mission5 弟子、出席する
「雪解け水が川を清らかに満たし、新芽が芽吹く季節……」
その挨拶は、実にたおやかに講堂に響いていた。
聞く者をうっとりとさせ、抱き心地のいい枕に包まれているようである。
もはや魔法の類に近い。
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵――そして、準男爵。
総勢1000名に上る新入生と、一部の在校生、教職員、さらには関係者。
それらすべての視線を奪っているのは、間違いなく壇上に立つ少女であろう。
緩やかにウェーブした黒髪。
陶器でできたような白い肌。
過度に細いわけでもなく、ただ平均的というほどでもない。
女性的な柔らかさと魅力が共存した体躯には、強い母性のようなものを感じる。
しかして、そのエメラルドに似た輝きを持つ瞳には、子どものようなヤンチャさが抜けていなかった。
何よりも目を引く笑みは、甘く柔らかな菓子を想像させる。
彼女の名前はローゼマリー・ヴドゥ・キストラニス・ザイン。
その末尾の名前が示すとおり、皇族に連なる人間で、6大皇家キストラニス家の三女。そして俺たちの先輩に当たる。
6大皇家とは、始皇帝ベルヴァルド・ヴドゥ・オー・ザインを排出したオー家を筆頭に、ノーグ、キストラニス、リヴァレス、デジャン、ハーラバルを皇家を指し、この中から次期皇帝を選定することになっている。
ローゼマリーはミズヴァルド学院の生徒会長を務めており、今その職務を真っ当していた。
「まさか……。皇族をこうもあっさり目にすることになるとはな」
ローゼマリーは現皇帝にして“始皇帝”という異名を持つ、ベルヴァルド・ヴドゥ・オー・ザインの孫に当たる。
由緒正しき、皇孫女殿下様なのだ。
「綺麗な人ですね……」
目を輝かせたのは、眼鏡をかけた少女だった。
マイア・アノゥ・ミルヴァントン。
俺がミズヴァルド学院に来て、最初に手助けした平民出の少女だ。
準男爵が待機する場所に行くと、すでにマイアが立っていたのである。
「ねぇ……。それよりもさ」
小さく不満を漏らしたのは、ポロフだった。
やや広い眉根に大きな皺を刻まれている。
暑いのか、額に汗が噴き出ていた。
「なんで、ボクたちだけ立ってるわけ」
そう。
講堂の中で立っているのは、俺たち準男爵だけだった。
他の関係者や在校生ですら座っているというのに、唯一立って、ローゼマリーの挨拶を聞いている。
しかも、場所も最悪だ。
壇上の近いところから身分の高いものが座り、きっちりと区別されているのだが、俺たちが当てがわれたのは、壇上から遠い隅っこの方だった。
遠さからいえば、3階席が1番遠いのだが、俺たちに見下ろされることを嫌がったのだと思われる。
席を用意されていないのも、明らかな嫌がらせだ。
だから、こうしてお喋りをしていても、壇上までは届かない。
隅っこの闇に紛れているから、いるかどうかすらわからなかった。
暗殺者の俺にとっては、おあつらえ向きと言えるかもしれない。
やれやれ……。先が思いやられる。
俺が肩を竦めていると、唐突にローゼマリーが声のトーンを上げた。
「この場をお借りして、私はある宣言をさせていただきます。それは差別の撤廃です」
ローゼマリーのよく通る声が、講堂に広がっていく。
その宣言を聞いた時、多くの貴族は疑念を抱いただろう。
ただ小さく「おお……」と戸惑いの声が漏れるだけであった。
ローゼマリーは言葉を続ける。
「ミズヴァルド学院は、いえ――我々皇族、貴族の皆様は、長らく上下の階級に囚われて日々を過ごしてきました。しかし、私はそろそろ――この身分差を撤廃すべきではないのかと常々胸に抱いておりました。そして、生徒の代表者となった今、私は貴族の階級に囚われない、自由な校風を目指すと決意したのです」
ふっ……。
大した演説だ。
今からでも皇帝になれそうだな。
それほどローゼマリーには人を引きつける魅力があった。
カリスマとでも言うのだろうか。
「その1つとして、私はこの壇上に4人の新入生を招こうと思います」
強い光が講堂の端で立っていた俺たちに向けられる。
闇から暴かれた俺たちは、当てられた光から逃れるように目を細めた。
「今年、難関といわれる試験を突破した準男爵の新入生です。どうか盛大なる拍手をお願いします」
自らローゼマリーは手を叩き、拍手を始める。
それに促されるように貴族たちも手を叩いた。
戸惑っていたのは俺たちだけだ。
どうしたらいいか迷っていると、ローゼマリーが「来て来て」と壇上に来るように促す。
最後は近くにいた教職員に先導され、舞台袖を通り、俺たちは登壇した。
待っていたのは、煌々とした壇上だ。
上を見ると、光虫が入った硝子管が煌びやかに輝いている。
その光を受け、微笑を浮かべたローゼマリーが立っていた。
俺たちが先ほどまでいた闇の世界が平民だとすれば、おそらくこの壇上こそが貴族の世界なのだろう。
壇上には4つの椅子がすでにセッティングされていた。
「どうぞここがあなたたちの席よ」
ローゼマリーは笑顔を湛えたまま、席を勧める。
最初は当惑していたポロフにも笑顔が灯った。
警戒することなく、その椅子に腰掛ける。
特に何かがあるわけでもなさそうだ。
魔法的な仕掛けもない。
俺もまた静かに腰掛け、さらにマイアが横に座る。
しかし、ラフィーナは立ったままだった。
ただじっとローゼマリーを見つめる。
すると、ローゼマリーの口角が一瞬歪む。
