならなかった。

 すべての願望を捨て去ったのは、ラフィーナ自身だった。


「そう思っていた……。ここに来るまではな」


 苛烈に光っていた【皇帝眼(エンペラーアイ)】が徐々に曇っていく。

 下を向き、背中を丸めた姿は、どこにでもいる一平民にしか見えない。


 ラフィーナは頭を振ると、艶やかな銀髪が揺れた。


「だが、駄目だ。もし、私が頑なに皇帝を目指せば、ブレイドや他の学友にまで魔の手が伸びるかもしれない。彼らを危険にさらすわけにはいかない。今の一件でよくわかった」


「諦めるというのか?」


「そうではない。他の道を模索するだけだ。望みは薄いかもしれないがな」


「……今の生活を続けろ、ラフィーナ」


 この時、理性ではわかっていたのだ。

 俺が今、妙なことを口走ろうとしていることを。

 自らを制し、律することは、暗殺者の基本である。


 何の恨みも理由もなく、人を殺すのが暗殺稼業だ。

 そして、人を殺すことは自分の中にあるたが(ヽヽ)を押し切る力が必要となる。

 そのためには感情を殺し、何の抑止もなく人を殺す状態を保たなければならない。


 俺の感情は常に制御できていると思っていた。


 しかしその時、生憎とブレーキが壊れていたらしい。


 俺が戸惑うと同時に、ラフィーナもまた瞼を大きく広げて驚いていた。


「しかし、お前やポロフ、マイアにも迷惑が……」


「それは心配しなくていい」



 俺がお前を皇帝にしてやろう……。



 後から振り返れば、言い訳なんていくらでも並べることができた。

 戦争になれば、師匠もまた巻き込まれる。

 時に必要とあらば、自分たちの命を差し出すことすら厭わない非情な師ではあるが、俺はとても恩義を感じている。


 それに師匠がこの話を聞けば、間違いなく蛮行を止めるために動くはず。

 おそらく皇帝暗殺(ヽヽヽヽ)すら躊躇しないだろう。

 だが、皇帝宮にいる今、師匠と密にやりとりすることは難しい。

 ここではあらゆる情報伝達手段が遮断されるからだ。


 しかし、その時の俺は何も考えず決断した。

 暗殺者の俺に、同情も憧憬もない。

 なのに殺したはずの心が、ムズムズする。

 先ほどから何か得体の知れない感情が、胸の奥で叫びたがっていた。


 俺の言葉に、ラフィーナは喜ぶわけでも、手を叩くわけでもない。

 少し困ったような顔をして、最後には微笑んだ。


「随分と大それたことを言うのだな」


「大言であることは理解している。それでも不可能ではない。むしろお前1人で実行するよりも成功の確率は格段に高くなるはずだ」


「しかし、ブレイドにはリスクしか存在しないぞ」


「お前の目には、そんなに俺は頼りない人間に見えるのか?」


 俺の瞳が冷たく光る。

 視線を放った先にいたのはラフィーナではない。

 物言わぬ骸と化した暗殺者たちであった。


「それに俺にも守りたい家族がいる。お前がここで降りるにしても、結果は変わらない。俺は俺のためにこの国を戦火から守るだけだ。だが、それすら叶わないならば――」



 いっそ暗殺するのも(ヽヽヽヽヽヽ)悪くない(ヽヽヽヽ)



 俺の言葉と門限前を知らせる鐘の音が重なる。

 大きな城壁で区切られた皇帝宮の夜空に、それは俺たちの間に盛大に鳴り響いた。


 ごくりとラフィーナは喉を鳴らす。

 妙な空気が皇帝宮の闇に流れた。

 俺自身、殺意を漲らせたつもりはない。

 それでも、その言葉は十分インパクトがあるものだったらしい。


 ラフィーナはしばらく経って、ようやく言葉を取り戻した。


「それはダメだ。血を血であがなうなど、もうたくさんだ」


 辛い悪夢を振り払うように、ラフィーナは首を振る。

 握りしめた拳と同じく、言葉に強い実感がこもっていた。


「なら、お前は皇帝を目指せばいい。俺はそれを切り開く剣になろう」


「お前らしい言い方だな。私を守ってくれる盾――ではないのか?」


「違うな。俺はよく斬れる(ブレイド)だ」


 門限前を知らせる鐘がまだ鳴っている。

 それは俺たちの出会いを祝福する鐘か。

 それとも長い戦いを告げる開戦の合図なのか。


 いずれにしろ何かが始まったことは確かなようであった。


「今日は寮に戻ろう」


 俺はくるりと学生寮の方に足を向ける。

 1歩踏みだしたところで、背後から軽い衝撃を受けた。

 衣擦れとともに手を回される。

 見れば、ラフィーナが俺の背中に顔を埋めるように密着していた。


 振りほどくのも、躱していなすことも造作もない。

 あえてそうしなかったのは、ラフィーナが泣いていたからだ。

 そして彼女が吐露した言葉は、謝罪でもなく、悲哀でもない。


「ありがとう……」


 感謝であった。


「礼ならお前が皇帝になってからにしろ」


「……ああ。そうする。ただ今は、すまん。しばらくこうさせてくれ」


「それはいいが、あまり時間がないぞ」


「ああ、しかし――――」



 お前の瞳はやたらと冷たいが、背中は随分と温かいのだな。



 それはお前の涙の所為だろう……。

 そう言おうとしたが、結局言えなかった。


 ラドリーンといい、ラフィーナといい。


 なんでこう俺の背中で泣きたがるのだろうか。


というわけで、皇帝暗殺依頼未遂の暗殺者の弟子と、皇帝になりたい皇孫女殿下のお話の始まりです。



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