mission6 弟子と皇女
慌ただしい1日がようやく終わった。
騒ぎのおかげで、入学式はそのまま閉式する運びとなり、予定されていたオリエンテーションも中止され、俺たちはミズヴァルド学院のすぐ側にある学生寮へと押し込まれた。
準男爵の俺たちは、ここでも階級の差を見せつけられる。
ベッドと机、小さな戸棚、トイレと風呂は共同の俺たちに対して、男爵以上ともなれば部屋は広く、それぞれの個室にトイレと風呂が併設されている。伯爵ともなれば、使用人用の個室もあり、さながら小さな屋敷といったところである。
それでも貴族の中には、不満を漏らす者も少なくなかった。
他の貴族と比べればぞんざいな扱いではあるが、平民出の俺たちにとっては、夢に見た個室である。
ポロフは部屋を見るなり、目を輝かせ、家のよりも柔らかいと、早速ベッドに寝転がって、そのまま寝てしまった。
色々あって、疲れたのだろう。
ラフィーナとマイアは、女子寮だ。
おそらくあっちも同じような待遇を受けているはずである。
2人のまずい顔が見えるようだった。
しばらく自分たちの学生房での待機を命じられ、解除になった時には午後6時を過ぎていた。
春になったとはいえ、まだまだ陽の入りが早い。
周りを城壁で囲まれているからか、空が紅に染まったかと思えば、一気に夜はやってきた。
学生寮には門限があり、午後8時までとなっている。
外出許可証に名前と爵位、さらに目的を書けば、簡単に外出が可能だ。
とはいえ、城壁の向こうに行くことは、どんな理由があっても許されない。
人の往来を制限し、皇帝宮に不逞な輩を入城させないための措置である。
外出の際には、必ず学生服を着用すること。
これは自分の身分を明らかにするという意味の他、学生を守るためでもある。
耐魔法防御繊維で織られた白銀の学生服は、耐斬突にも優れている。
いわば、これは学生を守るための鎧なのだ。
それほど皇帝宮の中は治安が悪いのかといえば、そうでもないだろう。
だが、階級による差別は、俺たちだけとは限らない。
男爵は子爵に、子爵は伯爵に、伯爵は侯爵というように、差別は連綿と続いていく。それほど学生同士あるいは、大人同士の権力抗争は、この皇帝宮では日常茶飯時なのだ。
俺は学生寮を出て、走り始めた。
いくら師匠の目がないとはいえ、鍛錬をさぼるわけにはいかない。
組み手は難しいだろうが、せめて筋力だけは維持しておこうと考えた。
仮に無事に卒業できたとして、師匠の前にサボり癖のついた醜い身体をさらすわけにはいかないのだ。
「ブレイド!」
その声は空から降ってきた。
上を見ると、ラフィーナが窓から手を振っている。
なるほど。これが女子寮か。
ほとんど男子寮と変わらない造りをしていた。
「鍛錬か?」
「ああ……」
「私も混ぜてくれないか?」
「構わんが、俺のペースは速いぞ」
「望むところだ」
しばらくしてラフィーナが女子寮から出てきた。
長い銀髪を後ろに結び、うなじをさらす。
銀髪に隠れた白い肌は南海の砂浜を想起させる。
「……? どうした、ブレイド」
「なんでもない。行くぞ」
俺は走り出すと、遅れてラフィーナが付いてきた。
「助かった。ちょうど身体を動かしたかったところだったのだ」
「そうか」
俺は素っ気なく返事する。
一方、ラフィーナはやや思い詰めたように顎を引いて俯く。
「何か俺に訊きたいことがあったんじゃないのか?」
「それは――」
ラフィーナは逡巡する。
だが、最後に首を振った。
「何でもない。……気のせいだ」
「そうか。じゃあ、俺も1つ訊いていいか?」
ラフィーナ・ヴドゥ・マージュ・ザイン……。
ラフィーナは走るのを止める。
俺もまた立ち止まった。
銀髪は闇の中に沈み、しかし翡翠のような深い緑色の瞳は些かのかげりもない。
【皇帝眼】。
緑色の瞳はどの人種や階級の人間にも存在するが、その中でも【皇帝眼】は変わっていて、暗闇にあっても、なお光るという性質を持つ。