だが、すぐに元に表情に戻り、改めてラフィーナに着席するように勧めた。
「どうしたの、ラフィーナちゃん。座らないのかしら」
「…………」
ラフィーナの眉宇が小さく動く。
結局黙ったまま、最後には席に着いた。
「新しい私たちの仲間にもう1度拍手を……!」
再び拍手が俺たちに送られる。
決して温かくはない。
むしろ生ぬるい。
何か裏を感じずにはいられなかった。
だが、横の準男爵たちには受けがいいらしい。
「生徒会長! すごくいい人みたいだね」
「ええ……。最初不安だったけど、これなら学院でやっていけそうです」
ポロフが顔を輝かせれば、横のマイアがうんうんと頷き、目の端を拭う。
どうやら泣いているらしい。
だが、俺にはそうは見えない。
むしろ獣の檻に閉じこめられた臭気を感じる。
事実、聴衆を背中にし、俺たちの方を向いたローゼマリー会長の表情は、どこか怪異のように醜悪に歪曲していた。
俺は状況を整理する。
壇上……。全校生徒……。強いスポットライト……。
なるほど……。
これは見せしめということか。
準男爵である俺たちを全校生徒の前で暴き、晒し上げている。
ここに獲物がいるぞ……と――。
全く……。
厄介な生徒会長だ。
こっちは暗殺者の弟子だぞ。
決闘の時は致し方なかったが、こんなところで顔を安売りするわけにはいかない。
そもそも暗殺者の顔を暴くなど……。
知らぬ事とはいえ、生徒会長は少々やりすぎている。
「みんな、仲良く! それが私が目指すミズヴァルド学院の校風です」
緩やかに黒髪を動かし、ローゼマリーは再び来賓席の方を向くと、宣言した。
皆の視線がローゼマリーに向く。
その一瞬を俺は見逃さず、指弾を直上へ弾いた。
パリン!!
乾いた音が鳴る。
ライトの硝子が割れた。
同時に、硝子の中にいた光虫が逃げ出す。
彼らに魔力を送ることで光る原理を使い、俺たちは闇を払ってきた。
一方で光虫は臆病な生き物だ。
加えて、光虫間では特殊なコミュニケーション方法がある。
つまり、仲間が危機に陥ると、他の硝子管の中にいる光虫も連続して反応し、強制的に発光現象を遮断してしまうのだ。
途端、壇上は真っ暗になる。
唯一講堂の中で光を放っていた場所からも明かりが失われた。
席上は暗い夜のようである。
皆が困惑する中で、俺は大きく息を吸った。
「狙撃だ! 逃げろ!!」
大きく講堂の中に響く。
勿論、声音は変えてである。
直後、絹を裂いたような悲鳴が響く。
おそらく講堂にいたご婦人の誰かだろう。
その声が、糸が切れたように呆然としていた貴族たちを蘇らせた。
そこから入学式会場は阿鼻叫喚の坩堝と化す。
まるで講堂そのものをシャッフルしたかのように、貴族たちは逃げまどった。
その現場に階級も、爵位もない。
ただ獣たちが吠声を上げるのみだ。
公爵も男爵も入り乱れ、入口に殺到する。
中には落ち着くように声を張り上げる生徒や教職員もいるが、檻から解き放たれた1000人近い貴族たちを引き留める術はない。
唯一あるとすれば――――。
俺は闇の中で人々を落ち着けるため、拡声石を握るローゼマリーの姿を見つける。
「みな――――」
その声が喉から完全に出かからぬうちに、俺は闇に紛れ、背後に立つ。
ローゼマリーの背中に、冷水で冷やした刃のような殺気を押し当てた。
なかなか勘のいい女らしい。
すぐ俺の殺意に、ローゼマリーは気付く。
喉を強張らせ、そして小刻みに震えた。
俺は声音を変えて、こう言う。
「気付いたか、娘。そうだ。これが本物の殺意というものだ。お前のような命を玩具としか見ていないものとは異なる、本物の殺しの意識だ」
「や、や――――」
恐怖は増していき、下腹部の辺りがぶるぶると震える。
あの柔和で、甘い砂糖菓子のような笑みは消えていた。
眉間に深く皺が寄り、目の回りに施した化粧の一部は冷や汗とともに落ちていく。
全く醜いというわけではないが、もはや壇上でそのカリスマ性を発揮していた皇孫女殿下の姿は、影も形もなかった。
「護衛を付けないとは不用心だな。ここが皇帝宮の中だと安心したか?」
「あ…………。う…………う、あ、ああ……。」
「覚えておけ。お前を殺そうと思えばいつでも殺せることを……。それとも――」
ここで殺して欲しいか?
「い、い…………イヤ……!」
かろうじてローゼマリーは声をあげて、否定する。
その時である。
とうとう彼女の前に勇者が出現した。
「マリー!!」
俺とローゼマリーの間に入ったのは、ラフィーナだった。
暗闇の中でも、その深緑の瞳はかすかに光っている。
おそらく声によって彼女の位置を把握し、その危機を察したのだろう。
俺はあっさりと退いた。
さらに再び指弾を弾く。
講堂のガラス窓を破り、暗殺者が外に逃げたことを演出する。
その割れた窓から光が射しこむ。
ようやく講堂の全貌が露わになったところで、衛士たちが雪崩れ込んできた。
ローゼマリーはペタリとお尻を着けて呆然とする。
エメラルドのような瞳は赤く腫れていた。
「マリー! 大丈夫か?」
ラフィーナはローゼマリーに近づく。
「近づかないで!」
だが、返ってきたのは強い否定の言葉だった。
衛士たちが集まり、彼女の無事を確認する。
蹲っていた彼女はようやく立ち上がった。
それ以上、何も言わずローゼマリーはその場を後にするのだった。
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