【邪眼】に近いが、かといって夜目が利くといった性能は付与されていない。
単純に闇夜でぼうと光るだけなのだが、遺伝的に皇族の血を引く者にしか現れず、すなわち皇帝に連なる一族の証でもあった。
「いつから気付いていた」
「入学式の騒動の時にな。講堂の後ろの方にいた時に、お前の目は光っていなかった。おそらく何か特殊な薬で普段は抑えているのだろう。だが、興奮したり、眼球の血流が早くなると、光を抑えることができない」
故にあの騒動の時、俺は見た。
今のようにラフィーナの瞳が輝いていたことを。
ラフィーナは1度瞼を閉じて、心を落ち着かせる。
次にゆっくりと瞼を開くと、目から光が失われていた。
「なるほど。……だが、よく私の名前まで当てることができたな」
「【皇帝眼】を持つ人間が準男爵として、学院に在席していることをおかしいと思わない人間はいないだろう。普通の皇家の人間ならば、こんなところにはいない。今頃、広い部屋で十数人の召使いを抱え、柔らかソファに腰掛けて紅茶を楽しんでいるはずだ」
……だが、かといって皇家と行きずりの女の間にできた子どもとも思えない。皇家のしきたりは、貴族のそれよりも遥かに厳しい。
仮に外に子をなせば、それはいずれ戦乱の種を蒔くことになるかも知れないからだ。そんなことを、用心深いかの始皇帝が許すはずもない。
「こうして可能性を潰していけば、答えは自ずと狭まってくる。皇家でもなければ、庶子でもない。ならば、第三の可能性を選択するしかない。即ち――」
元皇家だ……。
かつて皇家には、現皇家に一家加えて、7つの皇家があった。
それがマージュ家である。
皇家たちはお互い協力して、国を支えているかと思えばそうではない。
今、次の皇帝を決めるために、骨肉の争いを繰り広げている。
そして、その最初の脱落者がマージュ家だ。
もう10年も昔の話である。
「当主ともども、一族郎党は暗殺されたと聞いたが、子どもは生き残っていたのだな」
「ああ……。まだ幼かった私を助けてくれたのが、他ならぬ祖父だったからな」
「祖父……。まさか――」
「そうだ。私を助けてくれたのは、他ならぬ始皇帝――」
ベルヴァルド・ヴドゥ・オー・ザインだ。
「始皇帝が何故、没落した家の子どもに手を差し伸べたのだ?」
あくまで世間一般的なイメージだが、始皇帝ベルヴァルドは非常に苛烈な性格だと聞く。それは彼が行ってきた強引な統一政策を見れば明らかで、特に競争意識を高めるものだった。
ここまで貴族階級の上下差が鮮明になったのも、始皇帝が仕組んだ競争社会に寄るところが大きい。
俺の問いに、ラフィーナは黙って頭を振るだけだった。
「真意はわからない。ただ皇帝陛下はこう言われた」
戯れだ、と――――。
社会に強い競争意識を植え付けたかと思えば、そのせいで没落した家の子どもを拾い庇護する。
確かに戯れか、何かの冗談にしか思えない。
まるで子どもだ。
「だが皇帝の庇護にあるお前が、何故こんなところにいる。大人しく、その寵愛を受ければ、身の安全は保証されたはずだ」
自然と俺もヒートアップしていく。
その不可思議としか思えない彼女の生い立ちを聞いて、つい詰問口調になって尋ねた。
「賭けをしたのだ」
「賭け?」
「私は裸一貫となり、学院を卒業し、貴族社会を駆け上がり、その頂点に立った時――――」
「なんだ、皇族への復帰か? それともマージュ家の復活? あるいは父と母を殺した他家への復讐か?」
俺は可能性を並び連ねる。
だが、そのどれもラフィーナは首を振って、否定した。
そして薄い桃色の唇を動かし、まるで国民に向かって弁舌する為政者のようにこう俺に告げたのだ。
「私を――――」
皇帝にしてほしい……。
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